All Chapters of 名も無き星たちは今日も輝く: Chapter 11 - Chapter 20

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─4─ 奇妙な命令

この年、大陸統一歴一四八年は、戦で幕を開けた。 エドナのマケーネ大公配下ロンドベルト率いる北方方面駐留軍イング隊が、その駐屯地であるアレンタ平原を出、国境を接するルウツ領セナンへ攻撃を仕掛けた。 対するセナンの国境警備隊は、その黒一色の旗印を見て恐怖を覚え、一戦も交えることなく撤退してしまった。 それに呼応するようにエドナのアルタント大公は配下のシグル隊を、古都バドリナードにほど近いルウツ皇国領ルドラへ進軍させたのである。 古の都バドリナードは大帝ロジュア・ルウツが大陸統一の足がかりとした要地にして、現在はその大帝が眠る場所、言わば聖地である。 それを自らの手中に収め、優位に立つべくルウツ皇国とエドナの両大公家はその機会を虎視眈々とうかがい、牽制しあっていた。 このままでは、バドリナードがいずれ二つの部隊から挟み撃ちされ、エドナの手に堕ちるかもしれない。 その事態を憂慮した宰相マリス侯は皇帝に対し出兵を進言した。 マリス侯を後見人として即位した病弱なルウツ皇帝メアリはその案を採った。 かくしてルドラへの出兵はなし崩しに決まった。 しかし、どの部隊を派兵するかでまた一騒動が起きた。 宰相マリス侯は、由緒ある五伯家のいずれかを、と提案した。 一方で皇帝の妹姫で、近衞と皇都の警備を担う『朱の隊』を預かるミレダ・ルウツが真っ向から反対した。 曰く、今必要なことは、権威や名誉ではなく確実に勝つという裏付けである、と。 皇国の現状を見ればそれは当然のことであるが、マリス侯は渋った。 それが犬猿の仲であるミレダの案であり、何よりマリス侯は『蒼の隊』その物を毛嫌いしていたからである。 だが自らも武人であり、しかも皇帝に連なるミレダの言葉に反論できる者はいなかった。 そこまでの命知らずは、存在しなかったのである。 こうして渋々ながらもマリス侯は蒼の隊を派兵することを了承した。 しかし宮廷でそんな裏事情があったなどと言うことを、最前線の人間は知る由もない。 ただ、行って来い、との命令を果たし生きて帰ってくる事が彼らの全てなのだから。     ※ 粛々と行軍は続いている。 皇都を出発してからもう何度目の野営になるのか、ユノーは数えかけて、止めた。 自分が死ぬまでの時を測っているような錯覚に捕ら
last updateLast Updated : 2025-03-26
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─5─ 軍議

本陣の天幕は、陣の中央にある。 一際大きな天幕の前で呼吸を整えてから、恐る恐るユノーは入口の幕を上げた。 広い内部には、ルドラ地方の地図が広げられており、事細かに敵の布陣状況が記入されている。 上座に座るセピアの髪の司令官は、面白くなさそうにそれを見つめていた。 申し訳なさそうに足を踏み入れ、邪魔をしないように細心の注意を払いながら最末席についたユノーには、全く興味がないようだった。 そして、各小隊長級以上の人々が三々五々入ってくる。 その度毎にユノーは一々立ち上がり、黙礼する。 それに気がついたシグマは、にやりと笑いながら親指を立ててそれに応じる。 共に入ってきたカイは、先程の話などまるでなかったかのようにいつもの穏やかな笑みを返してきた。 やがて全ての席が埋まる頃を見計らうかのように参謀長が姿を現し、それを合図に軍議は始まった。 まず発言したのは、最新の状況を実際に目にしてきた斥候隊長である。 押し殺したような声でぼそぼそと戦況が述べられ、その言葉に応じて地図に書かれた矢印は長く伸ばされる。 そして敵軍進路の延長線上には、古都バドリナードがあった。 「直接バドリナードをおとそう、という訳か。確かにそれが一番手っ取り早いか」 面白くなさそうに言う司令官に、参謀長は顔を真っ赤にして怒鳴った。 「そのように悠長なことを言っている場合ではありません! 一刻も早く物騒なエドナと称する逆賊共を……」 「見る限り、相手の補給線はぎりぎりの所まで伸びている。周囲の村を二つ三つおさえれば、勝手に自滅してくれるだろう」 「しかし、それでは時間がかかりすぎます! 陛下よりお預かりした貴重な兵員を、長期間危険にさらすような愚かな策は……」 立ち上がり、さらに激高する参謀長。 だが、司令官は眉一つ動かさない。 「確かに参謀長殿の言葉にも一理ある。だが、一人でも多くお預かりした兵員を無傷でお返しするのも、俺に科せられた義務だと思うが」 鋭い藍色の瞳を向けられて、流石の参謀長も黙り込む。 その様子に失笑が漏れた。 ユノーは呆れながらも視線を地図から上座へと移した。 自分とさして歳の変わらない司令官は臆することなく、自分より年長且つ身分も上である参謀長をからかっているのだから。 器が違うな。 そんなこ
last updateLast Updated : 2025-03-27
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─6─ 行軍

司令官の気まぐれにも等しい独断で突然配置換えになったユノーを待っていたのは、お飾りの式典仕様ではない、実戦向けの基礎軍事訓練だった。 カイは、小休止の度にそれこそすぐに使える且つ最小限必要な剣技をユノーに叩き込んだ。 始めのうちこそカイの剣を受けるのもままならず、あちらこちらに切り傷をこしらえていたがユノーだったが、三日程たつとそれなりに打ち合いを出来るようになっていた。 「……どうでもいいけれど、妙な癖を付けさせんなよ。何事も基礎が大事なんだろ?」 あきれたように言うシグマに、カイは穏やかに反撃する。 「だから、それじゃ間に合わないから、坊ちゃんはここに配置換えになったんだろう?」 二人の間で困ったように立ちつくすユノー。 その輪の中に、何の前触れもなく皮肉な笑い声が割って入った。 「……痛み分けだな。まあ、あえて口出しはしないが。最低、本番までには敵の攻撃を受け流せる程度になってもらわないとな」 あと、余計な先入観を持たせるな、と付け加えるシーリアスに、ユノーは首を傾げる。 「先入観……ですか?」 「見たところ、貴官にはそれなりの素質がある。だが下手に揺り起こして、殺意を暴走させたくない。万一そうなれば敵も味方も仲良く全滅だ」 何気ないその一言に、ユノーは何故か底知れぬ不安を感じた。 だがそれを口にする前に、気まぐれな司令官は姿を消す。 そんな彼らを忌々しげに見つめる視線にユノーは気が付いた。 この先頭集団で唯一好きになれない人物。言うまでもなく宰相マリス侯直参の参謀長だった。 この人は宰相の名を口にしてその権威を振りかざし、何かにつけて司令官に異を唱えた。 何より行軍途中の補給地では、自分が部隊を率いているかのように振る舞っている。 確かに司令官は『大司祭の養子』という特例で、平民の身でありながら司令官の肩書きを持ってはいる。 しかし頭の固い宰相以下の貴族達は、あくまでもその権限を戦時における作戦指揮のみに限定した。 その結果、戦闘以外のあらゆる内外に対する交渉権はこの参謀長が握るという不文律が生まれたのである。 そして当の司令官も、余計な波風が立つのを嫌ってか、或いは単に面倒に感じている為なのか、交渉が伴う場所ではいつの間にか姿を消していた。 だが、どうしてもユノーはこの参謀長に嫌
last updateLast Updated : 2025-03-28
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─7─ 皇都

皇都エル・フェイムを、薄暮の空が覆う。 薄紅に染まる広大な庭園を見下ろしながら、ルウツ皇帝の妹姫ミレダ・ルウツは思わず溜息をつく。 ルドラに向かっている蒼の隊からもたらされた『非公式』の報告書。 そこには事実だけが淡々とつづられている。 余計な言葉が全く含まれていないその文章は、まるで彼女自身が関わってしまった『過去』の重さを見せつけているようである。 改めてその文面を眺めやってから、彼女は再び溜息をついた。 「あらあら、なんて顔をしていらっしゃるの? それでは幸運も逃げてしまうわよ」 突然の声にミレダは驚いて身体ごと振り向く。 そこにはルウツ皇国の精神的支柱である大司祭、カザリン・ナロード・マルケノフが穏やかな笑みを湛えていつの間にか立っていた。 淡い茶色の瞳に同じ色の髪。 質素な神官の長衣も物腰の柔らかく上品な大司祭が身につけていると、まるで上等なドレスのようだった。 普段は司祭館にいるこの人が皇宮にいるということは、おそらく体調を崩して政務を休んでいるミレダの姉皇帝メアリ・ルウツを見舞った帰りなのだろう。 慌てて姿勢を正し、ミレダは礼を返す。 「失礼いたしました、猊下。お恥ずかしいところをお見せして……」 おだやかな表情のまま手を上げて、大司祭はその言葉を遮る。 一方ミレダの顔には、未だ不安げな表情が貼り付いたままだった。 勝ち気な妹姫が普段は決して見せないその様子に、大司祭は穏やかに諭す。 「人の上に立つ人間は、不安定な心を顔に出してしまっては駄目よ。目の前に剣を突きつけられてもね」 「……この国を動かしているのは、姉上と宰相です。私はその持ち駒の一つに過ぎません」 「本当にそう思っていらっしゃるの?」 痛いところをつかれ、ミレダは再び窓の外に視線を巡らせる。この人だけには自らを偽ることが出来ない、昔からそうだったと思いながら。 そのミレダの心の内を知ってか、大司祭はゆっくりとその隣に並んで立つ。 「……姉上のご様子は、いかがでした?」 遠慮がちに問うミレダに、カザリン・ナロードはおだやかな表情そのままの口調で答える。 「少々、お風邪でも召されたようね。ここのところ、ずいぶんと政務が立て込んでいらしたようだから……」 「姉上……陛下は議会で宰相に都合よく議決された物に署名を入
last updateLast Updated : 2025-03-29
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─8─ 過去

皇女姉妹は、ゆるく波打つ赤茶色髪と宝石のように輝く青緑色の瞳という、よく似た外見をしていた。 そんな瓜ふたつと言っても良い外見とは異なり、おっとりしていて思慮深いが病弱な姉メアリ、勝ち気で頑固ではあるが曲がったことが大嫌いな妹ミレダと言うように性格は全くと言っていいほど正反対だった。 ルウツの法では皇位継承権は男女に関わりなく皇帝の長子が持つ。 二人には従兄が一人いたがその親は皇帝の弟で公爵となっていたため、第一皇女たるメアリの即位は既定路線であった。 物心が付く頃から、既にミレダはしかるべく時は姉を護ることを自らの役目と理解し、その為に剣を学んだ。 そんな彼女の師となった人は、ルウツ皇国神官騎士団長のアンリ・ジョセという人物である。 優れた師についたことにより、天性の才能が開花したのだろうか、彼女の腕はめきめきと上達していった。 そんなある日、ミレダは途切れ途切れに子どもの泣き声を聞いた。 宮殿内の衛兵や侍従の居住区域には無論その家族と子どもも住んでいるが、それが後宮まで聞こえてくるはずはない。 けれど悲痛な声は途切れ途切れに響いてくる。 どうしてもそれが気にかかり、ミレダは姉に尋ねた。 だが、メアリは予想に反してこう答えた。 私には、何も聞こえない、と。 自分がどこかおかしくなってしまったのだろうか。 一人思い悩むミレダの耳に入ってきたのは、うわさ好きな侍女達の他愛のないお喋りだった。 この間、皇都で一斉に行われた敵国の密偵の取締りで、一人の子どもが捕まったらしい、と……。 もしかしたら。 そう意を決し、ミレダは師であるジョセに相談した。 いかに親が敵国に連なる者だったとはいえ、その子供に罪はないはずだから納得がいかない。 何とかする事は出来ないか。 けれど、その言葉を受け止めるジョセの表情は厳しかった。 不安げにこちらを見つめてくる皇女に、ジョセは重い口をようやく開いた。 「恐らく、その子は正規の裁きは受けていないでしょう。我々が救い出しても誰も異を唱えることは出来ないと思われます」 その言葉に、ミレダの顔に一瞬安堵の表情が浮かぶ。 が、ジョセは目を伏せ首を横に振った。 「問題はその後です。果たしてその子は、まだ正気を保っているかどうか……」 ジョセはミレダとは
last updateLast Updated : 2025-03-30
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─9─間者の子

庭園を走ることしばし、突然草むらががさがさと揺れる。 剣を構え恐る恐る歩み寄るミレダであったが、ややあってその顔には安堵の表情が浮かんだ。 「師匠様、こんな所で何を?」 そう、そこに身を隠していたのは他でもなく、ミレダの師アンリ・ジョセだった。 その頬には無数のひっかき傷が赤く浮き上がり、噛みつかれたのだろうか、歯形が残る手には、マントにくるまれた何かを抱いている。 「……お陰で助かりました。侯の懐に飛び込むなど、殿下のご命令とはいえ我ながら無茶をしたものです」 武人らしからぬ穏やかな灰色の瞳に苦笑に似た光を浮かべるジョセ。 慌ててミレダは駆け寄り、その腕の中に納まっている物をのぞき込み、思わず手にしていた剣を取り落とした。 抱かれていたのは他でもない、全身に傷を負った少年だったからである。 そんなミレダに、ジョセは既に司祭館には沐浴と薬師の手配はしてある、と告げた。 「宰相の懐……? では、西の塔へお一人で?」 西塔はルウツ国内にある牢獄でも最も劣悪な環境と言われる所だ。 そして今目の前で苦笑を浮かべているジョセは中に潜り込み『その子』を助け出してきたのである。 正規に裁かれることなく捕らわれた敵国の間者の子どもを。 「よりにもよって、最下層に押し込められていました。殿下のおっしゃる通り、確かに子どもに対してこの仕打ちは……」 そう言いながらジョセはその子どもの顔を見やりながら唇を噛んだ。 乱れたセピアの髪に、涙の後が残る血の気のない白い顔。 そして身体の至る所には非公式な『尋問』によるあらゆる種類の傷が刻まれ、更に両手首と首には重い枷がはめられていた。 「師匠様、何故これを外してやらないのですか? こんなに血が滲んでいるではありませんか」 「そうですね……頭の固い彼らがこのような『呪術』を信じるとは思いませんでしたが」 その言葉の意味が分からず、改めてミレダはおずおずと師の腕の中に納まっている少年を見やる。 その時初めて、重く冷たい金属で作られた枷には、びっしりと古代文字が刻まれているのに気が付いた。 「『力封じ』の呪符です。これほどまでに厳重な物は、私も初めて見ました」 ぴくりとも動かない死んだようなその顔を、ミレダは同情とも哀れみとも言い難い複雑な思いを抱いて見つめる
last updateLast Updated : 2025-03-31
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─10─ 皇女と少年

数日後、意識を取り戻した少年は司祭館に孤児として引き取られたのだが、その様子は生きているだけの人形の様だった。 寝台に横たわったまま、身動きすることなく虚ろな瞳で天井を見つめている。 口許まで食事を近づけられても全く反応を示さない。 命を繋ぐため、看護役の神官が無理矢理に飲み込ませるという状態だった。 傷が治って、ようやく自力で起きあがれるようになってからも、他の子ども達の遊びの輪に入っていくこともない。 『殺意の暴走』という同じ過ちを繰り返さないようにとの配慮で、首から下げられた『まじない』の呪符を常に握りしめ、笑うこともなければ、泣くこともない。 日々言葉無く虚ろな視線を空(くう)に向けるだけだった。 そして、彼は未だ、自分の名前を尋ねられても答えようとはしなかった。 家族という何ものにも代えがたい拠り所が、突然破壊されたのだ。 何の前触れもなく、しかも目の前で。 当然と言えば当然のことなのかもしれない。 だが師との約束を守るため、ミレダはそんな彼をどうにか現実世界へ引き戻そうと頻繁に足を運んで様々なことを話しかけた。 けれど彼は、やはり何の反応も見せなかった。 ある日ミレダはいつものように少年の所へ向かう途中、最も会いたくない人物と鉢合わせしてしまった。 そう、宰相マリス侯と、その取り巻き達だ。 「これは殿下、ご機嫌麗しく拝見し喜ばしい限りです」 うわべだけの礼儀正しい言葉に、ミレダは無言で頷く。 そのころ父である皇帝は病の床にあり、ルウツの実権は完全にマリス侯の手に落ちていた。 慇懃(いんぎん)な態度とは対照的な勝ち誇ったような視線から逃げるように、ミレダはそのまま目を伏せる。 けれど唐突にミレダはある事を思った。 こんなことで飲まれてはいけない。 立ち向かわなければ、あの少年を助けることができようはずもない、と。 ミレダは、思い切ってマリス侯を見上げる。 そして、大きく息を吸い込んでから、ひと息にこう言い返した。 「侯の陛下に対する忠義、父上に変わって礼を言う。今後もルウツのため、尽力してほしい」 強がっているのは誰の目にも明らかだった。 けれどこれがミレダに出来る精一杯の抵抗だった。 生意気ともとれる幼い少女の言葉に、マリス侯の顔に僅かながら皮肉な
last updateLast Updated : 2025-04-01
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─11─ いびつな心

ささいなきっかけで自我と言葉を取り戻した少年は、大司祭直々に神官となるべく修練を始め、ミレダと共にジョセの手ほどきで剣を学ぶようになった。 しかし、意外なことに剣術においてはすぐにミレダと対等に打ち合いが出来るようになったが、神官の領域では『司祭並みの力は持っている』にもかかわらず、全く成長の兆しがなかった。 成人する直前、未だ神官としては最下位の修士の位についていた彼は、ある選択を迫られていた。 このまま司祭館に残り修練を続け、一つ上の位である導士となった後、神官騎士団に入るか。 或いは司祭館を出て、直接皇帝に仕える通常の武官となるか。 正直、ミレダは彼に前者の道を選んで欲しいと思っていた。 そう口添えをして貰うべく、カザリン・ナロードに彼女は訴えたが、大司祭は僅かに顔を曇らせて言った。 あの子は子どもの頃の悲しい事件で、『聖職者』である以前に『人間』として生きるために必要な何かが欠落してしまっている。 そして本人もそれに気付いているが、その隙間を彼自身が埋めようとはしない、と。 それを聞いたミレダはすぐさま、自室で『祈りの書』を黙読する彼の元へ向かった。 お前にはそれだけの能力があるのに、どうして生かそうとしないのか。 血相を変え、そう怒鳴り込んできたミレダに、彼は本を閉じながら素っ気なく言った。 自分は武官になるつもりだ、と。 「そんな……そうしたら、乱戦にかこつけて味方に……宰相の息のかかった奴らに殺されるのが関の山だぞ!」 そう主張するミレダに、彼は常の如く表情を変えることはない。 そこまで見くびられているとは思わなかった、とうそぶいて見せてから、藍色の瞳をミレダに向けた。 「どのみち、俺は司祭……聖職者になるには致命的な禁忌を犯してる。このままここで燻っていてもあなたや猊下から受けた恩に報いることはできない。だから武官となるほうを選ぶ」 そう言い放つ彼に、全く迷いは感じられなかった。 その時、ようやくミレダはあることに気がついた。 自分は彼を『助けた』のではなく、彼とは全く関わりのないはずだった宮廷内の権力闘争という名の、最も陰惨で悪意に満ちた物に『巻き込んで』しまったのだと。      ※ 以来二年半。 初陣から今まで、彼は未だ敗戦を知らない。 皇都に溢れる『由緒
last updateLast Updated : 2025-04-02
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─12─ 密談

「……万事予定通りに運んでおります。この様子ですと、間もなく戦闘開始となりましょう」 美しい女帝が報告書の末尾まで目を通した頃合いを見計らい、宰相はかしこまってそう告げる。  ルウツ皇帝メアリは無言でうなずき、手にしていたそれを宰相へ向け差し出した。 恭しくそれを受け取る自分よりも遥かに年長の重臣に、メアリは小首をかしげながら尋ねた。「確かに、今の所はそなたの予定通りのようですが……混乱をきたすという戦闘中に、そう容易(たやす)く行きましょうか?」 皇帝の言葉を受け、宰相は恐れながらと前置きをした上でこう述べる。「混乱しているからこそ、実行が可能ではないかと思われます。無論、例の者が万一失敗したときの手はずも滞りなく……」 その返答に、メアリは無邪気と言ってもいい微笑を浮かべた。「さすがに、これまで権力の中を泳いできただけのことはありますね。では、あえて聞きますが……」 何なりと、とかしこまるマリス侯に、メアリは少々意地悪な口調で問いかける。「『彼』が無傷で戻ってきた場合は、一体どうするのです?」「その時に応じた然るべき手段を取るまでです。陛下におかれましては、何もご心痛に及びません」 生真面目に頭を垂れ、自分の娘ほどの年齢の女性に対し臣下の礼を取る宰相。 そんな忠臣に、メアリはあどけない少女のような表情で答える。「わかりました。この件に関してはそなたに全て一任します。……それにしても」 ふっと、唐突にメアリは溜息をつく。 今度は宰相が首をかしげる番だった。 けれど、それを意に介すことなくメアリは独白のように続ける。「あの子も本当に物好きね……。あの時妙な気さえ起こさなければ、今頃誰も苦しまずに済んだのに……」「ですが、殿下の陛下に対する忠義のお気持ちは、他に類を見ないほどとお見受けいたしますが……」「確かに、この国と私を大事に思う気持ちは、誰よりも強いでしょうね。けれどそれが必ずしも最良とは限らないでしょう?」 謎かけをするようにそうつぶやく女帝は、まるで幼い少女のような微笑を浮かべている。 だが、その心の内に宿すものは子どもの持つ純粋さではなくて、幼い者が持つ独特の残酷さだった。 唯一女帝のそんな危うい一面を知るマリス侯が恐縮するように同意を示すと、メアリはつぶやく。「何も知らない方が幸せなときもあると、早く気が付
last updateLast Updated : 2025-04-03
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─13─ 対話

当初の予定通り、別働隊が先陣を切って敵とぶつかったという報告が本隊にもたらされた。 予想以上に早い到達に、敵は総崩れとまではいかなかったものの、いったん引いて陣形を立て直し、味方の到着を待っているかように見えるという。 ならば、その前に叩き潰してやればいいんだな、そうシーリアスがうそぶくと、周囲はどっと沸き立った。 その頃ユノーの剣技や馬術は、歴戦の勇者とは行かないまでも並みの騎兵と遜色ない物になっていた。 その事実に一番驚いていたのは、他でもないユノー本人である。 戸惑うユノーに僅かに苦笑を浮かべながら、命令を下した張本人の司令官は言った。 虫も殺せないような優しい顔をしていても、その中に流れる血は紛れもなく武門の家柄のそれだったのか、と。 明日にも本隊が戦場に到達するだろうという段になって、シグマが何気ない口調で前を行く司令官に尋ねた。 「大将、何で坊ちゃんにまともな攻撃方法を教えないんですか?」 素質はあるんだから、と言うシグマに指南役だったカイもうなずき同意を示す。 事実、ユノーはこの行軍の間にカイから教えられた防御の基本形を全て拾得していた。 その剣技はカイの剣のみならず、シグマの戦斧をも弾き返すほどにまで上達していたのである。 だが、そんな両者にセピアの髪の司令官は肩越しに素っ気なく答える。 「取りあえず今回はお預けだ。あせって付け焼き刃で覚えても逆効果になる。前にも言ったがな」 第一、初陣の仮騎士待遇に頼るようでは蒼の隊の名がすたる、と皮肉に笑って見せた。 心外、とむくれるユノーに、シーリアスはやはり肩越しに言う。 「戦力外と言っている訳じゃない。貴官が防御に徹してくれれば、充分俺達が戦える。生きて帰ればこの先いくらでも機会は転がっている。何も急いで手を汚すこともないだろう?」 「けれど……自分も一応、隊の一員として……」 「生半可な知識で人を殺しても、下手をすれば混乱に陥るのがオチだ。敵の攻撃より、そっちの方が洒落にならない」 「……それが殺意の暴走、なのですか?」 恐る恐る尋ねるユノーに、シーリアスはうなずいた。 「そうなったら敵も味方もあった物じゃない。前にも言ったが、自分以外の連中はみんな仲良くあの世行きだ。無事に帰れたら、そのうち教えてやるから、取りあえず今回は生き残ってみ
last updateLast Updated : 2025-04-04
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