私の夫・平井雄也(ひらい ゆうや)は毎日、新しく入ってきた年下のアシスタントに「雄也兄ちゃん」と呼ばれている。そのたった一言の「雄也兄ちゃん」のために、彼は彼女のために、水漏れする賃貸アパートを直し、ウォーターサーバーの水のボトルを持ち上げ、頭を抱えるようなデータの報告書を片付ける。ふたりの関係がどんどん深まっていくうちに、彼の携帯には妊娠検査の証明書と、一枚の写真が保存されるようになった。写真の中の彼は口元を緩めて笑い、年下のアシスタントを見つめる目には熱を帯びていた。彼は友人とのチャットで、私と離婚すべきかどうか迷っていると言っていた。「久保裕香(くぼ ゆうか)はいい子だよ。でもさ、毎日同じ料理を食べてると、ちょっと飽きてくるんだよね」……雄也のスマホには、私の指紋も登録してある。結婚して六年、信頼と尊重を築いてきたからこそ、今まで彼のスマホを覗いたことなど一度もなかった。彼のことはよく知っている。誠実で、むしろ人付き合いが苦手なくらいの男だ。浮気なんてするはずがないと、私は思っていた。それなのに……どうしても気になって、ロックを解除するボタンを押してしまったのだ。そして、この胸が締め付けられるような、開けてはいけないパンドラの箱を、開けてしまった。あの女の子のプロフィール画像は、自分の写真だった。雄也の好みそうなタイプで、愛らしく可愛らしく、目は明るく澄んでいた。心臓が微かに震えた。私はチャットのログをさかのぼった。半年前、彼女が初めて挨拶したメッセージまで。【平井社長、初めまして。新しく入りましたインターンの江原紗和子(えはら さわこ)です。これからアシスタントを務めさせていただきます!どうぞよろしくお願いいたします】当時の雄也は彼女に対しても、他の人たちと同じようにそっけなく、たった一言だけ返していた。【ああ】ところが、紗和子の熱意は冷めず、生活の些細な雑事をどんどん共有してくるようになった。【平井社長、私たちゲームプロジェクトやってるんだから、若者の生活にもっと近づかないと!これ、私が行ったコミケの写真です】【平井社長、このお店のデリバリー超まずい!絶対やめたほうがいいよ!】【平井社長、この曲マジで神!ぜひ社長にも聴いてほしいです】その中には、私のことも触れられていた。
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