Semua Bab 沈黙の愛: Bab 11 - Bab 20

ここ最近の汐恩は、ひどく苛立っていた。美玲と同居を始めれば、ようやく理想の生活が手に入る――そう思っていたはずなのに、現実はまるで違っていた。一緒に暮らし始めてからというもの、二人の間には次第に溝が深まっていった。彼女が他人にキツく当たるところを目にするたび、かつて自分の前で見せていた「優しさ」は猫をかぶっていただけで、全て演技だったのだ、と痛感する日々が続いていた。汐恩は黙って煙草に火をつけた。白い煙がゆらりと視界を霞ませていき、目の奥が染みるように痛んだ。伊丹家の親族が集まる夕食会。汐恩の両親に加え、伯父一家も同席していた。母親はちらりと息子を見て、冷たく皮肉るように、「なによ、あの話せない子は来なかったの？まだあなたにまとわりついてると思ったけど」と言った。彼の母ですら、綾羽への侮蔑を隠しもしない。これまでの彼なら、そんな言葉を聞いても平然としていた。だが今日の母の一言は、なぜかひどく耳障りに感じられた。汐恩は箸を置き、「......あいつは体調が悪くて、家で休んでる」とぶっきらぼうに言った。なんでもないように答えたその瞬間、伯父が鼻で笑った。「家で休んでる？いや、もうとっくにお前のもとを去ったはずだが？」汐恩の表情が凍りついた。「伯父さん......彼女の居場所、知ってるんですか？」「お前が知らないのに、俺が知っているわけないだろう」痛烈な皮肉が返ってくると、汐恩は何も言い返せなかった。伯父はため息まじりに、鋭い一言を投げつけた。「お前、あの時病院であの子に何をしてた？障がいを持つ人間に、よくもあそこまで酷い真似ができたな」「紹介した俺が愚かだった。彼女が去ってくれてよかったよ。あんな仕打ち、もう見てられないからね」伯父の言葉が、氷のように胸へ突き刺さった。あの日病院で自分がしたこと、綾羽の震える背中に、怯えた表情――今さら思い返しても、取り返しはつかない。だが他人の口から聞くと、それは自分が想像していたよりも、遥かに「酷いこと」だったと気づかされた。汐恩は箸を置き、席を立つと、親族へ軽く会釈してその場を後にした。夜の街を、車でただ無心で走っていると、以前、綾羽と美玲を連れて食事したあのレストランが目に入った。「綾羽を突き飛ばした自分の姿」がフ

汐恩は電気を点けず、リビングのソファに座っていた。その顔は険しく、まるで冷たい彫像のようだった美玲は家に入ってくるなりすぐ、何かがおかしいことに気づいた。取り繕うように汐恩の隣に座ろうとしたが、言葉を発する前に、彼は彼女を力任せに床へ突き飛ばした。「汐恩、な、何するの......？」美玲は地面にうずくまり、怯えた表情で汐恩を見上げた。汐恩は立ち上がり、その大きな体で完全に彼女を覆い隠すように近づいた。「お前、この前言ったよな？綾羽がお前を郊外に呼び出した。自分でお腹を刺したくせに、お前のせいにしようとしたって。あれ本当か？」美玲の肩が震えた。「そ、そうよ......」汐恩は冷笑し、美玲の襟を掴んで彼女を引き上げた。「じゃあ、なんで俺のところに、お前が人を雇って綾羽を強姦させようとした、って報告が来たんだ？それに加え、写真を撮って脅そうとしたらしいな？」美玲の顔色が真っ青になった。全てバレたと悟った彼女は、もう弁明の余地がないと気づき、「汐恩、許して......あのとき私、どうかしてたの。怖かったの、あの子にあなたを奪われるのが......だから、あんなこと......」と涙を流しながら訴えた。しかし、彼はどこまでも冷たい目で彼女を見下し「俺がそんなくだらない言い訳に騙されると思うか？」と言った。美玲は口をつぐみ、目をキョロキョロと動かした。だが汐恩は容赦せず、さらに追及した。「お前病院で、綾羽に熱湯をかけられたって言ってたよな？あれも嘘か？」美玲は反射的に否定しようとしたが、汐恩の表情を見た瞬間、言葉が詰まった。次の瞬間、彼女はまるで何かが切れたように逆上し、開き直ったように叫んだ。「じゃあ聞くけど、綾羽を傷つけたのは私だけ？自分がやったことはなかったことにしてるの？しかも、あなたずっと私の味方してたよね？だから、私もあんな簡単に彼女を陥れることができたのよ」汐恩は一瞬、呆然とした。彼女の言葉を否定できなかった。脳裏に綾羽との記憶が次々と浮かんでくる。結婚後、綾羽が毎日食事を作って待ってくれていたことや、誕生日には手作りのプレゼントをくれたこと。しかし、自分はその彼女の気持ちを全て蔑ろにし、無情にゴミ箱へ捨ててきた。そしていつからか、綾羽は何もくれなくなった。汐恩

汐恩はその言葉に目を刺されたように感じた。何か言い返そうとしたその時、不意に携帯が鳴った。画面を見ると、美玲からの着信だった。彼は苛立ち気味に通話ボタンを押した。「今さら何の用だよ」「汐恩......あの日は私が悪かったわ。感情的になってごめんなさい......たぶん私、うつ病かもしれない。感情のコントロールがうまくできなくて......うう......」「病気なら病院に行け！俺に泣きついてくるな！」乱暴に通話を切ると、再び綾羽へ目を向けた。彼女の表情は淡々としていて、皮肉げに笑っているようでもあった。彼女はスマホに文字を打ち込んで彼に見せた。【美玲こそ、あなたの本命なんじゃないの？】汐恩はすぐに否定しようとした。だが言葉を発する前に、綾羽はスマホを目の前に突き出してきた。そこにはただ一文だけが表示されていた。【美玲が言いなりじゃなくなったから、捨てたんでしょ？結局あなたが欲しかったのは、何でも言うことを聞く女】汐恩は言葉を失った。綾羽を見つめると、あの澄んだ黒い瞳の奥には、もうかつてのような怯えはなかった。彼女は明らかに恐れていた。でも、それでも目をそらさず、真正面から見つめてきた。逃げる気など微塵もない様子だった。汐恩はその時、ようやく気づいた。綾羽は変わったのだ。もう、彼に好き勝手されていた、あの頃の彼女ではない。追い詰められた汐恩はその場を離れたが、決して諦めたわけではなかった。彼はそのレストランの近くに宿を取り、毎日のように綾羽に会いに来た。彼ほどの財力があれば、人の歓心を買うのは容易い。朝、店の前に行けば、高級ブランド品が山のように積まれていた。まるで小さな丘のように積み上がった贈り物に、道行く人々も目を奪われた。だが、綾羽は一瞥もくれず、まるでゴミでも片づけるように、無言で店の隅に押しやった。その様子を車の中から見ていた汐恩の胸に、妙な痛みが走った。彼は車を降りて、取り繕うように笑った。「ここでずっと待ってたんだ。あのプレゼント、気に入らなかったら捨てちゃっていいよ、どうせ大したものじゃないし。手伝わせてよ......」綾羽が持っていた雑巾を無理に取り上げると、汐恩は高級スーツ姿のまま、不自然に体をかがめてテーブルを拭き始めた。彼

綾羽は、咄嗟に落ちた母子手帳の検査票を拾い集めた。そのまま立ち去ろうとしたが、汐恩が強引に彼女の行く手を塞いだ。顔を険しくし、詰め寄る。「その子は誰のだ？......店にいるあの男か？」通りかかった人々が異変に気づき、ちらちらと視線を送ってくる。この街でまだ暮らしていかなければならない綾羽にとって、人目は避けたいところだった。彼女は仕方なく、手話で「お願い、やめて」と訴えるようにジェスチャーする。その時、汐恩の脳裏に、かつて綾羽を壁際に追い詰めて怯えさせていた自分の姿がよみがえった。胸の奥がずきりと痛む。気づけば、自然と手を放していた。「子どもをおろしてくれれば、全部なかったことにしてやる」その声はかすかに震え、無理やり抑えた冷たさを帯びていた。脅すつもりはない、でも彼女が誰かの子を身ごもったことを、どうしても受け入れられなかった。汐恩は想像した。自分の知らないところで、綾羽が他の男に心も体も許したという現実。ただの想像だけで、狂いそうだった。その彼に対し、綾羽は無言で口元をわずかに吊り上げる。その目ははっきりと拒絶を告げていた。そしてスマホを取り出し、打ち込んだ文字を見せる。【これは私の子。あなたには関係ない】彼女はおびえながらも、汐恩の険しい視線を正面から受け止めた。もう、退くつもりなどなかった。汐恩は目を細めたが、怒りのなかでもわずかに冷静さを取り戻した。思い出したのは、さっき目にした母子検査票。記載された妊娠週数は「二ヶ月」。綾羽が家を出ていったのは、まだ一ヶ月も経っていない。ならば、この子の父親は――自分だ。闇の中に一筋の光を見つけたような感覚だった。汐恩は必死で綾羽の両腕を掴み、食い入るように問いかける。「......俺の子だろ？なあ、そうだよな？安心してくれ。俺がちゃんと守るから」だが、その言葉を最後まで言わせることなく、綾羽は彼を突き飛ばした。スマホに打った一言を突きつける。【もう関わらないで】そう残して、彼女は階段を駆け上がり、汐恩を玄関先で締め出した。ドアの向こう、綾羽はしばらく動けず、その場に立ち尽くした。震える手をお腹に当て、そっと撫でる。いつかこの日が来ると覚悟していた。でも、こんなに早いなんて。し

綾羽が目を覚ましたとき、頭は重く、意識は朦朧としていた。だが、次の瞬間、昏倒する直前の記憶がよみがえり、一気に目覚めた。美玲。彼女が、自分をさらったのだ。誰の目にも触れない場所で、美玲がずっと自分を監視し、機をうかがっていた。そう思うと、綾羽の背筋に冷たいものが走った。そのとき、小屋の扉がきしむ音を立てて開いた。美玲が不気味な笑みを浮かべながら、長い木の棒をずるずると引きずりながら入ってきた。綾羽は怯えた目でその棒を見つめながら、じりじりと後ろに身を引いた。嫌な予感しかしなかった。彼女は声をあげた。叫びにならない、助けを乞うようなかすれた声。「うるさいっ！」突然、美玲が怒鳴りつけ、木の棒を床に勢いよく叩きつけた。「私があんたをさらったのは、汐恩から金を取るためよ。大人しくしてれば命までは取らないけど、調子に乗るなよ」長引く逃亡生活のせいで、美玲の美しかった顔はやつれ、見る影もなかった。一方で、綾羽は以前のような怯えた影が消え、芯のある強さと輝きをまとっている。それが彼女を余計に苛立たせた。なんでよ......なんで、あんな哀れな‘口のきけない女’が幸せそうに生きてて、私は通報されて、追われて、こんな惨めな目にあってるの！？美玲の中にある執念と妬みが、理性をかき消していく。彼女はイライラとした手つきでスマホを取り出し、汐恩に電話をかけた。「汐恩。あんたの奥さんと子ども、今は私の手の中よ。どうする？」電話の向こうで汐恩が一瞬言葉を詰まらせた。彼は綾羽が一人旅に出ていることは知っていたが、彼女が‘連れ去られた’ことまでは把握していなかった。以前、美玲が綾羽を拉致しようとした過去が脳裏をよぎり、彼は即座に警戒を強めた。けれど、表面上は冷静を装った。「......ビデオ通話にして本人を見せろ」美玲はその要求を受け入れ、ビデオ通話を開始した。画面越しに映し出された綾羽の顔は青ざめていた。どんなに平静を装っても、隠しきれない恐怖の色が浮かんでいた。もはや彼女は、完全に追い詰められていた。「金が欲しいんだろ？条件を言え」汐恩の声は静かだが、言葉の端々に怒気がにじんでいた。「2000万円。現金で。箱に分けて持ってきて。警察なんか呼んだら、この子殺すわよ」