All Chapters of 三百枚目の借用書: Chapter 1 - Chapter 9

9 Chapters

第1話

退院して家に戻ったとき、家の中には誰一人もいない。掃除をしてくれているお手伝いさんでさえ、休みを取って、姿はない。がらんどうの別荘には灯りは一つも点いておらず、真っ暗に沈んでいる。静けさの中、自分の足音だけがやけにはっきりと響いている。わかっていたはずの光景なのに、抑えきれない寂しさとみじめさが込み上げてくる。私の存在をすっかり忘れ去られるのは、初めてじゃない。深く息を吸い込み、二階へ足を向ける。治ったばかりの脚にはまだ力が入らず、手すりにすがって、ようやく自分の部屋へとたどり着く。それは、この豪華な別荘の中でいちばん狭くて暗い物置部屋だ。私の持ち物なんて、ほんのわずかしかない。ベッドが一つ、古びた木の机が一つ。それだけ。その机の引き出しを開けると、ぎっしりと詰まっているのは、両親に差し出してきた借用書の束だ。一枚、二枚……今手にしている分を合わせれば、きっちり三百枚。金額は数千円から数万円までばらばらで、私の学費や生活費のすべてがそこに記されている。合わせても、百万円には届かない。口の端が引きつり、浮かぶのは苦い笑みだけだ。たった百万円だ。美緒のごく普通のアクセサリーでさえ、これよりずっと高い。だから両親は、いつも私を「貧乏くさい」と罵り、美緒こそが宮本家のお嬢さまだと言う。確かに、私では比べものにならない。借用書を一枚ずつ丁寧に揃えて服のポケットにしまい、階下へ降りようとしたそのとき、外から声が聞こえてくる。「パパ、私、お姉ちゃんの作る魚の甘酢あんかけが食べたいな。お願いしてくれる?」「お前のお姉ちゃんはお前みたいに素直じゃないんだ。今は気が立ってて、お前の成人式にも顔を出しもしないで、どこで遊び歩いてるのやら……帰ってきたら、パパが言って作らせてやる」私は嘲るように笑い、なんて皮肉だろう。私は事故に遭ったことをちゃんと伝えていた。けれど両親は信じようともしない。むしろ、私が遊び歩いて、美緒の成人式に出たくなかっただけだと決めつけている。きっと両親は覚えていないのだろう。私の誕生日が美緒と同じ日だということを。あの成人式は、本来なら私の成人式でもあるはずなのに。ドアが開き、階段に立つ私の姿を見た途端、三人の和やかな空気は一瞬でかき消える。私は、まるで招かれ
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第2話

魚の甘酢あんかけ――私にとって、悪夢みたいな料理だ。今でもはっきり覚えている。あれは母の四十歳の誕生日だった。私はこっそり作り方を覚えて、母に食べてもらおうと台所に立った。あの年、私は十二歳。魚の甘酢あんかけを作るために、危うく指を切りそうになり、熱い油がはねて火傷もした。それでもどうにか仕上げて運んでいくと、美緒が大好きとのひと言に、母は箸を一度もつけず、皿ごと美緒の前へ押しやった。私は忘れない。美緒が私に向けた、あの得意げな表情を。彼女は私の目の前で、その魚を一尾まるごと平らげ、うっかり小骨を喉に引っかけた。両親は取り乱し、慌てて彼女を病院へ連れていった。美緒は母に甘えるように寄り添いながら言った。「ママ、お姉ちゃんを責めないで。美緒が欲張りだっただけだから」そのひと言で、母は逆上し、私の頬を思いきり平手打ちした。私を性根の悪い子だと罵り、そんなやり方で美緒を傷つけたのだと決めつけた。それからは、美緒が魚の甘酢あんかけを食べたいと騒ぐたび、両親は人をつけて私を見張り、小骨を一本残らず抜けと命じた。そんな下処理は、時間も手間もかかる。両親に一言でいいから褒められたくて、ここ数年、何百回も同じことをしてきた。けれど今は、自分がつくづく割に合わないことをしてきたと思う。「お手伝いさんに作ってもらって。私は作りたくない」そう言って立ち去ろうとしたとき、美緒が私の腕をつかみ、今にも泣き出しそうな顔で言う。「お姉ちゃん、まだ怒ってるの?ごめんね。無駄遣いのことをパパとママに言っちゃったの、わざとじゃないの」私の態度に元々苛立っていた両親は、その一言でさらに逆上した。父は勢いよく手を振り上げ、私の頬を打ち据える。私は床に倒れ込む。「よくも美緒に当たれるな!考えてみろ。お前が当時、美緒の生活費を使い込まなければ、飢えに苦しんで今みたいに胃を悪くすることはなかっただろう!」母の目にも失望の色が浮かぶ。けれど、私が実の娘であることを思い出したのか、いったんは手を伸ばして起こしてくれる。「奈穂、あなたがこのあいだ交通事故を口実に金をせびった件――美緒がどれだけ隠して取り繕ってくれたと思ってるの?借用書を書かせてるのも全部あなたのためよ。派手な金遣い、いいかげん直しなさい!」
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第3話

相手にする気にもなれず、私は踵を返してその場を離れようとする。父は怒りに任せ、そばの花瓶をつかんで私の足元に叩きつける。「この親不孝者め、親不孝者め!家出でもするつもりか!いいだろう。この数年で書いた借用書も、もう十分だ。来週までにさっさと全部返せ!さもないと、うちの法務部に回して、お前を塀の中に送ってやる。たっぷり痛い目を見せてやる」砕けた花瓶の破片がすねを切り、血がとめどなく流れ出す。それでも私は、痛みにほとんど気づかない。父の言葉に、驚きは微塵もない。私は振り返り、三人を一瞥する。両親は、私が怖じ気づいて、すぐにでも折れると思っている。勝ち誇った顔の二人を前にしても、私の胸の内には波ひとつ立たない。顔をそむけ、ドアを閉める直前に、一言だけ言い残す。「わかった」それなら、お金を返すだけだ。返し終えたら、このどうしようもない家とは、もう縁を切る。別荘を出ても、背後から父の怒号がなお追いすがってくる。私は、聞こえないことにする。足を引きずりながら高級住宅街を抜けると、世界は思っていたよりずっと広いことに気づく。広すぎて、家を出た私は、どこへ行けばいいのかさえわからない。夜空にまたたく一つの星を見上げ、私は自分もあの星と同じくらい孤独だと感じる。しゃがみ込み、膝を抱えて身を丸める。冷え切った体を、少しでも温めようとする。昔の両親は、こんなふうじゃなかった。二人は周囲で評判の仲の良い夫婦だ。その一人娘だった私は、目に入れても痛くないほど可愛がられていた。すべてが変わったのは、美緒が家に来てからだ。彼女は両親の親友の娘だった。交通事故で両親を失い、引き取り手になってくれる親戚もいなかった。それで、うちが引き取った。最初は、家に来たばかりの妹に、少し期待もしていた。家には私しかおらず、時々寂しく感じることもあった。それに、彼女と私の誕生日も同じ日だった。私は、自分がいちばん気に入っていたおもちゃも、いちばんきれいなワンピースも、彼女にあげた。まさか、いつも甘い声でお姉ちゃんと呼んでくれる美緒が、毒蛇のように容赦なく噛みついてくるなんて。あのころ、私たちはまだ小学生だった。両親は仕事で手いっぱいで、生活費を私に預け、姉の私に美緒の食事の面倒を見ろと言
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第4話

私は必死でバイトを掛け持ちし始める。幼なじみの涼太が私を見つけたのは、ナイトクラブでドリンクを運んでいたときだ。仕方がない。金欠だ。昼はもう時間を全部バイトに充てている。夜は、ここがいちばん割に合って、しかも週払いだ。時々、手を伸ばしてくる客もいるけれど、一線は守るし、誰も本気で強引には出ない。指折り数えながら、一週間働ききってもあといくら足りないのか、頭の中で計算する。けれど、涼太の目には、この仕事は自分を大切にしていない証拠としか映らない。彼は友人を連れて飲みに来て、私を一目で見つけた。そのとき私はちょうど酒瓶の載ったトレイを抱えていた。涼太が腕を乱暴に引いた拍子に、高価なお酒が滑り落ち、床に激しく叩きつけられて砕け散った。「奈穂、拗ねて家出なんかして、美緒がどれだけ心配してるか分かってるか?よりにもよって、こんないかがわしい店で身をやつすなんて。おまえ、それで美緒に顔向けできるのか?」私は彼の怒鳴りを無視して、ただ足元の惨状をぼんやりと見下ろす。もったいない。今夜のシフト、実入りはゼロだ。私が反応しないのを見て、涼太はさらに怒りを募らせる。すぐにマネージャーが慌てて駆け寄ってきて、深々と頭を下げる。「藤原様、奈穂とはお知り合いでいらっしゃいますか?もう、この子は元もともとそそっかしいところがあって、すぐ人の気分を損ねるんです。ほら、奈穂、早く藤原様にお詫びしなさい」――藤原様。なんとご立派なこと。目の前の、やけに着飾って体裁ばかり取り繕った涼太は、どうしても、昔、私にまとわりついて、一緒に遊ぼうとせがんでいたあの小さな男の子と結びつかない。そうだ。私だけを好きだと言い、私を一生守るとまで口にしていた彼は、とっくに美緒に恋をしてしまった。両親がそうだったのと同じように。ときどき思う。美緒こそがこの世界のヒロインなんだと。そして私は、いずれ黒く塗られる宿命の悪役。私を愛していたはずの人たちは、みんな揃って彼女を愛するようになる。まるで呪いだ。抜け出せないし、逃げ切れない。涼太は、私が茫然としているのにも気づかない。私の頭の先からつま先まで値踏みするように一瞥し、汚いものでも見るように顔をしかめる。メニューを取り上げ、強い酒を十本注文して、見下ろす
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第5話

次に目を開けたとき、私は病院にいた。真っ白な天井に、鼻を刺す消毒の匂い。ぼんやりして、一瞬、事故の直後に戻ったのかと思う。でも、あのときの私に、こんな立派な個室に入れるはずもなかった。「奈穂、目が覚めたか?」顔を横に向けると、ベッド脇で付き添っていた涼太がいた。彼の目は充血していて、一晩中眠っていないみたいだ。表情は複雑で、何を考えているのか読み取れない。「そのくらいの金に、そこまで無茶するのかよ?医者が言ってた。奈穂、おまえはもう胃に穴があいてるって」私はまばたきをして、気にかかるのはただ一つだけだ。「治療費、いくら?」涼太はむっとして答える。「治療費は俺が払った」そう言ってから、どこか後ろめたそうに私を見やり、続ける。「今回は俺がやりすぎた。まさかそこまで弱ってるとは思わなかった」私は彼の謝罪なんてどうでもいい。だから、別のことを訊く。「あの二百万円、まだ有効?」涼太は怒りで息が詰まりかける。「金、金、金!頭の中、それしかないのか?どっちも宮本家の娘だろう。どうして美緒はお前みたいにがめつくないんだ」美緒ががめつくないのは当たり前だ。お金に困っている人だけが、頭の中まで金でいっぱいになる。美緒は困っていない。宮本家にも、涼太にも、大事にされている小さなお姫さまだから。私の口の端に皮肉な笑みを見って、さっきまで刺々しかった涼太は、ぱたりと言葉を飲み込む。きっと、私が家でどんな暮らしをしてきたかを思い出したのだ。声色を和らげる。「奈穂、わだかまりがあるのは分かってる。でも家族なんだ。おじさんとおばさんも、美緒も、お前に苦労させたいわけじゃない。二百万円は渡す。それでおじさんとおばさん、それに美緒に小さな贈り物でも買って、関係を和らげなよ」涼太のその物言いに、吐き気がする。それでも、私は拒まない。そのお金は、私がプライドと体を削って手に入れたものだ。受け取って当然の対価。でも使い道まで、彼に口出しされる筋合いはない。彼は私の何なの?私が黙っているのを、涼太は説得が効いたと勘違いしたらしい。手を伸ばし、昔みたいに私の頭を撫でようとする。だが、ちょうどそのとき、病室の入口で女の驚いた声が弾ける。「涼太、お姉ちゃんと……二人で、なにしてる
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第6話

おそらく、私と涼太の関わりに不安を覚えたのだろう。美緒は思い切った手を打ち、涼太を言いくるめて婚約を決意させた。両親はもちろん大喜びだ。涼太のことは幼いころからよく知っているし、家柄も申し分ない。釣り合いの取れた相手だ。可愛い娘を嫁がせても、肩身の狭い思いをさせることはないと思っている。宮本家と藤原家の両家は、あっという間に婚約披露宴の準備を整えた。会場はA市でもっとも豪華なホテル。惜しみなく金をかけ、まるで夢の世界のような空間がつくりあげられていた。聞けば、ほんの小さな装飾にまで、わざわざ海外から取り寄せたクリスタルが使われているらしい。すべては、美緒の好みに合わせるためだけだった。金箔をあしらった招待状が病室に届いたそのとき、スマホに美緒からのメッセージが入る。【お姉ちゃん、あなたの愛する人は、もう誰もあなたを愛していないよ。かわいそうね】こんな挑発的な言葉も、どうせ見知らぬ番号を使って送るしかなかったんだろう。私は返事をする気にもなれず、婚約披露宴に出席するつもりすらなかった。けれど、当日の披露宴がネットで配信され、インフルエンサーが全編を生中継するらしいと知って、私は考えを変えた。行く。絶対に行ってやる。三百枚の借用書をを手に、あの人たちにふさわしい祝いの品を突きつけに行く。当日、会場には華やかに着飾った人々が集まっている。女性たちは繊細なドレスをまとい、細いヒールを軽やかに鳴らして歩く。男性たちは端正にスーツを着こなし、手にしたグラスを傾けながら談笑している。私はTシャツに短パンという格好で隅の席に腰を下ろしていた。見た目は給仕よりもみすぼらしく映る。誰かが、当然のように私を給仕扱いして声をかけてくる。「おい、そこはおまえが座っていい場所か?さっさとシャンパンを持ってこいよ」スマホを掲げたインフルエンサーが、尊大な口ぶりで命じてくる。おそらく宣伝のために呼ばれた配信者なのだろう。宮本家と藤原家の縁談には、裏で商業的な思惑も絡んでいる。私は彼女の配信画面にちらりと目をやるだけで、動こうとはしない。コメント欄には、私を罵る言葉が次々と流れていく。【誰よこれ、まるで乞食みたいな格好。誰もドレスコード教えてあげなかったの?】【ここは宮本家のお嬢さまの婚約
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第7話

先ほどまで私の言葉に凍りついていた会場の空気が、またしても美緒への羨望に塗り替わっていく。なんて恵まれた人生だろう。実の娘じゃなくても、惜しみない愛情を一身に受けている。けれど、同時に、皆の胸には疑問も湧く。実の娘がいったい何をしたというのか?どうしてここまで疎まれなければならないのか。人々の視線が集まる中、私は赤く腫れた頬をさらしながら、きちんと束ねた三百枚の借用書を取り出す。「あなたたちの財産なんて、私は興味ない。これは、この八年で私にかかったすべての費用。今週中に返さなければ塀の中に送るって言ったよね?だったら今日ここで、きっちり清算して返してあげる」両親は私が何をしようとしているのかを察し、いっそう怒りをあらわにする。「私たちはただ、お前のだらしない金の使い方を改めてほしいだけだ。それに、悪いのはお前のほうだ。なのに美緒に謝りもせず、開き直るなんて。いいだろう、見せてもらおう。お前がどれだけの金を出せるのか」美緒の目が一瞬きらりと光る。「パパ、ママ、お姉ちゃんは高校を出たばかりで、そんな大金を持ってるわけないじゃない?まさか……もう変な道に足を踏み入れたんじゃないの?」心配そうな顔をして、まるで本当に私のことを気遣っているかのように見える。そして両親は、またしても彼女のわずかな言葉に惑わされ、私への失望をさらに募らせていく。「こんな不孝者を育ててしまうなんて、我が家の恥だ!」誰ひとりも気づかなかったが、そのとき涼太だけは、美緒の言葉に思わず動きを止めた。彼は誰よりもよく知っている。私がどうやってその金を手にしたのかを。複雑な色を帯びたその眼差しは、疑念を含んでいる。いつも無邪気で素直なはずの美緒は、本当にそんな純粋な子なのか?――そんなはずがない。私は彼女に目を向ける。彼女のその瞳には、まだ得意げな光が宿っている。得意にもなるだろう。だって私の家族は、一度も私を信じなかったのだから。深く息を吸い込み、私は言う。「この金は、人と酒を飲んで稼いだの。十本飲めと言われ、八本目で倒れて病院に運ばれた」美緒が眉をひそめ、声を挟む。「お姉ちゃん、あなたは宮本家の娘よ。どうして自分を貶めてまで酒の席に付き合うなんてことができるの?どこの間の抜けたオヤ
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第8話

私は冷ややかに身をかわす。「金の精算はこれで終わりだ。ここに全部置いてある。これから、私はあなたたちとはもう何の関係もない」両親は慌てふためき、言葉を投げかけてくる。「だめだ、奈穂。おまえは私たちの実の娘なんだ!」けれど、その言葉を口にした瞬間、二人の顔には深い羞恥の色が走る。そうだ。実の娘はこの私のはずなのに。けれど八年間、二人が私に費やした金は、美緒のドレスに縫いつけられた小さなダイヤモンドひとつにも遠く及ばないのだ。「奈穂、私たちが間違っていた。これからは償うから、な?そうだ、誕生日はいつだ?盛大に成人式をやろう。美緒のものよりずっと豪華にな!」必死すぎて、そんなことまで言い出す。美緒の顔はたちまち青ざめる。だが、今回は誰ひとりとしてすぐに彼女を慰めようとはしない。いつもなら真っ先に彼女の味方をする涼太でさえ、ただぽつりとつぶやくだけだ。「奈穂の誕生日は、美緒と同じ日だ……」そうだよ。誕生日はもう過ぎている。なのに、どうして彼らは忘れてしまったのだろう。最後の借用書に記された日付は、ちょうど私の誕生日だ。両親は打ちひしがれた顔になり、あの日の私がどれほど絶望していたか、想像することすらできない。そのころの美緒は海外で海風に吹かれ、都心の広いマンションと高級車を受け取っていた。一方で、実の娘は病室のベッドにひとり。わずか六万円の手術費を借りようとしただけで、渋られ続けていた。両親は、このときになってようやく、自分たちがどれほど私に償いきれない傷を与えてきたのかを悟った。父は深く息を吸い込み、これまで張りつめていた背筋をついに折るようにして、口を開く。「奈穂……私たちがどれほどひどい間違いをしてきたか、ようやく分かった。こうしよう。宮本グループの株式の三十パーセントをお前に譲る。償いとして受け取ってくれないか。許してほしい」周囲がどよめく。三十パーセント!破格の申し出だ。それを受ければ、私は一気に億万長者になれる。けれど、私はゆっくりと首を横に振る。「金がないのは事実。けれど、それより、もうあなたたちと関わる気はない。今日ここに来たのは、皆に見届けてもらうためだけだ。あなたたちにはもう、大事にする娘がいる。縁のない娘を無理に繋ぎ止める必要はな
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第9話

嘘が剥がれ落ちるのを見て、美緒はもう取り繕わない。母をぐいと突き放し、せせら笑う。「そうよ。私がだましたの。私は彼女から奪うの。彼女が大事にしているものを、全部。ほら、ちゃんと成功してるじゃない?」父は、甘やかしてきた美緒の頬を、初めて平手打ちした。かつて私にしたのと同じように。父は顔を真っ赤にし、体がわなわなと震える。「なぜだ!これほど尽くしてきて、それでも足りないというのか?」美緒は頬を押さえ、憎々しげに吐き捨てる。「ええ、よくしてくれたわよ。でも養女が実の娘にかなうわけないじゃない?どうして奈穂は生まれつき何でも持っていて、私はいつも居候みたいに肩身の狭い思いをしなきゃいけないの?それに、今さら善人ぶるのはやめて。この何年ものあいだ、一度でも奈穂を信じた?全部、私の嘘のせいだって言うつもり?私ひとりにいいように振り回されて、少しもおかしいと思わなかったなんて、信じられる?」父も母も言葉を失う。涼太でさえ、顔から色が消える。そう、こんなにも長いあいだ、彼らは本当に一度もおかしいと思わなかったのか?ただ、美緒を弱い立場だと決めつけ、私にだけ我慢を強いてきたのだ。いちばん卑劣だったのは、むしろ彼らのほうだ。私はそれきり宮本家の誰とも連絡を絶ち、出願先は家から千キロ以上離れた大学にした。両親と涼太が、学校の先生たちの冷たい視線を浴びながら、どうにか私の志望先を嗅ぎつけたころには、私はもう列車に乗って、この街を離れていた。それでも彼らは学校にまで押しかけてくる。だが、一連の騒動はネットで何日も炎上し、事情を知る人たちは、耳を貸さず目をつぶってきた両親と、どうしようもない幼なじみに好意的ではない。彼らが校内に姿を見せるたび、誰かが間に入って追い返してくれる。もちろん、昔の同級生が宮本家の近況を知らせてくることもある。私はただの噂話として、軽く聞き流す。両親はついに美緒の正体を見抜き、家から追い出したという。行くあてのない美緒は涼太にすがろうとしたが、かつて忠犬のように従っていた彼でさえ、もはや彼女を取り合わない。美緒はちやほやされるのが当たり前で、金遣いも荒いまま、苦労する気はない。そして最後には、父よりも年上の会社経営者のお金持ちに取り入り、人目をはばかる
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