All Chapters of 君のいない世界こそが死: Chapter 1 - Chapter 9

9 Chapters

第1話

早川蒼(はやかわあお)は国内最年少で腎臓治療の第一人者に選ばれ、その研究は死亡率を大幅に下げると注目されていた。私は腎不全で治療費が払えず、主治医から「あと一ヶ月ほど」と宣告されていた。テレビ画面の中で、司会者が蒼に促す。「一番未練のある人に電話をかけてみてください」蒼は携帯を取り出す。「昔、俺に未来がないからって別れたよな?後悔してないか?」私はベッドの上で入院費用の請求書を握りしめ、テレビに映る彼の顔を見つめた。そして軽く笑って答えた。「蒼、今は成功してるんでしょ?200万円貸してくれない?」電話は即座に切られた。蒼はカメラに向かって深く息を吐き、「よし、これで完全に清算した」と宣言した。彼は知らない。あの時、腎不全で死にかけていた彼に、私が腎臓を移植したことを。インタビュー終了後、私の口座に200万円が振り込まれた。すぐに蒼からの送金だとわかった。このお金でしばらくは治療を続けられる。高価な薬も買えるかもしれない。扉が少し開いていて、思わず蒼の姿が見えてしまった。見上げると、そこには蒼が立っていた。5年ぶりの彼は、昔より引き締まった顔つきになっていたが、基本的には変わっていなかった。変わったのは、彼の隣に私がいないことだけ。彼の横には、上品なスーツを着た小野寺蘭(おのでららん)がいた。中央病院の院長の娘で、蒼の幼馴染だ。二人はとても似合っていた。私はそっと目を伏せ、ドアを閉めようとした。しかし突然ドアが勢いよく開けられ、私はよろめいた。体勢を立て直して顔を上げると、蒼の冷たい視線が私の動揺を鋭く捉えた。彼はわざとらしく横目で私を見ると、すぐに視線を逸らした。まるで私を見ることが耐えがたい汚れを見るようだ。「久しぶりだな。挨拶もできなくなったのか?」胸が高鳴る。言いたいことは山ほどある。でも口から出たのは――「蒼、もう1000万円くれない?」蒼は一瞬凍りついたように止まった。そして怒りに震えながら私の手首を掴んだ。「5年も会わなくて、金の話しかできないのか?」彼の握力は強く、骨が軋むような痛みが走った。「今は慈善活動もしてるんでしょ?図書館を寄付するような人なんだから。昔の情けで、1000万円でいいよ」蒼が深く息を吸い、何か言おうとしたその時――蘭が優しく彼の
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第2話

私と蒼は高校時代からの同級生だった。あの頃の恋は美しく、どこまでも甘いものだった。同じ大学へ行く約束を交わし、8年間も付き合い続けた。当時の彼はまだ天才と呼ばれるような存在ではなく、私たちはごく普通の貧しい学生同士。ただお互いを支え合い、かけがえのない存在になっていた。「卒業したら一緒に頑張ろう。学んだことを活かして、二人の未来を作っていこう」そう誓い合ってからほどなく、安定した仕事に就いた矢先、蒼が腎臓病を患うことが判明した。特効の注射薬代は天文学的数字。ようやく貯めた貯金はあっという間に消え、かろうじて治療を続けられる程度だった。公的医療援助を申請したが、条件に合わず却下。彼の治療費を捻出するため、私は1日1食、しかも500円以内の食事で凌いだ。それでも生活費と薬代を賄うのが精一杯。途方に暮れ、ゴミ捨て場まで漁りに行ったこともある。だがそこには同じようにゴミをあさる人々がいて、彼らは「縄張り」を荒らす私を敵視した。蒼の病状は悪化する一方。唯一の希望は腎移植だったが、適合するドナーは見つからない。彼は次第にベッドから起き上がれなくなり――そんな中、医師から告げられた。「適合するドナーが見つかりました。あなたに適合する」思い出から現実に戻ると、目の前で蘭が蒼の肩にもたれかかっていた。蒼は彼女の髪を軽く撫で、優しさに満ちた眼差しを向けている。「全部あの女の自業自得だ。お前こそ俺の運命の相手だ。バッグを買ってあげるだけじゃない。気に入ってたあの高級マンション、明日買いに行こう」私はそっと手を引き、心の動揺を押し殺した。しかし喉元までこみ上げてくる苦さは消えない。二人から離れようとした瞬間、蘭が「偶然」のように肘で私を押した。「あら!夏目さん、足元見てないんですか?」転んだ拍子に、診断書と請求書が蒼の足元に散らばった。蒼は一瞬、思わず手を差し伸べかけたが、蘭に引き止められる。「まあ!見て!」蒼が拾い上げた紙片に目を通すと――「腎疾患治療費請求書……」彼の表情が歪んだ。診断書を私に投げつけ、怒声が響いた。「夏目遥(なつめはるか)!金のためなら手段を選ばないな!こんな下劣な真似までするのか!5年経っても相変わらずだ。お前の頭の中は金でできてやがる!」その声は力強く、かつての病など感じさ
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第3話

蒼は蘭の手を引いて振り向こうとした。蘭はまだ私のために「慈悲」を乞うふりをしている。しかし彼女がふと私を見た瞬間、その瞳に浮かんだのは隠しきれない悪意と嘲笑だった。私は皺くちゃになった診断書を拾い上げようとした時、腰に激痛が走った。眩暈がして壁に掴まりながらベッドまで辿り着いた時、すでに全身の力が抜けていた。「腎疾患」の文字を見ながら、無意識に痛んだ箇所を撫でる。そこにはミミズのように歪んだ手術痕が残っていた。この傷痕の下には、かつて健康だった片方の腎臓が欠けている。――全く同じ傷が、蒼の体にも刻まれているはずだ。五年前、ドナーが見つからず、蒼の病状は悪化の一途を辿っていた。彼は骨と皮だけの姿になり、死が刻一刻と近づいていた。私は自分の腎臓を彼に与えた。片腎を失っても死には至らない。だが恐ろしいのは、後から襲い掛かる合併症と術後障害だった。お金がなくなり、薬を買えなくなった私は、回復の機会を次々と逃していった。やがて風邪を引きやすくなり、腰の痛みで夜も眠れなくなった。だるさと衰弱は日常となった。今の私は、あの時の蒼と同じ苦しみの中にいた。いや、彼以上に悲惨だ。ドナーもいない。薬を買う金もない。私のような犠牲を払ってくれる人など、二度と現れない。はっきりと悟った。私の命は、もう長くない。病院を出た後、私は借りている地下室に戻った。薄暗く湿っぽく、窓もない息苦しい部屋。だがこれが私の精一杯だった。あの日々、蒼と共に暮らしたのもこの場所だ。どんなに劣悪な環境でも、私たちの愛を阻むことはできなかった。医師から「私の腎臓が蒼に適合する」と告げられた時、私は安堵した。「彼さえ生きていれば、それでいい」そう決めて、私はわざと蒼と喧嘩した。自分でも胸が引き裂かれるような酷い言葉を並べ立てた。出会ってからずっと、私たちはお互いを最も理解し合う存在だった。だからこそ、どんな言葉が蒼を壊すかも知っていた。――でなければ、あれほど私を愛していた彼が、私から腎臓を受け取るはずがない。きっと彼も私と同じように、自分が死ぬことより、相手が傷つくことを選んだだろう。彼を救うため、私は冷酷な女を演じた。「もう耐えられない。障害者のあなたでは、私の欲しい生活なんてできない」今でもあの日のこと
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第4話

今や彼は名だたる外科医の天才となっていた。かつて彼を死の淵まで追いやった病は、今や彼の手にかかれば治る病気になった。私たちが夢見た輝かしい未来は、彼の中で現実のものとなっていた。そして私には……もはや未来などなかった。テレビも新聞もSNSも、彼の成功談で溢れている。誰もが「若き天才」と讃える。胸の奥で、かすかな悔しさが疼いた。――それでも、どこか嬉しかった。良かった。彼の前途は輝いている。突然の着信音で思考が遮られた。銀行からの電話だ。「先日の200万円の振込は当方の操作ミスです。至急返金してください。さもなくば法的措置を取ります」電話を切り、剥がれかけた天井を見つめた。口内に堪えがたい苦味が這い上がってきた。長い時間をかけて、私は親友小野美咲(おのみさき)に仕事を紹介してくれるよう頼んだ。蒼があのようなことをしたのは、私を心底憎んでいるからに違いない。「金の亡者」の私が、得たものをまた奪われる絶望。借金を返すために喘ぐ姿――きっと彼はそれを望んでいるのだ。だが体調の問題で、普通の仕事は全てできない。重労働は無理。疲れやすい。制限だらけの体。美咲の言葉を借りれば、「せめて顔だけは使える」だった。そうして、高級会所のアルバイトが決まった。時給3000円という待遇だ。豪華なドレスを着て入口で接客していた時、またしても蒼と出くわした。彼のスーツは一見して高級品だとわかる。彼をさらに輝かせ、周囲から浮き立たせている。蘭はオートクチュールのドレスを纏い、一挙手一投足が絵になる美しさだった。蒼が蘭のために車のドアを開け、手を取って中へ導く。私はただ入口に立ち、微笑みながらお辞儀をするしかなかった。最初、蒼は私に気づかなかった。だが私がうつむいた瞬間、蘭が突然声をかけてきた。「そこの方、私のトランクを部屋まで運んで頂戴?中身は高価なものだから、丁寧にね」拒否権などない。トランクを持ち上げた時、その重さに気づいた。今の私の体力では、客室まで運べるはずがない。案の定、転倒して中身をぶちまけてしまった。「まあ!私のヴァンクリーフ&アーペルが!」蘭の叫び声と共に、場内の視線が一斉に私へ集中した。蒼は眉をひそめ、蘭の目には憎悪が渦巻いている。突然、蘭が私を強く押した。
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第5話

「これが早川先生の元カノ?先生が一番大変な時に捨てたんだって」「まじ?それなら同情できないわ」「そうよ、あんな女はゴミ拾いでもしてればいいんだから!」誰かが私の頭に赤ワインを浴びせた。次にオレンジジュース、ミルク、ワインの瓶――次々と体に当たり、床で砕け散った。明らかに、蒼の取り巻き連中が、彼のためと称して私を虐めているのだ。額から血が流れ、頬を伝う。けれど、もう痛みさえ感じなかった。心は完全に麻痺していた。蒼が冷たい視線で私を見下ろす。「夏目遥、弁解もないのか?話すのにも金が要るとでも?わざわざ俺のスケジュールを調べてまで、金目的でここまで来たんだな」彼はウェイターの横に積まれたワインのケースを指差した。「これを全部倉庫に運べ。終われば1000万やる」――完全に故意だ。健康な時ですら力が弱かった私に、今の病身で運べるわけがない。少し重いものを持つだけで、すぐに息切れがする体なのに。主治医からは「しっかり休んでください」と言われていた。だが、選択の余地などなかった。私は蒼の目をまっすぐ見た。「前に振り込まれた200万円は返済不要で?」蒼の表情が一瞬歪む。周囲の空気が凍りつく。「ええ」彼の言葉に、私は黙って最初のケースを持ち上げた。重い。次の瞬間には倒れそうなほど。一箱運び終えると、全身が汗でびっしょり。足はガクガク震え、心臓がバクバク鳴る。今回はさらに歩みが遅くなり、最後は箱を抱えたまま立ち尽くし、両腕が震えていた。止まれば終わり――その恐怖で、すぐに次のケースに手を伸ばした。周囲の客たちは、この惨状を面白そうに見物している。ただ一人、蒼だけが次第に表情を険しくしていった。通常二人がかりで運ぶ重量だ。私が三箱目に手をかけた時、蒼は突然私の肩を掴んだ。「金がなくて本当に死ぬのか?」彼の充血した目を見つめ、私はうなずいた。「ええ。なければ死にます」蒼は激しい怒りに震えながら私を突き放す。「なら運べ。全部だ。一つも残すな!」私がケースを持ち上げた瞬間、彼はさらに上にもう一つ重ねた。合計の重さは子供が運べる程度。膝が折れ、ケースは崩れ落ちた。割れた瓶の破片が掌に突き刺さる。ワインの赤が血と混じり合う。私の体力もう限界だ。腰の
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第6話

蒼は美咲の言葉を聞いた瞬間、全身が石化したように固まった。怒りと嘲笑が顔から消え、驚愕と恐怖に塗り替えられる。彼は目を見開き、血の海に倒れる私を釘付けのように見つめた。数歩後ずさり、首を振りながら、美咲の言葉を拒絶するように呟く。「夏目遥……また芝居か?金を騙し取るために共犯者まで用意したのか」私はもう立つ力もなく、美咲に寄りかかりながら、蒼の青ざめた顔を嘲笑った。彼の目に映る私は、金のためなら手段を選ばない女なのだ。今や成功者の彼にとって、私は尊厳も捨て、嘘もつく最低の女だろう。「夏目遥、お前は本当に……吐き気がする」私はゆっくりと美咲の支えから離れ、ふらつく体を必死に立て直した。「残念、バレちゃったみたい」美咲が遮ろうとしたが、私は静かに制した。彼女には理解できない。なぜ今になっても真実を話さないのか。蒼は冷笑した。「五年経っても、相変わらず卑劣だな」私はただ微笑み、何も返さなかった。私の態度に、蒼の怒りはさらに増したようだ。彼が口を開こうとした瞬間、蘭が割って入った。「蒼くん、夏目さんが偽装したのはきっと事情があったのよ。そんなに怒らないで」蒼は不機嫌そうにふん、表情を少し和らげた。彼はカードを一枚放り投げた。「1000万だ。命の値段としては十分だろう」私は震える手でそれを受け取った。「ありがとう、早川さん。これで十分です」ふらつく私を見て、蘭は「親切」を装い支えようとした。しかし陰で私の腕を強くつねりながら、囁くように言った。「夏目さん、もう嘘はやめてね。神様が罰を与えるわよ」私は力一杯手を振り払った。蘭はわざとらしく転がるように蒼の胸に飛び込んだ。「夏目さん、私あなたのためを思って……!」彼女こそ真の名役者だった。涙まで浮かべながら。蒼の目は失望に満ちていた。彼はすぐに警備員を呼び、私と美咲を追い出させた。炎天下、私の顔はさらに青白く見えた。美咲はついに泣き出した。「遥、なぜ真実を話さないの?話せばこんな苦しみを味わわずに済んだのに!」私は笑って、カードを握りしめた。「過去のことはもういいの。これで死ぬまで十分なお金ができた」美咲の涙が止まらない。「あなたは彼のために全てを捧げたのに、彼はそんな価値もない人だわ!」私は眩しい陽射しを避け、空を見上げた。
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第7話

もしかしたら神は私を憐れんでくれたのか、命の残り時間の中で、もう一度蒼と会う機会を与えてくれた。私はすぐにこの事実を受け入れた。私にとって、一ヶ月だろうと半月だろうと、大した違いはないのだ。美咲は泣き続けていた。「泣かないで、私はそんなに簡単には死なないから」最期の日々を病院で過ごしたくはなかった。美咲に退院手続きをさせ、蒼からもらった1000万円で、自分にとって最高の墓地を選んだ。あの頃、蒼と最初に夢見たのは、自分たちの家を持つことだった。生きている間は流れ流れだったが、死んでようやく、誰にも邪魔されない静かな場所を得られる。副葬品は要らない。私にとって一番大切なものは、ずっと心の中にあるからだ。地下室に戻ると、美咲が待っていた。私を見て、言いたげな様子で躊躇している。「どうしたの?」彼女はスマホを差し出した。SNSでは、あの高級会所で起きたことが拡散されていた。動画の中の私は、金のためなら手段を選ばない女として映っている。蘭の親切を拒み、酒を浴びせられる姿。私の顔ははっきりと写っており、タイトルには「医学界の天才を金目当てに捨てた元彼女」とあった。動画はバズり、100万以上のいいねがついている。誰もが知ってしまった――天才医師・早川蒼には、金に目のない元彼女がいたことを。コメント欄は私への罵詈雑言で埋め尽くされていた。【こんな女、死んだら地獄に落ちろ!】【成功したらまた寄ってくるなんて、厚かましいにも程がある!】【腎臓をあげただって?神の罰が当たるわ!】さらに卑劣な言葉が並ぶ。ネットユーザーは怒り狂い、私の住所まで暴き出していた。家の前にはゴミや糞尿が投げ込まれている。「遥!みんな何もわかってないんだから、すぐに真実を話して!」私は首を振った。「いいの、説明なんて」ここまで来たら、もう意味がない。私が蒼を捨てたのは事実だ。誰も嘘つきの言葉を信じない。この仕組んだ人物は明白だった。ずっと前から、私は彼女の目の上のたんこぶだったのだ。ちょうどその時、携帯にメッセージが届いた。【ダンサー・イン・ザ・ダークカフェ、今すぐ来なさい】蘭が待っていた。私を見るなり、彼女の目には隠しようもない優越感が浮かんでいる。「あら、夏目さん。マスクもせずに出歩くなんて、今や有名人なのに」
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第8話

孤児院の横に並ぶ低い古い家々、壁の剥がれたあの建物が、かつて私の家だった。私が蒼に腎臓をあげたこと――いつか彼が真実を知る時が来るかもしれない。でもその時には、私はもうこの世にいないだろう。彼がどう思おうと、今の私には考える力もない。私は孤児だった。小さい頃から孤児院で育った。初めて遠くに出たのは大学進学の時だ。新入生登録の日、初めて蒼と出会った。横顔がとても爽やかで、笑うと白い歯がキラリと光る。初めて話した日、初めて告白した日、初めて手を繋いだ日、初めてキスをした日……あまりにもたくさんの「初めて」が、今思い返せば全て蒼とのものだった。思い出が重すぎて、頭の中がいっぱいになってしまった。久しぶりに戻ったこの家の庭は雑草だらけで、壁には苔がびっしり。草を抜きながら記憶を整理していたが、庭がきれいになるにつれ、思い出はますます鮮明によみがえってくる。トントンと音がして振り向くと、杖をついたおばあさんが近づいてきた。「遥ちゃんじゃないの?帰ってきたのね」「小林先生、私が戻りました」小林院長の顔に喜びが溢れた。彼女は路上で私を拾い、孤児院に連れてきてくれた人だ。小さい頃から面倒を見てくれ、学校に行かせてくれた。気づけば、彼女も私の家族だった。張り詰めていた心が一気にほどけ、涙が溢れ出た。小林院長は私の隣に座り、背中をそっと撫でながら、無言で慰めてくれた。なぜ泣いているのかは聞かなかった。だからこそ、余計に温かさを感じた。久しぶりに食べた寿司の味。食欲はなかったが、何貫も口にした。懐かしい味に、体の力がふっと抜けていく。そんな日々が続いた。毎日、近くの小高い丘に座って遠くを見る。昔はここから出て新しい世界を見るのが夢だった。でも外に出てから、私の人生は嵐ばかりだった。蒼だけが、唯一の甘い思い出だ。ネット上での私へのバッシングは消えていた。だが、あるユーザーの何気ない一言で、再び炎上することに。【おばあちゃんが亡くなった日、大きな目が印象的な綺麗なお姉さんがお墓を買いに来てた。私と同い年くらいなのに、『自分用の一番静かな場所がいい』って言ってて……元気でいてほしいな】添えられたぼやけた写真には、私らしき人物が写っていた。この投稿は瞬く間に拡散された。「早川蒼の元彼女」「冷酷非道
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第9話

【早川先生の元彼女が死ぬんだって……あの会所に行ったのも、最後に彼に会いたかったからじゃない?】【治療費がなくて死ぬなんて、本当にお金に困ってたんだね】やがて、私と蒼の学生時代の甘い恋愛写真も公開された。【めちゃくちゃ仲良かったじゃん!毎日一緒にいて、そんな人が金目当てだなんて信じられない】【そうです。8年も付き合ってたのに、簡単に捨てるはずない。きっと事情があったのよ】ついに私を擁護する声が上がり始めた。ネットユーザーたちは次第に同情を寄せるようになった。そして遂に、あの日私の腎臓を摘出した執刀医が真相を明かした。【守秘義務があるが、これは私の医師人生で最も衝撃的な事例だ。彼女を非難する声を見て、この深い愛情が歪められるのが耐えられなかった。夏目さんは偉大な女性だ】私が蒼に腎臓を提供した事実は、ネットに激震を走らせた。だが、私はもうそれを知る由もなかった。ある朝、私は一切食事が喉を通らず、腕を上げるのもやっとだった。死期が近いことを悟った。突然の眩暈でベッドに倒れ込んだ。今回は美咲が訪ねてきて病院に運んでくれたおかげで、一命を取り留めた。目を覚ますと、泣き崩れる美咲の姿があった。彼女は私の残り時間が少ないことを知っていた。その時、病室のドアが勢いよく開かれた。蒼が荒い息をしながら現れ、私を見つけると駆け寄ってきた。汗だくで、目は真っ赤に腫れていた。握り潰した診断書を掲げ、声を震わせた。「なぜ……なぜ真実を教えてくれなかったんだ!」涙が私の手の甲に落ちた。真相が明らかになっても、私は喜べなかった。ただ虚しさがこみ上げる。笑おうとしたが、顔の筋肉さえ動かない。ただ首を振るのが精一杯だった。蒼の涙はますます溢れ、長いまつ毛に絡まり視界を遮った。すすり泣きを必死にこらえながら、彼の全身が震えていた。「遥……俺がお前を治す。絶対に治してみせる!」彼の頬に触れて、涙を拭ってあげたかった。だがそれもできず、ただかすかに頷くだけ。彼なら腎臓病は治せるだろう。でも私を治すことはできない。その後2日間、蒼は私の枕元を離れなかった。懸命に資料を調べ、治療法を模索する。だが、彼のため息がすべてを物語っていた。「蘭さんは大丈夫なの?早く帰りなさい」蒼は優しく私の頭を撫でた。5年前と同
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