へき地での教育支援活動を終え、南都に戻って三年目のこと。私・高橋杏(たかはし あん)は病院で元夫・瀬川蓮(せがわ れん)と偶然再会した。簡単な挨拶を交わす間、彼の視線が私の手にある処方箋を捉え、何かを悟ったように言った。「まだ胃の具合が悪いのか?」私は礼儀正しく頷いた。「ええ、いつものことで」「そうか。じゃあ、この保温ポットを持って行きな。チキンスープが入っている。本来なら玲奈に精をつけさせてやろうと思って……」彼がなおも言葉を続けようとするのを、私は反射的に断った。「結構よ」彼の声がピタリと止まり、一瞬の間を置いて、深いため息に変わった。「あの時、お前がもっと早く折れていれば、今頃こうして一人でいることもなかったのにな」私は笑って、何も答えなかった。その時、少し離れたところから小さな姿が、おぼつかない足取りで走ってきた。頬には涙の跡が残っている。私は両手を広げて翔太(しょうた)を抱き上げた。彼の視線が何気なくそちらに向けられる。「どうしたの?」「ママ、優子さんがチョコ食べちゃダメって言うんだ」その瞬間、保温ポットを持っていた彼の手から力が抜けた。「アン、お前……もう子供がいたのか?」ガシャーン!病院のロビーにその音が響き渡り、スープが床に広がった。いつもなら何事にも冷静な彼が、ズボンの裾についたシミなど気にも留めず、ただ呆然と私を見つめていた。「ええ、そうよ」彼は唇を引き結び、矢継ぎ早に質問を投げかけてきた。「相手は何をしてる奴だ? 出会って数ヶ月でスピード婚でもしたのか?今はどこに住んでる?」「あなたには関係ないわ」私は静かに彼を一瞥した。「アン、俺たち、元夫婦だろ。俺はただ……お前が変な男に捕まってないか心配なだけで」失言だと気づいたのか、彼は少し口調を和らげた。「私たちはとっくに離婚したのよ。それに、最初に心を許す相手を間違えたんだもの。同じ過ちは二度と繰り返さないわ」そう言い捨ててバッグを持ち直し、私は一刻も早く立ち去ろうとした。彼は数秒口ごもり、とっさに私を引き止めようと手を伸ばした。その手が私の左腕にある褐色の傷跡に触れ、彼の表情が複雑に歪む。「ここは……まだ痛むのか?」「もう治ったわ」私は後ずさりして彼の手を避け
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