All Chapters of 正しい人と結婚したら、元夫が後悔していた: Chapter 1 - Chapter 9

七年間、失踪していた夫が突然帰ってきた。しかし、夫は他の女を連れてきただけではなく、私に自ら身を引けと要求してきたのだ。「文恵は、俺を助けるために命を落としかけた。だから、恩返しに彼女と結婚する。物分かりがいいなら、もう俺たちは離婚したと周りに説明しておけ」その傲慢な顔を、私は冷めた目で見つめ、静かに口を開いた。「ですが、私はもう別の方と結婚しました」夫・高坂浩二（こうさか こうじ）は、まるで面白い冗談でも聞いたかのように鼻で笑うった。「とぼけるふざけるなよ。お前が今も昔も、俺しか見ていないことぐらい、誰もが知っているさ」しかし、私はもう七年前の私ではない。彼の指示一つひとつに、尊厳もなくおどおどと従うような女は、どこにもいなかった。「浩二、あなたを騙す必要はありません。私は、もう別の方と結婚しています」浩二は私を一瞥すると、嘲るような口調で言った。「長谷川千鶴（はせがわ ちづる）、まだそんな芝居を続けるのか？これは相談じゃない、知らせだ。お前がどう考えようと、俺は文恵と結婚する」隣に立つ宮田文恵（みやた ふみえ）は、艶やかな黒髪のお下げを肩に垂らし、困ったような顔で浩二の服の裾を引いた。「浩二さん、私のせいで千鶴さんと喧嘩しないでください。やっぱり、私を家に送ってください……」口ではそう言いながら、浩二の服を掴む手は離さなかった。そして、私に向けるその瞳には、勝利を確信したような色が浮かんでいた。彼女の言葉を聞くなり、浩二の表情が途端に和らぐ。「文恵、もうお前に辛い思いはさせられない。これからはずっと二人で一緒にいると約束しただろう。安心しろ。千鶴は俺の言うことなら何でも聞く。必ずお前に正式な籍を用意してやるさ」何年経とうと、この男の厚顔無恥さは変わらないらしい。私が何か言う前に、浩二は厳しい顔つきになった。「お前はこの数年、高坂部長の嫁という肩書を散々利用して生きてきただろう。そろそろ、その立場を文恵に譲ってやったらどうだ。彼女は苦労してきたんだ。これ以上、お前が彼女をいじめるのは許さん」私はそばにあった湯呑みを手に取り、静かにお茶を一口すすった。その上で、皮肉な笑みを浮かべてやった。「私が何をしたというのですか。何かを言うなら、証拠が必要でしょう」浩

浩二は従兄弟を荒々しく突き飛ばした。「黙れ！この裏切り者が！どこのどいつだ！この俺に恥をかかせやがったのは！死にてえのか！」しかし、彼がいくら頭を巡らせても、疑わしい人物など一人も思い浮かばなかった。私はふっと冷たい笑みを漏らした。文恵は偽りの心配を浮かべた顔で、私に忠告してくる。「千鶴さん、今のうちに白状したほうがいいですよ。浩二さんを本気で怒らせたら、私にももう止められませんから」私は白目を剥いてやった。「何を演じているのかしら。あなたの魂胆なんて、お見通しですよ」しかし、その言葉を言い終えるか終えないかのうちに、私の頬に、激しい平手打ちが飛んできた。「黙れ！俺を裏切って不貞を働き、反省の色もなしか。どの口が文恵を説教するんだ！」私の頬は瞬く間に熱を持ち、腫れ上がった。私が殴られたのを見て、健太が浩二に飛びかかり、噛みついたり蹴ったりと暴れる。「ママを殴るな！やっつけてやる！」「健太！」浩二は片手で、いとも簡単に健太の体を持ち上げた。私の心臓は恐怖で激しく跳ね上がった。「浩二、その子を放しなさい！」従兄弟も驚いて、健太を奪い返そうとした。「兄さん！早くその子を放せ！この子に何かあったら、叔父さんが黙ってないぞ！」この町で、智也がどれほど健太を可愛がっているか、知らない者はいなかった。叱ることさえ、滅多にないのだ。しかし、浩二は冷たく笑った。「殴られたくなかったら、とっとと失せろ！今日はこの母子を俺が直々に躾けてやる！」私の胸が、きゅっと締め付けられた。「浩二！あなた、何をするつもり！」彼の顔は険しく、周囲の空気は凍りついている。「お前は俺を裏切って不貞を働き、子供まで産んだ。法に則れば、俺はお前に一円も払わずに高坂家から追い出し、さらに損害賠償を請求することだってできるんだぞ！」でも、肝心なのは私と彼は籍を入れてさえいないかった。私は怒りで、立っているのもやっとだった。「浩二！私はあなたと結婚なんてしていないのよ！どうして不貞だなんて言えるの！今すぐ、その子を私に返しなさい！」健太は宙吊りにされながらも、全く怯むことなく浩二に殴る蹴るの抵抗を続けている。しかし、浩二が何をしでかすか分からない恐怖から、駆けつけた親戚たちも、手

「だから、千鶴はあなたの叔父さんと結婚したんだ。子供も、確かに二人の子だよ。生きていたなら、どうして家に一報くれなかったんだい！母さんがこの何年、どんな思いで生きてきたか分かるかい。いっそ、あの日死んだのが、この私だったらと、どれほど願ったことか！」浩二は立っているのもやっとの様子だった。「俺はただ……ただ、自分の力で世間を見てみたかったんだ。考えがまとまったら、自分で帰ってくるつもりだった。なんで、千鶴を他の男と結婚させたりしたんだよ！」はっ！いい年をして、今頃になって世間を見たかった、だと？しかも、結婚式当日に黙って姿を消しておいて？私を馬鹿にするのも、大概にしてほしいものだった。浩二は大勢の人を置き去りにし、私一人に汚名を背負わせた。それが、ただ「世間を見たかった」だけだというのか。やはり、彼はどこまでも自己中心的だった。浩二がいつから、あんな人間になってしまったのか、私には分からなかった。数年前、私は友人の直子（なおこ）と、髪飾りを買いに隣町へ行く約束をしていた。途中、彼女の弟がやってきて、急用ができたからと直子を呼び戻した。私は一人で隣町へ行き、買い物を終えて帰ろうとした時、数人のならず者に絡まれてしまったのだ。もう、私の人生はここまでだと覚悟したその時だった。マスクをした一人の男性が、私を助けてくれた。彼は無言で私を家まで送り届けてくれ、そのまま去ろうとした背中に、私は声をかけた。「今日は本当にありがとうございました。お名前をお伺いしてもよろしいですか？後日、必ず、直接お礼に上がらせていただきます！」彼は私に背を向けたまま、静かに口を開いた。「高坂……」しかし、彼の言葉は母の驚いたような声にかき消されてしまった。「千鶴！どうしてこんなに遅いの！心配で、心臓が止まるかと思ったのよ！」私にはもう、彼の後ろ姿が遠ざかっていくのを見ていることしかできなかった。あの頃の恋はあまりに突然に訪れ、そして、私の心に深く根を張り、決して忘れられないものとなった。その後、方々を尋ね歩き、彼が隣町の人間だと知った。彼は家の一人息子で、幼い頃から蝶よ花よと育てられたそうだ。私は彼に気に入られようと、必死になった。彼は私に特別な感情を抱いてはいないようだったが、

しかし、あの日の彼の狂乱した姿は健太の記憶に深く刻み込まれていた。健太は口をへの字に曲げ、私に甘えるように言う。「ママ、こいつは悪い奴だ！悪い奴とは遊びたくない！」智也は笑いながら健太の頭を撫でた。そして、健太息子を叱る。「食事中に、おしゃべりはやめなさい！」立て続けに面子を潰され、浩二はばつが悪そうにしていた。彼の母親が、慌てて話題を変えるた。「さあ、食事が冷めてしまうわ。皆さん、早くいただきましょう！」最も惨めだったのはやはり文恵だった。浩二は彼女に目もくれず、食事の準備をした者でさえ、彼女の分の食器を用意していなかった。浩二が私たちにへりくだって取り入ろうとする姿を見て、彼女は怒りで全身を震わせていたが、どうすることもできなかった。その日の食事は全く味のしないものだった。食事が終わるなり、健太は智也に木馬で遊んでくれとせがんだ。彼らはおもちゃを取りに一旦家へ戻った。健太は小さな足で駆け出し、あっという間に智也を引っ張って遠くへ行ってしまった。私は二人の後ろ姿を焦らずに見送り、食後の散歩がてら、ゆっくりと歩き始めた。しかし突然、目の前に飛び出してきた浩二に行く手を阻まれた。「千鶴！」突然現れた人影に、私は驚いて無意識に数歩後ずさった。眉をひそめて彼に尋ねた。「何かご用ですか？」しかし浩二は一歩前に進み出て私の腕を掴もうとした。私は驚いて素早く後ろへ飛びのいた。なんて狂人なのだろう！白昼堂々、私に手を出してくるなんて私を破滅させる殺す気か！こんなところを誰かに見られたら、私はもうこの町で顔向けできなくなってしまう。私が蛇蝎のごとく彼を避けるのを見て、浩二は自嘲気味に笑った。「千鶴、どうして俺を避けるんだ？俺たちはかつてこの世で最も親密な関係だったはずだ。それなのに、今のお前は俺の顔も見たくないというのか？」私は呆れて言葉もなかった。「浩二、私たちにはもう何の関係もありません。覚えておいてください。私はあなたの叔母です！もう、私に付きまとわないでください」私は彼を回り込んで去ろうとしたが、彼は突然私の袖を掴んだ。その瞳は潤み、顔には私への愛情が満ちていた。「俺は本当は逃げたかったわけじゃないんだ。ただ、少し、緊張していただけ

実は彼の名前も、最後まで聞き取れていなかった。私が聞き間違えたのだ。あるいはまさか彼である可能性など、考えもしなかった、と言うべきだろうか。この茶番劇は最初から、主役を間違えていた。最初から、全てが間違いだったのだ。私があれほどまでに焦がれていた人は智也であって、浩二ではなかった。「私たちもう何年も夫婦なのに、どうして教えてくれなかったのですか」私には理解できなかった。智也の瞳に、様々な感情が渦巻いていた。「もし、お前が気づかなかったのなら、それでもよかったんだ。お前自身が気づいてくれなければ、俺がしてきたことの全てが意味をなさなくなる」私はついに、涙を堪えきれなかった。馬鹿な人。なんて、馬か鹿な人なのだろう。私がしゃくり上げて泣いていると、彼は優しく私の涙を拭ってくれた。「千鶴、愛している」私は彼の首筋に顔を埋め、何度も何度も頷いた。幸せが私を包み込んでいた。この七年間、彼は一度も私を愛していると言葉にしたことはなかった。私のすることなすこと全てを尊重し、この上なく優しく接してくれた。しかし、甘い言葉を囁くことはほとんどなかった。私は彼が、生まれつき口下手なのだと思っていた。でも、そうではなかったのだ。私は嫁ぐ相手を間違えたが、結果として正しい人に嫁ぐことができた。……数日ぶりに家に帰ると、私たちが留守の間、高坂家が大騒ぎになっていたことを知った。浩二は私が叔母になったという事実を受け入れられず、毎日、酒を一刻も手放さずにいたそうだ。文恵は手に入りかけた幸せが掌からこぼれ落ちていくのを黙って見ていられず、家に居座り続けた。浩二の母親も、もう私への期待は捨て、文恵を家に残そうと考えていた。しかし、浩二がそれに反対したのだ。彼曰く、自分には嫁がいるのだから、他の女は必要ないと。文恵は怒りのあまり、高坂家で首を吊ろうとしたそうだ。しかし、彼女がどれだけ騒ごうと、浩二は無関心だった。実は当時、浩二を助けたというのは彼女の嘘だった。彼を助けたのは別人で、文恵はただ、その手柄を横取りしただけだったのだ。彼女は高坂家が裕福だと見て、自分の将来の保障のために、一芝居打ったのであった。手に入りかけた獲物が逃げようとしているのを見て、彼女はつ