All Chapters of 死ぬために嫁がされた私、二度目の転生で冷酷御曹司と運命を変えます: Chapter 11 - Chapter 12

12 Chapters

第11話 僕を信じるな②

「何か、不都合でもございましたか、凛花お嬢様」 低く、抑揚のない声。 万年筆を置いていた右手を、膝の上でぎゅっと握りしめる。「不都合はありません。ただ、その契約書を回収される前に、控えをいただけますか」 黒瀬の目が、ほんの一ミリだけ見開かれた。「……控え、ですか」「ええ。双方の合意に基づいて署名した書類です。当然、写しを一部、私が保管しておく権利があるはずですが」 喉がカラカラだ。 天野家の執事を相手に、一体何を偉そうに交渉しているのか。借金のカタとして売られてきた女が、契約の権利を主張するなど、滑稽なこと極まりない。 だが、前世の記憶が、橘日和の経験が、背中を支えていた。 書類の写しを持たないことの恐ろしさを、誰よりも知っている。 手元に証拠がなければ、言葉はいくらでもねじ曲げられ、条件は都合よく書き換えられる。あの会議室で、切り取られたチャット画面一枚で悪人に仕立て上げられたように。「それと」 震えを隠すため、あえてゆっくりと立ち上がった。 シルクのドレスの重みが、足首に滑らかに絡みつく。「最後に、契約条項の細かい部分を、もう一度だけ自分の目で確認させてください。先ほどは、署名することに意識がいっていて、第六条以降の免責事項をきちんと読み込めていませんでしたので」 黒瀬の表情が、今度こそわずかに崩れた。 警戒というよりは、純粋な驚き。あるいは、予想外の相手に出会ったような値踏みの視線。「……お読みになるのですか。今から」「はい。何か問題が?」「いえ。水科の当主様からは、『凛花にはすべて了承させてあるので、細かい説明は不要だ』と伺っておりましたので」 父親の顔が頭をよぎり、胸の奥で小さな怒りが燃えた。 娘を差し出しておいて、契約の中身すら見せずにサインだけさせろと。本当に、どこまでも自分の見栄と保身しか頭にない男だ。「父の了承と、署名者である私の了承は別です。私は、読まずに判を押すほど、自分の名前に無責任ではありません」 少しだけ、声が硬くなりすぎたかもしれない。 だが、黒瀬はそれ以上反論しなかった。 無言のままバインダーを開き、契約書をデスクの中央へと静かに戻す。「承知いたしました。……どうぞ、ご納得のいくまで」 一歩下がり、壁際に控える黒瀬の視線を背中に感じながら、デスクを覗き込む。 クリーム色の上質
last updateLast Updated : 2026-05-20
Read more

第12話 僕を信じるな③

 つまり、私が「事故」や「病気」で婚約の継続が不可能になった場合、あるいは命を落とした場合、水科家は借金を返さなくていい、ということだ。 背筋に、冷たいものが走る。 まるで、私が何らかの理由で退場することを、最初から前提としているような条項。 死の運命。 その言葉が、文字になって喉元に突きつけられた気がした。 天野家に嫁いだ花嫁たちが、過去にどうなったのか。具体的なことはまだ何も知らない。 だが、この紙切れははっきり示している。 この家は、私を守るつもりなど一切ない。 むしろ、私が消えることで何らかの清算が行われるシステムが、すでに組み込まれているのだ。 透の『僕を信じるな』という声が、耳の奥で蘇る。 彼は、この契約の異常さを知っている。 知っていて、私を遠ざけようとした。 ゆっくりと顔を上げ、黒瀬を見る。「……過去の婚約者にも、この条項はありましたか」 黒瀬の指が、一瞬だけ止まった。 ほんの一瞬。 けれど、完璧に制御された執事の動きに生じたその空白は、言葉よりもはっきりしていた。「凛花お嬢様」 黒瀬は、何事もなかったように静かに目を伏せた。「契約書の写しは、ただちに手配いたします」 答えない。 それだけで、十分だった。「……確認いたしました。控えをお願いします」「かしこまりました」 黒瀬は恭しく一礼すると、契約書をバインダーに収めた。 そして、扉へ向かう直前、こちらを振り返った。「本邸へは、明朝お迎えに上がります」 低く、感情の読めない声。「天野家の正式な婚約者として、お入りいただきますので」 重厚な扉が閉まる。 一人残された執務室で、空調の微かな音だけが、耳鳴りのように響いていた。 緊張の糸が少しだけ緩み、膝の力が抜けそうになって、慌ててデスクの縁を両手で掴んだ。 指の腹に、硬い無垢材の冷たさが伝わってくる。 怖くないと言えば嘘になる。 先ほど読んだ条項の冷たさが、じわじわと胃の奥に沈んでいく。 それでも。 深く息を吸い込み、肺を空気で満たした。 流されて、何も知らされないまま殺されるのだけは御免だ。 私は今日、この契約書を自分の目で読み、その内容を記憶ではなく『記録』として手元に残す一歩を踏み出した。 書類の束に紛れ込ませた小さな免責条項も、切り取られた言葉の刃も、すべては「事実の
last updateLast Updated : 2026-05-20
Read more
PREV
12
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status