妊娠して六か月。夫の篠原景一(しのわら かげひと)と大喧嘩して、勢いで家を追い出された。財布は空っぽ。行く当てもない。凍えそうで、駅前のコンビニへ身を滑り込ませた。おでんの湯気をぼんやり見ていたら、店員さんがそっと近づいてきた。「お客さま……うちに最後に一本だけ『記憶を消す水』が残ってるんですけど、いりますか?」あっけにとられて、しばらく固まった。それから、力なく笑う。「……お金、ないです」店員さんはすぐ言った。「お代はいりません。その代わり……ただお身体の何かと引き換えにしていただきます」気づいたら、丸く張っているお腹をかばうように手を当てていた。「……これでも、いいですか」そう言いながら、コンビニのドアを押した瞬間、冷たい風が首元に入り込んだ。二、三歩進んだところで、背中に怒鳴り声が刺さる。「黒川澄子(くろかわ すみこ)!いい加減にしろ!」振り返ると、景一がこちらに駆けてきた。足元はスリッパのまま。靴も履かずに飛び出してきたらしい。「大人が何やってんだよ。家出ごっこか? 妊娠六か月だぞ。こんな時間に外で何かあったらどうする!」いつもの私なら言い返していた。通りすがりの人が振り向くくらい、派手にやり合って。でもその夜は、黙って聞いた。もう口を動かすのもしんどかった。散々怒鳴ったあと、こっちがあまりに静かなせいか、景一のほうが言葉を失ったみたいに息を吐く。「……ったく」腰に手が回って、ぐっと引き寄せられる。「外は冷える。帰るぞ」玄関を入った途端、暖かい空気が肌にまとわりついた。景一はしゃがんで、私の足にスリッパを履かせてくれた。「腹、減ってない?なんか作ろう」「……いらない」そう言うと、景一は眉間を寄せた。「夕飯、ほとんど食ってないだろ。お前が平気でも、腹の子は違う」返事を待たずにキッチンへ入っていった。しばらくしてテーブルに置かれたのは、見た目だけはやたら豪華な海鮮うどん。アワビ、ホタテ、エビなど具が山みたいに盛られて、湯気が上がっている。景一は、いわゆる生まれながらの御曹司で、台所に立つなんて今まであまりなかった人だ。それでも私が身ごもってからは、外のごはんを嫌がって、頑固に自分で三度の支度を抱え込む。ただ、味付
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