高木慎吾(たかぎ しんご)と婚姻届を出した年、私・清水花音(しみず かのん)は大学院の一年生だった。戸籍課を出ると、彼は会社の経営に戻るため急ぎ足で去り、私は学業へと駆け戻った。再会は数か月後の冬休み。胸を躍らせ、重いスーツケースを引きずって彼のもとへ向かった。けれど扉を開けたのは、鮮やかな顔立ちの女だった。彼女の視線は険しく、「あなたは?」と警戒の色を帯びていた。私が答えるより先に、慎吾はその背後から姿を現した。彼は私を見つめ、複雑な顔をしながら口を開いた。「ただの親戚だ。しばらくうちに居候している」私は口を開こうとしたが、喉に綿を詰め込まれたように声が出なかった。慎吾の冷ややかな視線を受け止めながら、「私は彼の妻だ」という言葉を飲み込んだ。少し迷った末に、私は視線を落として小さくつぶやく。「お邪魔しました」その言葉に、林彩乃(はやし あやの)はほっと安堵の息を漏らした。だが依然として私を警戒し、慎吾は自分のものだっていう独占欲が滲み出ている。「はじめまして、私は慎吾の彼女、林彩乃だよ」私は掠れた声で相槌を打った。本当は彼女に自己紹介なんて必要なかった。二年前から、私は彼女を知っていたから。慎吾が青春を費やしても忘れられなかった存在。大学一年、私は親友の佐藤梨花(さとう りか)と出会った。そして慎吾は、梨花の叔父だった。二年間も好きでいながら、親友の口から初めて知った。彼の心には、どうしても手に入らない初恋の人がいると。二十七になっても独身なのも、彩乃のせいだろうと。その事実を、梨花は最初は黙っていた。彼女は「慎吾はあなたにだけ態度が違う」と言って、私の心に隔たりが生まれるのを恐れた。本当は構わなかった。あの頃の私は無謀なほど一途で、知ったとしても退くことはなかっただろう。ただ天真爛漫に「彼がまだ吹っ切れてないなら、私が少し時間をあげればいい」と思ったはずだ。けれど待ったのはさらに二年。その間、彼は贈り物を用意してくれたり、海外から珍しいものを持ってきてくれたりした。生理痛で苦しむ私のために、何億円もの契約を捨ててまでEVEと生姜湯を届けに来たこともあった。慎吾は私にとてもよくしてくれた。ただ一つ、私のこの気持ちには見て見ぬふりを
Read more