Once more with you もう一度あなたと

Once more with you もう一度あなたと

last updateDernière mise à jour : 2025-07-01
Par:  美希みなみEn cours
Langue: Japanese
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訳アリの幼馴染を忘れられない。だから一夜をともにした……。 最低なあなたを諦められない私が、一番愚かなのかもしれない。 この子は大切に一人で産み育てるから……。 すれ違いの恋模様は?

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Chapitre 1

第一話

都内の閑静な住宅街の一角。豪邸が立ち並ぶ中に、一軒のこじんまりとした家があった。

小さな庭と赤い屋根が印象的なこの家は、四月の初旬、桜が咲き乱れる中で慌ただしかった。

「瑠香、待って! 今日から保育園だから!」

私のその声に、一歳三か月の娘はさらに廊下を走るスピードを上げた。追いかける私と遊んでいるつもりなのだろうが、こっちは必死だ。

「ねえ、お母さん! 瑠香を止めて!」

ようやく転ぶことなく小さな段差を超えられるようになった瑠香は、毎日元気いっぱいだ。

「ほーら、捕まえた」

私の母、静江にすっぽりと抱っこされた瑠香は、楽しそうにキャキャと声を上げる。

「彩華、今日十二時にお迎えでいいのよね?」

専業主婦の母が心配そうに私に声をかける姿に、少し苦笑する。

「うん、ごめんね。お願い。今日は慣らし保育だから早いの」

「本当に私はいいのよ。瑠香を保育園に入れなくても。ねー、瑠香」

その母の優しさはとても嬉しい。しかし、母にだって予定が入ることもあるだろうし、持病もある。あまり無理をさせたくないのが実情だ。

「早めに迎えに行ってくれるだけで助かるから」

そう言いながら、私と瑠香の部屋へ行き、クローゼットから久しぶりの洋服を取り出す。子育てに忙しかったこの一年は、Tシャツにジーパンという出で立ちだったが、今日はセンタープレスのブラックのパンツに、薄いブルーのインナー。それにジャケットを手にして階段を下りる。

リビングに入れば、瑠香を子供用の椅子に座らせながら、一緒に朝食をとる両親の姿があった。

東雲彩華、二十六歳。ブラウンの肩までの髪に、目はぱっちりとした二重だ。美人というタイプではなく、どちらかといえば幼く見えるかもしれない。身長は159㎝で、至って普通の体型だと思う。

高校を卒業後、大学へと進学して、大手のKOWA総合システムに入社した。しかし、一年半前から出産のために産休を取っており、今日から久しぶりの出社だ。

休みに入る前、シングルマザーとして出産をすることを一部の人に伝えてあり、その当時は多少噂にもなったし、父親が誰かという憶測もあった。今もその話が残っているかわからないが、戻ることに不安がないと言えば嘘になる。

しかし、私は、一生懸命働いて瑠香を育てていかなければいけない。この一年、実家の両親に甘えてばかりだったのだ。

今は父も働いているし、私たち二人を快く迎え入れてくれているが、きっといろいろ思うこともあるだろう。

そんな気持ちを隠すように、私は明るく声を上げる。

「ねえ、なんか新入社員みたいじゃない?」

キッチンで自分のコーヒーを用意しながら、母に問いかければ、まじまじと母も私を見る。

「確かにそう言われればそう見えるけど、気持ちは新入社員みたいなものでしょ? いいんじゃない?」

明るく言ってくれる母に、私も笑顔を浮かべる。

「彩華、今日は瑠香は俺が送っていくから」

新聞を読んでいて、私の姿に興味を持っていないと思っていた父の言葉に、「え?」と聞き返す。

「久しぶりの仕事なのに、遅刻はダメだからな」

そう言いながらも、父は瑠香を見ると表情を崩す。

「瑠香、じーじと一緒に行こうな」

「あーい」

意味がわかっているのかどうかわからないが、口いっぱいにおにぎりをほおばりながら瑠香は私にバイバイと手を振った。

「そう、じゃあお言葉に甘えて。お父さんありがとう」

「ああ」

私の素直なお礼に少しバツが悪そうな父を見て、母もクスクスと笑い声をあげた。

「いってきます!」

ここから会社までは電車で三十分ほどかかる。初日は少し早めに行きたいこともあり、両親に瑠香を任せると、久しぶりのパンプスを履いて外に出た。

そして数十歩歩くと、私の身長の二倍はある高い塀が現れる。その塀に沿ってしばらく歩くと、ようやく大きな門が見えてきた。

私の家とは比べ物にならないほど大きな洋館。小さい頃何度も遊びに行ったお宅だ。

しかし、今は誰も住んでおらず、手入れされていた木々が伸びてしまっている。

昔は、そこには春子おばあ様と私より四つ年上の男の子の二人が住んでいた。

雪平日向。私の生まれた時からの幼馴染であり、兄であり、守ってくれる人だった。

くりっとした好奇心いっぱいの瞳に、抜群な運動神経。日向の家の庭の木に登ってはおりられなくなる私をいつも助けてくれていた。「どうして両親ではなく、おばあ様と住んでいるの?」そう子供心に残酷なことを聞いてしまった時も、「二人は海外に行ってるんだよ」そう言って明るく笑ってくれる人だった。

家が隣同士。それだけでは片付けられないほど、私たちには絆があった。

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現在50話。 完結表記は無いけど撮っても良い形のエンディングでもあります。 しかし、消化不良の箇所もまだありもうしばらく続くのかな? このアプリでは珍しいほど悪意がこれでもかと降り注ぐお話ではなく、穏やかであたたかで安心して読み進められました。 登場人物の心の奥底にある痛みや悲しみ幸せなどとても読みやすい構成で大満足。 こういう作品が読みたかった! 作者様 応援致します。
2025-07-06 14:54:48
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洋子
洋子
早く 更新して!待ってますよ。
2025-05-09 09:20:27
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千草
千草
面白そう 続きがたのしみ
2025-02-25 16:49:35
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Molay
Molay
読みやすいストーリーです
2025-02-14 13:54:21
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洋
面白い!早く続きが読みたいです
2024-12-26 16:18:49
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第一話
都内の閑静な住宅街の一角。豪邸が立ち並ぶ中に、一軒のこじんまりとした家があった。小さな庭と赤い屋根が印象的なこの家は、四月の初旬、桜が咲き乱れる中で慌ただしかった。「瑠香、待って! 今日から保育園だから!」私のその声に、一歳三か月の娘はさらに廊下を走るスピードを上げた。追いかける私と遊んでいるつもりなのだろうが、こっちは必死だ。「ねえ、お母さん! 瑠香を止めて!」ようやく転ぶことなく小さな段差を超えられるようになった瑠香は、毎日元気いっぱいだ。「ほーら、捕まえた」私の母、静江にすっぽりと抱っこされた瑠香は、楽しそうにキャキャと声を上げる。「彩華、今日十二時にお迎えでいいのよね?」専業主婦の母が心配そうに私に声をかける姿に、少し苦笑する。「うん、ごめんね。お願い。今日は慣らし保育だから早いの」「本当に私はいいのよ。瑠香を保育園に入れなくても。ねー、瑠香」その母の優しさはとても嬉しい。しかし、母にだって予定が入ることもあるだろうし、持病もある。あまり無理をさせたくないのが実情だ。「早めに迎えに行ってくれるだけで助かるから」そう言いながら、私と瑠香の部屋へ行き、クローゼットから久しぶりの洋服を取り出す。子育てに忙しかったこの一年は、Tシャツにジーパンという出で立ちだったが、今日はセンタープレスのブラックのパンツに、薄いブルーのインナー。それにジャケットを手にして階段を下りる。リビングに入れば、瑠香を子供用の椅子に座らせながら、一緒に朝食をとる両親の姿があった。東雲彩華、二十六歳。ブラウンの肩までの髪に、目はぱっちりとした二重だ。美人というタイプではなく、どちらかといえば幼く見えるかもしれない。身長は159㎝で、至って普通の体型だと思う。高校を卒業後、大学へと進学して、大手のKOWA総合システムに入社した。しかし、一年半前から出産のために産休を取っており、今日から久しぶりの出社だ。休みに入る前、シングルマザーとして出産をすることを一部の人に伝えてあり、その当時は多少噂にもなったし、父親が誰かという憶測もあった。今もその話が残っているかわからないが、戻ることに不安がないと言えば嘘になる。しかし、私は、一生懸命働いて瑠香を育てていかなければいけない。この一年、実家の両親に甘えてばかりだったのだ。今は父も働いているし、私たち二人を快く迎え
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第二話
門を通り過ぎ、久しぶりの通勤路を歩きながら、私はふと足を止めた。胸の奥にこびりついている思い出が、春の日差しに照らされるように鮮明になる。「日向……」その名前を小さくつぶやくと、まるで昨日のことのように彼の笑顔が頭に浮かぶ。幼い頃はただの兄のような存在だった。でも、中学生になって、彼が大人の世界に足を踏み入れているのを知ったあの日、私の中で何かが変わった。そしてその後、私は過ちを犯した。――どうして私は、あの時『妹』と呼ばれたことにあんなにも傷ついたのだろう。そして、どうして私はあの日、一夜をともにしたのだろう。――― 追憶幼馴染という関係ではなく、私がはっきりと日向に恋をしていると感じた十三歳の時だった。中学生になり、中高一貫の学校に通っていた私の目に飛び込んできたのは、日向とたくさんの友人たちだった。その中には、大人っぽくてメイクがとても似合う女の先輩も数多くいた。初めて見る、自分とは違う日向に、なぜか居心地が悪くなる。くるりと踵を返そうとした私を引き留める呼び声。「彩華」自分でも初めて感じる嫉妬心。ずっと私のそばにいると思っていたのに、日向の周りにはたくさんの人がいる。その現実を突きつけられた気がした。「日向、この子? お隣の妹ちゃん」今でも忘れることができないほど、綺麗な女の先輩の口から発せられた”妹”というセリフ。「ああ。かわいいだろ」日向のそのかわいいという言葉が、子供に伝える時のように聞こえてみじめで仕方がなかった。あの日から、私は日向を避け続けてしまった。淡い恋心と、幼すぎた初恋。それでもずっと日向は隣にいる。だから、きっといつでも仲直りできる。そう思っていた。しかし、いつの間にか学校でも、近所でも日向を見ることがなくなった。慌てて隣のおばあちゃんに聞きに行った時には、日向はもうそこには戻らないことを知った。「理由は話せないの」ごめんね。そう言いながら、春子さんは一通の手紙を私にくれた。「彩華、いい子でいろよ」それだけが書かれた手紙。幼い私の恋心はその時あっけなく終わりを告げた。いや、恋と呼んでよかったのかもわからない。そばにいすぎただけで、単なる思い込みだったかもしれない。それから数年たち、ようやく私は日向のことを忘れ、大学生活を送り、大手の会社に就職も決めたと思っていた。友人もでき、それこそ男友
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第三話
「ねえ、お隣って買い手決まったの?」 「帰るなり何? もう遅いんだから早く夕飯食べちゃってよ」ただいまの挨拶もせずに尋ねた私に、母は呆れたように声を上げた。気のせいだったのだろうか。もしかしたら空き巣とか……。 母が用意してくれた食事を食べながら、ずっとそのことが頭をよぎった。「彩華、もう遅いから先に寝るから、食器ぐらい洗っておいてよ。お父さんもとっくに寝てるからお風呂は静かにね」母の言葉に適当に返事をしつつ、私は食事を食べ終えるとそっと家を抜け出した。昔からどうしても気になると確認しなくては気が済まない自分の性格を呪う。 隣の家といっても、かなり遠い正門にはいかず、私はポケットからキーケースを取り出し、視線をそこに落とした。小さな一つの鍵。この数年一度も使ったことのないものだ。隣の屋敷の秘密の小さな扉。昔はお手伝いさんたちの入口だと聞いていたが、今は通いの人しかいなくなり、使わなくなったと聞いていた。 まだ小学生の頃、日向との秘密の通路。その小さな扉に鍵を差し込めば、カチャリと音がした。木の軋む音とともに、そこを開ければ広い庭に出るのだ。花が好きだった春子さんが大切にしていた薔薇園。しかしそこには薔薇はなかった。 枯れて花が咲いていない棘だけが確認できる花壇に近づき、人気のないその家にやっぱり勘違いだったと寂しくなる。「彩華?」もうずっと聞くことはないと思っていた声が私を呼んだ。それがすぐに誰のものかとわかった自分に驚いた。「日向……」ほとんど無意識に漏れたその言葉に、ドクンと胸が音を立てる。誰かがいるかも、そう思ってここにきた。 空き巣かもしれない、と訳の分からない正義感をかざしつつ、心の中でもしかしたら日向がと思ったことは否定しない。しかし、ほとんど百パーセントといっていいほど、日向がいるなんて奇跡……。 奇跡? そこまで思って私は自分が日向と会いたかったことに気づいた。 自ら距離を取り、何も言わずに引っ越していったことを恨んだのに、私は心の中で彼を求めていたとでもいうのだろうか。自分の思考に唖然として、雲がかかり、仄かな月明かりの下立ちすくむ。日向の表情は見えないが、何も言わないことからいきなり家に入ってきた私に驚いているのだろう。「大きくなったな」その言葉の後すぐ、雲が晴れ、一気に満月の月明かりが私たちを照らす。
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第四話
「そうだな。じゃあ、少し付き合えよ」「え?」私の返事を聞くことなく、日向はそのままテラスから家へと入っていく。「ちょっと待って日向!」その姿を追いかけて、サロンに入ればきちんと手入れされたその場所に驚いてしまう。「あれ、綺麗」「毎月きちんと清掃管理がされてるから」「そうなんだ」想像と違うその場所に、何も考えず言葉が零れる。「ねえ、日向は今日はどうして?」「んー? なんとなく。彩華、もう飲める年なんだろ?」備え付けられたバーカウンターから、ワインを取り出しグラスを出す。「まだ、ばーさんが住んでた頃のワインだけど、大丈夫そうだな」慣れた手つきでワインを開け、グラスに注いでいく。ボルドーの液体が小気味いい音を立てて注がれる。それで、この場がなぜか特別な気がしてしまった。今どうしてここに日向がいて、また明日からどこへいってしまうのかもわからない。それでも、今日向に会えたことが嬉しかった。月明かりがサロンの窓ガラスから入ってきて、胸元から見える日向の鎖骨にドキッとしてしまう。妖艶なその瞳に、私は吸い寄せられるように、距離を詰めていた。「彩華?」そんな私に彼は驚いたように、目を見開いた。「ねえ、日向。また明日にはここにいないんでしょう?」答えは聞かなくてもわかる気がしたが、あえてその問いを口にする。「ああ」「どうしているの? とかそんなことは聞かない」「彩華どうした?」私が何を言いたいか理解できないようで、日向がかなり怪訝な表情を浮かべる。「あのね、この十年、私誰ともできないの」「できない?」今度は完全に意味がわからないといった様子の日向。アルコールというのは本当に怖い。こんな恥ずかしいことを臆面もなく話している自分が信じられない。でも、また会えなくなるのなら、一度だけ日向と試してみたかった。誰に触れられても固くなってしまう、この呪われた身体。それは日向も同じだったら、私は寺でもどこでも入って一生独身でもいい。「そう、何人もの人と付き合ったんだよ。でも、誰ともできなかった。触れられると身体がカチカチになっちゃって」「そうか……」日向はこの赤裸々な告白に、少し困ったような表情を浮かべた。「うん」しばらく無言の時間が流れた。「きっと、いつか心から彩華が好きだと思った相手ならそんなことないよ」そう言うと、日向
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第五話
都心の一等地に自社ビルを構えるKOWA総合システムは、世界的にも有名なITの会社で、時代の波に乗り、どんどんと事業を拡大している会社だ。私は駅を降りて、人混みを抜けながらKOWAのビルへと向かう。ガラス張りのビルの入り口が見えると、自然と気が引き締まるような気持ちになった。エントランスに足を踏み入れると、吹き抜けになっていて柱には大型のモニターがあり、KOWAの製品のCMが流れている。久しぶりの会社に少しキョロキョロとしてしまったが、私は自分のフロアへ行くためにエレベーターに乗り込んだ。そして、広々としたフロアへと向かう。「おはようございます」一年半ぶりに足を踏み入れた私は、気合を入れるためにも笑顔を作り声を出した。鮮やかなカラフルなチェアに機能的なデスク。海外事業部は時差もあるため、フレックスタイム制で、自分のパソコンを持ってどこでもリラックスして仕事ができる作りになっている。「あー、久しぶりね」「お久しぶりです。加奈先輩」見知った顔の先輩が変わらない笑みを浮かべてくれて、私はホッと胸をなでおろす。「東雲」私を見つけると、新入社員の時の教育係だった神代さんが声をかけてきた。神代颯真さんは私より三歳年上で、人懐っこい笑顔の人だ。天性の人を引き付ける魅力というものがあり、営業成績も常にトップを走っている人だ。「はい、神代さん」笑顔で頭を下げれば、神代さんはにこりと笑った。「俺のアシスタントになったから、きちんと働けよ」出産前までは営業をしていた私だったが、やはり子供がいる以上、同じ仕事は厳しい。人事部長からの提案もあり、アシスタント業務をさせてもらうことになっていた。「はい、頑張ります」仕事を一から教えてくれた神代さんのアシスタントなら、復帰後もやりやすいだろうと、いろいろ考えてくれた人たちに感謝しつつ、朝礼で挨拶をすると、みんな温かく迎えてくれほっとした。二週間が経過し、瑠香も保育園に少しずつ慣れ、私も仕事の勘を取り戻し始めていた。「東雲、S社の見積もり出しといて」神代さんの依頼に、私はパソコンからファイルを開いてから、後ろの席の彼を見ようとくるりと椅子を回した。「どうした?」しかし、私の目に入ったのは、部長と歩いてくる一人の男性だった。「おい、東雲?」私がまったく返事をしないことを不思議に思ったのか、神代さんも
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第六話
そう思っていた矢先、部屋から部長と一緒に出てきた日向に、みんなが視線を向ける。「みんな聞いてくれ」もうすぐ四十代半ばの事業部長の声に私たちは話をやめ、そちらを見た。「紹介する。本日付で副社長に就任された、河和日向副社長だ」その紹介に、間違いなく日向だということがわかる。「アメリカから戻られたばかりだが、今、我が部署で進めているアメリカのマラドレシステムとの合同プロジェクトの指揮を取っていただく。河和副社長は、帰国する前はアメリカ支社でマラドレシステムの社長とも懇意にしていた方だ。一番このプロジェクトに適任だと思う」マラドレシステムは、アメリカの大手IT企業。AIやデータ解析の分野では業界の最先端を走る企業で、今回の合同プロジェクトは、双方の技術を結集した次世代クラウドサービスの開発。海外市場への展開を見据えた重要案件だ。そんな大きな仕事の責任者? そして副社長? まったく理解できないが、日向と一緒に仕事をするということはわかった。「それではご挨拶をお願いします」部長の声に日向は一歩前に出た。あの最後に屋敷で会った時よりも、ぐっと大人びてできる男性という雰囲気を漂わせている。「初めまして。アメリカから戻ったばかりで、わからないことも多くあると思います。一緒にこのプロジェクトを成功させたいと思っています。どうぞよろしく頼みます」凛とした張りのある声に、漂うオーラは紛れもなくカリスマ性がにじみ出ていて、先ほどまでいろいろ噂をしていた社員たちも今は一様に、日向に釘付けだ。これがあの優しかった日向と同一人物なのだろうか。冷徹さすら感じるその雰囲気に息を飲む。まったく知らない人のような気がして、私はただ呆然と見ていた。「神代君」「はい」日向が神代さんの名前を呼び、ハッとしたように彼が返事をした。「君がリーダーだな? この後打ち合わせをしたいが何分後からできる?」「はい、二十分いただけますか? 東雲、資料出せるな?」神代さんが私に問いかけた時、一瞬日向が驚いたように目を見開いた。私に気づいたのだろう。まさかここに私がいるなんて想像もしていなかったに違いない。「わかりました」心の中はパニック寸前だが、今狼狽したり何かがあれば瑠香のことがバレてしまうかもしれない。なんとか動揺する気持ちを抑え込むと、冷静にパソコンに視線を落としたまま返事をする。
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第七話
「彩華、時間は大丈夫なのか?」静かに本当に心配をしているような声に、私は日向に知られないように息を整えるとそちらを振り返った。「もう終わります」「じゃあ、送っていくよ。急ぐんだろ?」その意外な言葉に驚いて私は目を見開く。どういうつもりで送っていくなどと言っているのだろう。さっきの会話で子供がいることに気づいたはずだ。普通に考えれば既婚者を送っていくなど普通ではない。もしかして、結婚をしていないこと、シングルマザーだということを誰かから聞いたのだろうか。「大丈夫です」それだけを答えると、少し大きな音を立ててノートパソコンを閉じると、日向を見ることなく立ち上がった。目を合わさず会議室のドアの前にいた日向の横を通り過ぎようとした時だった。後ろからいきなり腕を取られ、反射的に私は振り返った。そこにはあの夜、抱き合った時のままの日向の瞳があり息を飲む。「いい子に待ってろって言ったのに」あの言葉。あの日も彼はそう言った。「いい子にしてろよ」。軽く微笑みながら、私を安心させるように。その一言がどれだけ私を縛りつけていたか、日向には分かるはずがない。私はずっと待っていた――あの手紙をもらった時も、瑠香が産まれた時も。日向が戻ってきて、「いい子でいろよ」が何かの約束だったかのように思い込もうとしていた。でも、違う。あれはただの言葉。深い意味なんてない。期待を抱いたのは私の勝手。そう頭では分かっているはずなのに、胸の奥に張り付いて離れないのだ。その言葉に苛立ちが募る。確かにあの日は私から誘ったし、日向からすれば仕方ないかもしれない。しかし、何度もこうして『いい子にしてろよ』そんな思わせ振りな態度を取るから私はずっと諦められないのだ。今はさすがに愛しさよりも憎しみが湧き上がる。自分はいつも何も言わずに姿を消して、フラッと目の前に現れて心を乱す。そして、今は婚約者を作り副社長などというたいそうな身分で戻ってきた。「ふざけないで」「え」呟くようにそう口から言葉が漏れていた。聞こえなかったのか日向が聞き返す。俯いていた私だったが、初めて日向にこんな憎しみを向けて睨みつけた気がする。「いつも勝手にいなくなるのに、どうしてこんなことを言うの? 私ももう大切な人と歩き始めたんだから、振り回さないで!」瑠香の顔が一瞬脳裏をよぎる。大切な私の娘がいるのだ。今更こんな気
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第八話
Side 日向俺は副社長室に戻ると、自分のデスクに拳を打ち付けた。こんなことをしたのは生まれて初めてだ。手に鈍い痛みが走るが、そんなことはどうでもよかった。もし血でも流れて傷になれば、この心の中は少しは紛れるのだろうか。小さい頃から俺にとって彩華は、大切で大切で仕方のない存在だった。家庭環境の複雑な俺は、どこか冷めた子供だったと思う。大企業の父の愛人の子という立場で、母を早くに亡くした俺は、父の母方の祖母に引き取られた。だが、祖母は慈悲深い人で、隣に住む彩華の家族も温かかった。彩華は本当の妹のように、いつも隣にいてくれた。だが、高校に入った頃から、彩華が俺を避けるようになった。そのとき、初めて「彩華は妹ではなく、他人だ」という現実に気づいた。隣にいるのが当たり前だった彼女が、学校で楽しそうに男子と話しているのを見た時、妙な違和感が胸を締めつけた。それでも、俺は彼女を見守れればいいと思っていた。それで十分だと。だが、その平穏を壊す出来事が起きた。『お兄様が亡くなりました。すぐに後継者として戻って欲しいと社長が』父の第二秘書、小林がそう伝えたとき、俺は自分の人生を呪った。愛人の子として隠されるように生きてきた俺が、兄が亡くなった途端に後継者として戻れと言われる。そんな理不尽な話があるだろうか。祖母のもとから河和の家へ戻され、朝から晩まで帝王学を叩き込まれる日々。一度だけ、祖母の家を訪ね、彩華の様子を見に行ったことがある。窓から見た彼女は、高校生になり、学校生活を満喫しているようだった。友人たちと笑い合い、未来への希望に満ちた表情。あの輝きに触れる資格が自分にはないと痛感した。実の息子である俺ですら、この名前の重さに押しつぶされそうになる。俺には、彩華を幸せにできるはずがない。そう思った俺は、父の言葉に従いアメリカへ渡った。感情を押し殺し、ロボットのように後継者としての訓練を受ける日々。周囲には、俺の地位に惹かれるだけの女性や、表向きだけの人間関係ばかり。いつしか俺は何も望まなくなった。もう二度と彩華に会わない。もう、あの思い出の家には戻らない。そう決めていたのに――。二年前、あの屋敷の売却話が持ち上がった時、俺は気づいたら「その話は自分が進める」と言っていた。日本に戻ってすぐのタイミングで、その話が出たのは、どこか必然のように感じた。祖母も
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第九話
「彩華、どうしたのよ? 帰ってきてから元気がないじゃない?」父と一緒にお風呂に入ると言って浴室に向かった瑠香を見送りながら、母にそう言われ、私は小さくため息をついた。「そんなことないよ」笑顔を作ってみせたが、母はじっと私の顔を見つめてくる。「彩華が瑠香の顔を見て、すぐに調子が悪いってわかるように、私はわかるのよ」その説得力のある言葉に、私はキュッと唇を噛んだ。確かに、母になってから瑠香の顔ひとつで体調や気分がなんとなくわかるようになった。母にとっては、私も同じということか。「うん……。会社でちょっとね」「失敗でもしたの? やっぱり瑠香を見ながらだと大変じゃない? 体調も戻ったばかりだし」心から心配する母に、私は曖昧な笑みを浮かべた。出産後、体調が戻らず、母に家事をほとんど任せ、私は子育てだけに専念してきた。それに対して感謝しかない。けれど――。小さい頃から何でも話してきた母に、日向のことだけは話せなかった。母は何度も「彩華の初恋は日向君ね」と冗談めかして言っていたが、私はそれを認めたことがない。恥ずかしかったのか、それとも知られたくなかったのか。妊娠したときも同じだった。父親の名前を聞かれても、私は何も答えなかった。頑なに口を閉ざした私を見て、両親がどう思ったのかは、今でもわからない。「そうだね、もしかしたら甘えるかも。ごめんね」そう言って誤魔化すと、母は心配そうに眉をひそめたが、それ以上は追及してこなかった。仕事を続けたい気持ちはある。でも、このまま日向と同じ会社にいることができるのかはわからない。仕事だけでなく、彼が結婚し、家族を作る姿を見ることに耐えられるのか。それに――。瑠香の存在が重くのしかかる。彼が結婚して子供が生まれれば、その子と瑠香は血のつながりがあるのだ。その事実を隠し続けることは、果たして許されるのだろうか?「本当に大丈夫?」母の声にハッとして振り向くと、廊下からバタバタという音が聞こえた。「瑠香、出たみたいだね」「うん」母に「大丈夫」と伝えるように微笑むと、私は立ち上がった。「ルカー、楽しかった?」「あーい」バスタオルに包まれた瑠香を抱きしめる。その小さな体から伝わる温かさが、迷いをかき消してくれる気がした。この子を守らなければいけない――。そんな思いを胸に、私は明るく振舞った。その夜。瑠香の寝
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第十話
それからの日々は、日向とは完全に上司と部下という関係が築かれていたと思う。神代さんが真ん中に入ってくれることもあり、私と日向が直接話すこともなかったのは幸いだった。プロジェクトの時期は忙しかったが、この案件が終わったら仕事を辞めるつもりなので、少しだけ両親に甘えさせてもらおうと思う。その後はまた仕事を探しつつ、すぐに見つからなければバイトでもして家にお金を入れればいい。そんなことを考えていた。上司である部長にも、プロジェクトが終わったら辞めるという話はしてある。今は大切な時期だから、みんなには内緒にしてほしいと伝えた。『産休明け戻ってみたが、やはり子供が保育園になじめなかった』――もっともらしい理由に、部長は残念がってくれたが、「仕方がない」と受け入れてくれた。もともと、私は仕事も好きだが、料理をしたり、子供と一緒に温かい家庭を作るのが夢だった。しかし、一人で瑠香を産んだとき、その夢は諦めた。まさか日向が原因で仕事を辞めることになるとは思っていなかったけれど。すべては、あの夜の自分の行動が原因だ。後悔していないかと問われれば、嘘になるかもしれない。でも、瑠香を授けてくれたことには本当に感謝している。あのまま、誰とも一線を越えることなく、仕事だけに生きていたかもしれないのだから。瑠香を授かれたこと、それが私の一番の宝物だ。「東雲、今日で決めるぞ」その緊張感のある神代さんの言葉に、私は仕事だけに集中しようと決意して頷いた。今日は、アメリカとのウェブでの条件交渉がある。それで合意を得られれば、我が社にとって非常に大きな取引先ができ、莫大な利益をもたらす。副社長である日向も参加するほどの大きなプロジェクトに最後関われたことは、本当に貴重な経験だったと思う。開始の三十分前、大会議室に後輩と一緒に入り、プロジェクターの準備やネット回線の最終チェックを行った。そして、資料を何度も確認する。「東雲、準備は大丈夫か?」「はい」予定より早く会議室に入ってきた日向に、私は冷静を装って答える。「こちらを」一応、スライドの内容を印刷し、詳しい資料を添付したものを日向に渡す。日向は黙ってそれを受け取った。「お待たせしています」日向が先に来ていたことに少し驚いた様子で、神代さんや加奈先輩も入ってきた。そして、開始五分前、ネット回線がつながり、アメリカの担当者
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