丹下陸(たんげ りく)。そのたった一言で、陸の顔色がみるみる変わった。「田中仁……!」「君の母親はずいぶん好き勝手やってくれた。家にまで乗り込んでくるとはな。だが――田中家の人間が、ほんとうに君を受け入れてると思うか?」仁は一歩、また一歩と陸の前まで歩み寄った。わずかに背の高いその体から、冷たい圧が静かに広がっていく。「自分で名乗りを変えたところで、所詮は誤魔化しだ。やり口も同じだな。見栄えだけ整えても、結局表には立てない」陸は拳を握りしめた。「長男だからなんだって言うんだ。全体を見ろ、大局を考えろ、そんなことばかり押しつけられるのは兄貴のほうだろ。俺は違う。たとえ行儀が悪かろうが、兄貴よりよほど好きにやれるし、腹も据わってる。兄貴はいつだってそうやって余裕ぶってるけど、忘れるなよ。兎と亀の話で負けたのは、兎のほうだ」」仁の顔に、かすかな嘲りがよぎった。「私はあんな負け方をする側じゃない」そう言い残し、仁は背を向けた。「女遊びをしてる暇があるなら、さっさと家へ戻ってみろ。君の母親が、まだ無事でいるかどうかな」「お前!」背後で陸が怒鳴ったが、仁は振り返らなかった。そのまま外へ向かいながら、最後にひと言だけ命じる。「この部屋は壊せ。物置に変えろ」「……」「仁さん……」鈴の声で、仁はようやく意識を引き戻した。「エリックさんとの話し合い、何時からだ?」「夜七時」「まだ間に合うな。私も行く」「ほんとに?」誰かがそばにいてくれる、それだけで少し安心できる。「嘘はつかない」夜七時。交渉の場は、前回とは別の会議室に移されていた。エリックの顔色はかなり戻っている。席についていたのは彼だけではなく、フランスの政府関係者たちもだった。長机を挟み、空気は張りつめている。仁も豊勢側の上層部として、正式に同席していた。鈴は席に着く前、隅にいる仁と目を合わせた。仁は小さく頷き、それだけで十分だと言うように彼女を励ました。鈴はひとつ息を整え、口を開く。「貴国の皆さまが抱いておられる懸念について、当方としても十分に理解しております。そのうえで、いくつか誤解されている点について、資料と証明をもとにご説明させていただきます」そう言いながら、鈴は資料の束と、悠希か
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