分厚い帳簿が、私の目の前に叩きつけられた。中には、真壁時礼(まかべ ときのり)がこの十年間に私へ送金した記録が、ページごとにぎっしりと書かれていた。送金の金額だけでなく、日時まで正確に記されている。「去年のお前の誕生日には、162000円を送った。十周年の記念日には、2160000円。それに、毎月初めには生活費として400000円も送っていた。今日中に、全部返してもらう。送金の日時は全部記録してある。自分の目で確認すればいい」……「どうした?金がないのか?朝倉音羽(あさくら おとは)、詩乃に勝手に嫌がらせするなんて、ひどかったな。これはお前への罰だ。今日返さなかったら、これから三年間、お互い一切会わない。お前も俺に会いに来るな」その冷たく突き放すような言葉は、今でも耳に残っている。彼がこんなことを言ったのは、心の中で一番大事にしている義妹を守るためだった。昨日、私はその義妹から貸していた六百万円を返してもらった。それが、彼の怒りの理由だった。私にお金がないことは、時礼もよく知っていた。母は早くに亡くなり、父は長年寝たきり。この数年は、少しでも余裕があればすべて父の治療費に回していた。私は仕事もしていなかった。若い頃に流産し、さらに貧血体質で、体調はずっと思わしくなかった。何をするにもすぐに倒れそうになり、冷や汗をかくような毎日が続いていた。私は小さくため息をついて、キャッシュカードを手に外に出た。照りつける陽射しが容赦なく体力を奪い、数歩歩くだけでしゃがみ込んで休まなければならなかった。そうやって時間をかけ、ようやく銀行で現金を引き出した。まさか時礼が、ここまで細かく帳簿をつけていたとは思わなかった。なにしろこの十年間、彼は給料のカードすら私に預けていたのだから。でもありがたいことに、そのカードには一度も手をつけたことがなかった。彼から送られてきたお金も、無駄遣いしたことはない。さもないと、今返せなかったのだ。金額を数えてみると、おおよそ合っていたが、少し足りない分は義妹から返してもらった六百万円のうち、一百万円を充てた。昨日、父が危篤になり、急ぎで治療費が必要だった。その時私も時礼に、あの六百万円は命を救うために必要だったと伝えた。お金を引き
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