翌日、智也は帰国の便に乗った。だが言ったとおり、彼はそれから白嶺国の航路だけを飛ぶようになった。ほとんど毎週のように白嶺国へやって来ては、私の家の前で丸一晩立ち尽くす。それでも私は一度もドアを開けなかった。その一方で、私の白嶺国での生活は少しずつ軌道に乗っていった。ダイビングのライセンスを取り、操縦免許やグライダーの資格も取った。夏にはミシシッピ川へ行き、冬にはアルプス山脈へ登った。そしてその年の暮れには、白嶺国航空の年間最優秀社員に選ばれ、同時に白嶺国の客室乗務部の部長に就任した。その頃には、現地の外国人や同じ国の男に言い寄られることもあったが、私は誰一人として相手にしなかった。傷ついた心は、癒えても必ず跡を残す。私にとって大事なのは、もはや恋愛ではなく仕事だった。それからの長い間も、私の日々は同じだった。繰り返しのように努力を続け、智也もまた、白嶺国に来るたびに私の家の前で一晩を過ごした。そんな日常がずっと続いていくのかと思った。だが、ある日を境に、智也は二度と私の家の前に現れなくなった。その後の二年間、彼の消息を耳にすることは一度もなかった。そして白嶺国に来て三年目のある日。会社からの指示で、私は本国へ戻ることになった。
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