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第6話
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正しい人と結婚したら、元夫が後悔していた 第9話
実は彼の名前も、最後まで聞き取れていなかった。私が聞き間違えたのだ。あるいはまさか彼である可能性など、考えもしなかった、と言うべきだろうか。この茶番劇は最初から、主役を間違えていた。最初から、全てが間違いだったのだ。私があれほどまでに焦がれていた人は智也であって、浩二ではなかった。「私たちもう何年も夫婦なのに、どうして教えてくれなかったのですか」私には理解できなかった。智也の瞳に、様々な感情が渦巻いていた。「もし、お前が気づかなかったのなら、それでもよかったんだ。お前自身が気づいてくれなければ、俺がしてきたことの全てが意味をなさなくなる」私はついに、涙を堪えきれなかった。馬鹿な人。なんて、馬か鹿な人なのだろう。私がしゃくり上げて泣いていると、彼は優しく私の涙を拭ってくれた。「千鶴、愛している」私は彼の首筋に顔を埋め、何度も何度も頷いた。幸せが私を包み込んでいた。この七年間、彼は一度も私を愛していると言葉にしたことはなかった。私のすることなすこと全てを尊重し、この上なく優しく接してくれた。しかし、甘い言葉を囁くことはほとんどなかった。私は彼が、生まれつき口下手なのだと思っていた。でも、そうではなかったのだ。私は嫁ぐ相手を間違えたが、結果として正しい人に嫁ぐことができた。……数日ぶりに家に帰ると、私たちが留守の間、高坂家が大騒ぎになっていたことを知った。浩二は私が叔母になったという事実を受け入れられず、毎日、酒を一刻も手放さずにいたそうだ。文恵は手に入りかけた幸せが掌からこぼれ落ちていくのを黙って見ていられず、家に居座り続けた。浩二の母親も、もう私への期待は捨て、文恵を家に残そうと考えていた。しかし、浩二がそれに反対したのだ。彼曰く、自分には嫁がいるのだから、他の女は必要ないと。文恵は怒りのあまり、高坂家で首を吊ろうとしたそうだ。しかし、彼女がどれだけ騒ごうと、浩二は無関心だった。実は当時、浩二を助けたというのは彼女の嘘だった。彼を助けたのは別人で、文恵はただ、その手柄を横取りしただけだったのだ。彼女は高坂家が裕福だと見て、自分の将来の保障のために、一芝居打ったのであった。手に入りかけた獲物が逃げようとしているのを見て、彼女はつ
正しい人と結婚したら、元夫が後悔していた 第8話
本当に、気持ち悪いほどだ。文恵が少し離れた場所に呆然と立っていた。私は彼女の姿を一瞥し、わざと尋ねた。「では文恵さんはどうするのですか？彼女はあなたが連れて帰ってきたのでしょう？」「あんな奴、どうでもいい。俺はお前の答えだけが知りたいんだ。お前はどうしたい？どうすれば、お前は俺のところへ戻ってきてくれるんだ？俺と東都へ行こう。あそこは広い。俺たちのことを知る者など誰もいない。お前が他人の他の男との間に子供を産んだことだって、誰も知らない。一緒に東都へ行って、昔みたいに、やり直さないか？」私は鼻で笑った。まだ口を開く前に、文恵が駆け寄ってきた。彼女の顔は涙でぐしょ濡れだった。「浩二さん！どうしてそんなことが言えるんですか！私と結婚してくださると、そう約束したじゃないですか！」浩二は苛立たしげに彼女を突き飛ばし、まっすぐ私を見つめた。「俺はお前の答えだけが聞きたい。俺と、やり直してくれないか？」「浩二さん！」文恵は怒りで我を忘れそうだった。「ありえません、あなたは私と結婚するべきです！」そして、今度は私を睨みつける。「長谷川千鶴！あなたは浩二さんの叔母でしょう！それなのに、まだ諦めずに浩二さんを誘惑するなんて、恥を知りなさい！」本当に、二人して頭がおかしいとしか思えなかった。私はもう結婚していると、何度も言った。浩二が私に付きまとっているだけなのに、どうして私が責められなければならないのか。言い返そうとしたその時。健太の声が背後から聞こえた。「ママ！」智也が、無表情な顔で、静かに私を呼んだ。「戻ってこっち来て」私の心に、途端に温かいものが込み上げてきた。私は彼の元へ歩み寄り、その腕に自分の腕を絡めた。「浩二、よく聞いてください。私は結婚しています。夫と子供がいて、とても幸せに暮らしています。もう二度と、私に付きまとわないでください」……過去に何があったとしても、今の私と浩二には何の関係もなかった。しかし、彼はまるで狂ったように、私に近寄ってきた。私の忍耐も、そろそろ限界だった。私が彼を無視すると、彼は健太に取り入ろうとした。飴やおもちゃを買い与え、あちこちで絵本を探してきては健太に渡そうとする。私はうんざりしていた。
正しい人と結婚したら、元夫が後悔していた 第7話
しかし、あの日の彼の狂乱した姿は健太の記憶に深く刻み込まれていた。健太は口をへの字に曲げ、私に甘えるように言う。「ママ、こいつは悪い奴だ！悪い奴とは遊びたくない！」智也は笑いながら健太の頭を撫でた。そして、健太息子を叱る。「食事中に、おしゃべりはやめなさい！」立て続けに面子を潰され、浩二はばつが悪そうにしていた。彼の母親が、慌てて話題を変えるた。「さあ、食事が冷めてしまうわ。皆さん、早くいただきましょう！」最も惨めだったのはやはり文恵だった。浩二は彼女に目もくれず、食事の準備をした者でさえ、彼女の分の食器を用意していなかった。浩二が私たちにへりくだって取り入ろうとする姿を見て、彼女は怒りで全身を震わせていたが、どうすることもできなかった。その日の食事は全く味のしないものだった。食事が終わるなり、健太は智也に木馬で遊んでくれとせがんだ。彼らはおもちゃを取りに一旦家へ戻った。健太は小さな足で駆け出し、あっという間に智也を引っ張って遠くへ行ってしまった。私は二人の後ろ姿を焦らずに見送り、食後の散歩がてら、ゆっくりと歩き始めた。しかし突然、目の前に飛び出してきた浩二に行く手を阻まれた。「千鶴！」突然現れた人影に、私は驚いて無意識に数歩後ずさった。眉をひそめて彼に尋ねた。「何かご用ですか？」しかし浩二は一歩前に進み出て私の腕を掴もうとした。私は驚いて素早く後ろへ飛びのいた。なんて狂人なのだろう！白昼堂々、私に手を出してくるなんて私を破滅させる殺す気か！こんなところを誰かに見られたら、私はもうこの町で顔向けできなくなってしまう。私が蛇蝎のごとく彼を避けるのを見て、浩二は自嘲気味に笑った。「千鶴、どうして俺を避けるんだ？俺たちはかつてこの世で最も親密な関係だったはずだ。それなのに、今のお前は俺の顔も見たくないというのか？」私は呆れて言葉もなかった。「浩二、私たちにはもう何の関係もありません。覚えておいてください。私はあなたの叔母です！もう、私に付きまとわないでください」私は彼を回り込んで去ろうとしたが、彼は突然私の袖を掴んだ。その瞳は潤み、顔には私への愛情が満ちていた。「俺は本当は逃げたかったわけじゃないんだ。ただ、少し、緊張していただけ
正しい人と結婚したら、元夫が後悔していた 第6話
今や高坂家の中心は智也で、彼が口を開けば、誰もがそれに従った。浩二の母親も驚いて、すぐに息子を連れて行こうとした。しかし、浩二は母親の手を振り払い、一歩後ずさりながら問い質した。「嫌だ、帰らない！千鶴は俺の嫁だ！叔父さん、どうして自分の甥の嫁を奪ったりするんだ！」その言葉に、その場にいた全員が、信じられないものを見るような目で浩二を見つめた。私は心底呆れてしまった。浩二はこの七年間で、駄々のこね方だけを学んできたのだろうか。でなければ、この期に及んで、どうしてそんな言葉が出てくるのだろう。当時、彼が失踪したという知らせは町中に広まり、同時に、私と智也が結婚したという噂も、大々的に広まった。知らない者など、一人もいなかった。浩二だけが、今になっても馬鹿みたいにそれを信じようとしないのだ。私は彼を睨みつけた。「浩二、少しは言葉に気をつけなさい！あなたは私の義理の甥で、私があなたの叔父と結婚して、もう七年になりますよ。あなたが恥をかきたくなくても、私には世間体というものがあるのです！それに、あなたはもう文恵さんを連れて帰ってきたのでしょう。なおさら、ご自分の言動には注意すべきです！」浩二は奥歯をギリリと噛み締めた。「結婚式を挙げたのは俺だ！お前と関係を誓ったのも俺だ！お前は俺の嫁であるべきなんだ！」彼の声はまるで全世界に裏切られたかのように、力強く響いた。しかし、私を置き去りにして逃げ出したことについては一言も触れなかった。でも、もう関係なかった。私と智也の結婚は彼とは何の関係もないのだから。浩二の言葉を聞いて、文恵の顔がさっと青ざめた。私はもう、彼らとこれ以上関わるのも億劫だった。これだけ騒げば、疲れるのも当然だった。智也は私を連れて、まっすぐ部屋へ戻った。健太を寝かしつけた途端、智也は私を腕の中に抱きしめた。「今日のことはお前に辛い思いをさせたな」彼は痛ましそうに私の頬を撫でる。「まだ痛むか？一度診てもらったほうがいいかもしれない」私は首を横に振った。「大丈夫。一発、蹴られただけだから」しかし、彼はどうしても安心できないようで、心配そうな声に根負けし、結局、病院で診てもらうことになった。頬を平手で打たれ、倒れた時に少し擦りむいた以外では胸を蹴られた一撃が
正しい人と結婚したら、元夫が後悔していた 第5話
「だから、千鶴はあなたの叔父さんと結婚したんだ。子供も、確かに二人の子だよ。生きていたなら、どうして家に一報くれなかったんだい！母さんがこの何年、どんな思いで生きてきたか分かるかい。いっそ、あの日死んだのが、この私だったらと、どれほど願ったことか！」浩二は立っているのもやっとの様子だった。「俺はただ……ただ、自分の力で世間を見てみたかったんだ。考えがまとまったら、自分で帰ってくるつもりだった。なんで、千鶴を他の男と結婚させたりしたんだよ！」はっ！いい年をして、今頃になって世間を見たかった、だと？しかも、結婚式当日に黙って姿を消しておいて？私を馬鹿にするのも、大概にしてほしいものだった。浩二は大勢の人を置き去りにし、私一人に汚名を背負わせた。それが、ただ「世間を見たかった」だけだというのか。やはり、彼はどこまでも自己中心的だった。浩二がいつから、あんな人間になってしまったのか、私には分からなかった。数年前、私は友人の直子（なおこ）と、髪飾りを買いに隣町へ行く約束をしていた。途中、彼女の弟がやってきて、急用ができたからと直子を呼び戻した。私は一人で隣町へ行き、買い物を終えて帰ろうとした時、数人のならず者に絡まれてしまったのだ。もう、私の人生はここまでだと覚悟したその時だった。マスクをした一人の男性が、私を助けてくれた。彼は無言で私を家まで送り届けてくれ、そのまま去ろうとした背中に、私は声をかけた。「今日は本当にありがとうございました。お名前をお伺いしてもよろしいですか？後日、必ず、直接お礼に上がらせていただきます！」彼は私に背を向けたまま、静かに口を開いた。「高坂……」しかし、彼の言葉は母の驚いたような声にかき消されてしまった。「千鶴！どうしてこんなに遅いの！心配で、心臓が止まるかと思ったのよ！」私にはもう、彼の後ろ姿が遠ざかっていくのを見ていることしかできなかった。あの頃の恋はあまりに突然に訪れ、そして、私の心に深く根を張り、決して忘れられないものとなった。その後、方々を尋ね歩き、彼が隣町の人間だと知った。彼は家の一人息子で、幼い頃から蝶よ花よと育てられたそうだ。私は彼に気に入られようと、必死になった。彼は私に特別な感情を抱いてはいないようだったが、
正しい人と結婚したら、元夫が後悔していた 第4話
怒りに我を忘れた浩二にはその声が聞こえていなかった。しかし、他の者たちは興奮した面持ちで、従兄弟は浩二を抱えていた手を放した。「叔父さん、やっと帰ってきてくれたんですね！」智也は家に入るなり、私が健太を抱いて床に座り込み、酷い有様になっているのを見つけた。髪は乱れ、頬は赤く腫れ上がっている。智也の顔色は瞬時に険しくなり、その鋭い視線はその場にいた全員を射抜くように見渡した。しかし、頭に血が上った浩二は智也叔父の顔色に気づくこともなく、口を開くなり告げ口を始めた。「叔父さん、来てくれたのか！こいつを裁いてくれ！こいつ、俺を裏切って男と不貞を働き、こんなにでかい子供までいやがった！俺がこいつらをしっかり躾けてやる！」その言葉が終わると、辺りは死んだように静まり返った。智也は僅かに目を上げ、浩二をまるで死人でも見るかのような目で見つめた。乾いた音と共に、強烈な平手打ちが浩二の頬を打った。「その節穴の目でよく見ろ。千鶴は俺の女で、健太は俺の息子だ」浩二はその一撃で呆然とし、頬を押さえ、信じられないという目で智也叔父を見た。「叔父さん、何を言ってるんだ！さっぱり分からねえよ、なんで千鶴が叔父さんのもの女になるんだ？あいつは俺の嫁のはずだろ。まさか、千鶴が言い訳に困って、叔父さんに芝居を頼んだのか？」智也は彼に視線をやることさえせず、言葉を返すのも億劫なようだった。彼は私たちのほうへ歩み寄り、優しい手つきで健太を抱き上げた。私の胸にある、くっきりとした泥の足跡と、腫れ上がった頬を見て、彼の声はさらに冷たくなった。「今すぐ、俺に状況を説明しろ」従兄弟はしきりに冷や汗を拭っていた。「叔父さん、俺はもう兄さんに説明したんです。でも、あいつは何も信じようとしないで、叔母さんが浮気したって騒ぎ立てて……」健太は父親の顔を見た途端、こらえていた涙が堰を切ったように溢れ出した。顔を真っ赤にして泣きじゃくる。「パパ！あの人、僕のこと『どこの馬の骨だ』って言ったんだ！ママが浮気したって！僕を殴って、ママのことも叩いたり蹴ったりしたんだ！」智也は胸が張り裂けるような思いで健太の涙を拭った。彼は振り返り、浩二に向かってふっと冷たい笑みを浮かべた。浩二は今になっても、まだ状況が飲み込めていな
