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第2話

Author: 程よし
魚の甘酢あんかけ――

私にとって、悪夢みたいな料理だ。

今でもはっきり覚えている。あれは母の四十歳の誕生日だった。

私はこっそり作り方を覚えて、母に食べてもらおうと台所に立った。

あの年、私は十二歳。

魚の甘酢あんかけを作るために、危うく指を切りそうになり、熱い油がはねて火傷もした。

それでもどうにか仕上げて運んでいくと、美緒が大好きとのひと言に、母は箸を一度もつけず、皿ごと美緒の前へ押しやった。

私は忘れない。美緒が私に向けた、あの得意げな表情を。

彼女は私の目の前で、その魚を一尾まるごと平らげ、うっかり小骨を喉に引っかけた。

両親は取り乱し、慌てて彼女を病院へ連れていった。

美緒は母に甘えるように寄り添いながら言った。

「ママ、お姉ちゃんを責めないで。美緒が欲張りだっただけだから」

そのひと言で、母は逆上し、私の頬を思いきり平手打ちした。

私を性根の悪い子だと罵り、そんなやり方で美緒を傷つけたのだと決めつけた。

それからは、美緒が魚の甘酢あんかけを食べたいと騒ぐたび、両親は人をつけて私を見張り、小骨を一本残らず抜けと命じた。

そんな下処理は、時間も手間もかかる。

両親に一言でいいから褒められたくて、ここ数年、何百回も同じことをしてきた。

けれど今は、自分がつくづく割に合わないことをしてきたと思う。

「お手伝いさんに作ってもらって。私は作りたくない」

そう言って立ち去ろうとしたとき、美緒が私の腕をつかみ、今にも泣き出しそうな顔で言う。

「お姉ちゃん、まだ怒ってるの?ごめんね。無駄遣いのことをパパとママに言っちゃったの、わざとじゃないの」

私の態度に元々苛立っていた両親は、その一言でさらに逆上した。

父は勢いよく手を振り上げ、私の頬を打ち据える。私は床に倒れ込む。

「よくも美緒に当たれるな!

考えてみろ。お前が当時、美緒の生活費を使い込まなければ、飢えに苦しんで今みたいに胃を悪くすることはなかっただろう!」

母の目にも失望の色が浮かぶ。けれど、私が実の娘であることを思い出したのか、いったんは手を伸ばして起こしてくれる。

「奈穂、あなたがこのあいだ交通事故を口実に金をせびった件――美緒がどれだけ隠して取り繕ってくれたと思ってるの?

借用書を書かせてるのも全部あなたのためよ。派手な金遣い、いいかげん直しなさい!」

私は頬を押さえる。焼けつくように痛む。

けれど、顔の痛みなんかより、胸の奥の痛みのほうがずっと激しい。

私は母の手を振りほどき、言葉を区切って告げる。

「私は嘘なんかついてない。本当に、交通事故に遭ったの」

母の眉間に皺が寄る。

救いようがないものを見るような目で、私を見下ろす。

「まだごまかすの?私立病院の佐々木(ささき)先生に確認したけど、向こうにはあなたの受診記録なんて一件もないって言われたわよ」

美緒はすかさず追い打ちをかける。

「お姉ちゃん、お金に困ってたとしても、パパとママを騙すのはだめだよ。

私、少しなら小遣いあるから、使って。だって私たち、姉妹なんだから」

母はため息をつき、いたわるように美緒の頭を撫でる。

「美緒、奈穂があなたの半分でもしっかりしてたら、私たちも安心できるのに。

でもね、あなたもこんな人のために自分を犠牲にしちゃだめ。

あの子には、少しくらい痛い目を見てもらわないとね」

私は笑った。

リビングの真ん中に立って、母娘の慈愛ぶった茶番を眺めながら、私は腹を抱えて笑った。

「奈穂、何をバカなことしてるの?」

両親は私の笑い声に怯えたように美緒を背中にかばう。

まるで、私が何かするのを恐れているみたいに。

私は笑うのをやめ、実の両親を冷ややかに見据え、ポケットから診断書を引き抜いて床に放る。

「私立病院に行くお金なんて、そもそもない。記録が見つからないの、当たり前じゃないか?」

両親はふっと動きを止め、紙を拾い上げて目を通す。二人の顔色がかすかに変わる。

「奈穂、あなたの脚……」

母が一歩踏み出し、ほんの少しだけ心配そうな色を滲ませる。

けれど、その瞬間に美緒が割って入る。

「お姉ちゃん、本当に事故に遭ったの?

大丈夫?全部、私のせいだ。私の成人式なんてなければ、パパとママもあなたのそばにいられたのに。

きっと痛かったよね!」

言葉では気遣いを並べながら、彼女の爪は私の腕に食い込む。

彼女が何を狙っているのかはわかっている。ただ、これ以上ここで道化みたいに、この家族の芝居に付き合うつもりはない。

腕を振りほどくと、美緒は大げさにのけぞり、そのままぱたりと床に崩れ落ちる。

つい先ほどまで私にわずかな罪悪感を見せていた両親の顔が、一瞬で裏返る。

「奈穂!怒りをぶつける相手が、よりによって妹なの?

ただの交通事故だろ。今こうして元気じゃないか?

さっさと美緒に謝りなさい!」
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