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第8話

Auteur: こう こだい
孤児院の横に並ぶ低い古い家々、壁の剥がれたあの建物が、かつて私の家だった。

私が蒼に腎臓をあげたこと――いつか彼が真実を知る時が来るかもしれない。でもその時には、私はもうこの世にいないだろう。彼がどう思おうと、今の私には考える力もない。

私は孤児だった。小さい頃から孤児院で育った。初めて遠くに出たのは大学進学の時だ。

新入生登録の日、初めて蒼と出会った。

横顔がとても爽やかで、笑うと白い歯がキラリと光る。

初めて話した日、初めて告白した日、初めて手を繋いだ日、初めてキスをした日……あまりにもたくさんの「初めて」が、今思い返せば全て蒼とのものだった。

思い出が重すぎて、頭の中がいっぱいになってしまった。

久しぶりに戻ったこの家の庭は雑草だらけで、壁には苔がびっしり。

草を抜きながら記憶を整理していたが、庭がきれいになるにつれ、思い出はますます鮮明によみがえってくる。

トントンと音がして振り向くと、杖をついたおばあさんが近づいてきた。

「遥ちゃんじゃないの?帰ってきたのね」

「小林先生、私が戻りました」

小林院長の顔に喜びが溢れた。

彼女は路上で私を拾い、孤児院に連れてきてくれた人だ。小さい頃から面倒を見てくれ、学校に行かせてくれた。

気づけば、彼女も私の家族だった。

張り詰めていた心が一気にほどけ、涙が溢れ出た。

小林院長は私の隣に座り、背中をそっと撫でながら、無言で慰めてくれた。なぜ泣いているのかは聞かなかった。だからこそ、余計に温かさを感じた。

久しぶりに食べた寿司の味。食欲はなかったが、何貫も口にした。懐かしい味に、体の力がふっと抜けていく。

そんな日々が続いた。

毎日、近くの小高い丘に座って遠くを見る。

昔はここから出て新しい世界を見るのが夢だった。

でも外に出てから、私の人生は嵐ばかりだった。蒼だけが、唯一の甘い思い出だ。

ネット上での私へのバッシングは消えていた。だが、あるユーザーの何気ない一言で、再び炎上することに。

【おばあちゃんが亡くなった日、大きな目が印象的な綺麗なお姉さんがお墓を買いに来てた。私と同い年くらいなのに、『自分用の一番静かな場所がいい』って言ってて……元気でいてほしいな】

添えられたぼやけた写真には、私らしき人物が写っていた。

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