私は高瀬真央(たかせ まお)。二千億円規模の大型案件の入札に参加するため、夫の高瀬将希(たかせ まさき)と白見原市へ向かうことになっていた。空港のカウンターで荷物を預けようとしていたとき、将希がふいに口を開いた。「お前は次の便で行くんだ。オーバーブッキングだってよ。お前の席は後の便に回した」私は思わず言葉を失った。今回の出張は、私と将希、そして秘書の神谷汐音(かみや しおん)の三人で行く予定だった。汐音の席は、もともと空きが出てからようやく取れたものだ。普通に考えれば、便を変えるべきなのは彼女のほうだった。けれど将希は、少しもためらわずに続けた。「汐音は体が弱いんだ。乗り継ぎのしんどさには耐えられない。それに、移動中に入札の流れを説明しておきたい。お前は技術アドバイザーなんだから、少し遅れてもどうにかなる」けれど、将希は知らなかった。私の認証キーがなければ、この契約は絶対にまとまらないということを。「将希、正式に呼ばれているのは私でしょう?それなのに、ただの秘書のために、私に便を変えろって言うの?」将希は眉を寄せた。私を見る目には、隠しもしない苛立ちが浮かんでいる。「言っただろう?汐音はまだ社会に出たばかりで、体も弱い。乗り継ぎで五時間も待たせる気か?無理に決まってるぞ」汐音は、そっと将希の袖を引いた。今にも泣きそうな顔で、か細い声を出す。「社長……やっぱり、私が便を変えます。真央さんは技術アドバイザーですし、この案件には絶対に必要な方です。私はただの秘書ですから、少しくらい遅れても大丈夫です。最悪、空港で一晩待てばいいだけですから」言い終えるなり、汐音は小さく咳き込んだ。将希はすぐに彼女の手を包み込み、さっきまでの刺々しさが嘘のように声を落とした。「馬鹿なことを言うな。先週熱を出したばかりだろ。医者にも無理をするなと言われてる。これは会社の命令だ。真央が口を出すことじゃない」そう言って私を見ると、将希の声から温度が消えた。「真央、会社が自分なしでは回らないとでも思ってるのか?汐音も情報工学の出身だ。提案書も設計案も、もう一通り頭に入っている。真央がいなくても、汐音で十分対応できる。汐音には移動中に入札の流れを説明しておきたい。だからファーストクラスに乗せるんだ。余計なことで
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