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17.懐かしい記憶を引き寄せる甘い香り

last update Last Updated: 2025-11-11 20:00:38

 国王、宰相、大臣達は罪が明らかになるまで監禁が決まった。残った文官を総動員して、経理書類の確認が始まる。宰相ヤンが口にした「減税」がきっかけだった。上層部が減税したのに、実際は増税され続けている。民は増税された実情を知る生き証人でもあった。

「結果の報告まで、皆は一度家に戻るといい。子供達が待っているはずだ」

 バーレ伯爵アウグストの声に、監視役を買って出た数十人を残して戻っていく。引き揚げる民の中には、我が子を案ずる声も聞こえた。混乱して、怒りに任せて飛び出した人々は、冷静に状況を判断し始める。まずは日常の生活だ。

 我が子に食事をさせ、体を清め、ぐっすり眠れる環境を整えなければ。親ならば当然の考えが、熱が消えた頭によぎる。王城に残る民へは、逃げた使用人の部屋が宛てがわれた。仮の対応だが、指示したバーレ伯爵への感謝が告げられる。

「しっかり休んでくれ。まずは体が大事だ」

「はい。ありがとうございます」

 穏やかなやり取りで引き揚げる民衆を見送る。治安維持のため、騎士達が城内の巡回を担った。城門は破壊されたまま、閉ざすことができない。不埒なことを考える輩が侵入する危険があった。使用人達もしっかり施錠するよう通達し、アウグストは王城内の客間で椅子に腰を下ろす。

「お疲れさまでした。お茶でも?」

「ああ、頼む」

 天井を仰ぐ姿勢で、目元を手で覆う。疲れたと全身で表現する上司に、副官のアンテス子爵は香りの強い紅茶を選んだ。やや濃いめに淹れて注ぎ、蜂蜜を添えて並べる。さすがに王家の居城というべきか。残っていた侍女に声を掛ければ、すぐに届けられた。

 同じポットで淹れた紅茶に蜂蜜を足し、アンテス子爵ヴィリはゆっくり味わう。毒見を兼ねた作業を終える頃、アウグストが身じろいだ。甘い香りが気になったらしい。

「蜂蜜? 珍しいな」

「疲れた時は甘いものがいいと、姉に教わったものですから」

「なるほど。助かる」

 迷信とする者もいるが、昔からロイスナー公爵領で口にされる習慣だ。疲れたら甘いものを……菓子でも蜂蜜でもいい。甘味を口にして一息つく。そこから新しい考えや動きが生まれる

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  • わたくしは何も存じません   19.自分を含めて全員を疑った

     寛容で民を思いやる主君が、世界にどれだけいるのか。稀有な王に仕える己の幸運に感謝したのは、ほんの数年前だった。忙しく、なかなか休暇も取れない。大量の書類に埋め尽くされた日々だった。それでもグスタフ王に不満はない。 財務大臣として必死に財政をやりくりした。民のための減税に賛成した以上、苦労は望むところだ。これで民が楽になると信じていた。誰もが必死で国に人生を捧げてきたのに、騙されていた? 誰かが民から搾取し、国に嘘をついて金を呑み込んだ。「何を信じたらいいのか……」 もうわからない。押しかけた民衆の姿に嘘はなかった。怒りと憎しみを湛えた眼差し、身支度に金をかける余裕のない切迫振り、厳しい指摘の声。どこで、いつから、何を間違えたのか。財務大臣を務めるボルマン子爵は肩を落とした。 ヤン宰相が話していた『前回』を知らない。記憶にないと表現するのが正しいだろう。ヤンが説明した話に驚き、何も言葉が見つからなかった。公明正大なロイスナー公爵が、家族も含めて処刑された? 公爵令嬢は王太子殿下の婚約者だったはず。 茫然としながら事実を確認するボルマン子爵に、外務大臣を務めるプロイ伯爵が説明を始めた。プロイ伯爵は『前回』の記憶を持っているという。女神様の断罪とやり直しを命じる声、まばゆい光、どちらもボルマン子爵には与えられなかった。「俺は選ばれなかったんだろうな……それもそうか。数字に長けていると思い込み、税を誤魔化された事実を見落としたのだから」 おそらく『前回』も同じ事件が起きたのだろう。それらの罪をロイスナー公爵家に負わせた犯人がいる。この騒動の原因となった人物……王太子殿下ではない。あの方はそれほどの知識も知恵も持たない。そこまで賢ければ、グスタフ王も悩む必要がなかったのだから。ならば、誰だ? 監禁された部屋は、客間が使用された。用意された食事を押しのけ、見つけたペンにインクを吸わせる。一緒に引き出しに用意された便箋に名前を記した。 善悪関係なく、税収に関与できる立場の者を並べる。グスタフ王から始まり、部下の文官まで。ずらりと並んだ名は数十人程度だ。さらに、強要して動かせる立場の強い者を書き連ねた。騎士団長や外務大臣など、普段は

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