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第2話

Author: さかなちゃん
電話を切った瞬間、奈月の胸から石が落ちたように、全身がふっと軽くなった。

ギィ……

部屋の扉がそっと開き、朔乃がぬいぐるみを抱いて立って、柔らかな声には期待がにじんでいた。「ママ、お誕生日パーティー、いつ始まるの?」

「朔乃、いい子ね。ママもすぐ降りるわ」奈月の声は自然と優しくなる。

部屋の隅には贈り物が山のように積まれていた。朔真のための絶版百科事典、朔矢のための限定フィギュア、朔斗が欲しがっていたスターのサイン、そして朔乃が心から望んでいた人形。

それはすべて、前の人生の記憶をもとに用意したものだった。ただ今回は、あの頃のように「ママありがとう」と言われるのを、じっと待つつもりはなかった。

階段の曲がり角に差しかかると、リビングからの会話が耳を突き刺した。

「元治、本当に私のために離婚してくれるの?」

都子の声は泣き声を帯びていた。「朔矢たち、どの子だって私には大事なのに。それに、彼女はあなたを愛しているのよ。もし離婚を拒んだら?」

「拒むものか」元治の声は冷たく硬い。「署名しなければ、君を連れて国外で結婚式を挙げるだけだ」

「都子おばさん、泣かないで!」それは朔矢の声。「僕、あの悪いママなんかと一緒に行かない」

「朔真もだ!」

「ねえ、僕たちが国外に行って、結婚式でフラワーボーイやろうよ!」朔斗が弾む声で言った。

奈月の爪は手のひらに食い込み、痛みで指先が痺れた。

前の人生で一度経験しているとはいえ、裏切りを再び目の当たりにすると、やはり胸が苦しくなる。

彼女は深く息を吸い、冷たい顔のまま角を曲がった。「誕生日パーティーを始めよう」

怯えた都子が慌てて彼女の腕を掴む。「奈月さん、私が歓迎されないのは分かってる。すぐに帰るから……」

すれ違う瞬間、都子は突然足を挫いたふりをして、奈月の腕を思い切り引いて階段へと倒れ込んだ。

「きゃっ!」

奈月の視界に映ったのは、元治と三人の息子の顔が一斉に青ざめる様子。

元治は最初、彼女に手を伸ばしかけた。だが都子の泣き声を耳にした瞬間、その手は無理やり方向を変え、都子を抱きかかえた。

天地が回転し、背中を階段に叩きつけられた激痛が爆ぜる。視界は霞み、薄れていく。

朦朧とした目に映ったのは、都子を抱いて外へ駆け出す元治と、その後を追う三人の息子。誰一人、倒れた奈月に目を向けることはなかった。

ただ一人、朔乃だけがふらつきながら駆け寄り、彼女にしがみついた。「ママ!お願い、起きて……朔乃、怖いよ」

少し離れた場所で、元治の車が走り去っていく。

三人の息子はその場に残され、焦りの色を浮かべて車の行方を見つめていた。

「都子おばさん、手から血が出てた。大丈夫かな?」朔矢が背伸びして覗く。

「僕だって一緒に行きたかったのに、パパが邪魔だって言うんだ!」朔真は不満げに声を上げた。

「あれ?朔乃が泣いてる?」

朔斗がふと角を見やり、三人はようやく地面に倒れる奈月を思い出した。慌てて走り寄り、朔乃を押しのける。

「ママ、大丈夫?僕が病院に連れて行くよ」朔矢が手を伸ばす。

朔真は目を泳がせながら言った。「ごめんママ、さっき焦って間違えただけなんだ……怒らないで」

朔斗は急いで口を挟む。「ママ、運転手に頼んで病院に行こう」

三人は声を揃えて叫ぶ。「そうだ、病院へ」

「お兄ちゃんたち、もう救急車呼んだから」

朔乃は唇を真っ白に噛みしめながら、手首のスマートウォッチを指さした。

三人の表情が一斉に曇った。

「救急車なんて遅すぎる」朔真が慌てて叫ぶ。「僕、運転手さん呼んでくる」

奈月は重いまぶたを持ち上げ、子供たちの瞳に浮かぶ焦りを見た。

胸の奥がすっと冷えた。

心配しているんじゃない。あの子たちは、都子のいる病院に行きたいだけ。

「運転手のおじさん、ママはここだよ」次の瞬間、三人が運転手を引っ張って駆け寄り、「一緒に行く」と口々に叫んだ。

「だめよ」奈月は運転手の手を借りてゆっくりと立ち上がる。「あなたたちは家に残りなさい」

真っ先に反対したのは朔矢だった。「そんなの駄目だよ。ママ、僕たちだって一緒に行って看病したい……」

「子供にできることなんてないの」奈月はうんざりしたように遮った。「行っても邪魔になるだけ」

三人はがっくりとうなだれる。

そのとき、朔乃がそっと近づき、彼女の腕を抱きしめた。「ママ、早く行って。朔乃はうちでいい子に待ってるから」

奈月は朔乃の頭を撫で、運転手を振り返らず、一人で救急車に乗り込んだ。

医師は眉を寄せながら告げる。「複数の軟部組織損傷と軽い脳震盪。二日ほど入院して様子を見ましょう」

だが、その二日のあいだ、元治も三人の息子も、一本の電話すら寄越さなかった。

毎日欠かさずかけてきたのは朔乃だけ。「ママ、痛くない?ごはんちゃんと食べてね」

夕暮れ、開け放した病室の扉から、看護師たちの噂話が流れ込んできた。

「特別病室の青山さんが、佐々木さんにすごく優しいわよね。昔、交通事故のとき佐々木さんが献血して救ったって。一目惚れだったらしいわ」

奈月の目が見開かれる。

あの日、事故現場から元治を必死で引きずり出したのは自分だ。

彼に千ミリリットルの血を捧げて、意識を失いかけたのも自分。

なのに、そのすべての功績が、どうして都子のものにすり替わっている?

彼女は目を閉じ、込み上げる怒りを無理やり押し込めた。

もういい。どうせこの人生では離れると決めた。過去の真実を暴いたところで、何の意味がある。

退院の日、通りかかった特別病室から、聞き覚えのある声が漏れてきた。

隙間から覗いた光景は、胸を抉った。元治がスープを丁寧に冷まし、都子の唇へ運んでいる。その眼差しの優しさは、見ているだけで溺れてしまいそうだった。

そして三人の息子たちがベッドの周りでてんてこ舞いだ。

一人は背中をさすり、一人は物語を読み聞かせ、一人は果物を剥き、差し出す順番を待っている。

「ただのかすり傷なのに、みんな大げさね」

都子はわざとらしく気遣うふりをして言う。「奈月さんも怪我してるんでしょ。そっちを見舞ってあげて」

「自業自得だ」元治はスプーンを止めることなく冷たく言った。「わざと君を突き飛ばしたんだ」

朔真がうなずく。「そうそう。いつも僕らとパパにべったりで、うんざりするんだ」

朔矢が唇を尖らせて吐き捨てる。「家にメイドがいるのに、わざわざ働きたがるなんて。ほんと面倒くさい」

朔斗が得意げに言い切る。「都子おばさんは違うよ!きれいで有名なデザイナーだし、ママなんかよりずっとすごい!」

都子は目の奥に満足を滲ませながらも、口ではやさしく諭す。「そんなこと言っちゃだめよ。傷ついちゃうから」

「君は本当に優しすぎる」

元治は彼女の鼻を軽くつつき、甘やかすように微笑んだ。「少し冷たくして、頭を冷やさせろ。そのうち俺が謝らせてやる」

廊下に立つ奈月の拳は震え、握りしめられていた。

そうか。自分の何年もの苦労は、この人たちにとってただの迷惑だったのだ。使用人以下の存在。

そうね、反省するべきだった。

どうして自分は、この恩知らずの家族たちに尽くしてしまったのだろう。
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