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温度を失くした日

温度を失くした日

By:  苺プリンKumpleto
Language: Japanese
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息子の久我湊斗(くが みなと)とかくれんぼをしていたとき、私はベランダに閉じ込められた。氷点下の夜、肌が刺すように冷え、頬は紫色に染まっていく。 それなのに湊斗は、私が必死に助けを求める姿を見て笑い、ガラス越しに変な顔をしてみせた。 私は凍えるような寒さに負けて、みじめに息を引き取った。 最後に見たのは、湊斗が嬉しそうにスマホを手に取り、夫の久我彰人(くが あきひと)へビデオ通話をかける姿だった。 「パパ、ママが凍え死んじゃったよ。これで江口(えぐち)先生をお家に呼べるね?」 次に目を開けたとき――私は、湊斗が「かくれんぼしよう」と笑っていた、あの日に戻っていた。

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Kabanata 1

第1話

「ママ、かくれんぼしようよ?」

息子の久我湊斗(くが みなと)の甘い声が耳に届いた瞬間、私は全身をこわばらせる。

見下ろすと、五歳の湊斗が私の膝に顔をのせ、まんまるな瞳で見上げている。

太ももに伝わるぬくもりが、やけにリアルだ。

――これは、死ぬ間際に見た幻じゃない。

私は、本当に生き返ったのだ。

湊斗が「かくれんぼ」を口実に、私をベランダへ誘い出し、鍵をかけて閉じ込め――私を凍え死にさせた、あの日に。

前の人生で、私と湊斗の関係はうまくいっていなかった。

彼は、何をしても叱らない父の久我彰人(くが あきひと)が大好きで、口うるさい私を嫌っていた。

だから私が話しかけるたびに、彼は狂ったように物を投げつけ、私を蹴り、叩いた。

一番ひどいときには、私は病院で八針も縫うケガを負った。

退院したあと、私は湊斗を思いきり叩いた。けれど彰人が止めに入った。

「子どもなんだから、わからなくても仕方ないだろ。大人が本気になってどうする」――そう言って。

そのとき友人が言った。

「どんなに血がつながってても、育たない子はいるのよ。生まれつき恩知らずの子もね。

それに彰人さん、あの子ばかりかばってるじゃない。そんな家、早く離れたほうがいい」

でも私は離れられなかった。

湊斗をこの世に連れてきたのは私だ。だから、彼の未来に責任を持たなきゃいけないと思っていた。

けれど現実は、そんな私を無惨に裏切った。

前の人生で私は、どうにか湊斗との関係を取り戻そうと必死だった。

だから彼が急に甘えた声で「ママ、かくれんぼしよう」と言ったとき、胸がいっぱいになって、何度も頷いてしまった。

――まさか、五歳の子どもが、自分の母親を殺そうとしているなんて、誰が想像できるだろう。

かくれんぼの途中、湊斗は何度もベランダに隠れた。

湊斗がどこに隠れるのかを見て、次は同じ場所に隠れたらきっと喜ぶだろうと思った。

まさか、その一歩が――死を招くことになるなんて、思いもしなかった。

私がガラス戸を出た瞬間、湊斗はすぐにその戸を閉め、鍵をかけたのだ。

音に気づいた私は慌てて引き返し、ガラス戸の前に駆け寄った。

冬の寒さは容赦がなかった。

大粒の雪が白い羽のように空を舞い、ベランダには冷たい風が絶え間なく吹きつけていた。

さっきまでリビングにいたせいで、私は薄手のルームウェア一枚だった。

風が服の中に吹き込み、腕も脚もすぐにかじかんだ。

骨の奥まで冷たさが染みて、痛みが鋭く突き刺さった。

私はガラス戸を力の限り叩き、声が枯れるまで叫んだ。

「湊斗、開けて!ママ、上着着てないの!このままだと、ママ、本当に死んじゃう!

湊斗、もうゲームは終わり!早くドアを開けて!

湊斗……お願い、開けて……ママ、もう二度と怒らないから……」

声はどんどん弱くなり、視界の向こうは真っ白な雪景色に溶けていった。

リビングでは、湊斗がソファに座っていた。

ちらりと私を見ただけで、テーブルのリモコンを手に取り、テレビの音量を最大に上げた。

それから棚に向かい、私がいつも「食べ過ぎちゃダメ」と言っていたお菓子を取り出した。

彼はアニメを見ながら、それを頬張った。

まるで何事もなかったかのように。

そして私は悟った。

――私の息子は、最初から私を凍え死なせるつもりだったのだ。
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第1話
「ママ、かくれんぼしようよ?」息子の久我湊斗(くが みなと)の甘い声が耳に届いた瞬間、私は全身をこわばらせる。見下ろすと、五歳の湊斗が私の膝に顔をのせ、まんまるな瞳で見上げている。太ももに伝わるぬくもりが、やけにリアルだ。――これは、死ぬ間際に見た幻じゃない。私は、本当に生き返ったのだ。湊斗が「かくれんぼ」を口実に、私をベランダへ誘い出し、鍵をかけて閉じ込め――私を凍え死にさせた、あの日に。前の人生で、私と湊斗の関係はうまくいっていなかった。彼は、何をしても叱らない父の久我彰人(くが あきひと)が大好きで、口うるさい私を嫌っていた。だから私が話しかけるたびに、彼は狂ったように物を投げつけ、私を蹴り、叩いた。一番ひどいときには、私は病院で八針も縫うケガを負った。退院したあと、私は湊斗を思いきり叩いた。けれど彰人が止めに入った。「子どもなんだから、わからなくても仕方ないだろ。大人が本気になってどうする」――そう言って。そのとき友人が言った。「どんなに血がつながってても、育たない子はいるのよ。生まれつき恩知らずの子もね。それに彰人さん、あの子ばかりかばってるじゃない。そんな家、早く離れたほうがいい」でも私は離れられなかった。湊斗をこの世に連れてきたのは私だ。だから、彼の未来に責任を持たなきゃいけないと思っていた。けれど現実は、そんな私を無惨に裏切った。前の人生で私は、どうにか湊斗との関係を取り戻そうと必死だった。だから彼が急に甘えた声で「ママ、かくれんぼしよう」と言ったとき、胸がいっぱいになって、何度も頷いてしまった。――まさか、五歳の子どもが、自分の母親を殺そうとしているなんて、誰が想像できるだろう。 かくれんぼの途中、湊斗は何度もベランダに隠れた。湊斗がどこに隠れるのかを見て、次は同じ場所に隠れたらきっと喜ぶだろうと思った。まさか、その一歩が――死を招くことになるなんて、思いもしなかった。私がガラス戸を出た瞬間、湊斗はすぐにその戸を閉め、鍵をかけたのだ。音に気づいた私は慌てて引き返し、ガラス戸の前に駆け寄った。冬の寒さは容赦がなかった。大粒の雪が白い羽のように空を舞い、ベランダには冷たい風が絶え間なく吹きつけていた。さっきまでリビングにいたせいで、私は薄
Magbasa pa
第2話
私はもう戸を叩かなかった。身体はガラスにもたれたまま、ゆっくりとずり落ち、硬直したまま冷たい床に崩れ落ちた。友人の言葉が耳の奥でぐるぐる回り、私は苦い笑みを浮かべた――今日のことは、全部自分の自業自得だと。凍えるような冷たさが、少しずつ体の熱を奪っていった。幻覚を見ているようだった。体が焼けるように熱くなり、私は思わず服を脱ぎ始めた……やがて視界が遠のき、すべての感覚が消えていった。湊斗がスマホを手に、のんびりとガラス戸のほうへ歩いてきて、うつむいて私を見下ろした。ベランダの私はほとんど裸で、みっともない姿があらわになっていた。湊斗は急に口を手で押さえて笑い、ガラス越しに私の死体に向かって変な顔をした。「ママ、変態だよ、どうして服着てないの?おばあちゃんが言ってたよ、そんな女はだらしないって!写真撮って家族のグループに送って告げ口してやる!」そう言うと彼はガラス戸を開けた。冷たい風が一気に流れ込んだ。彼は寒さにぶるりと震えると、すぐに戸をバタンと閉めた。そしてガラス越しに、彰人にビデオ通話をかけた。カメラは私を捉えていた。「うううう……パパ、ママが凍え死んじゃった……パパ、早く帰ってきて、怖いよ!パパ、もうママがいないんだよ。これでもう今度は江口(えぐち)先生を家に呼べるかな?」……「ママ、私の言ってること聞いてるの?」湊斗の苛立った声が、私を前世の記憶から現実に引き戻す。目の前の、人間の顔をした小さな悪魔を見た瞬間、私の中に残っていた母性は、窓の外の雪のように静かに消えている。私は湊斗を掴んで、床にばっと突き飛ばす。彼は尻もちをつくように、床にどすんと落ちる。湊斗がまた暴れ出しそうになったその瞬間、私は立ち上がり、笑って言う。「かくれんぼ、するんでしょ?早く隠れなさい」湊斗は一瞬きょとんとして、口から飛び出しかけた罵声を飲み込む。尻をさすりながら、前の人生と同じようにベランダへ走り、洗濯機のうしろに隠れる。彼がすっかり身を潜めたのを見届けてから、私はベランダのガラス戸を閉め、鍵をかける。カチリという音を聞いた湊斗は、すぐに洗濯機の陰から飛び出す。彼は戸の前で呆然と立ち尽くし、鍵を見つめている。五歳の子どもは、やっぱり隠し事ができない。その表情
Magbasa pa
第3話
「ぼくとパパは、この家の男なんだ。ママはぼくたちの奴隷なんだから、ちゃんとぼくとパパの言うことを聞いてね。そうしたら、将来ぼくがママを養ってあげるよ」……私が何も言わずにいると、湊斗は焦りはじめる。寒さに震え、小さな体を両腕でぎゅっと抱きしめる。外の雪はどんどん激しくなり、湊斗の髪にも白い雪が積もっていく。彼はガラス戸の前にひざまずき、態度を一変させる。「ママ、ごめんなさい。もうかくれんぼなんてしないから、中に入れて……?ママ、もう体に悪いもの食べない。夜にタブレットも触らない。江口先生も嫌いになる……もうママの代わりにしないから……お願い、中に入れて……ママ、寒いよ……」――ほらね、全部わかってるの。どうすれば私が怒るのか、ちゃんと知っている。それでも、やるのだ。湊斗の顔が紫に染まっていくのを見ながら、私はようやくゆっくりと戸を開ける。開けたのは、情けじゃない。本当にこの子が外で死んだら、私は刑務所行きだ。そんな生まれつき腐った子のせいで、自分の未来まで失うなんて――馬鹿らしい。湊斗は弱々しく手を伸ばし、抱き上げてほしそうにする。その顔は、誰が見ても可愛い。もし外で出会った子なら、きっと私は抱きしめていただろう。でも今の私は、ただこの顔を見るたび、前の人生のことを思い出す。私の死後、服も着ていない私の姿を写真に撮り、家族のグループに送って笑いものにした、あの瞬間を。私は目を伏せ、無表情のまま一歩、後ろへ下がる。湊斗の手が、むなしく空を掻く。「湊斗、ママが見つけたよ。あなたの負けだね。今度は、ママを探す番だよ」そう言って、私は背を向け、そのまま歩き出す。湊斗は、もう私が抱き上げないことをわかっている。けれど、なぜなのかまでは理解していない。生きようとする本能に突き動かされて、彼は自分で温かい場所を探して這いはじめる。まるで犬のように、四つん這いで。……湊斗は熱を出した。かくれんぼの遊びは、これで終わりだ。彰人から電話がかかってきたのは、私がペットショップで野良犬の体を洗っているときだ。汚れで灰色になった小さな犬が、泡に包まれて少しずつきれいになっていく。その様子を見ているうちに、心の奥の冷たい塊が少しずつ溶けていくのを感じる。
Magbasa pa
第4話
湊斗がずっと「いいママ」として憧れていた――江口真理奈。氷点下の深夜、真理奈は胸元の大きく開いた薄手のインナーに、保温性のないウールのコートを羽織っている。谷間のラインと、胸元にかかる数本の髪、黒いストッキングに包まれた細く長い脚。若く、化粧の整ったその顔立ちは、夜の光の下で艶めいて見える。ただ、その頬にはまだ熱の残る赤みが差し、割れた下唇には拭いきれない透明な跡が光っている。誰が見ても――この女が幼稚園の先生だとは思わないだろう。私の姿を見た瞬間、真理奈の顔に驚きが走る。私はわざととぼけたように、彼女の口もとを指さして声をかける。「真理奈先生、口の端、荒れてるみたいね。乾燥してるんじゃない?」真理奈は指先で唇を触れ、何かを思い出したように頬を染め、恥ずかしそうにうなずく。「若い人は代謝がいいから、冬でも熱がこもるのよ。食べ物に気をつけたほうがいいわ。何でも食べすぎると、火照るだけじゃなくて、お腹も壊すからね」私はにこやかに微笑み、病室の中へと足を進める。真理奈の横を通り過ぎたとき、背後で小さく、安堵の息が漏れるのが聞こえた気がする。私は振り向き、眉をひそめて尋ねる。「――あら、湊斗のお父さんがいないわね?人を呼びつけておいて、自分はサボってるの?」真理奈はわずかに肩をすくめ、私が振り返った拍子に再び緊張する。彼女はトイレのドアを軽く叩く。中からは、私が入ってきたときから途切れない水の音がしている。「久我さん、子どもさんのお母さんが来られました」そう言って、真理奈は私に向き直り、作り笑いを浮かべる。「湊斗くんのお母さま、誤解しないでくださいね。久我さんはサボってなんかいません。ずっとお子さんの看病をしていましたが、今はちょっとお手洗いに行かれてるだけで、すぐ戻られると思います」私は軽くうなずき、それ以上は何も聞かない。真理奈が私の腕を取ってベッドのそばへと導く。彼女の香水の安っぽい匂いが、病室の消毒液の匂いをかき消すように漂う。――鼻を刺すように強く、喉の奥が痛くなるほどだ。昔、私は家で爽やかな花をいくつか育てていた。彰人はいつも「臭い」と言い、湊斗は花を次々と折ってゴミ箱に投げ入れた。後で上から目線で肩をすくめて、「もう家に花は飾るな」と命じるのだ。
Magbasa pa
第5話
湊斗が声を張り上げて私に怒鳴る。けれど、彼の手の甲には点滴の針が刺さっていて、少しでも大きく動けばチューブが引っ張られ、血が逆流する。案の定、次の瞬間には透明な管の中に赤い血が戻ってくる。そのとき、彰人がトイレから出てくる。ズボンの前にはまだ水のしみが残り、顔には満足げな気配が浮かんでいる。けれど、トイレの中での余韻に浸る暇もなく、病室の混乱に眉をひそめる。真理奈は頭を押さえ、涙目で彰人を見上げる。「久我さん……」その声を、私は泣きまねをしながら遮る。「あなた!早く医者を呼んで!湊斗の点滴、血が逆流してるの!」彰人は湊斗に目をやり、それから真理奈へと視線を移す。一瞬の逡巡のあと、彼は――愛人ではなく、息子のほうを選ぶ。真理奈は唇をかみ、ヒールの音を響かせながら病室を出ていく。彼女の背中が見えなくなると、湊斗はまた泣き叫びはじめ、拳で私を叩く。「全部ママのせいだ!この悪いママ!先生が出ていったのもママのせいだ!ママが来る前は仲よかったのに!今すぐ謝ってこいよ!」私はその手をつかみ、にらみつける。「湊斗、私はあんたの母親よ。もう一度でも叩いたら、すぐに転園の手続きするわ。そうしたら、二度と先生に会えなくなるけど、それでもいいの?」湊斗はぴたりと泣き止む。唇をとがらせながら、ベッドの上でおとなしく座り、彰人が戻るのを待っている。私はソファに腰を下ろし、買ってきたケーキの箱を開けて食べはじめる。今日は私が生まれ変わった日――新しい人生の始まりだ。お祝いに、甘いものくらい食べても罰は当たらない。……彰人が医者を連れて戻ってきたとき、私はほとんどケーキを食べ終えている。湊斗が欲しそうにこちらを見ていたので、私は小さく切った一口だけ渡す。ケーキの上に残っていたマンゴーも、全部湊斗に渡してやる。これが、湊斗にとって生まれてはじめて食べるマンゴーだ。甘くとろける果肉に、彼の目が輝く。頬をふくらませて咀嚼しながら、ぶつぶつ文句を言う。「ママ、どうして今までマンゴーくれなかったの?こんなにおいしいのに、ママだけこっそり食べてたんでしょ。やっぱりぼくのこと、好きじゃないんだ!」――ばかね。マンゴーにアレルギーがあるのを、もう忘れたの?あの頃の私は、あなたを愛し
Magbasa pa
第6話
私は本当に、湊斗にマンゴーを食べさせたのは初めてだ。私の記憶の中では、湊斗がマンゴーアレルギーだなんて知らなかった。湊斗が自分のアレルギーに気づいたのは――真理奈にマンゴーを食べさせられたときだ。そのマンゴーを買ってきたのは、彰人だった。それを知ったのは今日、ドライブレコーダーの映像を確認したときだった。私がなぜドライブレコーダーなんて見ようと思ったのか。それも、湊斗のおかげだ。前の人生で私が死んだあと、湊斗は遺体の前で怒鳴り散らした。「いいママじゃなかった」なんて言葉のほかにも、父親と真理奈との「幸せな日々」を、まるで自慢するように話していた。「パパが迎えに来てくれるときが一番好きなんだ。だって、先生と一緒に遊びに行けるから」――そう言って笑っていた。彰人は車を運転し、湊斗と真理奈を乗せて、レストランに行ったり、遊園地に行ったり、商店街をぶらついたりしていた。ドライブレコーダーには、「三人家族」のように楽しそうに笑う映像が残っていた。真理奈が「マンゴー食べたい」と甘え、彰人がすぐに応えた。車を降りる前、彼は真理奈の額にそっと口づけを落とした。湊斗はそのとき、マンゴーをひと口食べただけで、全身がかゆくなり、赤い発疹が出た。だがそのとき、彼は車の中でいろんなものを食べていたから、彰人も真理奈も、何に反応したのか分からなかったらしい。それがマンゴーだったと知ったのは、後になって彰人が私の書いた子どもの食事ノートを見たときだった。私はそこに、アレルギーを起こしやすい食材を細かく書き出していた。できるだけ食べさせないようにしていたけれど、どうしても食べたいときは、ほんの少しだけ試させて、反応がなければその項目に線を引いていた。以前の彰人は、そんな私を「神経質すぎる」と笑っていた。けれどある日、彼が湊斗にピーナッツのお菓子をたくさん食べさせ、アレルギーで熱を出して息が苦しくなった。その一件以来、湊斗の食事に口を出すことはなくなった。そして彰人は、マンゴーの件を私に隠した。湊斗を友人の家に預け、「久しぶりに二人でゆっくり過ごそう」と嘘をついた。湊斗もまた、父親と真理奈が会うために、そのことを私に隠した。そして最後には、自分でもその事実を忘れてしまったのだ。……そう言って私
Magbasa pa
第7話
親友が言う「運を呼びに行く場所」は、バーだ。車はバーの前に停まり、私は自分の地味な身なりをぼんやり見つめてためらう。親友はため息をつき、バッグから常備の化粧ポーチを取り出すと、容赦なく私のメイク直しを始める。「紗耶、しっかりしてよ!結婚して子どもを産んだからって、自分を見失うなんてダメ。昔は学部一の美人だったじゃない。学生のころ、こんな場面で弱音を吐いたことがあった?結婚する前に私に何て約束したか覚えてる?」記憶が波のように押し寄せ、映像は昨日のことのように鮮明だ。私は胸を叩いて彼女に約束した。「結婚しても私は私のまま。自分は自分のものよ!もし彰人が私を裏切ったり悲しませたりしたら、迷わず別れてやる。男に縛られたり、結婚で自分を見失ったりしないって!」目の周りがじんわりと熱くなる。涙が落ちる前に、親友が指で私の鼻先を突く。「私がやったアイメイク崩したら、許さないからね!」私は鼻をすするようにして、親友の胸に顔をうずめる。「うう……離婚したい。彰人とはもうやっていけない」前の人生に溜まったすべての悲しみと絶望が、一気に噴き出す。私は堰を切ったように泣きじゃくる。親友は子どもをあやすみたいに、私の背中をさすってくれる。泣き止むまで抱かれて、彼女はあちこち文句を言いながらも、化粧を直してくれる。私たちはバーに入る。親友は勢いよく、イケメンのホストを十人以上呼びつける。いろんなタイプのハンサムが目の前に並び、目が眩むようだ。けれど私は手を出せない。イケメンの一人がグラスを私の唇に運ぼうとすると、私は顔を背ける。「彼らを出して。今はただあなたと話したいだけなの」親友は手を振り、名残惜しそうに男たちは外に出て行く。私は彼女に自分の不満をたくさんぶちまける。親友は礼儀正しく――いや、遠慮なく彰人のことを徹底的に罵倒してくれる。そのとき、テーブルの上のスマホが絶え間なく震えはじめる。画面に表示されたのは――彰人の名前。彰人からの電話のあと、今度は彼の両親。それが終わると、私の両親から。けれど、私は一切出ない。やがて、スマホは静かになる。……しかし数分も経たないうちに、再び画面が明るくなった。彰人からのメッセージが届いている。【湊斗がアレルギーを起こした。危険な状態だ。
Magbasa pa
第8話
音声メッセージの中には、父の怒った声も混じっている。「全部お前が甘やかしたせいだろ!見ろ、嫁いだ先でも恥をさらして……うちの顔に泥を塗る気か!」その言葉を聞きながら、息が詰まりそうになる。そして――前の人生で、私が死んだあとのことを思い出す。裸のまま横たわる私の遺体を見た父と母は、泣きながらも口にしたのは謝罪だった。「娘の死に方があまりにもみっともなくて、夫の家に顔向けできない。子どもを残して先に逝くなんて、親として申し訳ない」結局、「不名誉な死に方をした」という理由で、二人は私の遺骨を引き取らず、久我家の好きにさせた。母は泣き崩れて何度も気を失ったけれど、それでも一言も私を庇ってくれなかった。「うちの娘はそんな子じゃない」――その一言さえ、言ってくれなかった。私はスマホを取り、母にメッセージを送る。【彰人とは離婚する。湊斗もいらない。これから久我家の人たちが電話をかけてきても、無視して。私のことは死んだものと思って。あるいは最初から生まれなかったことにして。とにかく、もう帰らない】二度と連絡が来ないよう、両親をブロックする。それから彰人にも返信を送る。【アレルギーなら医者に診てもらって。私は医者じゃない。私が行っても意味ない。湊斗は私を嫌ってる。江口先生が好きなんでしょ。私が行けば、余計に動揺して悪化するだけ。どうしても手が足りないなら、先生に頼めばいいじゃない。彼女の連絡先、知ってるでしょ?】最後に彰人もブロックする。すべてを終えたあと、胸の奥がふっと軽くなる。その夜――親友のそばで、私は久しぶりに、深く穏やかな眠りにつく。けれど、私はわかっている。これで終わりではないことを。彰人と離婚しないかぎり、私はあの親子から逃れられない。翌日、私は会社へ向かう。この会社は、もともと彰人と二人で立ち上げたものだ。湊斗を産んでからは家庭に戻ったが、会社の株は今も私の名義のまま残っている。突然私が姿を見せたので、社員たちは皆、目を丸くする。彰人の秘書が、慌てて私のあとを追ってくる。「久我社長、今日はまだ出社されてません。何かあったんですか?」「子どもが病気なの。父親を呼んでるのよ」それだけ言って、私はまっすぐオフィスへ入る。入ってきた
Magbasa pa
第9話
監視カメラの映像の中の真理奈は、病院で見たときよりもさらに大胆だった。すべてのデータをコピーし終えると、私はそのまま会社を後にする。階段を下りる途中、息を切らせた彰人と鉢合わせる。いつも几帳面で身だしなみにうるさい男が、今日はネクタイも曲がって、スーツのボタンさえ掛け忘れている。私を見るなり、彼は眉をひそめて怒鳴る。「紗耶、また何をやってるんだ!子どもが病気なの、知らないの?湊斗は全身に発疹が出て、家で泣きながらママを呼んでるわよ!」――男という生き物は、証拠を突きつけられるまでは、いくらでも被害者の顔ができる。でも、その中身はもうとっくに腐っている。私は薄く笑う。「この会社には私の株もあるのよ。あなたの愛人は来てもいいのに、私が来ちゃいけないわけ?それに――湊斗が『ママ』だと思ってるのは私じゃない。あなたの愛人、江口真理奈でしょ?」わざと声を張って言う。十分に聞こえるように。今は勤務時間中。フロア中が静まり返っているせいで、私の言葉は一言一句、はっきりと響き渡る。一瞬の沈黙のあと、ざわめきが広がる。――この人たちが驚いたのは、彰人の不倫そのものじゃない。彼が女を会社に連れ込んでいたことなんて、誰もが知っている。彼らが驚いたのは、「いつも穏やかだった奥さん」が、ついに公然と牙をむいたことだ。そう、私はいつも穏やかだった。そのせいで彰人は忘れていたのだろう。私がかつて、彼と一緒にこの会社を立ち上げたとき、どれだけ戦ってきたかを。酒の席でも、男に引けを取らなかった。取引の場では、誰よりも冷静で、誰よりも強かった。会社の最初の大口契約を取ってきたのは私で、この会社を軌道に乗せたのも、私の署名だった。――前の人生でも、私は気づいていた。彰人がしょっちゅう夜に帰らなくなったこと。スーツに見知らぬ女の香水の匂いが染みついていたこと。彼の財布に、見覚えのないブランドバッグの領収書が挟まっていたこと。真実を突き止めようと勇気をふりしぼるたびに、親から電話がかかってきた。あるいは、直接家まで押しかけてきた。母は私の手を取り、「子どもの顔を立てて、我慢しなさい」と言った。父は厳しい口調で私を叱りつけ、男をつなぎ止められなかった私のせいだと、彰人の浮気を私の落ち
Magbasa pa
第10話
群衆の中でこっそり撮っていた社員たちは、私の言葉を聞いた瞬間、堂々とスマホを構えはじめる。次第に、他の社員たちも次々とカメラを向ける。フラッシュの光が彰人の顔を真っ白に照らし、こめかみに青い血管が浮かぶ。「紗耶!もういい加減にしろ!」――もういい?そんなわけない。これからが本番よ。私は彰人にこれ以上言葉をかけるつもりもなく、バッグを手に取り、そのまま背を向ける。今日会社に来たのは、言い争うためじゃない。映像を手に入れるためだ。車に戻り、親友に電話をかける。「幼稚園のほう、準備できてる?」「もちろん。あとはあんたが来て、思いっきりあの女を叩きのめすだけ」……今日は湊斗の通う幼稚園で、親子イベントが開かれる日だ。湊斗は体調不良で欠席しているけれど、他の親たちは全員出席している。もちろん――教師の真理奈もそこにいる。私の記憶が確かなら、今日は彼女が「先生代表」としてステージに立つ予定だったはずだ。幼稚園では毎回、こうしたイベントを新入園児の宣伝も兼ねてライブ配信している。親友の車は園の外に停めてあり、車内のパソコンは園の大型スクリーンに接続されている。真理奈がステージに上がった瞬間――本来なら親子の温かい映像が映るはずのスクリーンに、映し出されたのは彼女と彰人のメッセージのやり取りだ。もともとは、写真を直接流すつもりだった。けれど、会場には小さな子どもたちが大勢いる。だから私は方針を変え、写真と映像を保護者グループに投稿することにする。私は専業主婦だった頃、他の保護者たちの推薦で保護者会の会長をしていた。つまり――保護者チャットの管理者は、私。私はすぐに全員宛てのメンションをつけ、真理奈と彰人がやってきたことを、すべて送信する。その中には、真理奈が湊斗に「ママ」と呼ばせていた映像も含まれている。最も衝撃的だったのは――彰人と真理奈が、湊斗の目の前で「私をどう殺すか」を話していたことだ。正確に言えば、彼らは湊斗に「母親を殺す方法」を、何気ない会話の中で教え込んでいた。「今年の冬は、雪がすごいね。マンションの中庭でも、野良犬が何匹も凍え死んだらしいよ」「そうだな。こんな寒さの中、もしベランダに閉め出されたら……人間だって助からないかもな」「湊斗、ママのこと嫌いな
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