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第604話

Author: 小春日和
その瞬間、真奈はガバッと目を開けた。背中には冷たい汗がびっしょりと流れていた。

傍らでは冬城がタオルを水に浸していた。振り返り、彼女が目を覚ましたのを見て、静かに問いかける。「何か食べる?」

だが、真奈は彼の顔を見た途端、胸の中の恐怖が一気に押し寄せ、無意識に後ずさった。その動きを、冬城は黙って見つめていた。

「悪夢でも見たのか?」

悪夢。――そう、悪夢だった。

真奈は夢の中で、まるで前世に戻ったかのようだった。自分の存在はただの幽霊で、あの世界ではすでに死んでいた。

そして、あの墓石を見た瞬間――手術台の上で息絶えたときのあの鋭い痛みが、再び全身を貫いた気がした。

「冬城……」

真奈は何かを言いかけた。

だが、冬城はその視線で彼女を制した。

眉をひそめ、口の動きだけで静かに伝える――監・視・カ・メ・ラ。

その意図に気づいた真奈は、動揺を押し殺しながら、無理に笑顔を作った。「ええ、悪夢を見たの」

「熱がある。さっき測ったら三十八度五分だった。お粥を作ってくるから、薬は机の上に置いておいた」

「ありがとう」

そう答えると、真奈はようやく胸のざわめきを鎮めた。

冬城が部屋を出ていったあと、真奈の脳裏には、さっきの夢の光景が何度も何度もよみがえっていた。

もしあれが本当に前世の、自分が死んだあとの出来事だったとしたら――なぜ、冬城は「仇を討つ」と言ったのだろう?

あのとき病院からA型の血液が一滴残らず運び出されたのは、冬城の指示だと信じていた。けれど……本当にそうだったのか?

その瞬間、真奈の脳裏に浮かんだのは、霊安室で自分の指から指輪を外す浅井の姿だった。

まさか……

あれは浅井だったの?

その考えがよぎったとたん、真奈は布団を跳ねのけ、階段を駆け下りた。

キッチンには、朝の柔らかな光に照らされた冬城の後ろ姿があった。彼は慣れない手つきで、ひたすらにお粥をかき混ぜている。ぎこちなくも、どこか丁寧な所作だった。真奈の視線は、気づけばその背中に吸い寄せられていた。前世では、冬城が自分のために料理を作ってくれることなんて、一度もなかった。

いや、それも当然だ。愛してもいない相手のために、わざわざ台所に立つ男なんて、いるはずがないのだから。

真奈は小さな声で言った。「私がやるわ」

「どうして起きてきたんだ?戻って休んでくれ」

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