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第659話

Author: 月影
「パパ、お願い......晴嵐お兄ちゃんと一緒にここを出よう?ここ、くさいし、汚いし、もうイヤ......」璃音は涙に濡れた目で、凌央の首にぎゅっとしがみついた。

まぶたは赤く腫れていて、声も少し震えていた。さっきまで、ずっと泣いてたのがすぐにわかる。

「......ああ、わかった」凌央は静かに返事をして、晴嵐に手を差し出す。「お前も行くぞ。とにかくここを出よう」

その声は、どこか軽くて、事務的だった。

たぶん、晴嵐があまりにも落ち着いていたせいで、年齢のことを忘れていたのかもしれない。

けど、まだ三歳の子どもなんだ。強がって見せても、心の奥ではきっと怖くてたまらないはず。

なのに。晴嵐はふわりと笑って、淡々と言った。「僕は行かない。璃音だけ連れて行けばいいよ」どこまでも冷静で、他人行儀な声だった。

愛されてないなら、いらない。

僕には、他にちゃんと愛してくれる人がいるから。

「晴嵐!来いって言ってるのが聞こえないのか!」凌央の声が荒くなる。

三歳の子どもに向かって、ムキになるなんて、それでも、彼は本気で腹を立てていた。

「僕は凌央とは一緒には行かない」小さな口が、はっきりそう言った。「心配しなくていい。ママが迎えに来るから」

そう、もう暗号は送った。

乃亜なら絶対にわかってくれる。

晴嵐は、母を100%信じていた。

「......いい加減にしろよ」凌央の目が鋭くなる。「これ以上、余計なこと言ったら......海に放り込むぞ」完全に脅しだった。

でも次の瞬間、晴嵐の目にじんわり涙が浮かび、震える声で言った。

「......放り込まなくていい。僕が自分で飛び込むから。僕が死ねば、ママのこと......もう放っておいてくれる?ママ、うつ病だったんだよ。やっと少し良くなったのに......また無理させたら、悪化する。かわいそうじゃん」

そう呟くように言って、小さな背中を向けた。ちっちゃな足で階段を一段ずつ上がっていく。その後ろ姿が、小さすぎて、妙に遠く感じられた。

凌央のまぶたがピクッと跳ねる。

......このガキ、本気で言ってやがる!

乃亜、あの女はいったい、子どもをどう育てたんだ?ここまでねじ曲げられるって、ありえないだろ。

......いや、それならなおさら。

連れて帰って、自分がちゃんと育て直すしかない。父親として、
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