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第678話

Author: 似水
「それは面倒だな」

里香は淡々とした表情で言った。その態度に月宮はすっかりイライラして、思わず雅之の方を振り返ったが、彼はただじっと里香を見つめているだけだった。

「雅之、お前……」

「前の口座番号でいいのか?」雅之はあっさり聞いた。

月宮:「……」

おいおい!いくら金があっても、そんな使い方はないだろ!本当に呆れるわ!

里香は軽くうなずいた。「そうよ」

雅之は言った。「桜井に振り込ませるから、これから1ヶ月、俺の食事を頼む」

里香は少し眉をひそめた。なんだか適当すぎない?そんなことなら、10億にしておけばよかったのに。

月宮は二人を交互に見て、結局黙り込んだ。

まあいい。やる方もやられる方も納得してるなら、俺が口を挟むことじゃない。

雅之は里香が作った料理を全部食べ終わったが、特に体調を崩すこともなかった。月宮は腕を組んでその様子を見ていたが、ただただ不思議だった。

他人が作った料理はダメなのに、里香の作った料理は平気なのか。ほんと、変わってるな。

里香は弁当箱を片付けると、そのまま振り返って去っていった。雅之は彼女の背中をじっと見つめ、姿が完全に見えなくなるまで目を離さなかった。

月宮はため息をついた。「お前、完全に彼女にハマってるな」

雅之は淡々と答えた。「悪いことじゃない」

月宮は笑いながら言った。「でもさ、前に『恋愛なんて興味ない』って言ってたのはどこの誰だっけ?」

雅之は目を閉じて、「そんなこと言ったっけ?覚えてないな」と答えた。

月宮:「……」

今度はとぼけるのかよ。実際、もう自分で言ったことを覆してるくせに!

その後、しばらくの間、里香は毎日決まった時間に食事を届けに来た。医者の指示に従って、栄養バランスを考えた食事を用意していた。

雅之は毎回、それを全部食べた。

半月が過ぎた頃、里香が昼に来ると、雅之は書類を処理していた。桜井が隣に立って、真剣な表情をしている。

里香は少し驚いた。雅之は社長職を解任されたはずじゃなかった?まだ何か仕事をしているのか?

「奥様……」桜井が里香を見ると、少し戸惑いながら挨拶をした。

里香は淡々と「里香でいいわ」と言った。

桜井:「かしこまりました、奥様」

里香:「……」

里香は弁当箱を横に置き、興味本位で書類に目をやると、「二宮」という名前が目に入った。

雅之は
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