All Chapters of 淡い金髪の女神さまと1: Chapter 11 - Chapter 20

25 Chapters

11話 閉ざされた寝室と、熱に溶けた願い

「わたしが、簡単に信用をすると思いますか? 夜月くん……なら、わたしに変なことをしたら、学校と家での立場が悪くなるリスクを分かっていると思いますし」 その言葉に、ユウは思わず足を止めた。学校での彼女は、誰に対しても平等に慈悲深い微笑みを向ける。けれどそれは、裏を返せば、誰一人として自分の内側へは踏み込ませないという、分厚い氷の壁でもあった。あの日、わが家のリビングで見せた、ユカに頭を撫でられながら恥ずかしそうに綻んだ笑顔。あれこそが彼女の「真実」であり、その特別な顔を見せているユウを、彼女は理屈を超えた部分で選別しているのだ。「そうだな。ここの部屋が寝室か?」 リビングを通り過ぎ、廊下の奥にある一室の前に立つ。そこには、学園の女神という冷徹な肩書きには不似合いな、パステルカラーで「ソフィアのおへや」と可愛らしくデザインされたネームプレートが掛けられていた。 彼女の、年相応の少女としての素顔がそこに凝縮されているようで、ユウは言いようのない緊張に喉を鳴らす。閉ざされた寝室と、熱に溶けた願い「ソフィアのおへや」と書かれた扉を押し開けると、そこには彼女の清楚なイメージそのままの、けれど年相応の可愛らしさが詰まった空間が広がっていた。ユウは背中の熱を壊さないよう、細心の注意を払って彼女をシーツの上へと下ろした。「……うぅぅ……ぅぅ……あまり、見ないでくださいね」 ベッドに横たわったソフィアは、熱で潤んだ瞳を泳がせ、枕元のクッションに顔を半分埋めるようにして身を縮めた。無防備なプライベート空間に男子を招き入れたという事実が、高熱に侵された彼女の意識をさらに激しく揺さぶっているようだった。「了解。見ないようにする……パジャマに着替えて、ゆっくりと寝てくれ。俺が帰ったら鍵を閉めるのを忘れるなよ」 ユウは意識的に視線を外し、部屋の入り口へと数歩下がった。これ以上、彼女の領域に踏み入ることは、ユウの理性が許さなかった。一刻も早く、彼女を静かな眠りにつかせてやりたい。その一心で、ユウは立ち去るための言葉を並べた。「はい。ありがとう……ございました。……もっと、いてくれれば……いいのに……」 ソフィアは力なく頷き、感謝の言葉を口にした。だが、その後に続いた、吐息のような微かな呟きは、ユウの耳に届く前に四月の冷ややかな夜気の中に霧散してしまった。 彼女が何を望み
last updateLast Updated : 2026-03-05
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12話 深夜の潜入と、無防備な寝顔

 鏡の前で自分の身勝手な理由に自問自答を繰り返すが、脳裏に浮かぶのは、あの公園で力なくユウに縋り付いてきた、熱く、柔らかな身体の感触だった。あんなに弱々しい「女神」を放っておけるはずがない。 ユウは改めて自分に言い聞かせ、リビングへと向かった。「おい、ユカ。コンビニへ行ってくるけど……買うものあるか?」「ないよー♪ ありがとぉー!」 ソファーでくつろぐユカは、兄の焦燥には気づく様子もなく、気楽な声を返す。ユウは玄関のドアノブを掴むと、念を押すように妹を振り返った。「俺がいない間、誰が来てもカギを開けるなよ。何かあれば、すぐにスマホに連絡な」「はいはい、分かってますよー♪」 背後でユカの能天気な返事を聞きながら、ユウは夜の闇へと足を踏み出した。春の夜風は思っていたよりも冷たく、それが余計に、向かいのマンションの一室で震えているかもしれない彼女への焦りを募らせた。深夜の潜入と、無防備な寝顔 コンビニの自動ドアを抜け、ユウは夜の冷たい空気の中を急いだ。腕に提げた袋の中では、数種類のスポーツドリンクと果物入りのゼリー、朝食用のヨーグルトが重く揺れている。元気になった時のためにと、彼女が好きそうなお菓子も無意識にカゴに入れていた。 再び訪れたマンションの二階。重厚なドアの前で立ち止まり、ユウは緊張で強張る指先でインターフォンを押し込んだ。 ピンポーン――。 静まり返った廊下に、無機質な音が虚しく響き渡る。一分、二分と待っても、扉の向こうから足音が聞こえてくる気配はない。(具合が悪くて外出してるなんて、ありえないよな……。まさか、意識を失ってるとか……?) 最悪の想像が頭をよぎり、背筋に冷たいものが走った。ユウは祈るような心地で、恐る恐るドアノブに手をかけ、力を込める。すると、カチャリという音と共に、ドアは呆気なく内側へと滑り込んだ。「……鍵、閉めてねえのかよ。不用心すぎるだろ……」 ユウが帰る際に言った言葉を、彼女は実行できる状態ではなかったのだ。悪いとは思いつつも、今は心配が勝っていた。ユウは暗い玄関に足を踏み入れ、声を潜めて呟いた。「おじゃましますよ……」 薄暗いリビングを通り抜け、例の「ソフィアのおへや」の前に立つ。一度短くノックをしてから扉を開けると、そこには、熱に浮かされ、浅い呼吸を繰り返しながら眠る彼女の姿があった。 ベッド
last updateLast Updated : 2026-03-05
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13話 月光の給餌、混じり合う吐息

 彼女はそのまま、震える手でユウの首筋を引き寄せると、熱い吐息と共にその柔らかな唇を、ユウの頬へと押し当てた。「……っ!?」 触れた瞬間、火傷しそうなほどの熱量が伝わってきた。それは、春の陽だまりのような温かさではなく、全身の血が逆流するような、切実で甘美な「熱」だった。しっとりと汗ばんだ彼女の肌の質感、鼻腔をくすぐる少女特有の甘い体温の香り、そして何より、頬に残る吸い付くような柔らかな唇の感触が、ユウの理性を容赦なく削り取っていく。 唇が離れると、ソフィアは視線を逸らすことなく、恍惚とした表情でユウを見上げた。学校で見せるあの凛とした面影はどこへやら、今の彼女は、ただ一人の男に甘え、縋り、愛を乞うような、あまりにも無防備で魅力的な一人の少女だった。「……行かないで、ください……ユウくん……」 熱く、湿った吐息がユウの耳たぶをかすめる。真っ赤に染まった頬と、恥じらうように揺れる睫毛。普段の彼女からは想像もつかないような、蕩けるような甘い微笑みが、ユウの心臓の鼓動をどこまでも狂わせていく。 彼女が差し出した、この熱に浮かされた純粋な好意に、ユウはどう応えればいいのか。静まり返った寝室で、ユウはただ、彼女の熱すぎる視線から逃げ出すこともできず、その手を握りしめることしかできなかった。揺り戻す理性と、ほどけない指先 頬に残る熱い感触が、脳を麻痺させようとしていた。だが、ユウは激しく脈打つ心臓を必死に抑え込み、自分に言い聞かせた。――落ち着け。ユウは看病に来たんだ。彼女はただ、高熱に浮かされて判断力が鈍っているだけだ。一人きりの夜の不安が、彼女をこうさせているだけなんだ、と。 ユウは震える呼気を吐き出し、視線を彼女の潤んだ瞳から、少しだけ横にずらして問いかけた。「星野さん、夕飯は食べた?」 問いかけに対し、ソフィアは力なく枕に頭を沈めたまま、ゆっくりと左右に首を振った。その弱々しい仕草は、彼女がどれほど衰弱しているかを物語っていた。「おかゆを持ってくるから待っててな」 立ち上がり、リビングへ向かおうとしたその瞬間。不意に、ユウのシャツの袖がくいっと引かれた。見れば、シーツから伸びた彼女の白く細い指先が、無意識に、けれど離したくないというようにユウの服を掴んでいた。「……傍に……いて……ください……夜月くん……」 その言葉が零れた瞬間、彼女の頬
last updateLast Updated : 2026-03-05
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14話 安らぎの微睡みと、揺れる独占欲

 至近距離で見つめる彼女の唇は、熱のせいでいつもより潤んでいて、スプーンが触れるたびにユウの指先にまでその柔らかさが伝わってくるようだった。「……美味しい、です……夜月くん、料理まで出来るのですね」「……これくらい、普通だろ」 目が合うたびに、どちらからともなく視線を逸らす。沈黙が流れる寝室。スプーンが触れる小さな音と、二人の重なる吐息だけが、四月の夜の静寂に甘く溶け込んでいった。苦い薬と、溶け出した本音 おかゆを半分ほど平らげたところで、ユウは持ってきた鞄から風邪薬のシートを取り出した。「薬は飲んだのか?」「……いえ、飲んでないです……買い置きが無くなっているのを忘れていました」 彼女は力なく首を横に振り、少しだけ申し訳なさそうに眉を下げた。一人暮らしの心細さが、こんな些細な準備不足からも伝わってきて胸が痛む。「家から持ってきたので良ければ……これでいいか?」「夜月くんが飲んでいる薬なら……それが、いい……です」 彼女はユウが差し出した薬をじっと見つめ、熱を帯びた声でそう言った。ユウと同じものを共有したい――そんな風に聞こえてしまい、また心臓が騒ぎ出す。 ユウが薬をシートから一錠取り出し、水を用意して向き合うと、ソフィアは自分から手を出そうとはしなかった。代わりにするように、彼女は潤んだ瞳でユウを見上げ、雛鳥のように小さく、けれど艶やかに、その柔らかな唇を僅かに開いた。(……これ、俺に飲ませろってことか?) 至近距離で見つめる彼女の唇は、熱のせいか、それともこちらの視線を意識してか、微かに震えている。その桜色の柔らかそうな質感に見惚れ、ユウの指先が止まった。あまりの無防備さと、計算されたようにも見える色っぽさに、胸の高鳴りはもう限界だった。「……今回だけな。心臓に悪いし……こういうの……。今回は、非常事態だったから特別だからな……」 逃げるように、震える指先で彼女の口元へ薬を運ぶ。唇に指が触れそうで触れない、そのもどかしい距離感に息が詰まる。なんとか薬を飲ませ終え、水を差し出しながらそう呟いた。 すると、それまで甘えるようにユウを見つめていたソフィアの表情が、一瞬にして影を落とした。「そう、ですか……。今回……だけ……なのですね……」 彼女の唇から零れたのは、独り言にしてははっきりと、ユウの耳に届くほどの寂寥感を含んだ呟きだ
last updateLast Updated : 2026-03-05
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15話 春暁のぬくもりと、ほどけぬ絆

(よく考えろ、俺。今は、ソフィアは熱で弱気になり俺に甘えているだけだ。だけど、元気になれば……男子の俺に寝顔を見られた。同じ部屋で一夜を過ごしたと分かれば、彼女は最悪な気持ちになるだろうし、後悔だってするだろ……) それは彼女の尊厳を守るための、真っ当な判断のはずだった。ユウは、握っていた彼女の指先を名残惜しくも離し、音を立てずに立ち上がろうとする。 その瞬間だった。 シーツの上に放り出されていた彼女の熱い手が、逃がさないと言わんばかりにユウの手をぎゅっと握りしめた。無意識の行動なのか、それとも眠りの淵でユウの気配が遠のくのを察したのか。「……っ」 その手の力は驚くほど弱々しく、けれど、そこには言葉にならない切実な願いが込められているように感じられた。暗闇の中で、彼女の指先がユウの肌に深く食い込む。まるで暗い海の中で唯一の救いを求めるように、彼女はユウという存在にその命を預けていた。 その瞬間、ユウの中にあった論理的な思考はすべて霧散し、諦めるしかなかった。こんなにも震え、心の支えを求めている手を振りほどいて、冷たい夜の廊下へ踏み出すことなんて、ユウには到底できそうになかった。 たとえ明日、彼女が目覚めた時にどんな顔をされようとも。たとえ軽蔑され、後悔の眼差しを向けられることになったとしても。 今はただ、この小さな手の温もりを守り抜くことだけが、ユウに許された唯一の役割なのだと腹を括った。ユウは再びベッドの傍らに腰を下ろし、彼女の指先を優しく、包み込むように握り返した。春暁のぬくもりと、ほどけぬ絆 窓の外から差し込む、白んだ四月の朝日が、静かな寝室を淡く照らし出していた。眠りの淵からゆっくりと意識を引き戻されたソフィアは、自身の右手に重なるように包み込まれ、不思議な重みと優しい温かさに気づいた。 視線を落とすと、そこには自分の細い指を、壊れ物を扱うような優しさで包み込んでいる、大きな掌があった。「っ……あ……」 昨夜の記憶が、断片的な映像となって脳裏を駆け巡る。公園での朦朧とした意識、背負われた時の背中の広さ、そして――熱に浮かされて口にしてしまった、数々の甘えや我儘。 看病をしてもらい、それどころか朝まで手を握られ、付き添われていた。その事実に気づいた瞬間、彼女の白い頬は、昨夜の熱とはまた違う、鮮烈な朱色に染まった。胸の奥から込み上げ
last updateLast Updated : 2026-03-05
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16話 羞恥の再演と、甘やかな降伏

 指の隙間から覗く視線の先には、相変わらず幸せそうに眠るユウの姿。自分の心臓の鼓動が彼に聞こえてしまうのではないか。そんな的外れな不安に駆られながら、彼女は朝の光の中で、どうしようもないほどの幸福感と羞恥心に溺れていた。春の光と、目覚めの熱度 ソフィアは、繋がれた手のひらから伝わる規則正しい鼓動を、まるで宝物を確かめるようにそっと味わっていた。彼の寝顔をこんなに近くで見つめることができるのは、自分だけの特権なのだ。そう思うだけで、胸の奥が甘く疼く。 やがて、ユウの長い睫毛が微かに震えた。彼は小さく身じろぎをすると、ゆっくりと重たげな瞼を持ち上げ、意識を覚醒させていく。顔を上げた彼の瞳に、朝の光が反射してキラリと輝いた。「お? 元気そうになったな」 開口一番、彼は自身の疲れを気にする素振りも見せず、ただ真っ直ぐにソフィアの顔を覗き込んだ。その瞳には、打算のない純粋な心配の色が滲んでいる。 不意に、ソフィアの胸の奥がキュンと鋭く締め付けられた。今まで誰からも向けられたことのない、深く、温かな献身。その熱に触れた瞬間、彼女は初めて経験する感情の奔流に戸惑い、けれど同時に、どうしようもないほどの幸福感に包まれていく。「そ、その……おかげさまで、ありがとう……ございます」 ソフィアは、熱とは違う理由で火照る顔を僅かに俯かせ、蚊の鳴くような声で答えた。まだ完全に離しきれないでいる彼の手。その指先に力を込めれば、この幸せな時間が永遠に続くのではないか。そんな淡い期待を抱きながら、彼女は朝の静寂の中で、彼と見つめ合う奇跡のような時間を噛み締めていた。朝の陽光と、特別なおかゆ「そんなことは、気にするなよ。朝食を食べられそうか?」 ユウは少し照れくさそうに視線を外すと、椅子から立ち上がり、凝り固まった身体をほぐすように軽く伸びをした。その何気ない動作一つひとつが、ソフィアの瞳には輝いて映る。「え? は、はい……食べられそうですけど。また、作っていただけるのですか?」「まだ、おかゆが良いと思うんだけど、それで良いか?」「はい、おねがいします」 彼女が素直に頷くのを見届けると、ユウは「待っててな」と短く言い残し、寝室の扉を抜けてキッチンへと向かっていった。 パタパタと遠ざかっていくスリッパの音。やがて聞こえてくる、コンロに火を点ける音やカチャカチャという食
last updateLast Updated : 2026-03-05
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17話 交換される約束と、震える強がり

交換される約束と、震える強がり おかゆを平らげ、少しだけ血色の戻ったソフィアが、膝の上で指先を弄びながら視線を泳がせた。「あの……面倒を見ていただき、ありがとうございました。看病をして頂いたお礼を……したいのですが……何かあり……ますか?」 上目遣いにこちらを伺う瞳には、純粋な感謝と、彼との繋がりを少しでも繋ぎ止めたいという切実な願いが宿っているようだった。ユウは腕を組み、うーんとしばらく考え込んだが、やがて思い至ったように指を鳴らした。「ん……それじゃ、お前の連絡先を教えてくれよ。昨日は、どうして良いのか困って焦ったからな……。そうなる前に、近くに住んでいるんだから、遠慮なく俺に連絡を寄越せよな」 その言葉を聞いた瞬間、ソフィアの胸の鼓動は一気に跳ね上がった。彼から連絡先を求められた。それは、この一夜限りの関係ではなく、これからも日常的に繋がっていられるという免罪符を貰ったも同然だった。 溢れ出しそうな歓喜を必死に押し殺し、彼女はあえて唇の端を少しだけ上げて、いつもの余裕のある「女神」を演じるように微笑んだ。「ふふっ、わたしなんかを心配してくれたのですか? お優しいのですね……良いですよ。特別に……連絡先の交換を、してあげます……」 強気な言葉とは裏腹に、スマートフォンの画面を操作する彼女の指先は、隠しようもなく微かに震えていた。画面に表示されたQRコードをユウが読み取ると、ピコン、という短い電子音が静かな部屋に鳴り響く。 その小さな音は、二人の間に引かれていた「隣人」という境界線が、確かな「特別」へと書き換えられた合図のようだった。ソフィアは、新しく追加された彼の名前を、誰にも見られないようにそっと指先でなぞりながら、胸の奥を温かな熱で満たしていた。偽りの余裕と、引き裂かれた朝の静寂「言っておくが、別に下心があって、聞いたわけじゃないからな」 ユウは、自分の下した決断がどこか気恥ずかしいのか、わざとぶっきらぼうな口調で付け加えた。その不器用な言い訳に、ソフィアは胸の奥をチリりと焼かれるような感覚を覚える。(興味が、ない……から……?) 期待していた答えとは違う方向からの言葉に、彼女は微かな寂しさを感じながらも、崩れそうになる余裕の仮面を必死に繋ぎ止めた。「分かっていますよ。ユウさん、わたしに興味ないですよね? そんな感じがしますか
last updateLast Updated : 2026-03-05
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18話 月下のベランダ、届かぬ返信への抗議

 四月の夜風はまだ少し肌寒く、火照った身体を冷やすにはちょうど良かった。ユウはベランダの椅子に深く腰掛け、スマートフォンの画面の中で目まぐるしく動くゲームに没頭していた。液晶の淡い光が、暗いベランダに青白い影を落としている。 その時、静寂を切り裂くように、聞き慣れた、けれど以前とは違う柔らかな響きを持った声が届いた。「夜月くん、こんばんは」 顔を上げると、向かいのマンションのベランダに、月光を浴びて淡く光る金髪が見えた。ソフィアだ。柵に寄り添う彼女の姿からは、以前のようなユウを遠ざけるような刺々しさや、張り詰めた「女神」の警戒心は完全に消え失せていた。「星野さん、こんばんは。体調は大丈夫?」「はい。おかげさまで……元気になりました。それで……あの、メッセージで送ったのですが……その返信が返ってこないです。むぅぅ……無視するのですか」 ソフィアは不満げに頬を膨らませると、手元にあるはずのスマートフォンを指差して、拗ねたように唇を尖らせた。そう言えば、ゲームに集中していて通知に全く気づいていなかった。彼女から改めて「看病のお礼をしたい」と熱心な提案があったことは、うっすらと記憶にある。(……まさか、こんなに早く催促されるなんて思わなかった) 月明かりの下、彼女の瞳が期待と少しの焦れったさを孕んでユウを射抜く。学校では決して見せない、感情をストレートにぶつけてくる彼女の姿。その飾らない「文句」の響きさえ、ユウには心地よく、そして酷く魅力的なものに感じられた。月夜のベランダと、すれ違う誠実 ユウは慌ててゲームの画面を閉じ、トーク画面を開いた。そこには確かに、彼女の申し出に対するユウなりの返答が残っている。「え? 無視はしていないだろ。返信はちゃんとしただろ」 画面を指差しながら言い返すと、向かいのベランダに立つソフィアは、柵を握る手に力を込めて俯いてしまった。夜風に揺れる金髪が彼女の横顔を隠すが、もじもじとしたその仕草からは、隠しきれない困惑と不満が伝わってくる。「……お礼をしたいのですが。何か考えておいてください」 消え入るような声で、彼女は再び同じ言葉を繰り返した。 ユウはメッセージに打ち込んだ言葉を思い返す。そこには「べつに、お礼が目当てじゃないから、気にしなくてもいいって」と、ユウなりの誠実さを込めて送ったはずだった。「メッセージで
last updateLast Updated : 2026-03-05
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19話 月下の独占欲と、女神の返上

月下の独占欲と、女神の返上「……それって、また……星野さんの家に上がるってことか。えっと……男女二人っきりは不味いだろ。ユカを呼ぶか……」 ユウが動揺を隠すように妹の名前を出すと、ソフィアは柵を握る手にぐっと力を込め、どこか悲しげで、けれど強い意志を秘めた瞳でユウを射抜いた。「あの、二人だけの秘密と約束をしましたよね……二人っきりはイヤ……ですか? ご迷惑でしたか?」 その声は、夜風にさらわれて消えてしまいそうなほど繊細で、守ってあげたいと思わせるほどに儚かった。真っ直ぐに向けられるその問いに、ユウは喉を鳴らした。「イヤじゃない。迷惑でもない……ただ、ユウと家で会ってるとバレれば、何もなくても変な噂が広まるだろ……女神さまの経歴に汚点が付くだろ」 ユウなりに彼女の立場を案じた言葉だった。学校での彼女は不可侵の象徴であり、男子を部屋に招き入れたなどと知られれば、どんなスキャンダルになるか分かったものではない。 だが、ソフィアは意外なほど冷ややかな、それでいて情熱を孕んだ瞳でユウを見据えた。「そんな噂は、わたしは気にしませんし。女神さまの経歴ですか? それ、何の意味があるのですか? わたし、女神様じゃありませんし。汚点など思っていませんけれど……お礼を汚点呼ばわりされるならば不愉快です……」 彼女は小さく鼻を鳴らし、ぷいっと顔を背けた。それは明確な拒絶ではなく、自分の真心を「汚点」と言い換えたユウへの、可愛らしい抗議だった。月光に照らされた彼女の耳たぶが、怒りか、あるいは別の感情か、林檎のように赤く染まっているのがここからでもよく見えた。(……こんなに積極的に星野さんから誘われるなんて光栄だな。この辺に住んでいる奴は少ないからバレることもないか……) 彼女がそこまで言うのなら、ユウが逃げる理由なんて一つもない。学校での「女神」という仮面を脱ぎ捨て、一人の少女としてユウに向き合おうとしている彼女の勇気に、ユウの心臓は暴力的なまでに高鳴っていた。「……分かった。お礼、ありがたく頂戴するよ。今から行ってもいいか?」 ユウの言葉に、ソフィアは再びこちらを向き、パッと花が咲いたような、この上なく幸せそうな微笑みを浮かべた。土曜日への指折りと、ベランダ越しの約束「いえ、あの……改めてで良いでしょうか。その……夜月くんの返事をいただいていませんでしたし
last updateLast Updated : 2026-03-05
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20話 氷の微笑が溶ける時、知らぬ熱の痛み

 けれど、頭で分かっていることと、心が感じることは別だった。自分の目の前で、他の誰かが――たとえそれが実の妹であっても――当たり前のように彼に触れ、その温もりを独占している。その事実を突きつけられた瞬間、ソフィアの胸の奥が、冷たい氷を押し当てられたようにぎゅぅっと締め付けられた。(……あ、れ。わたし、どうしたのかしら……) 視界が少しだけ揺らぎ、胸の奥からどろりとした、得体の知れないモヤモヤとした感情が溢れ出してくる。それは今まで生きてきて一度も経験したことのない、醜くも切ない、独占欲という名の暗い情動だった。ユカの純粋な笑顔が眩しければ眩しいほど、ソフィアの心には濃い影が落ちていく。彼女は膝の上で細い指を強く絡ませ、自分が抱いた初めての「嫉妬」に戸惑いながら、必死に平静を装うことしかできなかった。氷の微笑が溶ける時、知らぬ熱の痛み ソフィアは、自身の胸の奥で渦巻く感情の正体が分からず、ただ困惑に震えていた。これが世に言う「ヤキモチ」という感情であることに、彼女はまだ気づいていない。 今までの人生、彼女は自分が傷つかないように、誰とも深く関わらないよう透明な壁を築いて生きてきた。敵を作らず、けれど親しい友人も作らず、すべての人間に平等という名の無関心を振りまく。特に男子などは、その最たるものだった。下心を隠そうともせず、容姿の美しさだけに群がり、誰にでも愛を囁くような人種。彼女にとってそれは、平穏を乱すだけの厄介な存在でしかなかった。誰か一人にだけ特別に優しくすれば、必ず周囲の反感を買い、陰湿な嫌がらせが始まる。そんな人間の醜い本性を熟知していたからこそ、彼女は誰にも心を許さず、孤独な「女神」という椅子に座り続けてきた。 人間関係は浅く広く。深い付き合いを避けることで、誰かに興味を持つことも、誰かに心を乱されることもなかった。 だが、目の前の光景はどうだろう。親友であるユカが、兄であるユウに無邪気に抱きついている。その光景が網膜に焼き付くたびに、胸の奥が、心が、針で刺されたようにチクチクと痛み、言いようのない重苦しいモヤモヤとした感情が溢れ出してくる。(どうして……こんなに苦しいの。ユカちゃんは、お兄ちゃんが大好きなだけなのに……) 自分を落ち着かせようと努めるが、溢れ出した負の感情はどうすれば良いのか分からず、彼女の内で暴れ回る。表面上の軽い会
last updateLast Updated : 2026-03-05
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