Lahat ng Kabanata ng わたくしは何も存じません: Kabanata 11 - Kabanata 20

26 Kabanata

11.今日はヤギより牛のチーズがいいわ

 領地に入って、一家は馬車を下りた。ずっと重い馬車を引いた馬を休ませるためだ。後ろの馬車に乗る侍従や侍女らは、ここで一度お別れとなる。後ろの荷馬車の到着を待って、一緒に屋敷へ向かう予定となった。「あとでね」 手を振るガブリエルに、侍女達が目いっぱい手を振り返す。国内側なので砦はなく、代わりに小さな集落があった。村と呼ぶ大きさの集落は、騎士や世話係を含めた者達が暮らす。農民や放牧民はおらず、規律がきっちりしていた。 ここで馬を乗り換えるのだ。元気に牧草地を走った馬に挨拶し、ガブリエルは背に乗った。従兄弟のケヴィンとカールが乗ってきた馬も、ここで交代となる。後でゆっくり届けてもらうのだ。ケヴィンの前に乗ったガブリエルは、久しぶりの乗馬に浮かれていた。「やっぱり、馬車より馬のほうが好き!」「それは良かった。お姫様、しっかり手綱をどうぞ」 鞍に付いた相乗り用の革を握り、揺られながら領地内を進む。他領との境に近い部分では、放牧と畑が両方見られる。この先、標高の高い屋敷へ向かい、徐々に畑が減っていくのだ。父と母が寄り添う姿を後ろから見つめ、ガブリエルの頬が緩んだ。「ねえ、お父様達……素敵よね」 憧れると匂わせたガブリエルに、ケヴィンは鼻の奥がツンと痛んだ。泣きそうになり空を見上げ、雲がやや多い青空に気持ちを落ち着ける。「そうだな。とてもお似合いだ」 騎士としてではなく、従兄の口調で答えた。振り返ったガブリエルが笑う顔に、対応を間違えなかったと胸を撫で下ろす。馬車の通る街道は石を敷き詰めているため、馬の蹄に優しくない。馬車を引く馬は専用の蹄鉄を使うが、彼らは脇にある土の上を歩かせた。 縦に一列になって進む馬は、常歩程度でゆっくり進む。たまにすれ違う領民は、笑顔で手を振ってくれる。いつもと同じ穏やかな領地の風景だった。「お姉様!」 手を振って叫ぶラファエルへ、ガブリエルも「ラエル」と名を呼んで身を乗り出す。咄嗟にケヴィンが支えたが、心臓が飛び出すかと思うほど焦った。「こら、落ちるぞ」「ごめんなさぁい、ケヴィン兄様」 ラファエルもカールに叱られて、謝っているようだ。屋敷が見えるまで、この速度では一日かかる。面積は広いが、ほとんどが山岳地帯のロイスナー公爵領は移動が大変だった。途中で野営するには、荷物を置いてきてしまった。街道沿いの宿へ泊
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12.情報を共有して立ち向かう覚悟

 ロイスナー公爵本邸では、大混乱が起きていた。領主一家の帰還連絡に加え、『前回』の記憶がある者とない者が情報交換を行う。侍女でも記憶の有無が分かれ、地位や性別、年齢では分類できなかった。嘘のような話を、複数の者が口にする。見た内容に多少の差はあっても、人々は女神様の怒りを覚えていた。「すごい雷だったわ」「あれって、落雷だったのかな。女神様の鉄槌じゃないか?」「光が眩しくて顔を背けたのは覚えている」 それぞれが口に出した情報を、執事セシリオは丁寧にまとめた。屋敷を統括する家令アードルフへ報告するためだ。屋敷に勤める者の半数近くが『前回』を覚えているなら、それは事実だったのだろう。覚えていないセシリオはそう考えた。 公爵家の皆様が領地へ戻るのは確定事項と考え、屋敷内は迎える支度を始めた。もし迷っていても、騎士団が迎えに行く。バーレ伯爵子息カールは『前回』を覚えていた。騎士も半数が記憶を持っており、覚えていない仲間と情報を共有する。翌日には本邸を出発した。 セシリオの報告書を受け取ったアードルフは、目を通す前に深く長い息を吐いた。昨日、本邸の騎士団を見送ったばかりだが、合流したので帰還する旨の連絡が入る。途中で一泊することも含め、伝令の騎士が走った。早朝の連絡は、アードルフ自身が受けている。「私は皆が口にした『前回』を覚えています」 主であるロイスナー公爵家に反逆の汚名が着せられた。本来は屋敷を離れない家令だが、執事セシリオに留守を任せて出発する。王家に事情を説明し、ご一家を救わなくては。陳情するこの身は断罪されても構わない。命を捨てて、公爵家に最後の奉公をするつもりだった。 王都まであと少し。乗ってきた馬は疲弊し、手綱を引いて歩く。使いつぶす形になる馬に詫びたとき、青空が光った。眩しさに目を庇って蹲る。何が起きたのか、理解できなかった。そこで響いてきたのは、女神アルティナ様の言葉だ。 ああ、間に合わなかった。お嬢様はもうお亡くなりになったのだ。蹲ったまま立てずに涙を零した。幼い頃「じぃ」と呼んで手を伸ばした、あの愛らしいお嬢様の命が失われた。……さぞ恐ろしかったでしょうに。 胸を締め付ける思いが蘇ったのは、二日前の昼だった。教会が一日に三回鳴らす鐘の音とともに、恐怖と後悔が蘇る。自分だけがおかしいのかと口を噤んだが、半数近くが同じ記憶を持っている
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13.もう王城へ行かなくていいのね

 久しぶりの本邸を見上げ、ガブリエルは懐かしさに表情を和らげる。幼い頃は毎年、王都と領地を往復していた。王太子の婚約者になったことで、王太子妃教育が始まった。覚えることが多すぎて、帰る時間が取れない。加えて、王城へ通わなければならなかった。 きちんと覚えれば、教育係は褒めてくれる。勉強自体は好きなので、学ぶことは苦にならなかった。量が多すぎる状況には辟易したが、最大の問題は人間関係だ。 王城には様々な貴族が登城する。娘を王妃にしようと目論む貴族、未来の王妃に擦り寄って利を得ようとする者。うんざりする状況だった。これが結婚後も続くと思えば、逃げ出したくもなる。そのうえ、甘やかされた王太子は学ばない。 彼が覚えない分野は、すべてガブリエルに割り振られた。王太子妃教育そのものだけなら、二年もあれば合格がもらえただろう。公爵令嬢としてマナーや礼儀作法、他国の要人と自国の貴族は覚えているのだから。 最低でも外国語は二つ習得し、自国の言語を合わせ三か国語を操ること。ガブリエルは二年でこの条件を満たした。本来、国王夫妻は互いに別の言語を学んで、四つの外国語を操る。その前提が、王太子ニクラウスによって崩された。王太子妃として、四つの外国語を学ばされたのだ。 混乱して単語が抜けたり、別の国の単語が出てきたり。泣きたくなるような時間を過ごした。その勉強をすべて放り出し、領地へ戻れることはガブリエルにとってご褒美だった。何があったのか知らないが、嬉しいが先に立つ。「お父様、お母様、ラエル! 皆がお迎えに出ているわ」 王城へ通うようになって、父母は交代で領地へ戻った。どちらかがラファエルに付き添い、常にもう一人は王都に残る。娘と息子がどちらも寂しい思いをしないよう、親として気を配った。いつも申し訳なさそうな顔をしていたガブリエルが、大喜びしている。その姿だけで、ミヒャエラは涙ぐむ。 屋敷前の広くなった道を、馬首を並べてゆったり歩く。もう急ぐ必要はなかった。「そうね。皆もリルに会いたかったのよ」「私も会いたかったわ。アードルフは本邸から出ないんだもの」 家令とは本家の屋敷を守る管理人だ。使用人を纏める役割も担うため、半日以上外へ出ることはなかった。主人の用事を足す目的で外出する執事とは違う。わかっていても、領地へ帰れなかったガブリエルはアードルフに会いた
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14.穏やかな日常を取り戻すため

「お嬢様、ご無事で何よりにございます」 アードルフはいつもの冷静沈着な顔を脱ぎ捨て、ガブリエルの姿を見て泣き崩れた。『前回』の記憶が中途半端なこともあり、事情を詳しく知るわけではない。冤罪の内容すら、曖昧ですべて把握できていなかった。それでも、王太子妃になる予定だったガブリエルが処刑されたことは理解している。 女神の言葉は脳裏に焼き付いていた。 いつも笑顔で出迎える家令が泣く姿に、ガブリエルは困惑した。どうしよう……そんな表情で立ち止まる。ただ、泣いたまま放置する気はなくて。蹲る形のアードルフの頭を抱える形で抱き着いた。温もりが心地よい。 仕事が忙しい父の代わりに、屋敷の中でダンスの練習に付き合ってもらった。屋敷で初めての誕生日会で踊るため、何度も踊ったわ。当日はお父様と踊ったけれど、アードルフとの大切な思い出だった。「取り乱し、失礼いたしました」 起き上がるアードルフに両手を伸ばし、抱きしめてと強請る。迷ったあと、片膝をついたアードルフは、小さなお嬢様の願いを叶えた。ガブリエルを強く抱きしめ、ぽんぽんと背を叩いてから離す。使用人としての立場を越えているが、公爵夫妻は咎めなかった。 娘ガブリエルが望んだこと、アードルフも『前回』を知るのだと気づいたこと。涙で潤んだ瞳を忙しなく瞬き、ミヒャエラは明るい声で言い放った。「領地へ向かう馬車で疲れたの。お茶を飲んで休みたいわ。いつも通り、お願いね」 大半の使用人は泣き腫らした赤い目をしている。直接『前回』を知らずとも、使用人同士の情報交換で聞いた恐ろしい未来に震えた。屋敷の女主人の言葉に、慌てて仕事に戻る。アードルフが気になるのか、ガブリエルは手を繋いで離さなかった。「一緒に行きましょう!」 促すお嬢様に承諾を返し、アードルフは公爵夫妻に一礼する。ラファエルは我慢できずに泣き出し、ミヒャエラにしがみついた。久しぶりの本邸に目を輝かせるガブリエルは気づかない。手前に並ぶ客間や応接室を抜けて、家族が過ごす食堂や居間のある奥へ向かった。 絨毯も家具も変わっていない。壁の絵画が入れ替わっており、飾りの壺も違った。季節に合わせて交換する調度品は、棚の飾り食器も含む。きょろきょろしながら、居間のソファーへ腰かけた。手前まで手を繋いでいたアードルフが、微笑んで指を解く。「ただいま。アードルフ」「おかえりなさい
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15.こっちに王がいるぞ!

「なんという、愚かな……」 我が子だからと許してきた自分が原因だ。グスタフは即座にそう考えた。この国を守護する女神を怒らせるほど、その罪は深く重い。ニクラウスとリリーの命で贖える範囲を超えていた。 宰相ヤンを含めた大臣達は、国王グスタフへ同情的な視線を向ける。王妃亡き後、必死で国を支えてきた。彼らの目から見れば、献身的な王である。誰しも、己以外の立場でものを見ようとしないのだから。「国民が押し寄せております!」 告げに来た侍従は『前回』を知らないらしい。困惑した顔で、王や宰相の判断を願った。比較的穏やかなアードラー王国の民が、あれほど激昂して城へ押し寄せる事態は歴史にない。知らない者は恐れ、知っている者は加わろうと動き出した。 城門を守る騎士や衛兵はおらず、代わりに押し留めようとする侍従や兵士と外の国民の間で押し合いになる。ところが、内側にも民の味方がいた。女神の怒りを買うくらいなら、王や王太子を倒すべきだ。そう考える侍従や侍女が、門を押さえる兵士を後ろから襲った。 持ち堪えられず、城門が開く。軋んだ音を立てて壊れた門から、雪崩れ込んだ民は手に武器を持っていた。こん棒を振り回す者、包丁やカトラリーを握る者もいる。そんな民の先頭に立つのは、街の治安を維持する警備隊だった。 長い木製の警棒を携え、入城を拒む兵士たちと対峙する。「今のうちに、王太子と偽聖女を探し出せ!」「簡単に殺すな。捕まえるだけだ」 あちこちで呼応する声が返り、人々はわっと散開する。砂糖に集るアリのように、城の内部へ侵入した。豪華な調度品に眉をひそめ、不快さを示す。それでも強奪は起きなかった。目的がはっきりしていたからだろう。元から温厚な民だったことも影響しているか。 略奪より先に、目的の人物を確保する。その点で人々の意識は共通していた。片っ端から扉を開け、邪魔をする者を空き部屋に閉じ込める。人の血が流れない形での反乱に、宰相達は困惑した。「ヤン、これは……あの者らに記憶があるということか」「おそらく、記憶を持っているのでしょう」 確証はないが、記憶があることで目的が一つに絞られていた。グスタフは一つ息を吐き、己の頭上に輝く王冠を外す。会議と謁見の際に載せる王冠は、嫌みなほど美しく光を弾いた。黄金と宝石で固められた権威の象徴を、テーブルの上に置く。「この命は国に捧げたもの
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16.食い違う主張が示す大きな嘘

 斬りかかろうとした肉屋の主人を、大臣達が押さえにかかる。といっても、文官中心だ。腰に剣を下げている者はなく、本や椅子を武器に立ち向おうとした。止めようと声を張り上げたのは、国王グスタフ自身だった。「やめよ! 誰も傷ついてはならん。わしの命一つで済むなら差し出そう」「王太子はどこに隠した!」「あの阿婆擦れ女もいないぞ」 殊勝に告げた国王へ向けられたのは、元凶二人の行方を尋ねる声だった。肉屋の主人は、同行した民衆に宥められて刃を下げる。だが威嚇のため、握った包丁は離さなかった。一部貴族の横暴な振る舞いを知る国民は、手にした武器を護身用と考えている。その様子に、グスタフは項垂れた。 民の税を軽減し、暮らしやすい国を目指した。妻と何度も話し合い、目指した未来は明るい絵図だったはず。いつから狂ったのか。実務に追われて、書類処理で一日が終わっていく。民の暮らしを目にすることなく、机の上で数字と対峙した。 直接、民の暮らしを見るべきだった。貴族の不正を見つけ、不当に税を上げる者らを処分する。出来るのは、貴族の頂点に立つ王だけだったのに。「陛下、反省はいつでもできます。今は民の要求を聞きましょう」 宰相ヤンの進言に、グスタフは深呼吸して顔を上げた。見つめ返す民の表情は険しく、衣服や痩せた腕から生活の苦しさが見える。不正を暴く決意をした王の隣で、宰相も眉をひそめた。これほど民が困窮していると、知らなかったのだ。 目にした彼らの体は臭う。気を遣う余裕がないのだ。王妃が生きていた頃、宰相は視察に同行した経験がある。孤児院への慰問が主目的だったが、街を歩いて民の生活も確かめた。その頃は人々の表情は明るく、笑いが満ちていた。高価でなくとも洗濯された身綺麗な民が、ごく普通にいたのだ。 あれから十年余り。国の税収は増えていないのに、何が起きている? むしろ、税率は下げたはずだ。公共事業や慈善活動への支出を増やし、財政は収支がぎりぎりの状態だった。民が困窮する理由がわからない。「国王様か? あんたらが贅沢な生活をする金のために、俺らがどれだけ苦しんだか……」「待ってください。我々は税を下げ
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17.懐かしい記憶を引き寄せる甘い香り

 国王、宰相、大臣達は罪が明らかになるまで監禁が決まった。残った文官を総動員して、経理書類の確認が始まる。宰相ヤンが口にした「減税」がきっかけだった。上層部が減税したのに、実際は増税され続けている。民は増税された実情を知る生き証人でもあった。「結果の報告まで、皆は一度家に戻るといい。子供達が待っているはずだ」 バーレ伯爵アウグストの声に、監視役を買って出た数十人を残して戻っていく。引き揚げる民の中には、我が子を案ずる声も聞こえた。混乱して、怒りに任せて飛び出した人々は、冷静に状況を判断し始める。まずは日常の生活だ。 我が子に食事をさせ、体を清め、ぐっすり眠れる環境を整えなければ。親ならば当然の考えが、熱が消えた頭に過る。王城に残る民へは、逃げた使用人の部屋が宛てがわれた。仮の対応だが、指示したバーレ伯爵への感謝が告げられる。「しっかり休んでくれ。まずは体が大事だ」「はい。ありがとうございます」 穏やかなやり取りで引き揚げる民衆を見送る。治安維持のため、騎士達が城内の巡回を担った。城門は破壊されたまま、閉ざすことができない。不埒なことを考える輩が侵入する危険があった。使用人達もしっかり施錠するよう通達し、アウグストは王城内の客間で椅子に腰を下ろす。「お疲れさまでした。お茶でも?」「ああ、頼む」 天井を仰ぐ姿勢で、目元を手で覆う。疲れたと全身で表現する上司に、副官のアンテス子爵は香りの強い紅茶を選んだ。やや濃いめに淹れて注ぎ、蜂蜜を添えて並べる。さすがに王家の居城というべきか。残っていた侍女に声を掛ければ、すぐに届けられた。 同じポットで淹れた紅茶に蜂蜜を足し、アンテス子爵ヴィリはゆっくり味わう。毒見を兼ねた作業を終える頃、アウグストが身じろいだ。甘い香りが気になったらしい。「蜂蜜? 珍しいな」「疲れた時は甘いものがいいと、姉に教わったものですから」「なるほど。助かる」 迷信とする者もいるが、昔からロイスナー公爵領で口にされる習慣だ。疲れたら甘いものを……菓子でも蜂蜜でもいい。甘味を口にして一息つく。そこから新しい考えや動きが生まれる
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18.目指した豊かさは幻だった

 王は自室、宰相や大臣は客間に監禁された。各部屋の見張りは、有志が交代で行う。 民のために仕事に打ち込んだのに、真逆の結果を招いていた。宰相職まで上り詰めたのは、若い頃に出会った老人の影響が大きい。ヤンは侯爵家の三男に生まれ、父や兄のような強さを持たなかった。腕っぷしだけでなく、体も弱かったのだ。 母はあれこれ気遣って、末息子へ過保護になった。兄二人と年が離れていたため、身近な比較対象がいない。私は随分と傲慢な貴族の坊ちゃんだったはずだ。ヤンは自嘲した。 ある日、視察で街へ出る兄を追いかけて、勝手に屋敷から出た。まだすぐそこにいると思った兄がいない。そこで戻ればよかったのに、ヤンは愚かにも街へ向かった。視察で街に行くのなら、街で会えると思ったのだ。この頃のヤンの世界の狭さが窺える。 まだ二桁になったばかり、若いと言うより幼い。考え方も甘く、身なりのいい貴族の子が街中を一人で歩く危険性も知らなかった。話しかけられ、兄を探していると素直に口にする。案内してあげると手を引く女性に、ヤンの警戒心は働かなかった。 素直についていく子供を、ある老人が呼び止めた。「坊ちゃま! このようなところで何をしておいでか。あちらで皆様がお待ちですぞ」 きょとんとするヤンの手を掴み、女性を睨みつける。慌てて手を離し、笑って誤魔化しながら彼女は逃げて行った。あの時、もし老人が助けてくれなかったら……宰相ヤンは誕生しなかっただろう。ともあれ、老人の機転で助けられた。 貴族の従者をしていたという老人は、ヤンを衛兵のいる塔まで案内した。その際に話をしたが、平民の生活に驚く。風呂はなく、食べ物もパンだけ。スープがあれば上等なのだと。引退した老人は、雇っていた貴族に屋敷から放り出された。それもごく普通の扱いだと言う。 驚きすぎて、ヤンは言葉を失った。何らかの礼をしたいと考え、袖のボタンを引き千切る。前にボタンを引っ掻けて落とした際、探す侍女が「これ一つで一か月分の給金に値する」と口にした。その言葉を思い出したのだ。 老人に手渡そうとして断られた。盗んだと誤解されるから、そう言われたら無理に渡せない。二人のやり取りを見ていた衛兵が、数枚の銀貨
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19.自分を含めて全員を疑った

 寛容で民を思いやる主君が、世界にどれだけいるのか。稀有な王に仕える己の幸運に感謝したのは、ほんの数年前だった。忙しく、なかなか休暇も取れない。大量の書類に埋め尽くされた日々だった。それでもグスタフ王に不満はない。 財務大臣として必死に財政をやりくりした。民のための減税に賛成した以上、苦労は望むところだ。これで民が楽になると信じていた。誰もが必死で国に人生を捧げてきたのに、騙されていた? 誰かが民から搾取し、国に嘘をついて金を呑み込んだ。「何を信じたらいいのか……」 もうわからない。押しかけた民衆の姿に嘘はなかった。怒りと憎しみを湛えた眼差し、身支度に金をかける余裕のない切迫振り、厳しい指摘の声。どこで、いつから、何を間違えたのか。財務大臣を務めるボルマン子爵は肩を落とした。 ヤン宰相が話していた『前回』を知らない。記憶にないと表現するのが正しいだろう。ヤンが説明した話に驚き、何も言葉が見つからなかった。公明正大なロイスナー公爵が、家族も含めて処刑された? 公爵令嬢は王太子殿下の婚約者だったはず。 茫然としながら事実を確認するボルマン子爵に、外務大臣を務めるプロイ伯爵が説明を始めた。プロイ伯爵は『前回』の記憶を持っているという。女神様の断罪とやり直しを命じる声、まばゆい光、どちらもボルマン子爵には与えられなかった。「俺は選ばれなかったんだろうな……それもそうか。数字に長けていると思い込み、税を誤魔化された事実を見落としたのだから」 おそらく『前回』も同じ事件が起きたのだろう。それらの罪をロイスナー公爵家に負わせた犯人がいる。この騒動の原因となった人物……王太子殿下ではない。あの方はそれほどの知識も知恵も持たない。そこまで賢ければ、グスタフ王も悩む必要がなかったのだから。ならば、誰だ? 監禁された部屋は、客間が使用された。用意された食事を押しのけ、見つけたペンにインクを吸わせる。一緒に引き出しに用意された便箋に名前を記した。 善悪関係なく、税収に関与できる立場の者を並べる。グスタフ王から始まり、部下の文官まで。ずらりと並んだ名は数十人程度だ。さらに、強要して動かせる立場の強い者を書き連ねた。騎士団長や外務大臣など、普段は
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20.被害者が出てからでは遅いのに

 翌朝の王宮に、悲鳴が響いた。駆けつけた騎士カルロスは、開いた扉の中で血を吐いて倒れる男を見つける。その手前に立つ青ざめた侍女が、悲鳴の主だろう。その足元はびしょ濡れで、ひっくり返った洗面器やタオルが落ちていた。「失礼する!」 声を掛けて入室し、倒れた男の首に指を当てる。脈を確認するまでもなく、白い肌は硬直を始めていた。客間が並ぶこの一角は、王や宰相、大臣などの重要人物を隔離している。形は監禁だが、扉に鍵は掛けなかった。 同じ廊下に接する客間を使用することで、監視の人員を省いたのだ。騎士団副官アンテス子爵の判断だった。廊下の端と端に騎士が立てば、外からの侵入経路は窓だけだ。窓の下に二人配置することで、侵入を防いだ。監禁というより、重要人物の保護が目的だった。 カルロスは『前回』の記憶を持たない。同僚や上司から話を聞いただけだ。それでも、騎士団長であるバーレ伯爵が殺されかけた話には憤った。ロイスナー公爵家が処刑された話に涙した。王太子や聖女という女に怒りはあるが、王自身への悪感情はない。 きちんと職務を全うしたはずなのに、身支度用の水とタオルを持った侍女が入った途端の騒ぎに愕然とした。すぐに駆けつけたアンテス子爵が指揮を執り、他の部屋も確認される。「何があったんですか?」 宰相ヤンが不安げに尋ねる。騎士達は濁さず、わかっている事実だけを伝えた。死んだのはボルマン子爵で、まだ調査中だと。安全のために、王を含めた大臣達と一部屋に集まるよう伝えた。「そう、ですね。安全のために同室のほうがいいでしょう」 身支度や寝る際は仕方ないが、起きてから寝るまで。食事の間も出来るだけ同じ部屋にいるほうが、護衛も守りやすい。ヤンが他の大臣を説得し、王が滞在する一番広い客間へと移動を始めた。 この段階になって、ようやく騎士団長バーレ伯爵が到着する。早朝から王都の見回りに出ていたため、騒ぎを知ったのは門へ戻ってからだ。ついでに城門を直す算段をつけた帰りだった。「どういうことだ? ヴィリ」「財務大臣のボルマン子爵が殺害されました。まだはっきりしませんが、毒殺の可能性が高いと思われます」
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