All Chapters of 夫の元カノが帰国!妊娠隠して離婚を決意した私: Chapter 791 - Chapter 800

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第791話

若子は十日間の入院を経て、ようやく退院した。 お腹の子はすでに五カ月目。 彼女のお腹は大きくなり、動くのもひと苦労だった。 少し歩くだけで疲れてしまい、ほとんどの時間をベッドで過ごすしかない。 しかし、西也はそんな彼女を細やかに気遣い、食事も飲み物も全て自分で運び、まるで彼女に何一つさせまいとするかのようだった。 果てには、風呂まで手伝おうとする始末。 だが、さすがにそれは若子が拒否し、できる限り自分で入ることにした。 どうしても無理なときは、メイドを頼ることにしている。 西也も、そこは無理強いしなかった。 夕食を終え、若子はベッドに腰掛けながら、ふと祖母に電話をかけたくなった。 考えてみれば、しばらく連絡を取っていなかった。 修と離婚した後も、藤沢家の人たちは「離婚しても、藤沢家の人間だ」と言ってくれた。 だが、現実には彼女は自然と藤沢家と距離を置くようになった。 それは意図したものではなく、気づけばそうなっていたのだった。 電話をかけると、出たのは光莉だった。 「もしもし」 「お母さん?」若子はすぐに彼女の声を聞き分けた。 「どうして母さんが出るんですか?」 「若子、どうかしたの?」 「おばあさんと話したいんですけど......どうして母さんお母さんが携帯を持っているんですか?」 「ああ、今おばあさんのところにいるの。でも、ちょっと都合が悪くてね」 「おばあさん、具合が悪いんですか?」 「......少しね。あんたも退院したことだし、そろそろ話しておくわ」 光莉は、華の病状を伝えた。 若子は、言葉を失った。 心がぎゅっと締めつけられる。 そんな彼女の様子を見て、西也がすぐに駆け寄った。 「若子、どうした?」 「おばあさんが......病気になったの......会いに行かないと」 「病気って......何の?」 「認知症」 若子は涙を拭いながら答えた。 「すぐに行かなきゃ......」 そう言って、彼女は布団をはねのけて立ち上がろうとする。 「若子、落ち着いて」 西也はすぐに彼女の腰を支えた。 「止めないで。私は行かなきゃ」 「止めてるわけじゃない」 西也は静かに言う。 「車を出すから、一緒に行こう」 彼が
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第792話

西也は車を走らせ、若子を華のもとへ連れて行こうとしていた。 だが、道中で光莉から連絡が入り、目的地が変更された。 若子は、指定された住所へと向かう。 そこは、レストランだった。 個室に入ると、すでに光莉と華が待っていた。 若子は大きなお腹を抱えながら、足早に駆け寄る。 「おばあさん!」 だが、次の瞬間、華がきょとんとした顔で、彼女を見つめた。 「......あなた、今なんて?」 その問いに、若子の胸がぎゅっと締めつけられる。 電話で聞いたときは、まるで夢のように思えた。 現実とは思えず、ただの悪い夢だと願った。 しかし― いざ、こうして目の前で確かめると、あまりにも現実的だった。 光莉が立ち上がり、二人を席へと促す。 「座りましょう」 若子は、西也に支えられながら椅子に腰を下ろした。 その間も、華の視線は不思議そうに彼女を見つめている。 西也はそんな華を見ながら、ふと光莉にも目を向ける。 彼女は、自分をじっと見つめていた。 ―その目は、以前と違っていた。 そこには、敵意も拒絶もなかった。 むしろ、どこか親しげな、懐かしむような色さえ感じる。 なぜ急に、態度が変わったのか? 西也は、それが妙に気に食わなかった。 高峯が絡んでいるのか? いや、それだけではない気がする。 彼女は強い女性だ。 簡単に誰かに屈するようなタイプではない。 ―ならば、いったい何があった? 彼は複雑な表情を浮かべながらも、若子を気遣い、椅子へと座らせる。 「おばあさん......私です、若子ですよ。分かりませんか?」 すると、華は穏やかに笑いながら言った。 「若子?何を言っているの?」 彼女は首を傾げ、若子のお腹を見つめる。 「うちの若子は、まだ中学生だよ?なのに、あなたはこんなに大きくなって......それに、お腹の子はもう何カ月目?」 若子は、電話で光莉が言っていた言葉を思い出した。 「おばあさんを刺激しないで。忘れてしまったことは無理に思い出させないで。もし記憶を呼び戻そうとすると、頭痛を起こす可能性があるの。絶対に、自分が認知症だと気づかせちゃダメよ」 そう言われていた。 彼女は涙を必死にこらえ、笑顔を作った。 「......気づか
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第793話

四人はそのまま、和やかに会話を続けた。 若子は心の痛みを抑えながら、華と楽しそうに話す。 華の記憶は少し混乱していたが、何度も口にするのは、若子と修のことだった。 二人の関係がどれほど良かったか、どれほどお似合いだったか―そんな昔話ばかりを繰り返す。 その言葉を聞きながら、若子の胸にはさまざまな思いが込み上げてきた。 彼女と修にも、確かに美しい時間があった。 けれど― 今はこんなにも壊れてしまった。 そして、おばあさんもこんなふうになってしまった。 だが、これでよかったのかもしれない。 華の記憶には、幸せな時だけが残り、あとの苦しみや悲しみはすっぽり抜け落ちている。 ―それだけでも、救いだった。 ただ、残念なのは― 華が、もうすぐ生まれてくる曾孫のことを忘れてしまっていることだった。 そんな中、西也は終始、微笑みを浮かべながら会話を聞いていた。 穏やかに、温かく―誰が見ても、優しそうな男に見えただろう。 しかし、彼の心の内はまるで違った。 彼は、自分の胸の奥が何かに強く押しつぶされそうなほど、嫉妬に狂いそうになっていた。 ―あいつは、ただ運が良かっただけだ。 若子と十年間も一緒にいられたのも、幼馴染として過ごせたのも、すべては偶然の産物に過ぎない。 あんな男が、そんな幸運を手に入れる価値があったのか? だが、今はもう違う。 ―神様は、ようやくあいつからすべてを奪った。 そして、若子は今、彼の隣にいる。 しかし、ひとつだけ気がかりなことがあった。 修は、若子の妊娠を知っているのか? もし知っているのなら、なぜ何の反応もない? もし知らないのなら― それはつまり、修の母親である光莉も、祖母も、彼に何も伝えていないということになる。 華はもう認知症が進み、何も覚えていない。 では、光莉はどうだ? 彼女は修に、若子の妊娠を伝えるつもりはないのか? 西也は、疑わしげな視線を光莉へと向けた。 そして、今日のことを思い返す。 若子を華のもとへ送る前、彼はずっと不安だった。 ―もし藤沢家の人間と会ったらどうする? 若子の大きくなったお腹を見れば、すぐに分かる。 修がそれを知ったら、何が起こるか分からない。 だからこそ、彼は出発前にあ
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第794話

西也の険しい表情を見て、光莉は彼が修をどれほど嫌っているかを痛感した。 兄弟がこうして敵対し合う姿を思うと、胸が締めつけられる。 彼女にとってはどちらも大切な息子だった。 けれど― 彼らが仲良くすることを願うのは、もはや無意味なのかもしれない。 生まれ育った環境も違う。 そして、何より―彼らは同じ女性を愛してしまった。 修は弟で、西也は兄。 そして、兄の妻は、弟の元妻であり―しかも、そのお腹には弟の子どもがいる。 ―こんなにも、ぐちゃぐちゃな関係になるなんて。 光莉は、頭が痛くなりそうだった。 前の世代の因縁が、そのまま次の世代にまで持ち越されてしまった。 まるで、過去の業が、彼らを縛りつけているかのようだった。 「......西也」 彼女は、意を決して口を開いた。 西也は、その呼びかけにわずかに眉をひそめた。 彼はその名を、光莉の口から聞きたくはなかった。 「伊藤さん」 彼は低い声で返す。 「あなたにそんなふうに呼ばれる筋合いはありません」 「別にいいじゃない。私の年齢なら、あんたを『西也』と呼んでも、不自然じゃないでしょう?」 光莉は落ち着いた口調で言った。 西也は深く息を吸い込み、一瞬考えた後、渋々と頷く。 「......好きに呼んでください」 ―だが、どう呼ばれようと、何も変わらない。 二人の間に横たわるのは、ただの奇妙な関係ではなく、もっと根深いものなのだから。 彼らは、敵同士だった。 光莉は彼を侮辱し、罵り、殴りつけた。 西也は、それを決して忘れてはいない。 「......修を憎むのは、やめてくれない?」 光莉の静かな声が、部屋の空気をわずかに変えた。 西也の目が細くなる。 「......なんですって?」 「修を嫌っているのは分かるわ。でも、修と若子はもう離婚したのよ。二人の関係は終わったわ。私は保証する......若子はもう修と関わることはない。だから、今のままでいいじゃない?」 彼女の言葉に、西也は鼻で笑った。 「......あなたは、自分が何を言っているのか理解しているんですか?」 光莉が、こんなふうに自分の前で頭を下げるようなことを言うなんて、到底信じられなかった。 彼女はそんな弱気な人間ではない。
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第795話

「意味がない」―その言葉を聞いた瞬間、光莉の心は深い谷底へと突き落とされた。 ―そうだ、西也にとって藤沢家にどんな意味がある?私という母親にどんな意味がある? 彼は、光莉が母親だということすら知らない。 それは、彼女が臆病だったから。怖かったから。西也に憎まれるのが。 でも、母親として憎まれるより、ただの他人として憎まれる方がまだマシだった。 ―この痛みは、私一人が抱えていればいい。 西也が憎んでいるのが「他人」だと思っている方が、「母親」を憎むよりもずっといいのだから― 西也は少し疑問を感じながら、試しに尋ねた。 「僕、てっきり若子はおばあさんの家に行かれるものだと思っていましたが......まさかこんなレストランでお会いするとは。それに、ご主人と息子さんは?」 光莉は静かに答えた。 「二人とも忙しくて、今は時間がないの。だから今日は、お義母さんを連れて外に出ようと思って」 「......そうですか?」 西也はますます興味を抱いた。 他のことはさておき、修がどれだけ忙しいかは知っている。 でも、若子にすら会わないほどだろうか? これはチャンスだ。 ......いや、もしかすると修自身が、今日若子に会える可能性があったことすら知らなかったのかもしれない。 光莉という女、やはりどこか妙だ。 「あなたが、僕に息子さんを憎まないよう言われるのは......まぁ、別に構いません」 西也は肩をすくめ、ふと目を細めた。 「ですが、もし彼が今後も若子にしつこく付きまとうなら、どうするおつもりですか?」 光莉は顔を上げ、まっすぐな目で答えた。 「止めるわ」 「......え?」 西也は思わず耳を疑った。 ―親子なのに?だったら普通、味方するもんじゃないか? 「修と若子はもう終わったの。だけど、修が彼女に与えた傷は決して癒えない。これ以上関われば、若子はますます苦しむだけ。だから、二人は離れた方がいい。 もし、あんたが現れなかったら、若子はもっと傷ついていたでしょう。彼女のそばにいてくれてありがとう」 西也がどんな人間であれ、少なくとも若子への気持ちは本物だ。 彼は決して、彼女を傷つけようとはしない。 光莉の誠実な言葉を聞いて、西也は半信半疑だった。 「....
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第796話

光莉は、西也の沈んだ表情を見て、胸が締めつけられるような気持ちになった。 「......私から彼女に話してみるわ」 俯いていた西也の瞳が、一瞬だけ鋭く光った。 だが、その光はすぐに消え、彼は驚いたように顔を上げる。 「......今、何て?」 「私が彼女に話してみる。早くあんたと一緒に海外へ行くように、そして記憶の回復を手伝ってあげるように」 西也は思わず目を細める。 ―信用できない。 光莉が、まさかこんなふうに協力的になるなんて。 「......冗談ですよね?」 「冗談なんかじゃないわ。本気よ」 「......どうして僕を手伝うんですか?」 「修のためでもあり、若子のためでもある。そして......あんたたち三人がこれ以上もつれないようにするためよ」 「......でも、若子のおばあさんは?若子は絶対に彼女を見捨てないと思いますけど」 「だから、私が話してみるのよ」 光莉は静かに言い切る。 「うまくいくかは分からない。でも、全力を尽くしてみる」 その頃、若子は華を支えながら、レストランへと戻ってきた。 二人は席に着き、改めて談笑を始める。 ―さっきまでお母さんと西也が話していたけれど、大丈夫だったのだろうか? 若子は内心で少し気を揉んでいたが、二人の様子を見る限り、特に揉めた様子はないようだった。 その後、四人でしばらく話し込み、ようやく店を出る頃には、日はすっかり傾いていた。 若子は華の腕を取り、名残惜しそうに寄り添う。 ......本当は、もっと一緒にいたかった。 駐車場に着くと、光莉がふと口を開く。 「お義母さん、先に車に乗ってて。すぐ行くから」 「......分かったわ」 華も少し疲れたようで、小さく頷くと車に乗り込む。 光莉は丁寧に彼女を支え、ドアを閉めた。 そして、ゆっくりと振り返り、若子の前に立つ。 その視線はまっすぐ西也に向けられていた。 ―その目には、何か複雑な感情が浮かんでいるように見えた。 少しの沈黙の後、光莉は口を開く。 「若子と二人で話がしたいのだけど、いいかしら?」 西也は軽く頷く。 「......じゃあ、車で待ってる」 若子も頷き、「うん、すぐ行く」と答えた。 西也が車へ向かい、光莉と若子
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第797話

「若子、修と離婚した後、すぐに行くつもりだったんじゃないの?なのにずっと残ってて、今はもういろんなことがぐちゃぐちゃになってるよ。ちょっと気分転換に海外へ行ったほうがいいんじゃない?」 「お母さん、こんな時に出て行くなんてできません」 「なんでできないの?もしおばあさんのことが心配なら、安心しなさい。私とお父さんがちゃんと面倒を見るから。それに、修だって今はおばあさんの前に出ることすらできないわ。おばあさんはもう彼のことを覚えていないんだから」 「でも、お母さん......」 「若子」光莉は再び言葉を遮る。「おばあさんのことは、いつでも私が報告するわ。もし何かあれば、すぐに呼び戻す。だけど、ここはもう安全じゃない。あんたを誘拐した犯人はまだ捕まってないのよ?また襲われたらどうするの?それに......今はあんた一人じゃないでしょ。お腹の子のこと、ちゃんと考えなさい」 「でも......私、約束したんです。生まれたら一番におばあさんに見せるって」 「おばあさんは、もうその約束のことなんて覚えていないわ。突然赤ん坊を見せたところで、誰の子かもわからないでしょう?若子、もう意地を張るのはやめなさい。気持ちを整理するためにも、少し外の世界を見てきたら?国内のことは全部私が片付ける。それに......お母さんは、あんたに海外で勉強してほしいの」 「勉強......ですか?」 「そうよ。あんたの専攻は金融でしょ?だったら、海外でしっかり学んできなさい。もっと自分を高めるべきよ、若子。外に出て、世界を広げなさい。おばあさんのことは心配しなくて大丈夫だから」 ― 西也は車の中でじっと待っていた。だが、時間が経つにつれ、その忍耐も薄れていく。 どうも気がかりだ。 あいつ、若子に何を話している?まさか、俺の悪口でも言っているんじゃないだろうな? 口では綺麗事を言っていても、裏で何を企んでいるかわかったもんじゃない。 藤沢家の人間なんて、信用できるわけがない。 そう思いながら車を降りようとしたその時、若子がようやくこちらに向かって歩いてきた。 西也はすぐにドアを開ける。「若子、話は終わったのか?」 若子の目は赤くなっていた。 「泣いたのか?」 「......なんでもない。帰りましょう」 そう言って、若子は助手
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第798話

深夜、若子は眠れなかった。 一人で庭に出て、ブランコに腰掛ける。夜風が頬を撫で、少しひんやりとした感触が心地いい。 その時、ふわりと温もりが肩にかかる。 振り返ると、西也が優しく毛布をかけてくれていた。 若子は口元をわずかにほころばせる。「西也、まだ寝てなかったの?」 「お前もな」 そう言って、西也は隣に座る。「どうした?話してみろよ」 「......おばあさんが心配で」 「気持ちはわかる。だけど、この病気は治るものじゃない。ただ、誰かがそばにいてやれば、それでいい」 「......私が面倒を見たいの。もし妊娠してなかったら......」 そう言いながら、胸が痛んだ。 あんなに待ち望んでいた子なのに、どんなことがあっても産むと決めたのに。 なのに今、「この子がいなければ」と思ってしまう自分がいる。 人の気持ちって、こんなにも変わるものなのか。 西也はそっと彼女の手を握る。「若子、そんなこと言うなよ。まずは無事に産もう。それからゆっくり考えればいい」 「......」 西也の言葉を聞いた瞬間、若子の頭にあることが浮かぶ。 ―私は、西也に絶対に離婚しないと約束した。 だけど、それは彼が記憶を失っている今だから。 もし記憶を取り戻したら?きっと、離婚できるはず。 離婚すれば自由の身になれる。そしたら、おばあさんのそばで暮らし、ずっと面倒を見られる。 でも今は―お腹の子を産むまでは、何もできない。 それに、お母さんの言うことも一理ある。 卒業してから妊娠のせいで勉強を続けられなかったし、仕事もしていない。この機会に、もう一度学び直すのも悪くない。 「......西也、海外へ行かないか?」 西也の顔が一瞬で驚きに染まる。 光莉に言われた時は信じなかった。まさか本当に若子がその気になるなんて。 西也の驚いた顔を見て、若子は微笑んだ。 「もともと行く予定だったでしょ?ただ、いろいろあって伸びちゃっただけ。それに、私も約束したし、ちゃんと一緒に行くよ。それに......西也には、一日でも早く記憶を戻してほしいから」 西也は、ふっと優しく微笑んだ。「......わかった。じゃあ、いつ行く?」 「いつでも」 「じゃあ、少し時間をくれ。会社のことを片付けてからにする
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第799話

こうして、西也と若子は、ついに海外へ行く日を決めた。 それまでに、西也は常遠の買収を完全に終わらせなければならなかった。 常遠側は当然、買収を拒んだ。しかし、西也はあらゆる手を使い、容赦なく攻め続けた。 結果、常遠はついに耐えきれず、買収契約にサインをすることになる。 次のステップは、企業の譲渡。 ここで、西也はあることに気づく。 ―あの誘拐犯を、甘く見すぎていた。 西也は、譲渡を追跡することで、犯人の正体を突き止めるつもりだった。 だが、相手はそれすらも計算済みだった。 譲渡の受け手は、代理会社。さらに、その代理会社の裏には別の法人が絡んでおり、本当の所有者の素性は完全に隠されていた。 どんな手を使っても、買い手の正体を掴むことができない。 時間と労力をかけて追跡することは可能かもしれない。 だが、その間にも犯人は余裕の態度で西也を見下ろしている。 まるで、彼が必死に調べても何も掴めないと確信しているかのように。 そのことを悟った西也は、調査を中止することにした。 今、最優先すべきは、犯人を突き止めることではない。 ―奴の正体がわかったところで、動画がまだ手元にある限り、どうすることもできない。 ならば、無駄な足掻きはやめるべきだ。 今は、若子と一緒に海外へ行くことが先決。 俺には、もう時間がない。 海外へ行けば―全て、変わるかもしれない。 準備は順調に進んだ。 渡航手続きは全て完了し、アメリカ側の医療機関も受け入れ態勢を整えた。 そして、予定通り、二人は飛行機に乗り込む。 アメリカへ。 ...... 西也と若子が出国した後、表面上は何事もなく、平穏な日々が続いた。 それからの一週間、若子はずっと光莉と連絡を取り合っていた。 彼女の近況を知るたびに、光莉はほっとする。 二人とも、無事に新しい生活を始められたようだった。 西也も、治療を受けている。 若子は、体を大事にしながら、同時に勉強を始めた。 すべてが順調に進んでいるように見えた。 光莉は、今回の判断が正しかったことを実感する。 ―やっぱり、二人を行かせてよかった。 国内にいれば、修がいる。 どれだけ西也が若子を大切にしようと、二人の間にはどうしても「溝」ができてしまう
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第800話

修は足を止め、振り返る。 母の顔には、明らかに言いづらそうな表情が浮かんでいた。 「一体何だ......何か隠してんか?」 「......あんた、本当に若子とは終わったの?」 その言葉に、修は目を閉じる。 握りしめた拳が、わずかに震えた。 「......若子が終わらせたがったんだ。俺に何ができる?」 「じゃあ、あんたはまだ彼女と一緒にいたいのね?」 修は苦笑する。「母さん、俺がどうして怪我をしたか知ってるか?俺が若子を助けに行った時、何があったのか......知ってるか?」 光莉は静かに問い返した。「......何があったの?」 修は一瞬だけ迷い、そして小さくため息をついた。 「......いや、もういい」 言わなくてもいいことだった。 誰にも言いたくない。 ただ、若子は西也を選んだ―それだけだ。 それが、すべての答えだった。 ―若子は、もう俺を愛していない。 修が去ろうとするのを、光莉が慌てて引き止めた。 「待って!一体どうしたの?ちゃんと話して」 その表情には、明らかな不安が滲んでいる。 「......話すことなんてない」 修は冷めた声で答えた。 今さら、両親と何を話せばいい? 誰も、自分の味方にはならない。 いや、そもそも自分に味方する権利なんてない。 自分が間違えたのだから、誰かに寄りかかろうなんて甘えたことを考える資格はない。 「修......お願いだから、話してくれない?」 光莉の声が、少し震えていた。 彼女は、このところ修の気持ちがひどく沈んでいることを知っていた。 それが単なる落ち込みなのか、本当にうつ病なのかは分からない。 でも、こんな時こそ、一番必要なのは家族の支えと寄り添いだ。 「......話して何になる」 「何にもならないかもしれない。でも、心に溜め込むのはよくないわ。どんなことでも、一人で抱え込まないで」 修は、ふっと鼻で笑う。 「抱え込むな?母さんが俺の話を聞いたところで、どうせ俺を責めるんだろ?」 「そんなことない。私はあんたの母親よ。あんたを傷つけるわけがないじゃない」 光莉の声には、強い意志が込められていた。 修は、しばらく彼女を見つめ―そして、ふっと笑った。 「......若子は
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