火事が起きた時、消防士長の夫は隣の家に飛びこんで、彼の幼馴染を抱きかかえて出てきた。その後、インタビューで記者が、なぜ妊娠中の妻を先に助けなかったのかと夫に尋ねた。夫はカメラに向かって、少しも悪びれずにこう言った。「消防士長として、まず一般市民を助けなければなりません。身内だからって、特別扱いはできません。公私混同は許されないのです」その時、夫の幼馴染は彼の腕の中でか弱く震えながら、私に挑発するような視線を向けてきた。足の間から流れる血を見つめ、私の心は冷えきってしまった。「直樹、そんなに身内びいきを避けたいのなら、私たち、離婚しよう。元妻になれば、私もただの一般市民。次はちゃんと、私を先に助けてね」私は背を向けて救急車に乗り込んだ。今度こそ、もう我慢しない。救急車のドアが閉まる瞬間、葛城直樹(かつらぎ なおき)がまだ彼の幼馴染である藤田由理恵(ふじた ゆりえ)をなだめていた。由理恵は、ばっちりメイクの顔に涙を浮かべている。直樹の防火服の裾をぎゅっと掴んで、まるで怯えた子ウサギのようだ。それにひきかえ、私は全身ずぶ濡れ。煙で喉は焼けつくように痛む。お腹の奥からは、ドリルで抉られるような激痛が突き上げてきた。「患者さんはひどい出血です!急いで産婦人科に連絡して、受け入れ準備を!」看護師の声が、頭の上で鋭く響いた。なんとか目を開けると、つけられた酸素マスクが、私の息ですぐに白く曇った。スマホに手を伸ばし、直樹に電話をかけようとした。でも、持ち上げた腕は、すぐにだらりと垂れてしまった。かけたって、何になるっていうんだろうか?さっき、炎の中で、必死に彼の名前を叫んだのに。「直樹、お腹が痛いの。お願い、赤ちゃんを助けて」って。ドア一枚を隔てて、直樹の冷静な声がはっきりと聞こえた。「由理恵は足をひねった。煙もすごいし、彼女は喘息持ちなんだ。先に外へ運ばないと。莉緒(りお)、お前は俺の家族だろ。覚悟を決めろ。自分で濡れタオルを口にあてて、床を這って出てこい!」這って出てこい、だって?私はもうすぐ産まれそうな妊婦なのに……黒い煙が充満して、目の前は灰色と黒だけだった。少しでも動こうとすると、足の間から生暖かいものがどっと流れ出るのを感じた。結局、向かいの部屋の人が、鍵のか
Read more