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─9─間者の子

Penulis: 内藤晴人
last update Terakhir Diperbarui: 2025-03-31 20:30:00
庭園を走ることしばし、突然草むらががさがさと揺れる。

剣を構え恐る恐る歩み寄るミレダであったが、ややあってその顔には安堵の表情が浮かんだ。

「師匠様、こんな所で何を?」

そう、そこに身を隠していたのは他でもなく、ミレダの師アンリ・ジョセだった。

その頬には無数のひっかき傷が赤く浮き上がり、噛みつかれたのだろうか、歯形が残る手には、マントにくるまれた何かを抱いている。

「……お陰で助かりました。侯の懐に飛び込むなど、殿下のご命令とはいえ我ながら無茶をしたものです」

武人らしからぬ穏やかな灰色の瞳に苦笑に似た光を浮かべるジョセ。

慌ててミレダは駆け寄り、その腕の中に納まっている物をのぞき込み、思わず手にしていた剣を取り落とした。

抱かれていたのは他でもない、全身に傷を負った少年だったからである。

そんなミレダに、ジョセは既に司祭館には沐浴と薬師の手配はしてある、と告げた。

「宰相の懐……? では、西の塔へお一人で?」

西塔はルウツ国内にある牢獄でも最も劣悪な環境と言われる所だ。

そして今目の前で苦笑を浮かべているジョセは中に潜り込み『その子』を助け出してきたのである。

正規に裁かれることなく捕らわれた敵国の間者の子どもを。

「よりにもよって、最下層に押し込められていました。殿下のおっしゃる通り、確かに子どもに対してこの仕打ちは……」

そう言いながらジョセはその子どもの顔を見やりながら唇を噛んだ。

乱れたセピアの髪に、涙の後が残る血の気のない白い顔。

そして身体の至る所には非公式な『尋問』によるあらゆる種類の傷が刻まれ、更に両手首と首には重い枷がはめられていた。

「師匠様、何故これを外してやらないのですか? こんなに血が滲んでいるではありませんか」

「そうですね……頭の固い彼らがこのような『呪術』を信じるとは思いませんでしたが」

その言葉の意味が分からず、改めてミレダはおずおずと師の腕の中に納まっている少年を見やる。

その時初めて、重く冷たい金属で作られた枷には、びっしりと古代文字が刻まれているのに気が付いた。

「『力封じ』の呪符です。これほどまでに厳重な物は、私も初めて見ました」

ぴくりとも動かない死んだようなその顔を、ミレダは同情とも哀れみとも言い難い複雑な思いを抱いて見つめる
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