All Chapters of 音もなく雪が降る: Chapter 1 - Chapter 10

21 Chapters

第1話

「堀内さん、本当に自分に火葬の予約をするんですか?」桃色の唇を軽くぎゅっとして、堀内瑞雪(ほりうち みゆき)は平然たる顔で頷いた。「はい、予約したいんです。二倍の値段で支払ってもいいので、どうかこの2つの条件を満たしていただければと。まず、最高級の火葬炉が必要です。死体を残さず燃やせるために。そして、火葬した遺骨はすぐに海にばら撒いてください。プロセスは予め計画してくれるようお願いします」支払って、予約の手続きを済ませて、半ヶ月後のスケジュールを確認した後、瑞雪は車で葬儀場を出た。篠崎グループの本社を通りすがった瞬間、大型ビジョンに映るライブ配信の画面が目に入った。誰もが羨む篠崎グループの会長、篠崎乃安(しのざき のあ)は、記者からのインタビューを受けていた。「一棟のビルくらい、全然寄付しますよ。海大は妻と知り合った母校なんです。母校が必要であれば、何でも差し上げますので。東区のあの土地はまだ開発する予定はないんですね。残しておいて、自分で妻に夢のような家に設計してあげたいんです。いきなり遊園地業界に手を出したことも大した原因はなく、妻は観覧車に乗るのが趣味で、全世界で唯一無二の観覧車をプレゼントしてあげたいからです。ゲーム開発チームを買収したのも妻と少し関係がありまして、妻の好みに合って、女性向けのゲームを作ってあげたいんです。ゲームの世界でも、妻が変な人に影響されてしまったら困りますから」最初から最後まで、妻のことばかりだった。それほど深い愛情の込めた発言で、老若男女の関係なく、大勢の人が惹かれていた。「篠崎会長、なんて愛妻家でしょう。毎晩こんな最高な夫と枕を交わして、その奥さん、どれほど幸せなのか、想像もできないわ」「臆病者、妄想くらいいいでしょ。毎晩枕を交わすだけじゃ物足りないわ。毎日篠崎会長とショッピングしたり食事したり、愛の囁きで溺れたり、どこにだって連れてってもらったりして」わいわいする喋り声が続いていた。ビジョンに映るインタビューを聞いて、例え昭和初期生まれの老人でも、まだ漢字も読めない純真な児童でも、その溢れんばかりのロマンチックな情熱に感心し、篠崎会長の愛情の深さを感じ取っていた。「篠崎会長は愛妻家だな」と。瑞雪は皮肉めいた笑みを浮かべ、目を逸らした。彼女は十年前、事故で亡くなりそう
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第2話

それを聞いた瞬間、彼女の細い眉毛がビクッとした。瑞雪はただ黙りこくって、返事しなかった。長身の乃安はその異常に気づかなかったかのように、すっと寄ってきて、いきなりその肩に手を回した。「家で休まないで、こんなところに来て、そんなに会いたかったの?一緒にご飯、食べたくなってきたの?」二年前、瑞雪が低血糖で倒れてから、また倒れてしまうのが心配で、乃安は仕事を辞めさせた。大切に世話をしているだけでなく、屋敷の至るところまで監視カメラを設置した。彼女に何かあったら、すぐにわかるために。監視カメラを設置したものの、彼の心は、すでに他の女に移った。そうでなければ、彼女が朝っぱらから出かけたことも知っているはずなのに。どうでもいい。もう帰ると決めたのだから、彼の心がどこに移ろうが、もうどうでもいい。男の体から薄々と香る匂いが鼻をついた。自分とは真逆な激しいバラの香りだった。瑞雪は顔を横に向け、息を詰めるようにして言った。「この近くのフランス料理が食べたくなってきて」「じゃ食べに行こう。食べ終わったらまた戻って、一緒に昼寝しよう」乃安は笑いながら、更に力強く彼女を抱きしめた。「瑞雪、知ってるはずだ。君がいなきゃよく眠れないんだ。こんな毎日俺に付き合わせたら、君も疲れちゃうからさ。でないと朝昼晩、君を縛りたいぐらいずっと一緒にいてほしかったよ」一緒にいて、会社を経営しながら妻を可愛がると同時に、他のところで良い夫、いいパパを演じる時間管理術抜群の二股男の実演でも見せられるの?皮肉な笑みを浮かべ、瑞雪は乃安と一緒に駐車場に行き、車で近くのレストランに向かった。食事の後、また本社に戻った。昨夜メッセージが来てから、彼女は長らく便座に座っていて、ほぼ一睡もできなかったから、昼寝と言って、かなり長時間爆睡していた。起きたら、もう午後4時過ぎだった。乃安は真面目で一心不乱な目をしていて、パソコンの前で仕事に没頭していた。足音を聞いて、彼はすぐに仕事を後ろ倒しにし、何かを貢ぐかのように簡易冷蔵庫から用意しておいた果物とデザートを取り出した。「随分寝てたな。お腹空いただろ?君、昨夜あんまり眠れなかったみたいだから、早めに切り上げて、美味しいものを食べに連れて行こうと思って。食事が済んでからまた帰って休んで、ね?」自分から言い
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第3話

遠くない歩道で、電話に出た乃安は急に足を止めた。後ろを振り返って、また前を見て、躊躇っていた。この先は、彼の買ったビルで、子を産んでから尚昔のように自分を満足してくれる優しい心晴が、そこで自分を待っていた。後ろは、篠崎グループで、瑞雪と共に建てた会社であった。そこには、二人の数えきれないほどの思い出が詰まっていた。地獄の選択に、乃安は一瞬だけ迷った。一瞬だけ。「今本当に忙しくて、手が離せないんだ。ごめんね、自分で病院に行って。それか、江平先生を呼んでくるとか……」瑞雪は電話をピッと切った。探るのはいい。探る必要もなくなったし。仮面を被って接しなければ感じられない愛なら、それはもう愛ではない。さっさと手放すべきだ。スマホをサイレントモードにし、カバンの一番奥にしまって、瑞雪はその場でタクシーを降りた。篠崎グループの本社の前の道を沿って、一歩一歩、足でこの都市をなぞるように歩き回っていた。計算したら、この世界に来てすでに十年も経っていた。十年間、彼女は乃安のことで頭がいっぱいで、乃安のことで笑って、乃安のことで泣いてきた。この辺りの景色はちゃんと見たこともなければ、ちゃんと感じ取ることもなかった。今、彼女は初めて気づいた。この作者に書かれた本の世界は、実はこんなにも美しい都市なのだと。半ヶ月後、彼女は徹底的にここを出ることになる。今のうちにしっかりと目に焼き付けないと、いつか思い返しても、語ることもできないであろう。外で夜10時過ぎまで遊んで、家に帰ったらやはり誰もいなかった。不在着信や未読のメッセージはたくさん来ていたが、瑞雪は全部無視して、削除した。小屋裏から空っぽのダンボールを取って、部屋に戻り、荷物を片付け始めた。高いブランドのジュエリーやカバンから。本の外から来たのだから、本の中のものは持ち帰れないし、乃安や心晴に残すわけにもいかない。だとしたら、自分の名義の株式や不動産と一緒に寄付したほうがマシだ。弁護士の手伝いもあるし。ダンボール一箱があっという間にいっぱいになった。中身は瑞雪がこの十年間使ったすべてのジュエリーやカバンだった。自分で買ったものも、乃安からもらったものも。【翌朝、取りに来てください】と、弁護士にメッセージを送ってから、瑞雪はようやく安心して、歯を磨いて眠れた。
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第4話

さりげない口調に、乃安は呆然とした。数秒間ぼんやりしてから、彼はかすれた声で返事した。「ジュエリーくらいなら、飽きたらまた買ってあげればいいが、結婚指輪は……」彼は片膝をついて、大きな手で瑞雪の小さな手を握りしめ、ポケットから見覚えのあるサファイアブルーのボックスを取り出し、誠意を込めてその手のひらに置いた。「他のジュエリーはまた買ってあげるよ。だが、結婚指輪だけは唯一無二なんだ。俺が自ら南アフリカから原石を探してきて、心を込めて作ったものなんだ。例え何もかも失って、命をかけても、どんな手を使っても、必ず取り戻してあげるから」言いながら、彼はその愛情に満ちた眼差しで、深く彼女を見つめていた。自分を見つめる眼差しは、あんなにも優しく、自分の手を握りしめる男らしい手は、あんなにも温かかった。どれも昔と変わらないようだった。しかし瑞雪は知っていた。今の自分も彼も、完全に気持ちが変わって、昔とは全然違うことを。「わかったわ」嗚咽の含めた声で言いながら、瑞雪は手を引っ込めようとしたが、引っ込められなかった。「瑞雪」乃安は床についた右足で体を支え、ゆるりと起きながら、大きな体で彼女を押し倒し、彼女の唇を奪おうとした。不快感を覚えた彼女を顔を背けて、その唇を避けた。「今は昼間よ。控えめにするって言ったんじゃないの?」乃安は眉を顰めて、気づいたら、唇の行き先は彼女の唇ではなく、その少し冷たかったほっぺただった。「衝動を抑えられなくて、ごめんね」彼は何事もなかったかのように笑って、そのサファイアブルーのボックスの蓋を開けてあげた。綺麗で高そうなピンクの指輪は、七色の光を宿し、目がチカチカするほど輝いていた。お城ほどの価値があるというか、お城よりも価値があるかもしれない。乃安はこの指輪を作るのに、確かに全身全霊を打ち込んでいた。彼女のことを一番愛していた時期だったから。ただ、その愛はあまりにも短く、裏切りと嘘だけが残っていた。癒えたばかりの傷口に、またナイフが刺さったかのように、瑞雪は胸苦しかった。「はい、ちゃんと持って。もう失くすなよ」乃安は指輪を彼女につけ直し、温かい指先でその額に当てた。目と目が合った瞬間、色々言いたいことがあるようだったが、結局何も言わずに、ただ軽く彼女を抱きつき、会社へ戻っ
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第5話

ここで動画が終わった。瑞雪は窓の前まで歩いて、夜を照らす月明かりを頼りに、ガーデンゲートの隣の木の下で微かに揺れている車を眺めていた。温かい涙で、視線がぼやけていた。瞼を濡らしながら、彼女は突然自分はすでに思い出せないことに気付いた。十年前初めて出会った時の乃安、七年前自分に告白した時の乃安、それと三年前自分と結婚して、「一生」を誓った時の乃安は、どんな姿だったかを。やはりそういうことなの?それとも今感じ取れるものが、彼が出せる最大限の愛なの?原作では、彼はただどんどん闇落ちしていき、このゲームのような人生で闇に呑まれていくクズだった。救ってあげたつもりで、結局はただ彼の表を美化し、一心不乱でまともな人間に見せかけるようにしただけだった。実際のところ、彼は結局底からクズで、ただ偽りがあまりにも上手だから、じっくり観察してみないと、その腐りきった性根を、彼の心の内が見極められなかっただろう。十年にわたって夢を見続けて、やがて空回りだったのだ。生きていくための信念が、崩れていった。この胸の激しい痛みが、この十年間築いてきたものがすべて無駄だと告げた。乃安のことは救えなかったし、同じく、自分の命を引き換えに助けてくれた元主のことも救えなかった。心が痛くて、痛くて、死ぬほど痛かった。瑞雪は腰を折り、フェンスに寄りかかって、息を荒くしながらもがいていた。一夜眠れず、腫れた目に、大雨に濡らされた体。気づいたら、彼女は深夜になるまで雨中で立ち尽くしていた。乃安が帰った時、ぐっしょり濡れた彼女がリビングのソファーに横たわって、熱で顔が真っ赤になり、すぐにも倒れそうだった。「瑞雪!大丈夫か、瑞雪!?」乃安は焦りだして、考えもせず彼女を病院まで送ってあげた。応急処置の後、瑞雪はやっと意識を取り戻した。けれど、高熱で併発した肺炎で、数日間入院せざるを得なかった。むしろそのほうが良かった。帰る時日まで、あと最後の六日。この間、彼女はただ病院でゆっくり休みたかった。あんな家になんて、帰りたくもなかった。最後の六日間を、あの嘘ばかりの男に使いたくなかったから。しかし瑞雪は油断していた。自分がここに引きこもっても、彼らは勝手に入ることはできるのだった。「すみません。小児科がどこなのか知ってます?」目の前の女はセクシーな縦
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第6話

「子供を作ろう」と言い出すとは。瑞雪は戸惑った顔で彼を見上げたが、その顔はおぼろげで、深くて濃い霧に包まれているようだった。いくら頑張って見開いても、ただの幻にしか見えなかった。幻なら、もういい。退院の手続きを済ませ、帰って普段着に着替えて、二人でお寺のある山に向かった。山下に車を止めて、天へと続く石段を見て、乃安は躊躇った。「瑞雪、いける?病み上がりで、こんな高い山を登るの耐えられる?」「大丈夫よ」瑞雪は決意を固めた。「それに、あなたもいるでしょ?結婚する前に、あなたは私を背負いながら登ったんじゃない。まだ結婚して三年しか経ってないし、支えながら登るくらい、できるでしょ」結婚する前の最後の旅行で、二人で一緒に雪山を登りに行った。もうすぐ山頂なのに、瑞雪は体力が続かなくなり、動くことすらできなかった。ガイドに引っ張られても、微動もしなかった。その時、乃安が、迷いもせず彼女を背中に乗せ、一歩一歩山頂へ向かっていった。そこからの絶妙で美しい眺めを、二人の宝物にした。あの時期、二人は本当に仲良しだったな。乃安も心から、本気で彼女のことを愛していた。命まで、自我まで捨てても構わないくらいに。鼻がツーンとなり、瑞雪は一生懸命深呼吸して、なんとかその感覚を抑えた。乃安に支えられながら、一歩一歩登っていった。曲がりくねった坂を何回乗り越えたか、あと一本の曲がり道を通ったら、山頂だった。目の前には、すでに立派なお寺が見えるようになった。しかしその時、乃安のスマホが鳴った。距離がそんなに近くはなかったのに、スマホの向こうから届いてきた心晴の狂ったような泣き声は、はっきりと瑞雪の耳に入った。「大変よ、乃安!私達の子はさっきベッドから落ちて、頭がすごい腫れたの!それにずっとゲロ吐いてて」無意識に瑞雪に目が行って、乃安の垂れていた手が、握りしめられた。「どうしたの?」瑞雪は困惑しているような、疑いもないような目をした。「また会社の急用?今すぐ行かなきゃいかないの?」彼女はまた強調するように、「急用」という言葉の語気を強めた。彼は少しでも耳を傾けたら、察するはずだった。しかし今の彼は心晴と子供のことで頭がいっぱいで、彼女が何を言ったか、どんな表情をしたか、彼にとってどうでも良かった。「ああ。急
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第7話

過労により幻聴とかではなく、本当に霊柩車が横から走っていたのを確認し、乃安はほっとして、深い溜め息をついた。一体何を心配していたのだ。瑞雪と関係するわけがないだろう。お気の毒に、こんな夜中にあんなことに遭って、死者の家族も可哀想だな!余計なことを考えるなと自分に言い聞かせるように、彼は首を横に振った。一旦瑞雪を別のところに連れて住ませよう。少なくとも一週間を置かないと、瑞雪が怖がるかもしれないからと、乃安は考えていた。二人でリゾート地に行くのが久しぶりだな。前回はもう先々月のことだっけ。子供ができても大丈夫なら、避妊具を使う必要もなくなったし。そう思うと、乃安はワクワクしてきた。彼はアクセルを踏んで、一瞬で霊柩車を追い抜いて、家の駐車場に入った。「ただいま」乃安は微笑んで、そのハンサムな顔に、瑞雪にだけの心の込めた笑顔が浮かんだ。しかしその笑顔は、ドアに入り、血の匂いが鼻についた瞬間固まった。彼は困惑しながら電気をつけた。そして真っ白なソファーについている誰かが座っていたような血痕が、目に映った。血痕が綺麗に一箇所に集中し、足掻いた痕跡はまったくなかった。乃安の黒い瞳が震えだした。「瑞雪?」近所迷惑にも関わらず、彼はひたすら声を上げながら瑞雪を探し回っていた。一刻も早く見つけたくて、一刻も早く抱きしめたかった。しかし彼女はいなかった。一階でも二階でも、寝室でも書斎でも映画部屋でも、この屋敷のあらゆる部屋でも、人の姿は見かけなかった。それだけでなく、家にあったものもなぜかかなり減った。ドレッサーにあったはずのスキンケアなどから、カーテン、花瓶や寝具まで。どういうことだ?強盗か?それとも……動揺した乃安は急いでクローゼットを開けた。その中は同じく空っぽだった。洋服、靴やカバンを入れるためのスペースが、全部空になった。まるで犯罪組織に漁られたように、残すことなく。そんなはずがない。この屋敷の防犯設備は完璧だ。ドアの鍵は瑞雪と自分しか持っていない。乃安はよろよろと倒れそうになって、震える手でスマホを取り出した。電話をかけたら、届いたのは機械のアナウンスだった。「すみません。この電話番号は現在使われておりません」何度かけても同じで、彼女のラインも、アカウントごと消えてし
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第8話

「そのようなこと、堀内さんはとっくに予想しました」土谷さんはまた車から新しい離婚協議書を取り出して言った。「同じような本人署名の離婚協議書は、この車に少なくとも十通はあります。全部堀内さんがそのために用意しておいたものです。時間を無駄にしたくないなら、さっさと署名してください、篠崎会長」乃安は震える手で離婚協議書を受け取った。書類の最後にははっきりと「堀内瑞雪」という四文字が書かれていた。見慣れた名前なのに、あんなにも無慈悲で、彼の心に刺さった。「ありえない!そんなばかな!」受け入れがたい気持ちの中、鋭い爪が紙を裂き、手のひらを深く突いた。「何がありえないのです?」土谷さんは冷笑するように眉を顰め、「鑑賞」するついでにプリントした一枚の写真を彼に渡した。「不倫をしている時、予想はしなかったのですか?いつかこんな日が来ると」肌がべったりくっついている二人が、乃安の目に映った。足の震えで、彼はよろよろと後ずさった。自分の勘が当たったと、あの霊柩車が深夜にいきなりこんなところに現れたのも、そういうことだと確信した。「どけ!」土谷さんを押しのけて、乃安はふらふらと車に戻った。すでにボロボロになった車で、一番近い葬儀場へ駆けていった。離婚協議書で自分を驚かせる上、そんなことで命を絶つのは絶対にありえないのだ。瑞雪と知り合ってからのこの十年間、彼は知っているのだ。瑞雪は優しいから弱そうに見えるが、実は心がすごく強い女性で、そんなことで命を絶つはずがないと。きっと嫌がらせだよな。離婚協議書だけでは足りないと思って、あんな偽の血を使って、二人の家にあるものを全部持っていき、霊柩車まで呼んできた。全部自分に嫌がらせをするために。一時間かかるはずのルートだったが、乃安は三十、四十分くらいで着いた。もうすぐ深夜二時だった。深夜の葬儀場では、立っているだけで寒気がして、人の気配もしなかった。道が聞ける人もいなく、乃安は勘と指示板を頼りになんとか火葬場を見つけた。着いた時、火葬場の扉はちょうど閉まった。「待って、待って!」乃安は狂ったように叫んだ。しかし遅かった。火葬場の扉は結局無情に閉まって、裏側から鍵をかけられた。「瑞雪……瑞雪……」枯れた声で、彼はぶつぶつと呟いた。泣き疲れ、乃安
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第9話

涙に濡らされた口角がビクッとして、乃安は口を半開きにし、結局何も言えなくて、土谷さんから渡される離婚協議書も受け取らなかった。彼は後ろを向いて、火葬場まで走っていって、指で閉じている鉄扉を引っ掻いていた。爪が次から次へと折れ、広がる激痛さえ気にしなかった。彼は頭が瑞雪のことでいっぱいで、小さい頃から一緒にいて、長年間、貧しい時も富む時も、一度も自分のそばから離れたことがなかった、こんな瑞雪が、自ら去っていったなんて。徹底的に自分から離れて、もう一生会えないなんて。そんな……そんなはずがない。自分はただ……男なら誰しも犯してしまう過ちを犯してしまっただけなのに。心晴はただの遊び相手で、子供ができても嫁にするつもりはなかった。瑞雪が不満なら、言えばよかったのに。遊び相手くらい、いつでも捨てられるのだから。しかし彼女は何も聞かなかった。説明するチャンスすら与えずに、こんなにあっさりと自分との赤糸を切ってしまった。どうしてそんなに無情なのだ?耐え難い痛みが流れる水のように、彼の全身に広がった。指先と心臓からの痛みを噛み締めながら、彼は何度も何度も懺悔し、謝罪し続けた。けれど、火葬炉は止まらずに作動していた。彼の懺悔で止まることもなく。寒さの帯びた夜風が、時々頬を撫でていた。深夜の葬儀場は静まり返っていて、彼の絶えることのないような嗚咽以外、他の物音は一切しなかった。突如、乃安のスマホの着信音がこの虚しい静寂を破った。前田さんからの電話だった。乃安は出る気もなかったが、何度切っても、この電話はしつこくかけ直されて、限がなかった。怒りを堪えて、乃安は電話に出た。「一体何だ?そんなに大事か?」前田さんの声は焦っていた。「大変です、会長!会社はサイバー攻撃を受けています!公式サイトや本社ビルの大型ビジョンの内容は、全部誰かに変えられたんです」怒りがまた込み上げてきた。「お前何してんだ?そんなことで俺に電話するな」「『そんなこと』じゃありませんよ」前田さんは少し考えてから、低い声で言った。「動画をお送りしますので、見てから戻るかどうかお決めください」数分後、乃安は曇った顔で葬儀場を後にし、車で篠崎グループの本社ビルへ駆けつけていった。車を止めた途端、彼はすぐに車から飛び降りてきて、鋭い
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第10話

写真のタイトルは、【2024年、篠崎グループ会長の奥様、堀内瑞雪はリスカで自殺し、自ら救急を拒んで亡くなりました。享年二十八】という一行だった。リスカで自殺して!自ら救急を拒んだ!惨めな事実が、彼女に公式サイトに載せられ、深夜に目にしたネット民全員の心を揺るがした。瑞雪は、本当に土谷さんの言う通りに、死んでも彼と名前が並ぶのが嫌で、死んでも彼のことを許さなかった。過去の愛が深ければ深いほど、裏切りに対する憎しみが深いのだ!乃安はもはや正気を失い、スマホを力強く投げ落とした。「壊せ!処理できないならあれを壊せ!」言いながら、彼は壊れたスマホを拾って、ビジョンに投げつけた。やめろ。もう広がるな。瑞雪以外の女としたことも、瑞雪に死ぬほど憎まれ、死んでも許されなかったことも、誰にも知られたくなかった。小さい頃からの仲で、知らず知らず深い感情が芽生え、大人になっても、共白髪になってもずっと一緒に歩んでいこうと約束していた。この一生本気で愛しているの女は、たった一人、堀内瑞雪だけだった!しかしすべてが遅かった。いくら乃安が素早く決断をして、なんとかしようとしても、もう遅かった。彼は前田さんのスマホを壊し、大型ビジョンも壊したが、すぐには会社のサイバーや公式サイトを復元できなかった。一時間後以上、技術職員はやっと処理し終えた。この一時間以上の間、乃安と心晴の不倫と、瑞雪の訃告はとっくに紅葉のように、風に乗ってインターネットのあっちこっちに拡散された。結婚してから、乃安はいつも瑞雪と自分の惚気を公言していた。ビジネスではなく、心からそう思っているからそう言っていたのかもしれないが、スキャンダルが晒された時、昔言ってきたすべてが、自分を追い詰める毒となった。一夜で、篠崎グループの株価は下がる一方だった。会社の株主まで乃安に信頼を失った。自分の情欲も上手く制御できない男は、会社を上手く経営することはできるはずがないからだと。会社の社員まで乃安に信頼を失った。妻にあんなことをする男は、社員に何をしてもおかしくないからだと。株主は騒ぎ出して、乃安を会長の座から降ろし、もっとふさわしい人に譲ってほしいと、一同上申書を出した。社員は続々と退職願を出して、もっと早く認めてほしいと人事部に申し立てた。会社が崩れてし
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