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第135話

Auteur: 山田吉次
美羽はもちろん気づいていた。

彼の資料はすべて彼女が整理していたからだ。

彼女は顔を上げて言った。

「じゃあ相川教授は、仕事に私が必要ないんじゃなくて、私が碧雲の人と会いたくないから外そうとしたんだね?」

慶太は微笑んだ。

「君の言い方だと、まるで僕が公私混同しているみたいだね」

……実際、そうではないのか?

美羽は今まで、部下の感情に配慮して自分で仕事を背負い込むような上司を、見たことがなかった。

「教授、気にしすぎだよ。私は大丈夫。教授の仕事が一段落したら、私はまた仕事を探さなきゃならない。業界は狭いし、いずれ碧雲の人と会うこともあるでしょう。そのたびに避けるなんて、無理よ」

美羽は淡々と続けた。

「碧雲なんて、今の私にはもう何の意味もないの」

彼女がそこまで割り切っているのを見て、慶太も余計な心配をせず、結局その夜は一緒に会食へ出向くことにした。

席には大勢の人が集まっている。みな慶太の研究チームの人間だ。

研究チームのリーダーが案内しながら冗談を飛ばし、個室のドアを開けた。

美羽が顔を上げたとき、人々に囲まれるように入ってきたあの男を見て、表情を崩さずにいた。

今日二度目に彼と出会った。

彼は、彼女がカフスボタンを留めてやったときのカジュアルな服を脱ぎ、今は漆黒のスーツに身を包んでいる。

リーダーが出席者を紹介し、美羽は相川教授の助手だと言った瞬間、彼の目が冷たく彼女を一瞥した。

そのとき美羽の脳裏に、昼間、彼が部屋で言った言葉が蘇った。

――「何が、君に『俺が手放してやる』なんて錯覚を抱かせた?」

思わず息を詰めた。

その後の会食で、翔太は彼女に二度と視線を向けなかった。話題はひたすら協力の内容に集中している。

美羽は会談の議事録をとり、後でまとめる役目を担っていた。

要するに、この協力とは――

碧雲が慶太のチームに研究費を投資する。だが無償ではなく、碧雲が抱えているプロジェクトに、その研究成果が必要だ。

持ちつ持たれつ、理にかなっている。

碧雲は資本家であって、慈善家ではない。自社に利益がなければ、多額の投資をする理由などない。

だが両者の条件はまだ折り合わないのが、碧雲が研究チームの自主権を制限しようとしていたから。

慶太はチームの中心として議論に最も参加していたが、なお美羽に気を配り、ウェイター
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