景炎は政務室の窓の外を眺めていた。 庭に咲いた白梅が風に揺れている。それを見て、ふと胸の奥に懐かしい気配が疼いた。白梅を愛でる女がいた。 穏やかに笑い、花の香りを袖に集めるようにしていた女が。(……蘭珠)その名が脳裏をかすめた瞬間、景炎は眉を寄せた。どうして、今この名を思い出したのか。 もうあの女は追放され、楚凌の妻として東門の官舎に住んでいるはずだ。(余を裏切った女のことなど考える必要はない)そう言い聞かせるのに、胸の中にひどく小さな痛みが走った。気持ちを切り替えるため、景炎は部屋を出ることにした。扉に近づくと、近衛たちのひそめた話し声が聞こえてくる。「……東門のほうで見かけたぞ。楚凌殿と、あの……前妃様を」「本当に門番の妻になられたのか……? 静かに暮らしておられると……」「楚凌殿も災難だな。あの方を養うなど……」気配に気がついたようで、声が途中で止まる。 景炎は静かに扉を開いた。気づいた近衛たちは蒼白になり、地に額を擦りつけて平伏した。「……何を話していた」景炎の声は低く、冷たかった。「も、申し訳ございません、殿下……っ! 何でもございません!」「……ふん」景炎はそのまま二人を無視して歩き去る。 だが、耳には確かに焼きついていた。——楚凌と蘭珠が慎ましく暮らしている。城の外で。 東門の官舎で。 粗末な暮らしをしながら。(あの女が、そんな生活に耐えられるはずがない)景炎は袖の中で拳を握った。――冷遇されていたとはいえ、蘭珠は名家の娘だ。(すぐに泣いて余のもとへ戻ってくると思っていた)楚凌などでは釣り合わない。 門番の妻など……冗談にもならぬ。だから景炎は密かにこう考えていた。——もし泣きながら「宮中へ戻してほしい」と願うなら、 下働きとして置いてやってもよい。惨めな格好で許しを請う姿を見れば、少しは胸のしこりも晴れるだろうと。(それで十分だったはずなのだ……)ところが。蘭珠は戻ってこない。泣き叫ぶこともなく。 景炎に縋りつくこともなく。 必死で宮城へ駆け戻る姿もない。(なぜだ……?)景炎はふと、自分の掌を見つめた。その手には、かつて蘭珠の髪を撫でた温もりが確かに残っているような気がした。あの柔らかい髪。 震える肩。 怯えながらも景炎を信じる
Dernière mise à jour : 2026-01-07 Read More