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第17話

Author: 佐藤真理
健太の後ろには、慌てて追いかけてきた紗英の姿もあった。

彼女は息を荒げながら声を張り上げた。

「あなたは今、絶対に外に出ちゃ……」

だが、息子の視線を辿って知佳を瞬間、言葉が喉に詰まった。

知佳は手に持ったエコー検査の紙を背中に隠し、笑顔で声をかけた。

「お母さん」

紗英は乾いた声で「ええ」と返すだけだった。

そして健太に一度だけ視線を送り、真実を暴こうとはしなかった。

「健太が風邪をひいたから、一緒に病院に来ただけよ。あなたがいるなら、私は外で待ってるわ」

最後まで、知佳に「どうして病院に?」と聞こうとしなかった。

知佳は目を伏せ、素直に「はい」と答えた。

そして一歩下がり、紗英に道を譲った。

気にしないと自分に言い聞かせるが、やはり一言だけでも心配の言葉をかけてほしかった。

だが、紗英の姿が完全に消えるまで、その言葉を待っても届くことはなかった。

その様子を見ていた健太は、帰ったら必ず家族と話そうと心に決めた。

彼はまだ諦めきれずに尋ねる。

「知佳、どうして病院なんかに?」

病気のことを悟られるのが怖い反面、本当に体を壊しているのではないかという不安もあった。

知佳は我に返り、何事もないように笑った。

「入社前の健康診断を受けに来ただけよ」

もっともらしい理由だ。

だが健太は眉をひそめた。

「君の健康診断の結果なら、もう確認済みだ」

少し間を置き、健太は彼女が後ろ手に隠しているものへ視線を移した。

「知佳、この病院は佐藤家のものだ。自分から教えてくれなくても、院長に聞けば分かる」

知佳は思わず声を上げた。

そうか、この病院は佐藤家のものだったのか。

以前、従兄弟がここで手術を受けていたのも、それで納得できる。

もはや隠し通せないと悟り、知佳はエコー写真を彼の胸に押し付けた。

「私、妊娠したの」

そう言って、すぐに自嘲気味に笑った。

「でも、あなたの子じゃない」

ふと、用紙に妊娠週数が記されていたのを思い出し、慌てて紙を引き戻した。

「……あなたはおじさんになるのよ」

健太は無意識に強く手を握りしめた。

心の奥で喜んでいた。

妊娠の時期から見ると、どう考えても自分との子供だ。

彼女は子どもができた。

自分は父親になるんだ。

だが同時に、もしかしたら生まれる瞬間を見届けられないかもしれない
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