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第0553話

作者: 十六子
月明かりのない夜は、まるで墨壺をひっくり返したように、漆黒で沈み込んでいた。

バーの中では、カラフルなライトが揺れ、妖しく絡みつくような雰囲気が店に入ってくる者たちを包み込んでいた。だが、カウンター席で酒を飲み交わしている二人の男だけは、その場に寄ってきたセクシーな女たちを完全に無視していた。

若年は南川先生から瑠璃の病状を聞いた後、怒りに任せて車を走らせ、隼人を強引に引き止めた。激しい口論になるかと思いきや、二人はそのままバーに向かい、皮肉を投げ合うだけだった。

「隼人、お前にもこういう日が来たか」

普段あまり酒を飲まない若年が、この夜ばかりは無言で何杯も酒をあおった。

「瑠璃ちゃんは最終的に他人のものになる。あの子は最初から、俺のものじゃなかったんだ……」

彼は虚ろに笑いながらまた一杯飲み干した。冷たい酒が喉を通って心に染み渡る、その味はひどく苦かった。

彼はまた、失恋したのだった。

普段は穏やかで知的な雰囲気を纏っていた彼も、この叶わぬ片想いの終わりの前では、その仮面を崩していた。

ただただ、酔いたかった。

「目黒、お前のせいだ。瑠璃ちゃんをこんな目に遭わせたのはお前だ。少しでも良心があるなら、もう彼女に近づくな。目黒瞬なら、きっと彼女を幸せにしてくれる」

「ガシャン!」

隼人は手に持ったワイングラスをカウンターに叩きつけた。勢いでグラスは粉々に砕けた。

「千璃ちゃんは幸せになんてなれない。あの子は瞬を愛してなんかいない。今は忘れているだけだ。いつかきっと思い出す。彼女が本当に愛していた男は俺だけだってことを」

「フン」

若年は冷笑を浮かべた。

「仮に思い出したとして、だから何だ?瑠璃ちゃんはもうお前を愛したりしない。あの子はお前を憎んでる。これまでの自分の所業を思い出してみろ。お前に彼女を再び手に入れる資格なんてあるのか?」

隼人は口元にかすかな笑みを浮かべた。ぼんやりとした瞳に、どこか優しげな光が差し、グラスの中のカラフルな液体に滲んでいった。

「千璃ちゃんは俺を憎んでいる。けどそれ以上に、俺を愛してる。あの子は心の底から、俺のことを忘れきれていない。陽ちゃんがその証拠だ」

「……陽ちゃん?」

酔いにふらつく若年は、その名前に聞き覚えがなかった。

最後の一杯を飲み干した彼は、そのままカウンターに突っ伏し、うとうとし
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