黒炎の歯科医と、凍りついた少女 児童相談所の面会室は、独特の重たい静寂に包まれていた。「……椿ちゃん、今日もお話ししてくれないんです」 職員の困り果てた声を、閑(しずか)は柔らかな微笑みで受け流した。「構いませんよ。私たちは、話しに来たわけではありませんから」 閑は、43歳。男性。歯科医院を経営し、常に完璧な笑顔と、全身フェラガモの装いで自分を武装している。だが、その微笑の裏側には、幼少期に親から植え付けられた「完璧であれ」という呪縛が、どす黒い炎となって今も燃え続けている。 部屋の隅で、8歳の椿が膝を抱えて座っていた。半年前の事故。それ以来、彼女の時間は止まり、心は死んだ。 閑は彼女の正面、少し離れた場所に座る。 時計の針が重なり、午後3時を指した。「始めよう」 閑の合図で、後に控えていた4人が静かに呼吸を整える。 五分休符。 それが彼らのユニット名だ。歯科医師としてエリート街道を歩みながら、親の期待という檻の中で息を詰めて生きてきた5人が、唯一「自分」に戻るための5分間。 閑が本を開いた。選んだのは、あえてハッピーエンドではない、孤独な旅人の物語だ。「――その街には、誰もいなかった」 閑の声が響く。 低く、深く、そして冷ややかでありながら、どこか共鳴を誘う響き。 閑は椿に「笑え」とは言わない。感情を強要することの苦しみを、誰よりも知っているからだ。(お前も、期待されていたんだろう。正しく、明るく、良い子であるようにと) 閑は椿を見ない。ただ、物語の中に自分の「黒炎」を混ぜ込んでいく。 理(おさむ)、蒼太(そうた)、律(りつ)、叶芽(かなめ)。4人の視線もまた、椿を射抜くのではなく、物語の風景をなぞるように虚空を彷徨っている。 椿の肩が、わずかに震えた。 今まで彼女に接してきた大人たちは皆、同情するか、励ますか、あるいは「話しなさい」と急かした。 だが、この5人は違う。 彼らはただ、そこに「空白」を置いているだけだ。「……五分です」 叶芽の声で、閑は本を閉じた。 余韻が部屋に満ちる。 椿は顔を上げなかったが、その指先が、自分のスカートの裾をぎゅっと掴んでいた。 感情が動いた証拠だ。 閑は立ち上がり、背中を向ける。「治療はしません。私たちはただ、ここに読みに来るだけ
Last Updated : 2026-01-28 Read more