All Chapters of 血液パックの妻は卒業、結婚式当日に死んであげる: Chapter 11 - Chapter 20

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第11話

陸はハッと振り返った。床に倒れている澪を見つめ、全身の血が凍りつくのを感じた。しばらく経っても、現実に心が追いつかなかった。澪はそのまま床に横たわり、目をつぶっていた。唇からは色が消え、その顔に生気は全くなかった。陸は震える手で、壊れた人形のように澪の息を確認した。息をしていなかった。微かな吐息さえ、そこにはなかった。彼は澪の服を必死に握りしめ、口を大きく開けたまま動かなくなった。耳元では、駆けつけた友人たちがパニック状態で叫んでいた。「早く病院へ!」「まだ間に合うはずだ!」陸は澪の上に覆いかぶさり、彼女を必死に守った。「触るな!彼女は死なない。君たちは知らないんだ。澪には人外の力がある。心臓さえ無事なら、どんな傷も癒えるはずだ。彼女はもっと長生きする。僕たちは、これからもずっと一緒にいるんだから……」彼は虚ろな手つきで澪の口元や顔についた血を拭い続けた。「澪、目を覚まして。式はこれからだよ。ずっと一緒にいて、やっと幸せになれるのに。嬉しいだろ?なぜこんなことに、どうして……」最後まで言葉を絞り出すと、陸は号泣した。誰かが救急車を呼んでいた。救急車が到着すると、周囲の者たちが陸を澪から引き剥がそうとした。「死んでいない!彼女は死なない!澪、起きてくれ!最高に結婚式を挙げるんだ。幸せな花嫁にするって決めたんだ!触るな!放せ!放してくれ!頼む、頼む……」どこにそれほどの力があったのか、陸は澪を抱え込み、決して放そうとしなかった。その時、医師の由理恵が詳細をチェックしたのち、陸に冷ややかに言った。「陸さん、もう諦めて。こんな高さから落ちれば、骨も内臓もめちゃくちゃ。彼女はもう助からない。私が主治医として責任を持って死亡確認を行い、このままうちの系列病院で手続きを済ませるわ。警察への対応もこっちでやる」「黙れ!嘘だ!」陸は充血した目で由理恵に怒鳴りつけた。「君は彼女の親友だろう!救命処置しろ!そうしないと、人殺しとして訴える」顔を真っ赤にして叫ぶ陸に、由理恵は冷たく笑った。「陸さん、冗談を言わないで。澪は私のたった1人の親友よ!生きてほしいに決まっているでしょう。訴える?笑わせないで。訴えるなら自分自身を訴えたらどうなの?一体どれだけ後ろ暗いことを積み重ねれば、人生で
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第12話

彼の手は、ひどく震えていた。しばらくぼんやりと立ち尽くしたのち、意を決して、暗証番号を打ち込んだ。澪のスマホのロック画面に使われている数字は、2人の記念日。彼はずっとそれを覚えていた。0425。画面には、南の島へ旅行した時の写真がそのまま残っていた。あの日、何枚も撮った写真の中から、澪が一番気に入ったものを待ち受け画面に選んだんだ。何年経っても、彼女はずっとそのままでいた。陸は声を殺して嗚咽し、こぼれ落ちた大きな涙の雫が、手にしたスマホの画面を濡らした。目元をぬぐい、乱暴に画面を拭った。そして、綾から届いていた未読メッセージを開いた。【彼があなたと結婚するのは、本当に愛してるからだと思う?陸さんは言ったわ。もし私たち2人のうち片方しか生き残れないなら、迷わず私を選ぶって!】【厚かましいのね。あなたは陸さんが作り上げたキャラクターを演じるだけの道具。私への血液パック。いずれは私の心臓を供給するための存在よ。いい気になるのも大概にしなさい。彼の体を手に入れても、心までは手に入れられないのよ?】【澪さん、私なら恥ずかしくて彼と結婚なんてできない!よくも、マスコミなんて大勢呼べたものね。一体みんなに何を見せたいの?笑い者になりたいわけ?】【あなたなんて死んでしまえばいい。早く死んで。澪さん、あなたが死ねば、私があなたの心臓を手に入れられる。あなたの代わりに、陸さんを愛し抜いてあげられるんだから】陸の心臓がドクリと跳ねた。綾だ。澪を追い詰めて死に追いやったのは、綾だったんだ。陸は全身をわななかせ、スマホすら持てないほどだった。画面に並ぶおびただしい数のチャット履歴、そして終わりなく続く動画や写真の数々。それらを目にした瞬間、彼は奈落の底へ突き落とされたかのような、凄まじい悪寒に襲われた。【今日、陸さんが私のところで夜を明かしたわ。何回も求められて。澪さん、普段どんな風に彼を満足させてるの?もしかして、ただのマグロだったりして。だから彼、あんなに飢えてたのかしら】【彼、私が超ミニスカ履くのが一番好きだって。見てみて。あなたと私、どっちがピチピチしてるか一目瞭然よね】【もう、陸さんは私なしじゃ生きていけないのよ。本当、可哀想な澪さん】陸が読み進めるたびに、体はさらに激しく震え、背中に嫌な汗が止
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第13話

陸は奥歯をギリギリと鳴らし、いきなり立ち上がると外へと駆け出した。その頃、綾は自宅で、緊張と興奮を胸に抱いて待ち構えていた。SNSでは、澪が飛び降りて、亡くなったという情報が拡散されていた。澪は、本当に死んだの?となれば、ついに自分も小山夫人の座を手に入れられるのではないか。ただ、澪の最期はあまりにも唐突すぎた。移植用の心臓が無駄になったのは、少し残念だ。でも、そんなことはどうでもいい。今は一刻も早く小山家の威光を借りて、自分を安定させることだけが先決だ。ここ数年、自分の実家は多額の借金を背負っていた。特に弟はひどく、いくつものカードローンやサラ金で、一生かかっても返せそうにないほど首が回らない状態だ。幸いなことに陸が毎月数十万円のお小遣いをくれていたから、その場しのぎにはなっていた。さらに陸は、自分に高級マンションを買ってくれている。権利書はまだ手元にないけれど、いずれは自分のものになるはずだわ。溜め込んだ贅沢品やアクセサリーはすべて売り払ってやる。借金を返済したら、その寄生虫のような家族とは縁を切り、安心して小山夫人の座で安泰な暮らしを送るの。そんな算段を立てていると、不意に玄関が大きな音を立てて蹴破られた。綾が慌てて寝室から飛び出すと、そこに現れたのは血相を変えた陸だった。彼女はおずおずと近づき、陸の体にしがみつこうとした。「どうしたの?陸さん。今日は結婚式でしょう?どうしてこんなに早く帰ってきたの?もしかして、どうしても私が忘れられなかったのかしら?せっかくの新婚初夜だって言うのに、澪さんのことなんて放っておいて、私のところに来ちゃうなんて。ねえ、今日はどんなことがしたい?」彼女は猫なで声を出しながら、陸の胸に体を預けた。指が彼の首元をなでた瞬間、突き飛ばすような衝撃に体が宙を舞った。無防備だった綾はそのまま突き飛ばされ、尻もちをついた。眉を寄せた彼女の顔から、みるみるうちに血の気が引いていった。「陸さん……一体、どうしたの?お腹が……すごく痛い……」陸は痛みでのたうち回る綾を見下ろすと、鼻で笑った。「お腹が痛い?そうだろうな。君の中にいるその出来損ないの命も、そして君自身も、消してやりたいくらいだからな」さらに陸が平手打ちを見舞うと、綾は鼻と口から血を流し、朦朧とした。
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第14話

「気が狂ったのか、由理恵!君になんの権利がある!」陸はスマホ越しに怒鳴った。「僕こそが彼女の婚約者だ。第一、澪はまだ死んでなんかいない!どうして僕の許可なく火葬なんてしたんだ、どうして僕を差し置いて彼女の遺骨を海にまいた!」由理恵は冷たく言った。「許可を求めてるんじゃない。陸さんに決定事項を伝えているだけ。澪のポケットに血で染まった遺書が入っていたわ。遺体と遺骨の処理は私に一任するという遺言よ。信じないなら筆跡鑑定でもなんでもすればいいわ。陸さん。勘違いしないで。澪の婚約者だと思っているのは陸さんの独りよがりよ。彼女はずっと前に陸さんを愛するのをやめたんだから。せいぜい後悔して生きれば?」由理恵が電話を切ると、陸は魂を抜かれたように立ち尽くした。彼は地面にへたり込み、せきを切ったように涙があふれ出した。しばらくして正気に戻った彼は、よろめきながら車に飛び乗り、海の方へと猛スピードで走った。危うく命を拾う綾は大きく息を整えたが、ふと下を見ると自分の足元が真っ赤に染まっていた。彼女は震える手で絢香に電話をかけ、救いを求めた。子供は、助からないかもしれない。大出血を起こせば、自分自身の命だって危ういのだ。綾は壁を支えにして必死に持ちこたえようとしたが、救急車を待つ間もなく意識を失った。陸が猛スピードで海岸に着くと、そこには由理恵が一人、静かに浜辺に座っていた。潮風が波を打ち寄せるたび、白い飛沫が上がる。由理恵のそばには小さな箱が置かれていた。吹き付ける風に身を任せ、陸は重い足取りで由理恵に近づいた。彼女の腕の中にある白い布に包まれた骨壺。そのすぐ傍らで、白黒の遺影の中の澪が、静かに彼を見つめていた。由理恵は澪の遺書を取り出し、陸に手渡した。「自分で読みなさいよ。遺骨はもうまいたわ。二度と未練を残さないで」陸の手が止まらないほど震えていた。全身の力を振り絞るようにして紙を広げ、丁寧に撫で平らげた。間違いなく、澪の字だ。彼女はこの期間に受けた侮辱や悲しみを一語一句書き残していた。彼らと共に過ごした過去の思い出を懐かしみつつ、最後には【これから先に、私たちが二度と交わる未来はない】と記されていた。彼女はこう書いていた。【陸、私を裏切ったときから、もう許しを乞う資格なんてないの
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第15話

陸がガバッと目覚めた。その瞬間、体中が冷や汗でぐっしょりしていた。「陸、やっと目が覚めたのね!本当によかった!」絢香だった。陸は肩で息をして尋ねた。「母さん、澪は?来てないのか?さっき確かにいたんだ。どいてくれ、澪を探しに行く!」「陸、お願いだから落ち着いて……」絢香の言葉が終わる前に、陸は点滴の針を抜き取り、ベッドから転がり落ちた。昏睡が長かったためか力が入らず、冷たい床の上にそのまま倒れ込んでしまった。絢香はたまらず涙をこぼした。看護師たちが駆けつけ、陸を再びベッドに抱え上げた。「小山さん、もう5日間も意識がありませんでした。回復には時間がかかりますから、今はゆっくり休んでください」陸は頭が割れそうに痛かった。5日間も寝ていたのか。「そうよ。どうして海へなんて……誰かが見つけて通報してくれなかったら、今ごろあなたはもう……」絢香は言葉に詰まってしまった。変わり果てた息子の姿を見て、胸が締め付けられる思いだった。陸はハッとして、全てを思い出した。澪は死んだ。自分は追いかけるつもりだった。なのに岸に引き揚げられてしまったんだ。「なんで助けたんだ。どうして!」彼は目を真っ赤にして、険しい表情で言い放った。絢香は息を呑み、再びこらえきれない嗚咽を漏らした。「澪のところに行かせてくれよ!彼女は死んだんだ。僕の大切な人が死んだんだ!生きていたって意味がないんだよ!なぜ僕を死なせてくれなかった!」陸は叫んだ。額の血管が怒りで浮き出ている。絢香はあまりの恐ろしさに腰を抜かしそうになり、その場にへなへなと崩れ落ちかけた。声を押し殺すようにして、懸命に涙をこらえていた。「澪を死なせたのは、君たちだ!」陸は目を血走らせて。「どうして綾ばかり大事にするんだ。澪を傷つけたのは君たちだ!澪が死んで満足か!出ていけ!今すぐ出て行け!」非を認めるしかなかった絢香は、怒り狂う陸を置いて病室を出るしかなかった。陸はベッドで一人、ぼんやりと壁を見つめていた。ふと、澪が怪我をして入院していた時期を思い出す。自分はずっと綾のそばにいた。胎児の心音を聞く動画や、お腹にキスをする写真を撮らせて、それを澪に送ったりもした。なんてひどいことをしたんだ。当時の澪はどれほど寂しく、傷つ
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第16話

陸が亡くなった婚約者の名義で図書館に寄付をしたというニュースは、またたく間にネットで話題になった。ここ最近、彼の結婚式は泥沼の騒動になり、婚約者が愛人に追いつめられて亡くなり、彼自身も精神を病んで自殺騒ぎを起こすなど、連日のように陸の名前がニュースのトップを飾っていたからだ。これらのスキャンダルは、陸の会社のブランドイメージにとって、まさに壊滅的な打撃となっていた。おまけに最近は会社への関心も薄れていたため、ネット上では競合他社が仕向けた批判が過熱し、ネットユーザーからの誹謗中傷が止まらず、会社の株価もここ数日で見るも無惨なほど暴落した。唯一、この寄付のニュースだけが、陸の失墜した評価をわずかに持ち直させる結果となった。一部のネットユーザーは【彼にだって優しい一面があるはずよ。もし先日の騒動がただの誤解だとしたら?もう責めるのはやめよう】と擁護した。すると即座に反論が書き込まれた。【どこが優しいっていうの?あの追い詰められて亡くなった婚約者も、彼のことを『優しい人だ』なんて思うはずがないでしょ?】【本当だ。あの日の結婚式の動画も見たけど、亡くなった彼女の友達があんなに激昂して問い詰めていたんだ。彼がやましいことをしていたのは間違いないでしょう】【みんな、とんでもない情報を手に入れたよ!彼、あの愛人を暴行して死産させたらしいよ。ひどい出血で、愛人は元々持病もあったから、助かるかどうかもわからないんだって!】【えぇ、浮気だけじゃなくてDV男だったの!見た目に騙されたわね。前は澪が羨ましかったけれど、今思えば、私たちが騙されていただけだわ!】その頃、ある民宿で、澪は暖房の効いた部屋で果物を食べながら、スマホでニュースをチェックしていた。「陸さんって不思議ね。あなたを愛していないように見えて、あなたのことで自殺騒ぎを起こすし、本当に愛しているのかと思えば、あんなにも深くあなたを傷つけたんだから」由理恵はコーヒーを一口飲み、眉をひそめた。「ねえ、このコーヒー、ずいぶん苦いけど。あなたが淹れたの?」澪は彼女を軽くにらんだ。「ハンドドリップだよ。そんなに早く渋い顔しないで。後からじわじわと甘みが広がるから、すごく香りがいいんだよ」由理恵は口をすぼめた。「よくわからないけど、尊重はするわ」澪も、いつから自分がこれほど苦いも
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第17話

「澪、あと2日したら私も帰らなきゃいけないんだけど、このままここに残るつもり?」澪は視線を落とし、しばらくの間をおいてから小さく頷いた。澪はこの場所に留まることを決めた。波乱に満ちた前半生に、心底疲れ果てていたのだ。後半生はゆったりとした時の流れの中で、日常の喜びを噛みしめながら生きていこうと決めていた。「向かいのカフェ、私の方で押さえたの。いつでも遊びに来てね」由理恵は微笑んで頷いた。澪のカフェは順調で、町で催された焚き火パーティーも赤々と燃え上がる炎のように熱く盛り上がっていた。ある朝、一番の陽射しがカフェに差し込む中、澪はテーブルに活けられた一束の花に目を止めた。店を開いて3ヶ月。2ヶ月目からは毎朝、花が届けられるようになっていた。店には2人のバリスタがいる。澪と、白石大輔(しらいし だいすけ)という男だ。大学卒業後、実家の事業を継ぐのを嫌がって飛び出してきた、世間知らずなお金持ちの息子だった。澪は、会うたびに彼を説教したくてたまらなかった。「あんな立派な家柄に生まれておきながら、なんでうちで雑用なんてしてるのよ。頭、大丈夫?忠告するけど、さっさと帰って実家で大人しくしていてよ。うちのような狭い店に、あなたのような大物は収まらないから」大輔は面倒くさそうな表情をした。「これは人生経験なんだよ。自由を求める男の生き様ってやつ。わかんないかな?澪さんはもう時代遅れなんだよ。こっちのことは放っておいて」「もしあなたのお母さんが迎えに来たら、私は知らないからね。面倒ごとは御免よ」「澪さん、うちの母親とそっくり。ほんとうるさい」澪は呆れた。今の、地味にディスられたわよね?そろそろ辞めさせようかと考えていた矢先、予想外のことにも彼が少し大人しくなった。あんなに不器用で、いくつ豆を無駄にしたか分からない彼が、連日必死にラテアートを練習していた。大輔は早起きして花を買ってきては瓶に活け、陽光に透かして写真に収め、店のアカウントにアップする毎日だった。そのうち、本格的に宣伝を始めた。こだわりのコーヒー作りを動画で発信すると、そのセンスの良さがSNSで話題を呼び、多くのファンがついた。その反響は凄まじく、ひっそりとしていた店は一躍人気店へと躍り出た。客からは、【若くてイケメンな店員
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第18話

図星を突かれた大輔は、観念したように白状した。「澪さんが偽装死で婚約者から逃げたことは知ってる。だから、SNSで店を宣伝する時も、澪さんの顔がはっきり写らないように気をつけていたんだ。迷惑をかけたくなかったから。澪さんに、本当の再出発をしてほしいんだ。それじゃダメか?ずっと一緒に過ごしてきて、僕の気持ち、もうわかってるだろ。僕は……」澪は背を向け、冷たく言い放った。「わかったわ。それ以上、言わないで」澪は部屋に閉じこもり、一晩中出てこなかった。外では、大輔が一人で忙しなく客の対応に追われていた。その夜、澪は再び眠れなかった。大輔はまだ若い。彼の人生はこれからだ。でも自分は、あまりにも多くの経験をして、心がすでに麻痺していた。彼の好意を、受け入れるわけにはいかない。絶対にダメ。翌朝早く、大輔が澪の部屋のドアを激しく叩いた。「澪さん、大変だ!澪さんの写真が拡散されてる。見て!」澪は驚いて飛び起き、すぐにスマホを開いた。案の定……コーヒーを淹れている彼女の写真が、誰の手によってかSNSにアップされていた。添えられていたコメントには、【このカフェのオーナーさんがすごく美人。コーヒーも美味しい。また絶対に行く!】とあった。寄せられた返信の数々を見て、澪は突然怖くなった。もしこの写真が広まって、陸の目に留まったら?そうしたら、私の偽装死がバレてしまうのではないか。【なんかこのオーナーさん、どこかで見たことある気がするんだよな】【わかる。可愛い人って顔が似てるよね】【このカフェ行ったことある!もう一人のバリスタもかっこいいし、店の前の草花もすごく素敵。壁のペイントも映えるんだよね】澪は息をのんだ。すぐにスマホを閉じてベランダへ出た。遠くに見える雪山を眺めてみたが、心は一向に落ち着かなかった。一方、陸はまたしても酒に溺れていた。毎日がその繰り返し。会社の業績がどんどん悪化してもケアする気力すらなく、酒臭い息を吐きながら、かつての野心的な若い社長の姿は見る影もなかった。その時、スマホが鳴った。陸が開くと、秘書の勲から送られてきた写真が一枚あった。あたたかな日差しの中で、一人の女性がうつむいてコーヒーを淹れている。長い黒髪を束ねたうなじから落ちた一房の髪が、日差しに黄金色
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第19話

翌朝、ようやく朝日が昇り、陸は遠くの雪山を眺めて胸が躍った。かつて澪が、一緒に「雪山の金照」を見たいと話していたのを思い出す。まさか、これほど美しいものだったとは。もし澪が許してくれるなら、ここに留まって毎日一緒にこの景色を見続けようと、彼は思った。陸はゆっくりと体を起こした。入口で一晩中座り込んでいたせいで、体はすっかりこわばっていた。足元がふらつき、何度か足を踏み外しながらも、ようやく体を支えた。雪山の麓は気温が低く、くしゃみが止まらない。風邪を引いたらしい。だが、そんなことはどうでもよかった。澪にすぐ会えると思えば、不思議と全身から力が湧いてくる。カフェの扉をゆっくりと開けた。「澪、久しぶり、僕……」陸は慌てて中へと足を踏み入れたが、準備していた言葉は途中で途切れた。そこにいたのは澪ではなかった。見知らぬ男が立っている。色素の薄い髪の少年は、まだ幼さが残る顔立ちだが、どこか強気な気配を漂わせていた。「君は、誰ですか?」陸は当惑した。「すみません、場所を間違えたみたいです。お邪魔しました」そう言って一歩下がった。一晩中待って、現れたのが澪ではなかったことに、陸は言いようのない喪失感と悔しさを覚えた。冷え切った体で、ただ切実に澪を抱きしめたかっただけなのだ。「間違っていないです」大輔は淡々と言った。「君の探している人が澪さんですよね」陸は歩みを止めた。大輔をじろじろと見つめ直し、問いかけた。「君は……」「白石大輔です。ここのカフェのバリスタで、澪さんは僕の雇い主です。2日前、僕と喧嘩して、家出しました」陸は眉をひそめた。「家出ですか?いや、君は何を言っていますか?」大輔は鼻で笑い、陸を突き飛ばした。「新しい人生を歩み始めたと言うことです。わかりますか?そもそも彼女はここにいませんし、連絡もつきません。もう諦めて、彼女の邪魔をしないでください」陸の表情がどす黒く沈んだ。「澪との関係は、若造の君に口出しできる筋合いはありません」大輔は一言も発さず「本日休業」の看板をかけると、店の中へ入り、鍵をかけた。ドアを何度叩いても開かず、陸は店の前で必死に扉を叩き続けた。「澪!澪、ドアを開けてくれ。中にいるんだろ!頼む、話をさせて
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第20話

陸は白玉雪山のふもとにある町で、何日も澪を待ち続けていた。毎日、日の出とともにカフェの前へ花を抱えて行き、夜になるまでじっと待ち続けたが、澪の姿を見かけることはなかった。数日経つと、そのカフェは完全に閉まってしまった。【本日休業】の看板は、もうずいぶん長く吊り下げられたままで、埃をかぶっていた。陸は今朝買ったばかりの花を手に持ち、とぼとぼと店の前で立ち尽くした。その町から有名なスポットが一つ減ってしまったため、SNS上には店の前で撮影した写真が多く投稿されていた。【今日もやってない。残念だなあ】【テラスの花がすごく綺麗に咲いていて、インスタ映えするから皆行ってみて!】【店の前にいた猫、太ってて気だるそうなやつ。可愛い】20日目、陸の中でプツンと何かが切れた。1日中降り続いた雨の中、彼は立ち尽くしたまま動こうとしなかった。とっくに気づいていたのだ。澪はわざと自分を避けているのだと。彼女は、自分と会うことなんてこれっぽっちも望んでいなかった。無理もない。裏切りと嘘を重ねた自分を、彼女は深く恨んでいるはずだ。彼女が自分の弁解を聞くなんて、あるわけがなかった。それに、自分に何の弁解ができるというのか。自分の犯した罪はあまりに深く、愚かで、取り返しのつかないものだった。翌日、陸は最後となる花束を店の入り口の階段に置いた。「澪、行ってくる。これからも待っている。死ぬまで君を待つ」ここ数日、会社からの電話がひっきりなしに鳴っていた。だが、彼は一本も出ようとしなかった。次に知らされた知らせは、綾の母親である青木里香(あおき りか)たちが、陸の会社の前で騒ぎを起こし、金銭を要求しているというものだった。綾は死産の後、寝たきりとなっていた。かつて陸は澪を騙して血液タンクのように扱わせていたが、その供給源が絶たれた今、血液バンクの在庫だけでは到底賄いきれない。綾の容体は悪化の一途をたどり、治療を維持するには莫大な費用がかかるようになっていた。金に執着する両親は、綾を金儲けの手段としか考えていなかったが、それもあてが外れた形となった。綾の容体よりも、一家にとって差し迫った問題は借金だった。家族で結託し、綾が被害に遭い、生活が送れなくなったという名目で、陸から慰謝料をふんだくろうと画策した
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