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第1252話

Author: 似水
ソファに腰を下ろした幸美は、血の気の引いた顔で、かすかに震える声を絞り出した。

「ねえ、あなた。桜井家が今直面しているすべてが……賢司さんの仕業だなんて、あり得ると思う?」

「まさか!」

裕之は反射的に否定した。だが次の瞬間、何かに思い当たったのか、顔に険しい影が落ちた。

幸美は続けた。

「優子が舞子を陥れようとして逆に失敗し、賢司さんを怒らせた。それで、桜井家への報復を始めたんじゃないかしら」

彼女の手は小刻みに震えていた。

「きっとそうよ。賢司さんは私たちに復讐してるのよ。どうしよう……私たちはどうすればいいの?」

裕之の胸にも、同じ恐怖が走った。舞子と連絡が取れない。その事実こそ、すべてを裏付けているように思えた。

賢司を怒らせてしまった。その代償は、想像を絶するほど重い。

わずか一日のうちに、桜井家は修羅場と化した。まるで天地がひっくり返るかのように。

一方その頃、舞子はフロリアガーデンに身を寄せていた。

夜になると賢司は、彼女の傷ついた心を癒すために豪奢な食事を用意し、食後には庭を共に歩いた。

芝生の一角に空いた場所を見つけ、舞子が口を開く。

「ここに、ひまわりを植えてもいいかしら」

賢司は彼女の手を取り、穏やかに言った。

「お前はここの女主人なんだ。好きにすればいい」

その一言に、舞子の頬は薄く紅潮した。

「まだ……違うでしょ」

漆黒の瞳で見つめながら、賢司は真剣な声音で言う。

「望むなら、いつでもそうなれる」

舞子の胸は抑えきれないほどに高鳴った。彼が何を言いたいのか、もはや明白だった。

今すぐ頷いてしまってもいいのだろうか。

夜の帳が下りた庭園は淡い灯りに包まれ、二人の影が長く伸びていた。そよ風が吹き、花の香りがふわりと漂う。

舞子は彼を見上げ、冗談めかして言った。

「たった一言で、私を口説き落とそうってわけ?」

賢司は片眉を上げ、細い腰を抱き寄せる。

「それは、承諾ってことでいいんだな」

舞子は顎をくいっと上げて、挑むように返した。

「別に、そんなことないわよ」

その唇に、賢司は軽く口づけを落とした。

「合意と受け取った」

「だから違うってば!適当なこと言わないで!」

恥ずかしさに耐えられず、舞子は彼の腕をすり抜けて歩き出した。

その後ろ姿を見つめながら、賢司の胸は熱く震えた。長い
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