All Chapters of 1番のファンに贈る、毒蛇の枷〜国民的俳優の元カレは、私を地獄へ堕として救い出す〜: Chapter 1 - Chapter 10

16 Chapters

プロローグ

人気の無い静かな図書室と対照的にグラウンドでは、部活に勤しむ生徒達の声が響いている。古臭い紙、インクの匂いと夕日に当たって静かに揺れて舞っている埃の中、私と彼は勉強していた。数学の数式とにらめっこしつつ、答えが分からなくて唸っている私を横目に、彼は少し寂しそうに呟いた。 「こんな時間が、永遠に続けばいいのに……」 「どうしたの? 急にそんなこと言うなんて」私がそう問うと、彼は困ったように眉を下げて笑いながら、こう返した。 「僕が夢を叶えても、こうしてずっと隣にいてくれるかい?」顔は笑っているが、その瞳には今にも消えてしまいそうな儚さが漂っている。 「うん、隣にずっといるよ」私は彼の手を握り、指先を絡めてそう答える。すると彼は、憑き物が落ちたように心底安心した表情を浮かべた。 「ずっと僕の1番のファンでいてね、紬……」夕日に縁取られながら笑う彼は、神様が丹念に作り上げた彫刻のように完璧で、直視し続けるのが怖くなるほどだった。そんな恐怖と恥ずかしさから、私は顔を逸らす。顔を逸らされたのが気に食わなかったのか、彼は眉を寄せて不満げな表情を浮かべる。 「どうして顔を逸らすの?」 「ご、ごめん……。なんか恥ずかしくなっちゃって……」私が白旗を上げるように理由を漏らすと、彼は満足げに喉を鳴らした。不満げに歪んでいた唇が、獲物を手に入れた子供のような、無垢で残酷な笑みへと形を変える。 「そろそろ帰ろうか」彼が私に手を差し出してくる。なんだか御伽噺の王子様に誘われているようだと、場違いな期待を抱きながら、私はその手を取った。ーーその温もりが、私を一生離さない鎖になるのだとも知らずに。
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雑貨屋のシルバーリング

彼と手を繋いで校門を出ると、放課後の湿った熱気が体を包み込んだ。 握りしめられた彼の手は私よりも一回り大きく、微かに汗ばんでいる。私の手はそんな掌の中に吸い込まれたように、すっぽりと収まっていた。 人目を引く美しい顔立ちと、折れてしまいそうなほど細い体。そんな彼は、心ない男子生徒達から「女みたいだ」と嘲笑の対象にされることもあった。 イジメまがいの嫌がらせを受けていた彼を、私は必死に支え続けてきた。先生に直談判し、彼の盾となり、できることは何でもして彼を守ってきたつもりだった。 でも。繋いだ手から伝わってくる、骨の硬さ。隠しきれない熱。「守らなくてはいけない」と思っていた相手は、実は自分よりもずっと大きく、力強い「男の子」なのだと実感せざるを得なかった。 その事実に、私の胸の奥は騒ぎだし、そして……その力強さに、いっそ包み込まれていたいとさえ、思ってしまったのだ。 しばらく無言で私と彼は帰り道を歩く。長く伸びた影は混ざり合って1つの大きな塊のように見えた。 ふと視線を感じ、彼の方を見ると、私を優しげに見つめていた。その視線がむず痒く感じて、私は彼の手をぎゅっと握る。 そんな私の反応に、彼は甘い蜂蜜をドロドロに煮詰めたような、熱を持った視線を向ける。 その甘さにあてられて、私は思考を止めてしまう。どうして彼がこれほどまでに私を愛するのか。 その理由を考えることさえ、今の心地よさの中では不要なことに思えた。 遠くで蝉が鳴く声と、たまに通る車の音だけが響き渡る。なんだか、私たちの周りだけが世界から切り取られているようだった。 「あ、紬。ここに寄っていかない?」 ふと、彼が足を止めて店を指さす。そこには少し古びた雑貨屋があった。 「雑貨屋さん? 何か欲しいものでもあるの?」 私の問いに彼は「うん、見たい物がある」とだけ答えて、少し傷んだドアを開けた。 ギィっと軋んだ音を鳴らしながら開いた先には、色んなアンティークが置いてある店内が見える。  「わぁ! こんなお店があったんだ!」 思ったよりも品揃えがいい店内に私は、思わずはしゃいでしまう。 「どうしたの?」 「これ、紬に似合いそうだなって思って」 彼がそう言って見せてきたのは、シンプルなシルバーリング。 「これ、お揃い
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現実と地獄

無機質な目覚まし音で目を覚ます。どうやら、学生時代の夢を見ていたようだった。 あの頃はとても幸せだった。今や国民的人気俳優となった一ノ瀬蓮(いちのせ れん)が彼氏だった、なんて誰に言っても信じてもらえないだろう。 蓮といた日々は、毎日が本当に輝いていた。ずっとこのまま幸せなんだと信じて疑わなかった。 だが、現実は残酷で、蓮が有名になるにつれて段々と疎遠になり、私たちは自然消滅してしまったのだ。 その後、私は高卒で就職したが、そこに待っていたのは「地獄」だった。 上司からのパワハラとセクハラ被害。上に訴えたところで、平社員である私の言葉なんか届かず、「隙がある白石さんが悪い」と他の社員から冷ややかな視線を向けられた。 味方の居ないオフィスで、ただひたすらキーボードを打つ。自分の手にあの頃蓮から貰ったシルバーリングはもう無い。 捨ててしまったのか、無くしたのか。それすらも思い出せない。 毎日毎日私は、ただ静かに息を潜めて働く機械になっていた。 周りから押しつけられる仕事をこなし、サービス残業を終えて、コンビニで弁当を買う。これが私のルーティーンになっていた。 電気屋の近くを通ったその時、テレビに映っている蓮の姿が視線の端に見えた。 あの頃よりもずっと冷たく、透き通るような美しさと少し逞しくなった体。彼が微笑むだけで日本中の女性達が熱狂する。 そんな蓮の微笑みが、かつては私一人のものだったなんて、今の惨めな私には悪い冗談にしか思えない。 画面の中で鮮やかに微笑む蓮と、ガラスに映り込んだ、髪はボサボサで目の下にクマを作った幽霊のような女。それが同一人物の元恋人だなんて、滑稽すぎて笑いすら出ないかった。 蓮が輝きを増すたびに、惨めな私が際立っていく。そんな風に思うほど、私の心は憔悴しきっていた。 「明日なんか来なければいいのに……」 呟いた言葉は誰の耳にも届かずに消えた。 テレビに映る蓮の姿から逃げるように、私は小走りで家に帰り、買った弁当も食べずに眠りについた。 とにかくこんな現実から目を反らしたかった。 しかし、朝は必ずやってくる。無機質な音で目を覚まし、いつも通り準備をして会社に向かう。 そこまではいつも通りだった。会社に着くと、周りからヒソヒソされながら冷たい視線を
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幻との再会

会社から出ると、こんな私を嘲笑うかのように雨が降り始めていた。 ずぶ濡れになり、体から体温が奪われていく。寒さに震えながら、擦り合わせた手にはもう感覚が残っていなかった。 体と心は冷え切ってしまっているのに、何故か頭の芯だけが妙に熱さを持ち、周りがぼんやりと見える。他の人たちは傘をさし、幸せそうに見える。 まるで私のことなんか見えていないようだった。この世界から切り離されて、透明人間になったような感覚だ。 このまま家に帰ろうか?いや、家に帰ったところで家賃が払えなくなっていくだろう。損害賠償の支払いもあるのだから。 「ははっ……」 口から乾いた笑いが漏れる。 そうだ、もう誰もいないところで消えてしまおう……。 頼れる両親も他界していない今、私は独りぼっちだ。友達も会社に入ってから疎遠になってしまっている。 誰にも知られず消える。今の私には可能なことだ。 おぼつかない足取りで、私は街の喧騒から逃げるようにどこか闇の底へと向かおうとした。 一歩、また一歩と絶望を噛み締めるように踏み出した。 その時。 激しい雨音を切り裂くようなブレーキ音が響いた。 視線を向ければ、そこには夜の闇を思い浮かばせるような黒塗りの高級車が、私のすぐ隣に停まっていた。 一瞬だけ気を取られたものの、今の私には関係のない出来事だ。そう思い、私は再び視線を落とし、歩みを進めようとした。 だが。 「……やっと見つけた」 絶対に逃がさないとばかりに強く腕を掴まれ、痛みで足が止まる。 鼓膜を揺らしたのは、記憶の奥底にしまい込んでいた、あの低くて心地よい大切な人の声。 「そんな、まさか……」 恐る恐る顔を上げると、そこにはかつての面影を色濃く残しながらも、暴力的なまでの美しさと輝きを纏った蓮が、私を射抜くように見ていた。あまりの出来事に、これはこの世を去ろうとした私に、神様が見せてくれた幻なのではないかと疑ってしまった。 蓮に見惚れていると、しなやかな指が私の顔に張り付いていた髪を退かす。 その指が持つ熱に冷え切っていた体がカッと熱くなるような感覚がした。 「こんなにボロボロになっているなんて……。可哀想な紬。もう大丈夫、僕が助けに来たよ」 甘美な言葉と共に日本中の女性達がうっとりとしてしまう
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見知らぬ部屋、甘い地獄への入口

目を覚ますと、そこは見覚えのない、しかも病院とも思えない豪華な部屋だった。私が横たわっているのは、ふんわりとした柔らかさの質のいいシーツ。キングサイズはあるだろう巨大なベッドの上で、私は呆然と天井を見つめることしかできなかった。「……ここは?」自分の声が、思ったよりも小さくかすれていて、部屋の中へと吸い込まれた。体の熱っぽさもさっぱりと消えており、気だるさがほんの少し残っているだけだった。雨に濡れてびしょびしょだった服からとても上質なシルクのパジャマに変わっている。混乱しながらも、起き上がろうとしたその時。部屋の入口から、カチリと鍵を開けるような音が響いた。「おはよう、紬。よく眠れたかい?」そこに立っていたのは幻かと思っていた蓮だった。優しく微笑みながら、ベッドのそばに腰をかけ、蓮は私に水の入ったコップを手渡す。 手渡されたコップを受け取りながら、私は疑問に感じていたことを蓮に尋ねた。「ねぇ、蓮くん……。ここって何処なの?」「ここは僕の家だよ」「そ、そうなんだ……。あの、私の服って……」私がそう言うと蓮は悪びれなく「僕が着替えさせたよ」と答えた。恥ずかしさと同時に、何故蓮がここまで私を連れてきたのかが分からなかった。「紬、高熱を出して気を失ったんだよ。あのままにしていたら危なかったから連れてきたんだ」まるで心を読んだかのように、蓮はそう話した。私を見つめ、優しく笑う蓮。まるで付き合っていた時のような愛しげな瞳に、なんだか胸の奥がちくりと痛んだ。そんな痛みを誤魔化すかすように、私はコップの水を飲み干す。冷たい水が喉を通り、潤いが戻ってきた。そういえば、何故蓮は部屋に鍵をかけていたのだろうか?まるでこの部屋から私を逃がさないとでも言いたげな行動だ。「あの、この服凄くサイズがピッタリなんだけど用意してくれたの?」「あぁ、紬に似合うと思ってずっと前から用意していたんだ。思った通り凄く似合ってるよ」ずっと前から?その言葉に背筋に氷を落とされたような冷たさが走る。私たちはもう数年間会ってもいないというのに、何故?にこやかに笑う蓮の笑みがどこか不気味なものに感じて、私は思わず後ろに後退りしてしまう。「どうしたの、紬?」「あっ……、な、なんでもないよ!」取り繕うように誤魔化すが、蓮の視線がどこか鋭いものへと変わ
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闇に沈む

その日から私の世界は、この豪華なベッドルームが全てとなった。私のスマホは、蓮が「壊れていたから処分しておいたよ」と言っていた。会社からの損害賠償などの連絡はどうなっているのだろうかと不安が一気に押し寄せてくる。外の情報が何一つ分からない、世界から遮断された恐怖に心は支配されていた。「ねぇ、蓮くん。会社の人たちから連絡とか……」「大丈夫、紬は何も考えなくていいんだよ。僕に全部任せて?」蓮は私の頭を撫でながら、優しげに微笑む。彼から香るシトラスの爽やかな香りが鼻をくすぐる。その甘い笑みと香りに心が溶かされてドロドロになってしまいそうだ。「弁護士を通じて、損害賠償の件も、君への冤罪も片付け始めてるよ。紬は何も心配せずに僕の隣に居てくれるだけでいいんだ。」「で、でも……」「なんだい? 紬はあんな地獄に戻りたいのかい?」私の声を遮り、諭すような声でそう言う蓮。「あんな地獄」という言葉で、私の頭の中であの日の雨の冷たさや、会社での孤独などがフラッシュバックし、私は反論を飲み込んだ。蓮はスマホを取りだし、私に画面を見せる。「情報漏洩のこと、ニュースになっているんだ。会社側が紬が犯人だってマスコミに流したらしくて、紬の家に記者が群がってるらしいよ。」そのニュースに私の体から血の気が引いていく。冤罪だと言うのに完全に私が悪役として書かれている記事に、涙が滲んだ。「本当にここに連れて来て良かったよ。ここに居れば安全だからね……」蓮の言葉を聞きながらも、私はスマホの記事をスライドさせていく。記事に付いたコメントには、私を追い詰める言葉が沢山並んでいた。「本当に馬鹿な奴らだよね……。真実なんかどうでも良くて、気持ちよく殴れるサンドバッグを探しているんだ。」蓮はコメントを睨みつけ、スマホの電源を落とす。「これ以上紬が傷付く事無いんだよ? これからは僕が守るから……。このままずっとここに居てくれていいんだよ」「……家にある荷物、取りに行かなきゃ」「あぁ、その事だけど。大丈夫、もう僕が家を引き払って必要なものだけ持ってきたよ」そう話しながら、蓮が部屋の隅に置いてあったダンボールを私の方へと渡す。その中には、昔蓮と撮った写真や私のお気に入りの本など数少ない物だった。他にも荷物はあったはずだが、蓮が処分してしまったのだろう。思い入れのあるも
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生きる人形

私に与えられた部屋は、いつも一定の温度を保ち、窓は開かないのに空気は瑞々しく、蓮が選んだという高価なディフューザーの香りが満ちている。コンコン。控えめなノックと共に鍵の開く音。蓮が銀のトレイを持ち、食事を運んできてくれた。「紬、おはよう。今日は君の好きなハーブティーとフレンチトーストだよ」ベッドの傍にある机に食事を置き、蓮は私に微笑みかける。その笑みはテレビで見かけるものとは比べ物にならないくらい優しくて、完璧なものだった。「ほら、紬。あーんして」甲斐甲斐しく私の世話を焼く蓮。自分で出来ると断った時、冷たい瞳で見つめられ、捨てられると思った私は、それからは蓮の好きなようにさせていた。「そうだ、紬にプレゼントがあるんだ」蓮はフォークを皿の上に置き、ポケットから真新しいスマホを取り出す。「紬のスマホ壊れていただろう? 新しく買い直したんだ」スマホを受け取り、画面をタップすると、アプリなどがほとんど入っていなかった。「これで仕事に行っていても、紬と話せる」そう語る蓮の瞳はどこまでも深い深淵のような色をしていた。「ありがとう、蓮くん」お礼を言い、私はそっとスマホの画面をオフにする。「……ねぇ、蓮くん。私、少しだけ外の空気を吸いたいな。お庭に出るだけでもいいから」ほんの少し外を見たいと思い、私は蓮に恐る恐るそう切り出した。蓮の動きがピタリと止まり、私は身構える。彼は私の頬に手を添えて、壊れ物を扱うように指の背で撫でた。「外はまだ危険だよ。君を貶めた奴らがまだ探してるんだ。……それに」蓮は少し言いにくそうに視線を泳がせ、スマホを取り出した。そして、ある画面を表示して私に見せる。「紬が親友だと思っていたあの子の裏垢を見つけたんだ……。これって紬のことを書いてると思うんだよね」画面には親友がよく使っていたアイコンと、私に対する暴言などが並んでいた。『本当にうざい』『親友のフリするのも疲れたなぁ』『あの女、損害賠償払うんだって! ざまぁ!』疎遠にはなっていたが、何かと心配してメッセージを送ってきてくれていた親友が、そんな事を思っていたなんて……。頭を鈍器で殴られたような衝撃に、クラっと目眩がした。彼女は私を信じてくれる、どこかでそう思っていた。唯一信じていたことでさえも、裏切られてしまった。「ショックだよね……
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蜂蜜の毒に溺れて

甘い檻の中に身を沈めてから、何日が経ったのだろうか?同じ部屋で過ごす私は、日付感覚がどんどんと鈍り、今日が何日で何時なのかさえも分からなくなってしまっていた。毎日同じことの繰り返し、でも、会社にいた頃と比べたら堕落的で、そしてぬるま湯のような安心感のある日々だ。蓮に食事を食べさせてもらい、服を変えてもらい、お風呂もスキンケアも全て彼が行う。そして、寝る時間には彼が選んだ本を一緒に読み、眠りにつく。私から何かをするということが一切無くなっていた。彼の望むように自分を捨てた私は、一体何者なのだろうか?時折そんな風に考えたりもした。だからといって、外の世界に戻るのは身震いするほど恐ろしい。もしも、もしもだ。蓮に捨てられてしまったら、私はどうなるのだろう。ぶるりと体を震わせる。こんな事考えたくもない。「紬、どうしたんだい?」色々と思考を巡らせていたせいか、蓮が部屋に来ていたことに気付くのが遅れてしまった。「ごめんなさい、ぼーっとしてたみたい」彼が好きな表情を咄嗟に作り、私は甘えた猫のように蓮に擦り寄る。そんな私に安堵したように、蓮は頭を撫でながら顔を寄せる。私の唇に蓮の薄い唇がそっと触れ合い、チュッと可愛らしいリップ音が響いた。「大好きだよ、紬」ドロドロとし闇と甘い蜂蜜が混ざった瞳で彼は言う。彼の瞳に反射した私の瞳は、光の届かない底なしの闇のようだった。それでも、私は口端を釣り上げて笑みを作り、甘い声で「私もだよ」と返す。これでいい、これでいいんだと自分に言い聞かせながら。私の返答に気を良くした蓮は、もう一度唇で私の唇を塞ぐ。段々とそれは深いものへと代わり、息苦しくなった私は、彼の胸をそっと叩く。彼の表情は高揚した獣のようだった。蓮は私をベッドに優しく寝かせ、首筋に唇を何度も落とす。私は抵抗する気もなく、そのまま彼に身を委ねた。蓮から注がれる愛の言葉が、私を満たす。誰かに必要とされているという実感をひしひしと浴びる。誰にも必要とされてこなかった私にとっては、それは特上のご馳走だった。閉じ込められているが、この部屋は私にとっての最後の居場所。蓮は王子様であり、私のご主人様。あぁ、ペットのようなものに成り下がった私を、あの太陽のような幼なじみが見たらどう思うのだろうか?蓮に抱かれながら、私は幼き日の憧れを思い出
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さよなら、私の王子様

「紬、今日は帰るのが遅くなるんだ……。寂しいと思うけど、いい子で待っているんだよ」蓮がそう言いながら、高価そうなスーツに腕を通す。今まで仕事があっても、必ず私の夕飯前に蓮は帰ってきていた。珍しいと思いながら、私は大人しく頷く。蓮は名残惜しそうに私を何度も抱き締めたり、キスしたりとなかなか着替えが進まない様子だ。「蓮くん、大事な予定なんでしょう? ちゃんと準備しなきゃ」「紬と一瞬でも離れるのが嫌なんだ……。ずっと紬の傍に居られたらいいのに……」蓮は駄々をこねる子供のように頬を膨らませ、拗ねている。なんだか可愛くて、私はふふっと笑いをこぼしてしまった。「大丈夫だよ、蓮くん。私はここ以外に居場所なんかないんだから……」「そうだね、紬の居るべき場所はここで、僕の隣だけ。なるべく早く終わらせて帰るから、ちゃんと待ってるんだよ?」私の言葉に気を良くした蓮は、やっと準備を終え、出かけて行った。彼がいなくなり、シンッとした部屋に1人残され、私の顔から表情が抜け落ちる。蓮が好みそうな表情を浮かべ続けるのも大変だ。ここに来てから、私の感情が全部なくなってしまったような感覚だ。捨てられるのが怖くて、居場所が無くなるのが辛くて、私は必死にご主人様に尻尾を振っている。それからどれくらい時間が経っただろうか。玄関が開く音がし、蓮が帰ってきたとその時は思っていた。しかし、部屋に近付いてくるのはコツコツというヒールの音。彼以外の存在の侵入に、私は呼吸を止める。誰? どうして、ここに入れるの?怖い、怖い……!ドアノブを雑にガチャガチャと回す音と、舌打ちの音が聞こえる。その後、鍵が開く音がして、ドアが開いた。そこにはとても綺麗なショートカットの女性が1人立っていた。「……こんなのがあの方がここまでやって囲いこんだ人なの?」「あなた、誰なの……!」「私? 私は蓮さんのマネージャーよ」極寒の地から吹雪く風のように冷たい声。女性はツカツカと私に近寄ると、憎悪と軽蔑の混じった瞳で私を見下ろす。上から下まで私を選別するかのように、ジロジロと眺め、鼻で笑った。「蓮さんの選んだ服に、メイク、ね。はっきり言って似合ってないわ」勝ち誇ったように笑い、彼女は私の顔を掴んだ。「哀れな女。そこまでして蓮さんに取り入りたいの?  穢らわしい! 蓮さんは高貴な
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飼い犬の越権

蓮は家に設置していた隠しカメラの映像をスマホで見て、怒りのあまりスマホを床へと叩きつける。 「佐倉のやつ……! ︎︎使えるから手元に置いてやっていたのに余計なことをしやがって!!」 握りしめた掌から少し血が滲んでいた。 蓮は荷物を乱暴に掴み、部屋を出る。 早く、紬を連れ戻さなければ、今までの苦労が全部水の泡になってしまう。 降りしきる雨の中、蓮は紬に付けたGPSの発信を頼りに走った。 紬、紬……! 人目もはばからず走りながら、蓮は紬と出会った日のことを思い出す。 誰も信じることが出来なかった。 親からは、金の成る木だと言われ、やりたくもない子役をやらされて、周りから羨望と妬みを浴びせられていた。 好奇心だけで寄ってくる奴ら、媚びを売ってくる女達。 そんな人間に囲まれた蓮にとっての一筋の光が紬だった。 その当時、蓮は人気子役という肩書きから転落し、売れない俳優だった。 周りは失望し、媚びを売っていた人間は手のひらを返す。 どん底だった。親からも金にならないなら用済みだと言い放たれていた。 孤独だった。 そんな時に出会ったのが紬。 学校の古びた図書室で1人泣いていたところに彼女が居合わせたのだ。 「どうしたの?」 「……ほっといてくれ」 冷たく突き放す蓮に対して、困ったような表情で見た後、ただ黙って傍に座っていた。 「なんで、ずっと居るんだ……。君も僕のこと馬鹿にしたいのか!?」 蓮が怒鳴る。しかし、そんな彼に紬は微笑みながらこう返した。 「寂しい時は誰かが傍に居るだけで、独りじゃないって思えるでしょう?」 だから傍に居たの、と彼女は俯きながらそう言った。 その言葉に蓮は驚きで目を見開く。 こんな風に優しさから自分に対して、何かしてくれた人間が居ただろうか? 唖然としたまま、蓮は紬の顔を見つめる。 夕日に照らされて微笑む彼女がとても神々しく見えた。 商品としてではなく、『一ノ瀬蓮』という人間として、自分を見てくれたのが紬が初めてだった。 古臭い紙や埃の香りのする図書室が、神聖な場所のように感じた。 紬は蓮にとっての救いだった。 だから、他の誰にも渡したくなかった。 それなのに……! バシャっと車から跳ねた水飛沫が顔にかかる。 今の蓮の姿は、見栄えがいいスーツがその面影を失うほど泥と雨で汚れており
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