時が流れても、私は私でいられる のすべてのチャプター: チャプター 1 - チャプター 8

8 チャプター

第1話

私の名前は夏目夏希(なつめ なつき)。同僚がふざけて、青い貼り紙を私の車に貼り付けて、写真を撮って私に送った。「ほら、違反切符を切られてるぞ」それをすっかり信じてしまって、私は交通違反の照会サイトにログインし、念のため確認した。いつの間に違反をしたのか見当もつかず、ドライブレコーダーの履歴を開いた。そこには、車内カメラが撮り落とした映像が目に飛び込んできた。篠原繁人(しのはら しげと)の隣に、彼の初恋の女・九条未来(くじょう みらい)が助手席に座っていた。シートベルトもしていないまま身を乗り出し、繁人の頬にキスをしていた。そして繁人は、眩しいくらいの笑顔で笑っていた。そんな顔は、私には一度も見せたことがない。その笑顔を呆然と見つめたまま、私はようやく分かった。この一方通行の気持ちは、もう手放す時が来たんだって。私は一人で車を出し、病院で中絶手術を受けた。そして離婚協議書を整えて、離婚届の用紙と一緒に繁人の会社へ書留で送った。時が流れても、私は私でいられる。 ……しばらくして、親友の久我甘音(くが あまね)が知らせを聞くと、すぐに駆けつけてきた。「繁人さんとどうなってるの?彼が浮気したの?」私は赤くなった目のまま、歪んだ笑みを浮かべた。十年の追いかけっこが、結局はこんな結末。それでも私は、それが幸せなんだと勘違いしていた。けれど今日は、たった一つの映像で目が覚めた。繁人は私と結婚しても、結局のところ最後まで不本意だったのか。甘音は、情けない私を見るほど腹が立つみたいに顔をしかめた。「だから前から言ってたじゃん。あの人、ろくな男じゃないって。夏希はさ、なんでいつも一人で意地張るの。離れて正解だわ。毎回しんどいくらい追いかけて。見てるだけで、私までムカついてたよ。それでね。柳瀬先輩が海外のプロジェクトを持っていて、求人をしてるの。夏希は考えてみない?」口の中が苦くなって、うまく言葉が出ない。私は小さくうなずいた。その瞬間、抑えていた涙が勝手にこぼれた。慌ててティッシュを探す私を見て、甘音がため息まじりに言う。「もう我慢しなくていい。泣いていいよ」悔しさがこみ上げてきて、止められなかった。私は甘音にしがみついて、声がかすれるまで泣いた。私を家まで送ると、甘
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第2話

夜、繁人はいつものように帰ってこなかった。けれど翌日、大学の創立記念式典で、私は意外な場面を目にしてしまった。繁人が未来の手を引いたまま壇上に上がり、並んで寄付をしていた。司会者に向かって、繁人はためらいもなく言った。「未来は、俺にとってこの先もいちばん大事な人です」その瞬間、私はふと、彼と結婚した頃のことを思い出した。目立つのはいやだなんて彼が言ったから、結婚式に私は同級生を一人も呼ばなかった。今思えば、あれでよかったのかもしれない。視線を感じた繁人が客席を振り返り、私と目が合う。眉がわずかに寄ったのに、未来の手は強く握ったまま放さない。私は苦く息を吐いて、目を伏せた。そのまま校内の池のそばの芝生へ向かう。しばらくして、背後から足音が近づいた。「夏希、式典に来るなら言えよ。迎えに行けたのに」手をつないでいたことについて何の説明もない。見られたことに慌てた様子すらない。私は鼻で笑った。「あなたの車に、まだ私の席ってあるの?」繁人は眉間を指で押さえ、困ったみたいな顔を作る。「夏希、そこまで言う必要あるか?前のお前はもっと気が利いてただろ」前の私?前の私は、繁人が私を泥の中から引っぱり上げてくれた神さまみたいだと思っていた。繁人が笑えば私も笑って、繁人が曇れば私も沈んでいた。目の中にも心の中にも、繁人しかいなかった。自分の未来も、目標も、全部手放した。ただ、彼の背中だけを追いかけていた。本当は、繁人が未来と一緒になりたいなら、ひと言言ってくれればよかった。私は喜んで身を引けたと思う。だって今の結婚は、そもそも繁人と未来が別れたあと、彼女への当てつけで持ちかけたものだった。そのとき私は、片想いのままずっと横で見ていた。全部わかっていたのに、それでも断れなかった。今さら昔の気持ちが再び燃え上がったのなら、私にさっさと身を引けって急かしてくるはずだった。なのに繁人は、その話を切り出すつもりはないらしい。それが、私はどうにも分からなかった。「繁人、こんなところにいたのね」ハイヒールの音が鳴り、未来が繁人の背後から現れた。私を見て、少しだけ目を丸くする。「え、夏希さんも来てたんだね」そう言いながら繁人の前に回り込み、慣れた手つきで襟元を直す。「学内の
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第3話

繁人はほんの一瞬だけ言葉を失った。そして、彼は私に向けて笑みをそっとこぼした。「参ったな。まだ拗ねてんのかよ。未来とはもう終わったんだよ。今、夫婦やってるのは俺とお前二人だろ。自分の旦那をちゃんと信じろよ」そう言いながら、繁人は私の頭に手を乗せ、軽く撫でた。子供をなだめるような口ぶりで続けた。「腹がちょっと減った。なんか作ってくれない?」それはまるで、話をそらそうとしているようだった。でも、私に断られた。「自分でやって」断られるのが初めてだったのか、繁人はほんの少しだけ戸惑った。これ以上彼の話に付き合う気にもなれず、私は身をずらして彼の横をすり抜け、部屋へ戻ろうとした。けれどその瞬間、彼に腕をぐいとつかまれた。「夏希……具合が悪いのか?」彼の声は相変わらず優しい。まるで、私のわがままを寛大に受け止めているかのような態度だった。私は彼を突き放すように言い放った。「具合が悪かったら、何だっていうの?結婚して五年間、あなたが本気で私のことを気にしたことがある?」「夫婦だろ。お前のことを気にしないで、誰のこと気にすんだよ」「じゃあ聞くけど。私の生理はいつ来るか知ってる?」繁人は口をわずかに開けたまま、言葉が出なかった。知っているわけがない。私が妊娠して、彼の前で何度もつわりで吐いたときでさえ、繁人は適当に「胃薬でも飲め」と言っただけだ。「でも、未来さんのは知ってるのね」私は涙でぐしゃぐしゃになりながら彼を見つめる。きっと彼が怒鳴り返してくるか、あるいは、慌てて未来との関係を言い訳でもするか、と思った。でも繁人は、どちらもしなかった。ただどうしようもなさそうに息をついただけだ。「……お前、いったん落ち着け。今夜は会社で残る」またそれだ。私がぶつけようとすると、彼は残業を盾にして逃げる。こんなモラハラと何ら変わらないようなやり方を、繁人はやけに上手く使った。もう我慢できなかった、私は手にしていたリモコンを思いきり投げつけた。彼は避けきれず、額の端に当たって、そこが薄っすら赤くなった。繁人の目に、怒りの炎が燃え上がった。「夏希……わがままにも限度ってもんがあるだろ」そう言い捨てて、彼はドアを叩きつけるように出ていった。部屋はしんと静まり返り、崩れたのは私だけ
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第4話

甘音が私をぎゅっと抱きしめてきた。「ねえ、夏希。追いかけてさ、あいつのこと二発くらい蹴り入れてこない?」私は思わずぷっと笑ってしまう。そのあと甘音と夕飯を食べてから、私は家へ戻った。けれど家の前についたところで、足が止まった。酔いつぶれた繁人が、未来を抱きしめたまま、どうしても手を離そうとしない。そして駄々をこねる子どものように、口の中で何かをぶつぶつ呟いていた。「なんで……お前は、もうちょっと分かってくれないんだよ……」私の姿に気づいた未来は、わざとらしく繁人に顔を寄せ、唇にそっと触れる。口調は甘くなだめるようだったけど、その目は私に向けてあからさまに挑発してきた。「大丈夫。これからは、繁人の言うとおりにするから」もし昔の私なら、未来の腕から繁人を引き剥がして、「恥知らず」なんて怒鳴って泣いていたに違いない。でも今は違う。私は無表情で鍵を取り出し、黙ってドアを開けた。二人のほうへ目をやることすらしない。すると、未来は一人で必死に繁人を支えながら、部屋の中へ運び込み、ソファに寝かせた。ようやく立ち上がったと思ったら、今度はわざとよろめいてみせる。「きゃっ……」小さな悲鳴とともに、未来はそのまま繁人の胸に倒れ込んだ。繁人は目を閉じたまま、反射的に彼女を抱き寄せ、酔った声で呟いた。「……やめろ」未来は芝居がかった仕草でもがいて、甘ったるい声でささやいた。「繁人、だめ……そんなことしたら、見られちゃう」それを聞いた繁人は、逆に腕に力を込めた。「見られちゃうって……?だれによ」そして体の向きを変えると、未来の言葉を塞ぐように唇を重ねた。寝室にいる私は、もう離れると決めたのに、それでもなお胸が刃物で抉られるように痛んだ。繁人、そこまで急ぐ必要なんてあるの?それでもいい。ここまで見せつけてくれるなら、私はもっと身軽になれる。喉が渇いて、コップを持ってキッチンへ向かった。それから間もなく、服の襟元は乱れ、唇の端がわずかに腫れた未来が、ゆっくりと入ってきた。「そのみっともない格好では、繁人の心を掴めなくても仕方ないわ。私がいなくなって五年も経つのに、あなたは何ひとつ変わってない。私だったら、恥ずかしくて壁に頭ぶつけて死ぬわ」私は未来をまっすぐ見て、挑発
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第5話

人の適応力って、ほんと不思議だ。十数時間にも及ぶフライトだったのに、私の少しも疲れを感じなかった。迎えに来てくれた柳瀬先輩の、まずはホテルに一度寄ろうという提案を断り、そのままプロジェクトの現場へ向かうことにした。柳瀬先輩は片手で顔を覆いながら、冗談めかして私をからかった。「相変わらず無茶する仕事の鬼だ」その間、スマホの電池が切れてしまったので、甘音へ無事に着いたって知らせてほしい、と柳瀬先輩に頼んだ。ようやくホテルに戻り、充電ができた。すると、画面が明るくなったその瞬間、通知が一気に押し寄せてきた。未読メッセージ、着信履歴、そして何件もの留守電まで、ほとんどが繁人からだった。彼が私を探し回って、完全に取り乱しているようだった。【どういうつもりだ?家にお前の物がどこに行った?どういうことだよ、説明しろ】同じことばかり繰り返していた。そして、未来から挑発的な画像が一枚届いた。妊娠したことを示すエコー写真だった。さらに続けて、短い一文が添えられていた。【私は繁人の子どもを妊娠したよ。身の程をわきまえて、さっさと身を引いて】私は無言で何度も鳴っていた繁人からの電話を次々に切った。ついでにこの二人を同じグループに追加して、今送られてきたメッセージをスクショして、グループに投げ込んだ。【あんたたち二人の話を、もう私のところに持ち込まないでください。汚いです。見るだけで不快です】そう送ると、私はすぐに退会した。スマホがやっと静かになった。そう思ったのに、またしても着信音が鳴り始める。繁人からのだ。本当にしつこい。私は無言で通話に出た。「夏希……違う、違うんだ。お前が見たのは、そういう意味じゃない!」繁人の声には、無理やり作った笑いが張り付いていた。「今日、エイプリルフールだろ?未来は……ただ、ちょっと悪ふざけをしただけなんだよ。お前、今どこにいる?迎えに行くから、飯でも食いながら話そう。未来にちゃんと謝らせるから、な?」私は目を閉じて眉間を揉んだ。「繁人。冗談かどうかなんて、もうどうでもいいです」「どうでもよくないだろ!なんでお前は、いつも俺のことを信じないんだよ。……もう、電話じゃ話にならない。今どこだ?位置情報を送って」「もういいです」「夏希……」
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第6話

柳瀬先輩がそのまま私を病院まで送り、付き添ってくれた。現場の安全事故として手続きを回している最中、初めて知ったことがあった。柳瀬先輩の上司は、私の知り合いだった。同じクラスで学年トップの優等生、そして校内でも目立っていた朝倉直人(あさくら なおと)が、今や私の上司にもなっていた。私がケガをしたと聞いて、彼は焦るように病院に駆けつけてきた。処置が終わって、きゅっと結ばれていた唇が、ようやく少しだけゆるむ。「夏希……どうしていつも、自分をそんなにボロボロにするんだよ」私は苦笑しながら、直人を見つめた。「たぶん、運が悪いだけ」以前もそうだった。繁人を追いかけて、何度も恥をかいて、そのたびに都合よく直人が現れて、私を助けてくれた。直人は眉を寄せたまま黙り込んだ。その時、柳瀬先輩のスマホが鳴った。「やばい。嫁が産気づいた!」「後で僕が夏希をホテルまでは送るから」直人がそう言ったので、先輩は安心して、慌ただしく走っていった。すると、直人は何も言わずに腕を差し出し、慎重に私を車まで支えながら車へ連れて行ってくれた。「ここに来ようと思ったのはどうして?」「国内にずっといるのが疲れちゃって。ちょっと外の空気、吸いたくなったから」「篠原さんのことを置いて?」私は表情は変えずに、笑って答えた。「離婚するつもりなの」直人の目の奥に、気づかないほどの小さな光が一瞬走った。それ以上、彼は何も聞いてこなかった。代わりに、現地の人や気候、料理や景色について話してくれる。それから、何気なく口にしたように誘った。「この先に、評判のいい店がある。まだ食べてないだろ?一緒にどう?」昔の同級生の誘いを断る理由はなかったので、私は笑顔でうなずいた。店に着いて車を止めると、「ちょっと待ってて」と言っていったん姿を消した彼は、戻ってきたとき、車いすを押していた。そして、私をそっと座らせてくれた。注文の時でも、彼が選んだのは私の口に合いそうなものばかりだった。こんなふうに気を回されたのは、五年ぶりだった。私は思わず口を開いた。「直人って、誰にでもこんなに優しいの?」彼の目が一瞬揺れて、なぜか少し緊張してるように見えた。「そんなわけないだろ。普段は仕事で手一杯だよ」その言い訳
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第7話

大学のころ、うちは裕福じゃなかった。生活費はほとんどバイトでまかなっていた。ある日、バイトで家に帰るのが少し遅くなった。寮の門限に間に合わせようとして、人通りのない裏路地を急いで抜けた。けれど運が悪かった。チャラついたチンピラが二人、そこにいて絡まれた。彼らに腕をつかまれ、どうしても振りほどけない。もう駄目だとあきらめかけたときだった。まるで神様のように、繁人が突然現れて助けてくれた。それ以来、私は彼に引っかかったまま、抜けられなくなった。翌朝。身支度を整えて職場へ向かうと、繁人が一定の距離を保ちながらついてきた。会社のビルの前まで来ると、ようやく彼は立ち止まった。まもなくして、私のデスクには軽い朝ごはんやミルクティーなどひっきりなしに運ばれてくる。同僚たちがざわめいて、私は呆れて笑ってしまった。どうして海外まで追いかけてきて、まだ私を放っておいてくれないの。浮気したのはそっちなのに、どうしてこんなにも当然のように、許してもらえると思ってるの?私が欲しいのは、ただ静かな日常だけなのに、どうしてこんなに難しいんだろう。私は机の上のものを全部抱えて外に出た。繁人の目の前で、それらを一気にゴミ箱に放り込んだ。「いい加減にして。いつまでこんなことを続けるつもりですか?私が狂うまで続けるつもりですか?」彼は叱られた子供のように、しょんぼりとした声で言った。「お、俺は、夏希が朝ご飯を食べてないんじゃないかと思って、心配して」その弱さが、かえって腹立たしくなる。「繁人、もうやめて。そんな情けないことばっかりしてたら、もっと嫌いになりますよ。あなたと未来のやったくだらない真似が、私がよく知っています。前にスクショで送ったものとは限らないですよ。結婚記念日の日、会社であなたたちが何をしてたか、全部知ってますから」皮肉なことに、私たちの結婚記念日は、未来の誕生日だった。だから繁人は、私を置いて彼女のところへ行った。そしてその日、私は彼の浮気の事実を掴んだ。繁人の顔から見る間に血の気が引いた。立っているのもやっとで、体がふらついている。「夏希、大丈夫?」車を降りてきた直人が、こちらへ駆け寄ってきた。張りつめた空気を感じ取ったのか、直人は私のそばに立ち、繁人をまっすぐ
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第8話

「夏希っ!」耳元で、二人の悲鳴が同時に弾けた。ナイフがこのまま私の体に沈み込むと思ったその瞬間。大きな手が、そのナイフをしっかりと掴み止めたのだ。次の瞬間、直人に腕を引かれ、私は素早く後ろへ退いた。私が無事だと分かると、繁人の肩から一瞬だけ力が抜ける。そして、ナイフで切られて血まみれになった手を上げ、怒りにまかせて何度も未来に拳を叩きつけた。未来は悲鳴を上げ、ついにひざまずいて許しを乞う。殴りつける音が止んだ頃、繁人は泣いているのか笑っているのか分からない顔で、私に問いかけた。「……もう、俺たち……本当に無理なのか?」私は冷えた目で見返しただけで、返事はしなかった。彼は口元を引きつらせて笑った。泣き顔にも似た。「……分かったよ。俺が悪い。全部、俺のせいだ」そして、今度は縋るように目を上げた。「夏希、警察だけはやめてくれないか?今すぐ彼女を連れて帰国する。もう二度と、お前の前に出させないから……」ちょうどそのとき、直人が怒りを込めた低い声で吐き捨てた。「……出てけ」その一言で、ようやくあの二人は去っていった。ショックを受けて、その夜、私は悪夢に沈んだ。夢の中で、繁人は未来を抱き寄せたまま、私の腹を見下ろして鼻で笑っていた。「夏目夏希、助けてもらったくせに、恩を仇で返すのか?俺と結婚できたのは隙に入り込んだからな。子どもまで使って俺を縛る気?」次の瞬間、景色が途切れて変わる。私は大学の構内にあった、あの日の池へ落ちた。水は底が見えないほど深くて、必死にもがきながら繁人に助けを求めた。けれど岸の上にいる繁人は、何もせずに立っているだけだった。また景色が急に切り変わる。今度はあの暗い裏路地にいる。怖くて、チンピラたちを追い払ってくれた人の顔がうまく見えない。焦りと恐怖に震えたそのとき、背後から誰かが叫んだ。「繁人!」その声に、そばの人が振り向く。まばらな街灯の光がちらっと当たり、彼の顔が少しずつはっきりと見えてくる。直人と、まったく同じ顔だった。そこで私は、息を呑んで目を覚ました。震える手で、午前四時ちょうどに直人へ電話をかける。電話がすぐつながり、耳元に彼の焦った声が飛び込んできた。直人が何か言っているのに、言葉が頭に入ってこない
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