Semua Bab 枯れた愛が、ふたたび春に咲く: Bab 11 - Bab 20

28 Bab

第11話

ホテルに宿泊していた義彦は、一晩中、悪夢にうなされた。夢の中で、茜が姿を消し、彼は血眼になって探し回ったが、どこにも見つからなかった。絶望の果てに目覚めた時、枕は滲む汗で濡れていた。だが、目を覚ましたところで、この悪夢は終わってはいなかった。義彦は重い身体を引きずるようにベッドから起き上がり、無言でタバコに火をつけた。カーテンの隙間から射し込む朝靄の淡い光が、白い煙と混ざり合いながら部屋の中を漂い、どこかくすんだ空気を生み出していた。背をベッドにもたせながら、彼は思いを巡らせた。どうして、ここまでこじれてしまったのか。いつから、こんなことになってしまったのだろうか。思い返せば、すべての始まりは八年前。英里が優香を連れて海外へと渡った。義彦と優香は幼少の頃から姉弟のように育ち、当然、その別れは辛かった。彼は何度も「行かないでくれ」と懇願した。だが当時の優香は、M国の暮らしに強く心惹かれていた。未知の世界に夢を抱き、目の前のすべてが新鮮に映っていたのだ。失意の中、義彦は長らくふさぎ込んでいた。そんな彼の前に、茜が現れた。彼女は内面も外見も美しく、いつも落ち着いていて、穏やかな声で話しかけてくれた。次第に、二人の距離は自然と縮まっていった。そこに生まれたのは、言葉にし難い曖昧な空気だった。だが当時は高校三年生。誰もが受験に追われる日々で、たとえその視線がどれほど情熱であろうとも、関係を明確にするには至らなかった。やがて大学入試の結果が発表され、義彦は帝大の合格通知を受け取った。入学手続きの前に、彼は茜のいる街へと向かった。あの日は激しい雨が降っていた。全身びしょ濡れになりながら、義彦は茜の家の前に立ち尽くし、まっすぐに彼女を見つめて言った。「茜、遠距離恋愛でもいいか?」帝都第二高校から転校して戻ってきた茜は、初恋が叶わぬまま終わるものと思っていた。まさか、義彦が自分を探してここまで来るとは、夢にも思っていなかった。だからこそ、義彦の姿を見た瞬間、彼女はすべての迷いを捨てた。「うん。遠距離でも、大丈夫」「じゃあ、彼女になってくれ......茜、好きだ」その場で義彦は茜を抱きしめた。そして心の中で、固く誓った。この人を、一生守る。どんなことがあっても、傷つけたりはしない、と。その後、義彦は帝大
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第12話

早苗は、自分の娘を誰よりも理解していた。茜が「諦める」と口にする時――それは、もう後戻りできないほど追い詰められている時にほかならない。茜の頭をそっと撫でながら、早苗はそれ以上何も言わなかった。だが、心の奥底ではどうしても「惜しい」という思いを拭えなかった。八年。それは青春だけでなく、人生で最も純粋な情熱を費やした時間だった。帝都市立病院。優香は病室のベッドの傍らで、明らかに不機嫌な表情を浮かべていた。「お母さん......茜がいなくなったっていうのに、義彦はまだ諦めてないみたいなの。お願い、もう一度だけ、私を助けてよ」ベッドに横たわる英里の濁った瞳がかすかに動いた。娘の表情ははっきりとは見えなかったが、力なく、それでも諭すように声を発した。「優香......もし義彦があなたのことを本当に好きなら、茜と結婚なんてしてないわ。もう、諦めなさい」「何バカなこと言ってんの!?」優香の声が突然、刺すように鋭くなった。「あの時、お母さんが私を無理に海外へ連れて行かなければ、私は今ごろ義彦と結婚してた!全部お母さんのせいよ!もう意味のない結婚式ごっこじゃ足りないの。本物の婚姻届を出させて!脅してでもいい、死ぬって言ってでも!」「優香......」英里が言葉を絞り出そうとしたその時、優香の声がまた変わった。「お母さん、どうせもう長くないんでしょう?早かろうが遅かろうが、どうってことないじゃない。だったら最後にお願い、覚悟を決めて......義彦に私と結婚させてよ」そう言いながら、優香はテーブルの果物ナイフを手に取り、英里の手のひらにそっと押しつけた。その少し後、義彦が疲れ切った様子で病室に入ってきた。優香は英里に目配せすると、「用事があるから」と言い残し、気配を消すように部屋を出た。義彦はベッドの傍に腰を下ろし、英里の顔を覗き込んだ。「英里さん......今日の調子はいかがですか?」英里は、義彦がもう優香を愛していないことに気づいていた。だが、それでも優香は、たったひとりの娘。母として、残された時間すべてを捧げてでも、娘の未来に安心を残してやりたかった。「義彦......あなたが優香と結婚式を挙げたのは、私を慰めるためだったのよね。でも、まだ離婚はしていないのでしょう?茜さんと」義彦は、本
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第13話

ドアを開けたのは、孝雄だった。玄関に立つ義彦の姿を目にしても、孝雄は驚いた素振りを見せなかった。「義彦か......」「お義父さん。ご無沙汰しております。茜を迎えに来ました」「......入れ」招き入れながら、孝雄の顔には険しさはなかった。いや、それどころか、どこかで安堵のような感情さえ滲ませていた。義彦のことは、決して嫌いではなかった。高い学歴に誠実な仕事ぶり、飾らない人柄、そして何より娘の茜と並んだときの自然な調和。義彦は、茜にふさわしい男だと、今でも思っている。もしやり直せるのなら、二人には穏やかな家庭を築いてほしい。だが、与えられるのはチャンスだけだ。娘の心をもう一度掴めるかどうかは、義彦自身の力にかかっている。外の物音に気づいた茜が、自室から顔をのぞかせた。玄関に立つ義彦の姿を見ても、茜の顔に動揺はなかった。来るだろうと思っていた。義彦の性格からして、きっと迎えに来ると。病院での出来事から二日。茜の顔色は明らかに良くなっていた。その姿を見た義彦は、胸に詰まっていた不安がようやく少しほどけていくのを感じた。柔らかく微笑みながら、彼は昔と変わらぬ眼差しで茜を見つめた。「茜......迎えに来たよ」「うん」「ちゃんと、話をしたいんだ」「いいよ......外で話そう」拒まれなかった。それだけで、義彦の胸には一筋の希望が差し込んだ。飛行機の中で何度も頭の中で謝罪の言葉を繰り返していた。彼女を想う気持ちは、誠意を持って伝えればきっと届く――そう信じていた。孝雄に軽く頭を下げ、二人は連れ立って家を出た。北国の晩秋。街路には黄色く色づいたイチョウの葉が風に舞い、足元でカサカサと音を立てる。茜と義彦は、肩を並べて歩いた。だが、しばらくはどちらからも言葉は出なかった。やがて、二人は静かな広場にたどり着き、ベンチに腰を下ろした。遠くから子どもたちの笑い声が微かに聞こえた。「ここ、覚えてる?」茜が口を開いた。「もちろん。覚えてるよ」大学一年の冬、新年を迎える直前、義彦は年越しに会いたい一心で、大晦日の夜に茜の街へ飛んだ。到着した時には、もう年は明けていた。あの夜、二人はこの広場で小さな花火をあげ、誓い合った。「毎年、こうして一緒に過ごそう」あ
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第14話

綿あめを手にした瞬間、義彦のスマートフォンが震えた。画面に表示されたのは、優香からの着信。通話をつなぐと、すぐに嗚咽が耳を打った。優香は何を言っているのか分からないほど取り乱していた。数秒後、途切れ途切れの声が、凍るような事実を告げた。英里が、病院で自ら命を絶った、と。義彦の頭は真っ白になった。綿あめを握る手の感覚も失い、目の前がぐらぐらと揺れる。どうすればいい?今すぐ茜のもとへ戻り、帝都に帰らなければならないと告げるべきか?それとも何も言わずに、このまま立ち去るべきか?もし、今日ここへ来なければ、もし病院に残っていたなら――英里は、あんな痛ましい最期を迎えずに済んだのではないか?答えの出ない葛藤に押し潰されそうになりながら、義彦は綿あめを近くにいた子どもに渡し、ベンチに座る茜を、遠くから最後にひと目見つめた。その姿を心に刻むように、ゆっくりと背を向けて、彼は広場を去った。茜にどう説明すればいいのか、自分自身にどう向き合えばいいのか、言葉にできる気持ちなど、ひとつもなかった。夜を徹して帝都に戻ると、英里の遺体は病院の霊安室に安置されていた。優香は目を真っ赤に腫らし、義彦を睨むように見つめた。「どうして......約束してあげられなかったの?たとえ嘘でもよかったのに......どうして追い詰めたの?お母さんが、もう長くないって......あなた、知ってたでしょう?」その問いに、義彦は何も返せなかった。冷たい刃のような自責の念が、胸を貫いていた。痛い。痛すぎて、呼吸すらままならない。優香は震える手で、一枚の紙を差し出した。しわだらけになったその便箋には、英里の手で書かれた最期の想いが綴られているという。「これは......お母さんが、あなたに残した手紙よ......最後まで......目を閉じられなかったの」その言葉を最後に、優香は力尽きるようにその場に崩れ落ちた。通夜の三日間、義彦の記憶は断片的だった。何をして、何を話し、どう過ごしたのか、曖昧で霧の中にいるようだった。英里が残した手紙。受け取ったまま、読む勇気がなかった。通夜が終わった夜、彼は優香を送ってから、一人、真っ暗な家に帰った。新しく買ったマットレスに身を縮めながら、義彦は天井を見つめていた。茜に、会いたい
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第15話

夜の19時から真夜中まで、茜はひとり待ち続けていた。テーブルに並んだ料理はすっかり冷え、特別に注文したバースデーケーキのクリームはゆっくりと崩れ、形を失っていった。23時15分。やっと義彦が帰宅した。玄関の扉が開いた瞬間、彼の顔には沈痛な陰りが漂っていた。茜が口を開く間もなく、義彦はぽつりぽつりと語り始めた。英里と優香が帰国したこと。英里が、がんを患っていること。その表情に、茜は息をのんだ。せっかくの誕生日だったのに――なんて、言えるはずもなかった。代わりに、彼をそっと抱きしめた。震えるような体温を胸に受け止めながら、長い時間、彼を慰め続けた。しかし、あの日、本当は義彦も茜の誕生日を忘れていたわけではなかった。むしろ、数週間前から入念に準備していたのだ。学校を早退して花束を買い、特注のダイヤモンドブレスレットを受け取りに行った。だが、そのすべては優香からの一本の電話で崩れ去った。8年ぶりに再会する幼なじみ。懐かしさと高揚感に抗えず、彼は花束とプレゼントを持ったまま空港へと向かい、それらをすべて、優香に手渡してしまった。思い返せば、あの時の自分は正気を失っていたのかもしれない、と義彦は今になって思う。映像の続きを再生していくと、画面の中には茜の姿ばかりが映っていた。7月8日。義彦は、久しぶりに帰宅していた。それは、体調を崩した茜が、何度も電話をかけてきたからだった。だが、家に着いた直後、優香から再び連絡が入る。「お母さんの調子が悪くて......ずっと泣いてるの。今、来てくれない?」義彦はお湯を一杯茜に渡しただけで、まともに言葉も交わさず、再び家を出て行った。深夜、茜は胃の激しい痛みで眠れず、午前3時に友人に胃薬を届けさせていた。カメラに映るのは、ベッドの上で痛みに震えながら泣き伏す彼女の姿。義彦は自分の頬を、思わず強く叩いた。茜を守ると誓ったはずだったのに。彼はそのまま眠らずに、映像を見続けた。茜がひとりで耐えていた夜を、すべて目撃するために。雷鳴が響く嵐の夜。体調の悪い日、生理で苦しそうにベッドに横たわる夜。冷たい台所で、カップ麺にお湯を注いで食べる姿。そのすべての夜に、自分はいなかった。「何か、ひとつくらい......俺が茜を思っていた証拠
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第16話

それから一ヶ月後――日向茜のインテリアデザインスタジオが、都心の一角にオープンした。個人での独立は不安もあったが、彼女のこれまでの実績と評判が功を奏し、開業早々から仕事の依頼が次々と舞い込んだ。忙しさに追われる日々は、心に残った傷の痛みを、わずかでも紛らわせてくれた。だが、正式な離婚が成立していない限り、彼女はまだ「自由」ではなかった。そんなある午後、スタジオの扉が静かに開いた。入ってきたのは、背の高い若い男性。183cmはあるだろうか。切れ長の目に整った顔立ち、清潔感のあるショートヘア。黒のウィンドブレーカーがそのスタイルの良さを際立たせている。黒のウィンドブレーカーは、「男の美容整形」とも言われる。その言葉どおり、彼の姿はまるで雑誌から抜け出したかのようだった。受付にいた新入社員の女性は、ぽかんと見とれて動けなくなっていた。そして、茜もまた、彼の姿に目を奪われた。ただし、理由は違った。どこかで見たことがある。だが、思い出せない。そんな既視感に包まれていると、彼が静かに口を開いた。「デザイナーの日向茜さん、ですか?」「はい、私が日向です」茜は少し驚きつつも、慌てて笑顔を作った。じろじろと見つめてしまったことに気づき、苦笑いしながら頷いた。「コーヒーを二杯お願い」彼の声に、茜は受付に指示を出し、来客用の応接スペースへと案内した。コーヒーが届く前に、男性は名刺を差し出しながら自己紹介を始めた。「初めまして。花澤遼平(はなざわりょうへい)と申します。27歳。不動産業を営んでおります」その一言で、茜の中に小さな警報が鳴った。......まさか。最近、叔母がやたらと「紹介したい相手がいる」と話していたのを思い出す。まだ離婚も成立していないのに、お見合いなんてあり得ない。まさか目の前の彼が、その相手なんじゃ――?「花澤さん、もしかして私の事情をご存じないのでは?私、まだ離......」言いかけたその時だった。遼平は無言で、バッグから一枚の図面を取り出し、茜の目の前に置いた。「......何の話ですか?前のスタジオ、辞めたんでしょう?もう独立してスタジオを開かれたんじゃないですか?」「あっ......!」茜は、ようやく事態を理解した。彼は仕事の依頼で訪れた
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第17話

「きれいだね」「僕のセンス、悪くないでしょ?」遼平は変わらぬ穏やかな笑顔で玄関ドアを開け、「どうぞ」と手で招いた。「花澤さん、このお家......ご自身で住まれるんですか?」「ええ。結婚するために建てた家なんです」「わぁ......!奥様になる方は幸せですね」「まだ奥様じゃないけど。きっと、すぐそうなると思いますよ」そう言って微笑んだ彼の耳たぶが、ほんのりと赤く染まっていた。その照れた表情に、茜もつられて小さく笑った。家の中はまだ何も設置されていないスケルトン状態だったが、プロの目には、むしろその空白が宝に映った。自分のセンスが存分に活かせる、夢のキャンバスだった。「花澤さん、リフォームのご希望はありますか?」「うーん......日向さん次第ですよ。僕は何でも構いません」「え?私次第って......」茜は小首を傾げた。遼平は優しい目で彼女を見つめ、穏やかに笑いながら言った。「だって、デザイナーは日向さんでしょ?僕なんかより、ずっといいアイディアがあるはずです」「そういう意味じゃなくて......たとえば、和風レトロとか、現代風、北欧風、アメリカンとか。お好みのスタイルは?」「特にないですね。全部、任せます」現実には、こういうノープランな依頼主も少なくない。だが、それでも一つだけ確認すべきことがあった。「じゃあ、このプロジェクト......私に正式に依頼するってことでいいですか?」「もちろん。契約書があるなら今すぐでも」「いえ、今日はまだ大丈夫です。契約は後日で」ここまでスムーズな依頼主は初めてかもしれない。茜は驚きと同時に、妙な心地よさを覚えていた。図面を確認し、写真を撮り、要点をメモにまとめて......作業を終えた頃には、すっかり日が暮れていた。タクシーで帰るつもりだったが、遼平が「送ります」と譲らず、またしてもあの目立つ銀灰色のロールスロイス・カリナンに乗ることになった。今日は後部座席に酒の箱が積まれており、人が座れる状態ではなかったため、茜は助手席に乗り込んだ。静かに発進した車内で、茜は窓の外に目を向けていた。初冬の森崎市。木々の間を吹き抜ける風は冷たく、空には雪の気配がうっすらと漂っていた。まだ降り出してはいない。けれど、初雪を待つ気持ちは、まる
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第18話

夕風荘の契約は、翌日無事に調印された。だが、茜の言った通り、彼女は帝都へ戻って義彦との離婚手続きを済ませる必要があった。三日間の休暇を申請し、彼女は再び帝都行きの飛行機に乗った。今回帝都に行ったのは、離婚のためだけではない。もう一つ――いや、もっと大切な用事があった。親友の結衣が出産し、女の子を産んだのだ。茜は金のブレスレット一組と分厚いご祝儀袋を用意し、空港に着くなりタクシーを飛ばして産後ケアセンターへ向かった。ピンクの毛布に包まれ、すやすやと眠る赤ん坊を見た瞬間、不意に涙がこぼれた。「何で泣いてるの?出産の苦しみを味わってないんだから、痛みもなくママになれてラッキーじゃない」結衣は冗談めかして笑ったが、次の瞬間、ハッとしたように口を噤んだ。しまった。茜は、数週間前に子宮外妊娠で倒れ、生死の境をさまよっていたのだ。そのことを知っていたのに、軽はずみな冗談を口にしてしまった自分を、結衣はすぐに悔いた。沈黙の中、気まずさを打ち消すように彼女が話題を変えた。「茜、最近どう?まだ義彦と一緒に?」茜は涙を指先で拭いながら、小さく笑って首を振った。「もうやめたの。今回帰ってきたのも、その手続きのためよ」「そっか。決めたなら、それでいい。茜はきれいだし、仕事もできるんだから。これからだって、どんな素敵な男とだって出会えるわよ。自分を大切にしてくれなかった男なんて、いっそ後悔させてやればいいのよ」結衣はあの日のことを思い出していた。病室で、義彦が茜に「優香に謝れ」と強要したあの冷たい態度。妻を守るどころか、他人の顔色ばかり伺う男なんて、何の価値がある?最近、義彦の身の回りがかなり荒れていると聞いたが、結衣は同情する気にはなれなかった。「彼が後悔するかどうかはわからないけど、私は絶対に後悔しない」茜はそう言い切り、そっと赤ん坊の頬に触れた。長居は控えるべきだと判断し、茜は小一時間で病院を後にした。しかし出口に差し掛かったそのとき、慌ただしく駆けつけてきた義彦と、ばったり鉢合わせた。茜を見送ろうと外まで出てきた結衣の夫・山本俊明(やまもと としあき)が、申し訳なさそうに口を開いた。「ごめん、茜さん。ちゃんと話す機会を作った方がいいと思って、義彦に君が戻ってきたことを伝えたんだ」茜は
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第19話

茜は最初、久しぶりの味を楽しみながら穏やかに食事をしていた。しかし義彦の言葉を聞いた瞬間、箸の先に挟んでいた肉を口に運ぶことができなくなった。そっと箸を置き、口元を拭うと、茜はまっすぐ義彦を見つめて言った。「義彦......もう、誰が正しいとか間違ってるとか、そういう話をしても意味がないわ。私が帝都を出たあの日、戻るつもりはなかったの。あなたも前を向いて、生きるべきよ」「前を向くなんて......できない、茜」義彦は、突然茜の手を握った。感情があふれ出し、声が震える。「俺たちは8年間一緒にいた。俺は本当に君を愛してる。一時の過ちで、俺を捨てないでくれ。確かに間違っていた。でも......心変わりなんて一度もなかったし、君を裏切るようなこともしてない。だから、やり直せないか?」その言葉に、義彦の目は赤く潤み、今にも涙がこぼれそうだった。もし過去の茜だったなら、信じてもらえなかった苦しみを味わっていなかったなら、彼の姿に胸を痛めていたかもしれない。でも、今の彼女には、癒えぬ傷がある。彼の涙では、もう癒せない。そして何より、義彦は、まだ自分の「何が」間違いだったのか、わかっていない。ただ「浮気していない」「心変わりしていない」から、許されるべきだと思っている。それだけだ。茜は静かに手を引き抜き、バッグを取って立ち上がった。「明日の朝8時、書類を持って役所で会いましょう。もし来なければ、あなたと優香の結婚式の写真を裁判所に提出して離婚を申請するわ」それだけ言い残し、振り返ることなく去っていった。義彦は動けなかった。巨大な岩に押しつぶされたような、息もできない苦しさが胸に広がっていた。その夜。義彦はバーで泥酔し、代行運転でようやく帰宅した。未完成のワンルーム、照明も満足に整っていない部屋で、彼は激しく吐いた。吐きすぎて、自然と涙が出るほどだった。トイレの横に座り込んだまま、虚ろな目で周囲を見渡した。昔、酔って帰ると、茜はいつも優しく世話をしてくれた。醒まし茶、胃薬、濡れタオル。汗を拭き、服を脱がせてくれた。夜中に喉が渇いて目覚めると、枕元に温かい水が用意されていた。どうして、あんなに素晴らしい妻を失ってしまったのか?義彦は、声をあげることもできず、ただ静かに泣いた。そのときだった。
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第20話

優香の言葉を聞いた瞬間、義彦の全身から血の気が引いた。「......どういう意味だ?」「どういう意味って......まだわからないの?教授なのに、ほんと鈍いんだから。ただ別のアカウントで茜になりすまして、自分にメッセージを送っただけ。あんた、まんまと信じて、茜に土下座までさせたんだよね?あはははは、滑稽すぎるわ」その瞬間、義彦の脳裏にここ数ヶ月の出来事が鮮やかに甦った。病院で茜に頭を下げさせたあの日。彼女の職場まで押しかけて、「礼儀知らず」と叱った自分の姿。冷静に考えもせず、優香の口から出た嘘を、茜の言葉だと決めつけたこと。優香の言う通り、自分は哀れなほどに愚かだった。だが、それ以上に、優香がそこまでして自分を騙したという事実に、怒りと恐怖がこみ上げてきた。「どうして君が、そんなふうになってしまったんだ。英里さんが天国で見ていたとしたら、きっと――」「お母さんの名前を軽々しく出さないで」優香は声を鋭くさせ、義彦を睨んだ。「あんた、お母さんに私を一生守るって約束したんでしょう?まだ何も果たしてないくせに。それに、あの人も大したことなかったわね。結局、死んでも私たちを結婚させられなかった。生きてたって、あの人には何もできなかったのよ」今、義彦の前に立つ優香は、ついに本性を現した。 皮肉っぽく、悪意と軽蔑に満ちた表情。 「......出て行け」声は震えていたが、確かな怒気を帯びていた。義彦はようやく理解した。茜がなぜ、あそこまで固く心を閉ざしたのか。なぜ、何度謝っても戻ってこなかったのか。それは「不倫じゃなかった」などという問題ではなかったのだ。優香は着替えながら、にやりと笑った。「茜は、もうあんたを許さないよ。いい?義彦、これからの人生、あんたには私しかいないの。私からは、もう逃げられない」扉が閉まった。しんと静まり返った部屋で、義彦はしばらくその場から動けなかった。タバコに火をつけ、窓の外の街の灯りを眺めた。その光は、どこか遠く、誰かのためだけに灯っているように見えた。もう自分のための光は、どこにもないのかもしれない。翌朝8時。茜が役所に着くと、義彦はすでに到着していた。ひげは剃られ、髪も整えられているが、その顔には深い疲労が刻まれていた。徹夜明けの目
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