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All Chapters of 純愛リハビリ中: Chapter 31 - Chapter 40

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第三十一話

 身体が目的ならば、ここで顔色が変わるはずだけれど、戸羽さんは笑顔を曇らせることなく、「楽しみだな」と返事をした。  ガツガツしたところを見せない戸羽さんのようなタイプの人には、素直に好感が持てる。  何時にどこで待ち合わせをするか決めようと思った矢先に、戸羽さんのスマホが着信を告げた。 「ちょっとごめん」と断ると、戸羽さんはその場で電話に出たのだけど、ものの数秒で通話を終わらせ、あわてたように椅子から立ち上がった。「咲羅ちゃん、ごめん。病院から呼び出しが来たから行かなきゃ。急患なんだ」 お医者様はこういうケースがあるから大変だ。  戸羽さんが頼んだウイスキーは、ほんの少し口を付けた程度だから、中身はほとんど残ったままなのに。  だけど今から診察をするのなら、お酒をたくさん飲んでしまう前で良かったと思う。「また連絡するから」 「わかりました」 戸羽さんがあわただしく店を出て行くと、途端に静寂に包まれた。  だけど元々今日はひとりで飲みに来たのだから、これで普通なのだ。「……土曜、行くの?」 しばらくしてから、マスターが心配そうに声をかけてきた。「行きますよ。向こうから連絡があれば、の話ですけど」 戸羽さんがまた連絡すると言っていても、もしなかったとしたら、土曜日の話は自然と流れるのだろう。  申し訳ないけれど、私にとって戸羽さんは絶対にまた逢いたい相手ではないから、私からわざわざ連絡はしない。「さっきの感じだと、連絡はあるはずだよ」 「そうですかね?」 「そうだよ。それに……昼間のデートでも、立派な狼に変身されるかもよ?」 マスターが意味ありげな顔で悪戯に微笑んだ。油断禁物だと言いたいのだろう。「いやいや、ないでしょ。戸羽さんは見るからに、草ばっかり食べてる草食系な感じがしませんでした?」 「は? まったくしなかった! 咲羅ちゃんは男をわかってないな」 あきれた溜め息と共に、マスターはダメだとばかりにフルフルと首を小刻みに振っている。  マスターの言う通りで、わかってないから私は今まで失敗続きだったのだ。  私に男運がなく、自信を持って恋愛だと呼べるものから遠ざかっているのは、そこに原因があるように思う。「大丈夫ですよ。この前の暴力男みたいな失敗はしません」 本城みたいな男との修羅場は二度とご免だと、それだけは
last updateLast Updated : 2025-04-11
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第三十二話

「白井、今夜みんなで飲み会な?」それから二日経った金曜日の午後、突然私に言い逃げしようとする重森を、ちょっと待てと捕まえる。「急になに?」 「時枝さんのこっちでの勤務が今日までだから、最後にみんなで飲みに行こうってさ。俺もさっき聞いたばっかり」誰が言いだしたか知らないけれど、そういうことはもっと計画的に決められないのかとあきれてしまう。思いつきにもほどがある。「私、パスする」「 なんで?」「 だって......」この一週間、時枝さんと私は一緒に仕事をすることはなかったし、今後も彼女と個人的に親交を深めたいなどとは思っていないからだ。 それに彼女だって、私が行ったところで愛想よく会話などしないだろう。 彼女の目当ては、ただひとりなのだから。「だいたいね、いきなり飲み会って言われても、みんなにも都合があるでしょ」恋人とデートの予定がある人もいるだろう。 その飲み会に何人が参加するのか知らないが、私はとくに予定がなくても行きたくない感情が先走った。「白井はなにか予定あるのか?」「 ないけど......行きたくないの」 「そう言うなよ。行かなきゃなんとなく角が立つだろ?」今更角が立ったとしてもかまわない。 私はそういうのは元から気にするタイプではないから。 それが気になるようなら、あんなにひどい噂を流されているこの会社に勤めていられない。「じゃあ、俺とふたりでどこか行く?」その理由なら飲み会には不参加でいいとでも言うのだろうか。 バカバカしくなって、自然と小さく溜め息が出た。「絶対無理」 「あのな、絶対とか言うなよ。俺だって傷つく」傷ついたフリをしても無駄だとばかりに、重森をギロリと睨んだ。 重森の言う“どこか”は、ホテルしか考えられないからだ。「重森と“どこか”行くくらいなら、仕方なく飲み会に出る。でもすぐに帰るからね。私、明日デートだから遅くなりたくない」 「え? 俺というものがありながら、ほかの男とデート?!」「そう、デートなんですよ。ていうか、重森と私はなんの関係もないんだから、誤解されるようなことは間違っても言わないで」私がビシっと指をさして言い切ると、重森はケラケラと笑っていた。結局あのあと、きちんと戸羽さんから丁寧なメッセージが来て、土曜日の待ち合わせの時間と場所を決めた。 そのデートが明日に迫
last updateLast Updated : 2025-04-13
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第三十三話

 私たちより少し遅れて斗夜と時枝さんが座敷に入ってきて、たまたま私と史香の向かいが空いていたのでそこに座った。  このときばかりは失敗したと思った。  私もなにか理由をつけて遅れ、出入り口に一番近い下座にちょこんと座ればよかった。この位置だと、ふたりが丸見えだから。 仏頂面とまではいかないが、愛想のない表情で私はジョッキをかかげて乾杯した。  堅苦しい上司のいない飲み会のため、同僚たちは最初から砕けまくっていて、ほどなくすると酒に酔った男性社員たちがガハハと下品な笑い声を上げ始めた。  私はずっとうつむき加減でビールを飲んでは料理に手を伸ばし、意識的に斗夜たちのほうを見ないように心がけた。  正直に言うと、ふたりを視界に入れたくなかった。  どうして仕事のあとまで見せつけられなきゃいけないのかと思うと腹立たしい。 斗夜と一切視線を合わせず、ふたりの会話もできるだけ聞かないようにシャットアウトしていた。  その方向だけ聴力を遮断できるなんて、我ながら素晴らしい能力だ。「白井さん、お疲れ様でした。一週間ありがとう」 だけど、斜め前に座る時枝さんが笑顔で私に話しかけてきた。  せっかく気配を消していたのに、無駄になってしまった。「いえ……私は別に。お疲れ様でした」 私も社会人であり大人だから、例えこの一週間、とくに彼女と関りがなかったとしても、愛想笑いをして無難に挨拶を済ませる。  意識的に見ないようにしていたのに、なんとなく視線を感じた方向に顔を向けた私は、時枝さんの隣に座る斗夜とバチっと目が合ってしまった。  斗夜は不機嫌さを含んだような顔で、なにか私に文句でもありそうだ。「八木沢くんとね、この前会社帰りにバーに行ったのよ。八木沢くんの友達がマスターをやってるお店」 私は時枝さんとほとんど話をしたことがないのだけれど、彼女は心のこもっていなさそうな話し方をし、すごく裏がありそうな作り笑いをする人だ。  私の苦手なタイプの女性なのだろうと敏感に感じ取ってしまい、自然と警戒して自己防衛のためにバリアを張ってしまう。「マスターが言ってた“咲羅ちゃん”って、白井さんのことなんだってね?」 バーで私のことを話すなんて、なにを考えているのだと、一瞬斗夜を横目で睨んだ。「私が前から通ってたバーのマスターが、偶然八木沢さんとお知り合いだっ
last updateLast Updated : 2025-04-14
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第三十四話

 マスターの愛想笑いした顔を思い浮かべ、私は小さく息を吐きだした。  時枝さんの口ぶりからすると、マスターはわざと私の話をしたのではないだろうか。  なぜそんな行動に出たのか私には意味不明だけれど、同僚から妙な誤解をまた受けるのかと思うと気が滅入ってくる。  噂なんか気にしないとはいえ、事と次第によってはマスターに文句のひとつでも言わないといけない。「そんなわけないじゃないですか。マスターが私を……なんて」 「あら、そうかしら?」 時枝さんはわざわざ私に顔を寄せ、ニヤリと意味ありげに笑う。  その顔がわざとらしくて、私は背筋がゾクリとした。  やはり彼女は、私が一番不得意なタイプの女性だ。「今度デートに誘ってみたらどう? きっとマスターは喜ぶわよ。お似合いだと思う」 時枝さんが隣で大人しく聞いていた斗夜に同意を求めると、彼は一瞬曖昧に微笑んで私に視線を向けたけれど、その瞳は不機嫌そうだった。  そんな顔をしていないで、なにか反論してくれればいいのに。 それにしても、時枝さんの思い込みの話はもう聞きたくない。  私とマスターはお互いにその気がないのに、くっつけようとしているのだろうか。「私とお似合いなんて言われたら、マスターが気の毒ですよ。それに私は、違う人と明日デートなので」 時枝さんの目の色が変わったのを見て、しまったとすぐさま後悔の念が押し寄せた。  彼女の言動にイラっとしたとはいえ、これでは自ら新しい火種を撒いてしまったのと同じだ。「え?! 明日デートなの? 白井さん、付き合ってる彼がいたの? どんな人?」 たちまち時枝さんから質問の集中砲火を浴びせられたけれど、これは不用意な発言をした自分が悪い。「彼氏ではないです。デートも明日が初めてなので」 「イケメン?」 「……普通じゃないですかね? 眼鏡をかけてて知的な感じの人です。お医者様なので雰囲気も落ち着いてるかな」 私が笑顔もなく淡々と答えていても、時枝さんの食いつきぶりがすごくてウンザリする。「お医者様なの?! さすが白井さんね。勤務医だとしてもなかなかの高収入じゃないの!」 戸羽さんは見た目も中身もインテリで大人だし、物腰や雰囲気が柔らかくて落ち着いている。  その人物像を私は正直に話しただけなのに、彼女の言った“さすが”という言葉が私の中でどうしても引
last updateLast Updated : 2025-04-16
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第三十五話

 時枝さんはにっこりと笑っていたけれど、私にはまるで鼻で笑われたように感じた。  先ほどの“さすが”という言葉は、思った通り良い意味ではなく、高収入な男を狙うあざとい女、とでも言いたいのだろう。  これは私の被害妄想ではなく、確実に当たっている。「仕事がお医者様だからとか、関係無いです」 「え……そんなことないんじゃない?」 だから嫌いなのだ。  裏表が激しそうで陰口が大好きな女性は、話すと虫唾が走るし吐きそうだ。  早くこの場から立ち去りたい。「白井さんは……違いますよ」 今の今まで黙ったままで、助け舟をまったく出さなかった斗夜が、深いブラウンの髪をかきあげて突然口を挟んだ。「彼女は時枝さんが思ってるような“拝金主義”ではないです」 真顔でトゲを含んだような彼の言い方が冷たくて、いったいどうしたのかと私が驚いた。  現に、時枝さんの様子をうかがい見ると、カっと瞬時に顔が赤くなり、こめかみ辺りがヒクヒクしている。  彼女は今まで頑張って作り笑いしていたのに、この一瞬で仮面が剥がれるように崩れた。  今は彼女とは逆に、斗夜のほうが薄っすらと不敵な笑みを浮かべていて少々怖い。  だけど斗夜は、確実に私の味方をしてくれたのだ。  そう考えたら少なからず胸が疼いて、彼の言葉に感動しているのだと思い知らされる。「な、なによ、八木沢くんまで。白井さんは噂通り、男を手玉に取るのがお上手のようね」 なるほど、と彼女の発言で合点がいった。  最初から私を蔑(さげす)むように上から目線だったのは、社内の噂を聞いたからだ。「私は誰も手玉に取っていませんし、あなたにバカにされるような覚えも一切ありません。あなたのせいで気分が悪いので私は帰ります」 いくら先輩だと言えど、ここまで侮辱されて、なぜこの場にまだ居なければいけないのかと思うと、限界だった。  この飲み会が就業後の任意のもので、強制ではないのなら、堂々と帰らせていただく。「かわいくないわね」 バッグを持って立ち上がった瞬間、背後から彼女の言葉がボソリと聞こえ、振り向くと作り笑いが面白いように消えた時枝さんと目が合った。「あなた、そんなだから敵を作るのよ。自分が社内でなにを言われてるか、知らないわけないわよね? 私もここに来た初日に聞いたもの。あなたはこの支社の誰もが知る有名人になっ
last updateLast Updated : 2025-04-18
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第三十六話

『そんなだから敵を作るのよ』 先ほどの時枝さんの言葉が頭の中で響いていた。  理由は、痛いところを突かれたからだろう。  その部分は、彼女の言う通りなのだ。  多少嫌な発言をされても、我慢して笑顔を作り、平然と耐えていればもう少し人間関係はうまくいくのかもしれない。 私は正直にすぐに顔に出るし、器用にお世辞も言えないから、それが完全に裏目に出ている。  自覚はあるけれど、彼女がやっていたようにわざとらしい作り笑顔をしようとしても、顔が引きつってしまうのだ。  それに、正直な態度のなにが悪いのかと思っている。「咲羅……」 頭の整理がつかなくて、座敷から出て無意識に立ち止まっていたら、後ろから私の名を呼ぶ声が聞こえた。「大丈夫か?」 振り返ると、心配そうな顔をして斗夜が立っていた。「大丈夫……なわけないでしょ」 私はひとことだけ言い残し、逃げるように店の出口へと向かう。  だけど斗夜が足早に追いついて来て、彼は私の手首を掴んでそのまま店の外へと出た。「ちょ、ちょっと!」 狭い路地へ引っ張り込まれ、そのまま彼の広い胸に閉じ込められる。 あんな風に正面きって罵(ののし)られ、気持ちはズタズタだから、やさしくされたら堪えている涙が溢れそうになる。「止めてやれなくて悪かった。時枝さんは本社で世話になった先輩だから、遠慮があった。でも……そんなの関係ないよな。ごめん」 最後まで言い終わらないうちに、斗夜は私を抱きしめる腕に力を込めた。  彼のスーツからは心地良い香りがして、この腕から抜け出したくないと思ってしまいそうになる。「斗夜はちゃんとフォローしてくれたよ。私が拝金主義じゃないってかばってくれた」 あの発言が彼女のトゲをさらに鋭くした要因ではあるけれど、援護してくれたことはうれしかった。「相手が医者だなんて言ったのは失敗だったな」 斗夜の言う通り、口は禍の元で、私が余計なことを口走ったのがいけなかった。「行くのか?」 「なんの話?」 「明日、医者とデートなんだろ?」 私は無表情でコクリとうなずいた。  明日は普通の健全デートだから、別にやましくはないと、自分の中で言い訳をする。「彰も心配してた」 「マスターが?」 「ああ。俺にわざわざ連絡してきたからな」
last updateLast Updated : 2025-04-20
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第三十七話

 マスターは私と戸羽さんのことを斗夜に密告したらしい。  物静かな人だと思っていたけれど、どうやらおせっかいな面もあるようだ。「『咲羅ちゃんは草食系だって豪語してるけど、俺にはそう思えない!』って、興奮気味に電話をかけてきた。時枝さんが言ってたこと、あながち間違っていないのかもな」 「え?」 「……彰、咲羅に気があるのかも」 どうして時枝さんの発言を真に受けるのかと、私は腹が立ってしまう。  キュっと眉間にシワを寄せ、不快だと言わんばかりに斗夜を見上げれば、深いブラウンの髪の隙間から覗く瞳と視線が絡んだ。「バカなこと言わないでよ。マスターは単純に私を心配してくれただけでしょ」 「そうかな?」 「そうに決まってる」 斗夜が再び私の背にまわしていた腕の力を強めた。  ギューっと抱きしめられ、自然と斗夜の逞しくて温かい胸板にピタリと密着してしまう。  その行為に、今更私の心臓はドキドキと早打ちを始めた。「今週は時枝さんが来たから思いのほか仕事が忙しくて、連絡出来なくて悪かった。けど……ほかの男とデートってひどくないか?」 「……は?」 斗夜の言葉の意味がまったくわからなくて、なにを言ってるのだろうと、思わず素っとん狂な声を上げてしまった。  どうして私がひどいのだろうか。「なにもひどくないでしょ。私たち、付き合ってるわけじゃないんだから」 「…………」 「それを言うなら、時枝さんをあのバーに連れて行くことないじゃない。ひどいのはどっちよ」 あのバーは、“私たちの隠れ家”なんて言うつもりはないけれど、唯一私がほっこりできる場所だった。  だけど斗夜に気がある時枝さんを招き入れたことで、あの空間の雰囲気を変えられた気持ちになってしまった。「悪かったよ。もうしない」 耳元から響く斗夜の低い声が、脳まで浸透していく。  やさしくて甘い声が聞こえたらなにも考えられなくなって、強く抱きしめられていることに違和感がなくなった。  斗夜の胸板に自分自身が溶け込んでしまいそう。「だから………明日のデートは辞めてくれないか?」 抱きしめられていて顔は見えないけれど、彼はきっと切ない表情をしているのだと声でわかってしまった。「なんで……そんなこと言うの」 このタイミングと体勢を考えたら、その発言はずるい。どうしても期待してしまうから。
last updateLast Updated : 2025-04-22
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第三十八話

 斗夜にとって、リハビリ相手である私は必要なくなった。  でもどうして私までリハビリを中止しなくてはいけないのか。  斗夜が辞めるなら、私は違う相手で続けるまでだ。  真剣な恋ができるように、そのやり方を思い出せるようにと、せっかく始めたことなのだから。  リハビリから先に卒業できた斗夜は、以前傷つけてしまった元カノに思いを告げればいい。「誤解だよ。連絡できなかったのは仕事が忙しかったせいだ。それはホントだから」 火曜日に時枝さんとバーに行く時間はあったのに? などと考える私は、意地が悪い。  それを実際に口にしなかっただけマシだけれど。「だから、行くなよ……」 斗夜の瞳がゆらゆらと揺れていて、心配と不安と切なさが入り混じっていた。  だけど私は、それに気づかないフリをする。「行くよ。約束しちゃったもの」 「咲羅……」 私は小さくつぶやいて斗夜に背中を向け、路地裏から表通りに出た。  抱きしめられていたときからずっと、心臓が掴まれたように痛くて、熱い頬が元に戻らない。  人の心をこんなに掻き乱せるのだから、斗夜がモテるのは当たり前だ。  無心になろうとすればするほど、至近距離で囁かれた斗夜の甘い声が耳から離れないままだったけれど、私はそのまま家路を急いだ。 家に帰ってシャワーを浴びた直後に、テーブルの上のスマホが着信を告げていることに気づいた。  私は画面に表示された相手を確認し、人差し指でスライドさせる。『咲羅、今ひとりなの?』 電話をかけてきたのは史香だった。  私がひとりでいるのかどうかなんて、いつもは気にしたことがないのに、なぜ聞くのだろうと思ってしまう。「帰ったんだからひとりだよ」 『そっか。八木沢さんもすぐに出て行ったから……』 私が居酒屋の座敷を出たあと、すぐに斗夜が追いかけて来たから、今もふたりで一緒にいるのかもしれないと考えたのだろう。『大丈夫?』 「なにが?」 『時枝さんが居酒屋できついこと喚(わめ)いてたでしょ。あの人、性格悪そうだもん』 史香の言葉を聞いて、私が抱いた時枝さんのイメージと同じだったことに軽く笑いがこみ上げた。  重森と話し込んでいた史香は、私たちの話は聞こえていないのかと思っていたけれど、最後のほうは時枝さんの声が大きかったから、自然と耳に入ってきたのだろう。「大丈
last updateLast Updated : 2025-04-23
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第三十九話

 悪く言われたくはないけれど、万人に私を受け入れてもらえるなんて、さすがに思っていないから、私は史香のような人を大切にできればそれでいい。  仲良くできる人は少数でもかまわない。『あの人、咲羅がモテるから妬いてるんだろうね』 「……私、別にモテてないよ」 『自覚症状なしですか』 私を笑わせるために一定のトーンで言葉を発する史香がおかしくて癒される。『重森がさ、今日私に泣きついてきたよ? いくら咲羅を口説いても、デートどころかまったく相手にされないって』 「……は?」 重森と話している内容が自分のことだったなんて思わなかった。  私はどういうことかと、スマホから聞こえる史香の話を集中して聞いた。『明日は他の男とデートするみたいだから、俺はやっぱり脈なしなのか? って、私は延々と愚痴を聞かされたんだから!』 「……そうだったの」 『重森も咲羅と一緒で誤解されやすいみたい。たぶん……あんまり遊んでないよ、アイツ。咲羅のこと、けっこうマジで好きみたい』 ―――― 重森が? そんな、まさかだ。 いつも彼の誘いは、ふわっと飛んで行きそうな綿雲のように軽かった。  なので、そこに少しでも真面目な思いが含まれているなどと、私は考えたこともなかった。  私はもしかして、今まで重森に対してかなりひどい態度だったのだろうか。『重森、八木沢さん、バーのマスター、戸羽さん。これでモテてないなんて言わせないからね? で、結局咲羅は誰にするのよ』 「……え?!」 いきなり四択を迫られても、どこから突っ込んでいいか頭がついていかず、思わず声が裏返った。「ちょっと、なに言ってるの」 『あはは。マスターの話も聞こえてきちゃったもん』 居酒屋での時枝さんの発言を、史香はけっこう漏らさずに聞いていたようだ。  重森と話しながら小耳に挟むなんて、器用だなと感心してしまう。「マスターは全然そんなんじゃないよ」 『そうなの? まぁ、重森は元からないとしても……あとは、八木沢さんか戸羽さんね』 ……あっという間に二択に減った。  史香の言葉で、斗夜と戸羽さんの顔が交互に思い浮かぶ。 バーで戸羽さんと偶然再会して、土曜日にデートの約束をしたことは、史香には翌日の朝にすべて話した。  戸羽さんと今までに会ったのはたったの二回で、ふたりきりでデートするのも明日
last updateLast Updated : 2025-04-23
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第四十話

 斗夜は去り際になにか言ってから出てきたようで、それは私に関することだと思うから内容が気になってしまう。「なにを言ったの?」 クスっと電話口で思い出し笑いをする史香とは反対に、私はスマホを持つ手がわずかに震えた。『白井さんの噂は彼女をやっかんだ人が言いふらしたんです。あなたは彼女のなにを知ってるんですか? 彼女を傷つけて侮辱するような発言は、例え先輩でも俺は今後一切許しません!……って言ってた』 まるで魂を抜き取られたみたいに、私はボーっと聞き入ってしまった。  喉が急に熱くなってきて、声がうまく出て来ない。『あの時、確信しちゃった。八木沢さんも咲羅が好きなんだ、って』 斗夜が時枝さんに対してそんなことを言ったなんて信じられない。  この一週間、ふたりは蜜月に見えていたのに。『どう考えても咲羅に気があるとしか思えない。あの場に居た人はみんなそう感じてたよ。私の隣にいた重森なんて口があんぐりと開いてたわ。たぶん、八木沢さんには勝てないって思ったんだろうね』 ……違うよ。斗夜は私と同じでリハビリ中だもの。  彼には純粋に心から好きだと思える恋愛ができない欠点がある。  身体の関係にはなれても、相手と本気で心を繋げられないのだ。  今はその欠点を治すためにリハビリをしているのに、私を好きだなんて感情が簡単に芽生えるわけがない。  それは史香が彼をわかっていないだけだと思う。『私は重森だけじゃなくて、八木沢さんも慰めなくちゃいけないのかな? そうなったら重森なんて放っておくけど』 「……へ?」 『だって咲羅は明日の戸羽さんとのデートに乗り気なんでしょ? 重森が肩を落として言ってたよ』 別に乗り気じゃないのに、と私は重森を思い浮かべて口をとがらせた。  どうして史香が誤解するようなことをわざわざ言うのだろう。『明日のデート、どうなったか報告待ってるよ』 史香がフフフと楽しそうに笑い声を漏らす。「戸羽さんは、穏やかでいい人だから……明日いきなりどうにかなることはないと思う。それにね、戸羽さんと恋が出来そうかどうか、ちゃんと見極めたいんだ」 彼がどういう人なのかを理解するところから始めなければいけない。それが心を通わせる第一歩だから。『なんか咲羅……最近、変わったね』 「そう?」 本城との失敗の経験があってから、慎重になろうと
last updateLast Updated : 2025-04-24
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