三十歳の誕生日の日、七年間付き合ってきた彼氏が「市役所で会おう」と約束を取りつけてきた。彼はわざわざ、私に印鑑を持ってウエディングドレスを着て来るようにと念を押す。ところが、約束どおり市役所に姿を現した私を見て、彼は、妙に興奮した笑みを浮かべた。「ほら、金出せよ。俺が言ったろ?俺の一言で、たとえどんなに恥をかくことになっても、浅川遥香(あさかわ はるか)は言うこと聞くんだって」私は彼から目を逸らさず、じっと見つめる。高梨悠人(たかなし ゆうと)は私に向かって軽く眉を上げて、口を開く。「冗談だってば、遥香、まさか怒ってないだろ?」私が黙っているのを見て、彼はさらに苛立った様子で言う。「もういいだろう。結婚すると言ったんだから、ちゃんとするさ。ただ、今じゃないだけだ」彼の取り巻きの友人たちも、次々とふざけ半分に私をからかい始め、「お前は彼の言いなりなんだから、怒るはずがないだろ」と笑い合った。腹立つことはない。というのも、今日ここに来た理由は、そもそも彼のためではないからだ。皆が去って静けさが戻ったそのとき、私はようやく踵を返し、市役所の扉を押して中へ入った。「ごめん、遅くなった。婚姻届の手続きをしよう」結婚がこんなにも面倒なものだとは私は思ってもみなかった。ウェディングドレス姿のまま一日中外を駆け回り、全身が今にもバラバラになりそうなほど疲れ切っている。家に戻ると、部屋の明かりが灯っているのが目に入る。扉を押し開けた瞬間、不機嫌そうな悠人の声が飛んでくる。「遥香、なんでこんな時間まで帰ってこないんだよ。俺がどれだけ待ったと思ってる?電話しても出ないしさ。今日はちょっと冗談を言っただけだろ、それで拗ねてんのか?」眉をひそめ、私はふとマンションの鍵のことを思い出した。悠人はずっと、その鍵を一つ持っている。しかも、それは当時、私が無理やり押しつけるようにして渡したものだった。マンションを買った年――それは、私と悠人が付き合い始めてまだ一年目のことだった。その頃の私は、すぐにでもお互いを想い合い、まっすぐ結婚に進むものだと信じていた。だから半ば強引に、悠人へマンションの鍵を渡した。「これからはここが私たちの家」と言って、彼がこの家の主人として当然持つべきだと思った。うっすら
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