目の前に立つ男を見て、伊織は一瞬、思考が止まった。旅の疲れがにじむその姿に、ただ呆然とするばかりだった。床に倒れている強盗の男が、今にも飛びかかろうと、悲痛に満ちた絶叫を上げるまで、彼女は動けなかった。彰紀は躊躇わなかった。瞬く間に伊織をより強く抱きしめ、その腕は力強く、まるで彼女を骨の髄まで抱きしめるように固く。「あっちへ行け!」彰紀は流暢なフランス語で叫んだ。「俺の妻に触るな!」フランス語が理解できる伊織は、思わず胸がざわついた。なぜ彼がここに?それに、妻だって?離婚届は置いてきたはず。それに、彼はもう沢田涼子にプロポーズしたんじゃないの?私たちの関係は、とっくに終わっているのに……彰紀の腕の中に抱かれながら、伊織の頭の中はごちゃごちゃにかき乱された。彰紀の怒りの中に、ほっとした安堵の混じった声が響くまで、その状態は続いた。「もう大丈夫だ」伊織が何か言おうとしたその時、彰紀の言葉が堰を切ったように浴びせられた。「お前、なかなかやるじゃないか?こんな遠くまでよく逃げられたな?」「どうして自分を守れなかったんだ?」「こんな真夜中に何かあったら、どうするつもりだったんだ!?」最後の言葉は、ほとんど絶叫に近かった。彰紀自身も、その恐ろしさを言葉にできなかった。特に、異国の街を一人、細く儚げな伊織の後ろ姿が歩いているのを見つけた時。そして、あの男が彼女に襲いかかろうとした瞬間、心臓が止まるかと思った。彼はただただ恐ろしかった。伊織が何か傷を負うことが、心底恐ろしかったのだ。だが、伊織の目には、それが全て「苛立ち」と映った。そうだろう、国内にいた頃だって、彼は私のことなど気にも留めていなかった。出国した途端に、私の安全を心配するなんてありえない。きっと、紳士としてのマナーからだろう。そう考えると、伊織の心の波立ちは少しずつ鎮まっていった。彼女は彰紀の腕を静かにほどき、床に投げ出されたハンドバッグを拾い上げると、淡々と、しかし心から礼を言った。「助けてくれてありがとう」「本当に感謝しているわ」その表情は冷ややかで、まるで彰紀が通りすがりの救い主であるかのようだった。何の関係もない他人のように。彰紀の心に渦巻いていた怒りは、突然冷水を浴びせられたかのように、跡形も
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