All Chapters of 私の彼氏はちょっとだけ愛がオモい。: Chapter 11 - Chapter 20

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私の彼氏はちょっとだけ心配性。:011

「あ……ぅ」 口をパクパクさせながら葵依の頬が染まっていくのを見届けて、壱は葵依の掴んだ指先に自分の指を絡める。白い箇所が1ミリも残らない程、葵依は赤く染まった。 「これからよろしく頼む」 「こ、ちらこそよろしくお願いします。つまらない者ですが……」 ペコッと頭を下げる葵依の動作がいちいち可愛くて困る。 頭を下げたまま動かなくなった葵依の旋毛を見て、旋毛にまで愛しさを感じてしまう。自分ながらに気持ち悪いなと思うも、そんな自分を不思議と嫌いになれない。恋とはここまで人を変えてしまうのか。恐ろしいと思うも嬉しくも思う。矛盾した気持ちに壱は人知れず苦笑を浮かべた。 それから、変わらず頭を下げた葵依に背を屈めて顔を近付ける。下から覗き込むと、唇をむにゃむにゃと動かしている葵依がいた。突然覗き込まれて、動きは止まったが。 「一つだけ訊いて良いか?」 葵依はコクンと顎を動かす。 「どうして、俺と付き合う気になった?」 年上の、顔見知り程度の男に告白されれば、いくらなんでも怖いだろう。それが例え、顔が良い男でも。 大の大人が精神的に未熟な17歳に面と向かって告白をするような男にろくなのは居ない──自分にブーメランが返ってくるが、そういう認識は間違いではない。お互いの接点を失う前に、何かしらの繋がりを持ちたかった。それは告白をする、という今日の行動に結び付く。 逃げるチャンスはあった。 これでも、逃げ道は用意してあげていた。 腰を引き寄せた時だって、肩を抱いた時も脈を測る時も力の半分も出してはいなかった。簡単に解けるものを彼女は抵抗せず、距離を取った時でさえ信号を渡らず、俺の目の前に居た。もしも、大声で叫んで誰かが駆け付けたとしても俺は捕まる覚悟でいたし、信号を渡って逃げ去ったとしても追いかける気はなかった。今日、手酷く振られたとしても失恋した心と共に二度と彼女に交わらないように人生を過ごす心持ちだったのだ。 『こんな私で良ければ……宜しくお願いします』 (これでもう──逃がしてあげられない) 一度、自分の腕の中に入ってきたのだから離すつもりはない。逃げたい、別れたいなんて思わせないように幸福という檻の中で囲む。 例え、俺の押しに負けたとしても。もし俺の前にしつこく迫る男が現れていたとしたら、そいつを受け入れていたのかも
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私の彼氏はちょっとだけ心配性。:012

葵依が住むアパートは信号を渡って、真っ直ぐに進んだ後公園を左へ曲がる。 それを真っ直ぐ進んで、一つ目の角を曲がると道路が細くなる。些か狭い車道は対向車があれば、どちらか一方は1台が通り過ぎるまで待たねばならないような不便な道路で電灯は心もとない弱い光で、家から漏れる灯りはそうそう強くない。そんな道を葵依と壱は手を繋いだまま葵依のアパートへ向かった。 葵依が住むアパートへ着くまで二人はお互いの事を知ろう、と交互に質問をして答えるという会話を繰り広げていた。 「好きなお菓子は何ですか?」 「甘いのは好き好んで食べないな。ガムは食べるよ。葵依は?」 「チョコが好きです」 「コンビニでさ、値段が手軽でピーナッツチョコあるじゃん? 俺、あれ好きなんだよね。チョコの甘さが控えめでピーナッツに歯ごたえあって」 「私も好きです! コンビニによって甘さと食感が違うんですよ。お家で手軽に食べたいって思って一時期、自分で作って食べてました。でも、コンビニと同じ味は出せなかったです」 「俺、葵依が作ったそれ食べたいな。今度作ってくれる? すぐにできるもんなの?」 「30分くらいです。チョコが固いのを好みなら冷蔵庫へ冷やす時間をもうちょっとだけ長くするので、それ以上かかります。甘さ控えめが好きならビターチョコで良いですか?」 「ビターが良いな。葵依って他にも作れるの?」 「最近は作る事が出来ていなくて……でも趣味がお菓子作りなんです。一度で良いからケーキを焼いてみたいんですけど、お家にはオーブンがなくて。だからレアチーズケーキとか、生チョコタルトとか、オーブンを使わなくて済むお菓子をママの誕生日によく作ってました。あと、プリンも作ったことがあります」 「へぇ。今度俺にも作ってよ」 「もちろんです!」 満面の笑みで承諾してくれた葵依を見て、壱はだらしなく頬を緩めた。 好きな子が自分の事を知ってくれることが、こんなにも胸を満たしてくれることを壱は生まれて初めて知った。 「じゃあ次は俺から質問」 壱は軽く咳き込んだ。 「葵依は休みの日は何をしてるの?」 「勉強です!」 「大学はどこに行きたいの?」 「T大です!」 「へえ。俺も同じ大学」 「わあ! じゃあ私の先輩ですね!」 外灯が少ない夜道にも関わらず、眩しさを感じて、壱は葵依の笑顔
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私の彼氏はちょっとだけ心配性。:013

会話の中で葵依は壱へ自分の母が娘の誕生日を迎える前に末期癌で息を引き取った事や叔父と従弟の話、それから通う高校を受験した理由は成績次第でありとあらゆる学費が免除になり、お金が発生しないからだと話をした。給付金を貰っている話も友人が一人しかいない事まで話す。その目には『同情』はなかった。「気を休めた方が良いよ」とか「頑張り過ぎるのは良くないよ」とか「頑張っているね」とか……そういう言葉を掛けられる事はなく。ただ、相槌を打ちながら葵依の話を聞く。話を最後まで聞いてくれたのは、壱が初めてだった。壱は聞き上手で同情の眼差しで自分を見ないし安っぽい言葉も言わない。絶妙なところで相槌を打って、話が一段落した後に質問をしてくるのだ。「それで、どう感じた?」とか……お陰で誰にも話した事がない誕生日前に母を亡くした時の感情まで吐露してしまう。その記憶を思い出してしまって泣きそうになってしまうのを堪える為に、空いた手を強く握り締めて痛みで涙を堪えた。 「113番」しか喋らず、同僚と来店した時だけ喋る姿を見ていた葵依は壱がこんなにも話すなんて葵依は夢にも思ってもいなかった。 しかも、その会話を楽しんでいる自分がいる。壱に対する警戒心は既に薄まっていて、葵依は純粋に壱との会話を楽しんでいた。 「八月が楽しみだな」とニコっと笑う壱に葵依は笑顔を返した。 八月という、あと三カ月先の約束をされて葵依の胸は弾んだ。約束をしたという事は、八月は会えるという事だ。受験勉強で忙しくデートへ出掛ける暇はないと言ったけど、それくらいは作ってあげたい。 (でも、壱さんはお仕事が激務って言ってた) 時間は合うかな。 ……合えばいいな。 母親が亡くなって、誰かへ料理を振る舞う機会がなくなった葵依は、自分が作った料理を食べてもらえる事が嬉しくてしょうがない。ウキウキする。 「壱さんの大好物はなんですか?」 「豚の生姜焼き」 「じゃあ、ケーキと一緒に作りますね」 そう言うと、一瞬黙ってしまった壱を見て葵依は首を傾げる。もしかしたら、適当に言った大好物かもしれない。それとも、ケーキには合わないって思ったかな……。生姜焼きっていつでも作れるから特別感ないかも。 しかし、間を置いて耳まで赤くなった壱の発言を聞いてそれは勘違いだと葵依は知った。 「すげー嬉しい……」 赤が感染
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私の彼氏はちょっとだけ心配性。:014

葵依は撫でられた頭に触れ──心の奥がまたも擽ったい気持ちになる。 (あぁ……ダメだ) 壱から心配されて鼻がツンとする。 心配される事は嫌いだ。だからいつもは笑顔で「大丈夫です」と話を切り上げる。でも、今までとは違う感情が芽生えた。 壱から心配された。ただそれだけなのに、心が震える。今までと違う感情に葵依は戸惑った。 田中や担任、バイト仲間から受ける心配や親切よりも、壱からの言葉が嬉しい──いつもと違う感情の起伏なのに葵依自身それに気付いていない。 (感情を自分から切り離す事が出来たら良いのに) 今日は珍しく沢山喋ったから感情が不安定だ。 俯かず、前を見なければと目を大きく見開くとまだ背を屈めたまま自分を覗き込む壱の目と目が合って面食らった。その表情には不安の色がありありと浮かんでいた。 「レイプ被害の80%は面識がある犯行なんだからな。そのうち顔見知り程度が14%だ。数字でも表れているんだから、プレゼントを渡すだけとかいう言葉を簡単に信じちゃ駄目だ」 壱の口から「レイプ」という不穏な単語を聞いて葵依は押し黙った。 プレゼントを取りに行くだけだと思っていたのだが壱の話を聞いて、そういう危険があるのかと怖くなって、身震いをする。 「ごめんなさい……」 しゅん、と葵依は項垂れた。簡単に考えていた自分が恥ずかしくて素直に謝ると、壱から「俺も強く言い過ぎたよ。ごめんな」と申し訳なさそうに目尻を下げられた。 壱は背を正して、 「そういう危険が自分の身に降りかかるか誰にも分からないもんだが、その危険性を如何にして減らすか出来る範囲でやっていこうな」 「はい!」と葵依は頷いた。 「あ、じゃあ自転車で夜道を走らないというのは防犯になりますか?」 叔父が葵依に課した約束の一つだ。叔父が言うように安全なのかを確認したかった。 「なる。自転車狙いの待ち伏せタイプは多いんだ。夜道は人通りが少ない場所は特に危険だ。闇に隠れて横から自転車を蹴飛ばすとかバンで横について自転車ごとバンへ掻っ攫うとか。自転車へ乗っていると対応が遅れて逃げられない」 スラスラと答える壱に葵依は「へぇ!」と感嘆した。 「じゃあ、夜道を歩く時は携帯電話で話しながら帰る、はどうですか?」 「それは危険だ。注意力が散漫になって周囲の音や背後から不審者が近
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私の彼氏はちょっとだけ心配性。:015

「ここが私の住むアパートです」    その指が指す方向にはアパートがあった。確かに存在していた──かろうじて。  築何十年になるだろう、二階建ての木造アパートはかなり年季を感じさせた。薄暗い中でも、木造アパートの外階段や手すりには錆が浮き、壁の塗装も剥がれている。それから、一階の玄関を隠すように葵依の背丈より高い、枝葉がよく茂る木が密に並んで植えてあった。目隠し防止で植えてあるのだろう──しかし逆に言えば、侵入しやすい環境を作っているようなものだ。植木のお陰で、住人以外がウロついていても気付かれにくいのだから。 本来安全であるべき家が防犯にそぐわないのを見てしまって、壱は葵依がこれからの人生を無事で過ごせるか心配で仕方なかった。(セキュリティも何もあったもんじゃない……すげー不安だ……)「古いんですけど、中は綺麗なんですよ。半年前、大家さんが畳と壁を張り替えてくれたんです。あとお風呂場とトイレも新しく変えてくれて」 アパートを呆然と見つめる壱をアパートのボロさに驚いていると勘違いをした葵依は、室内はキレイだと主張する。自分の身を心配されていると夢にも思っていなかった。「リフォームか……」 「はい。あとですね、キッチンも綺麗にしてくれて」 「キッチンもね」 室内はキレイだと言う葵依の言葉に嘘はない事は分かる。きっと整理整頓された室内だろう。──俺が心配しているのはそういうことではない。  老朽化が進んだアパートを取り壊すか新しく部屋を貸すならまだしも、住んでいる人間が居る部屋をわざわざリフォームするか……?  どうも嫌な予感がする。虫の知らせというものか、首の後ろがザワザワして落ち着かなかった。「お部屋にあがっていきますか?」 という葵依の言葉で全てぶっ飛んでしまった。「へ?」 聞き間違いかもしれないと壱は葵依にもう一度言って欲しいと頼んだ。   「お部屋にあがって、お茶でも飲みませんか?」 ついさっき、壱は葵依に男を部屋に連れ込んだらどれだけのリスクを負う可能性があるかを説明したばかりだ。(その矢先に男の俺を部屋に誘うのは、些か危険だ。無防備だ……すっごい、危険だぞ) そう言いたかったが、自分を信頼しきった丸い目に真っ直ぐ見つめられて壱は言葉を発せなかった。「遅くに家まで送ってくれましたし……あ、の」    葵依は俯
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私の彼氏はちょっとだけ心配性:016

 壱が葵依の旋毛を無表情のまま眺めていると、チラッと上目遣いをした葵依と目が合った。「コップはちゃんと洗っているから清潔です……」(それは全く気にしていない) 「お話、イヤですか?」(『お喋り』『お話』って発言がいちいち可愛いな)「いや」 という言葉を聞いた葵依が酷く傷ついた表情を浮かべた。 壱が即座に「あっ」と表情を変える。「話が嫌ですかって問いに、否定の意味でイヤって答えただけだからな。決して嫌じゃないんだ。誤解させるような事を言って悪かった」 親指で絡めた葵依の指をなぞりながら、壱は背を屈めて葵依の顔を見た。傷付いたような表情を浮かべたのはどうやら一瞬だけのようで、口元に笑みを浮かべた愛らしい顔がある。それに壱は安心するよりも、己の感情を隠しているようで胸がざわついた。 「よく考えたら、明日は学校だから……遅いと明日に響きますよね。やっぱりなしにしましょう」「もっとお喋りしたい」と言った葵依は自分で誘った発言をなかったことにしようとする。 もう少し、一緒に居たいと思ったのはここで離れてしまったら、壱とは彼の誕生日の八月にしか会えないと思ったからだ。勉強に専念したいからとか受験生だからデートをする暇がない、とか言っておきながら壱との会話が思いのほか楽しくて、もう少し一緒に居たいと思ってしまったのだった。 乗り気ではない壱の姿を見て、楽しく思ったのは自分だけだったと思って、ショックを受けた──やっぱり私は「話がつまらない」女子高生なんだ。 葵依は恥ずかしくて、家の中に逃げ込んでしまいたかった。 と、同時に自分の感情を優先してしまったことが情けなくなる。(壱さんの煙草の匂いが、ママと同じだからつい甘えるようなこと言っちゃった。手を繋いで、直に人肌を感じてしまったのがいけなかったのかも) 一人に慣れたはずなのに、人肌に飢えている自分を葵依は恥ずかしく思った。 葵依が住む2LDKのアパートは、電気の灯りの強さも部屋の広さも変わらな
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私の彼氏はちょっとだけ心配性:017

  建て付けの悪さを感じる玄関ドアの鍵を開け葵依が先に家の中へ入る。それに続いて壱が玄関へ足を踏み入れると、パチッと廊下の電気が付いた。 壱は玄関に立ち、奥を見た。ドアが二つあって、きっとあの先が生活圏内で一つが葵依の部屋だろう。 葵依が住むアパートの玄関ホールは壱が住むマンションの玄関ホールの半分の広さもなかった。と言っても彼が住んでいるマンションは無駄に広い。壱の歳の離れた兄は、都心へ引っ越す壱に、独身時代に購入したマンションを譲ってくれたのだ。独身時代に購入したマンションにしては、一人が住むには部屋数が多く、リビングもやたらと広い──このアパートと比べるのは無理があるかもしれない。(俺の家より片付いているな)  壱の自宅の現状は……廊下には脱ぎ捨てたワイシャツが数枚落ちている。洗濯機へ放り投げれば良いが、何を隠そう、洗濯機の動かし方を知ったのは、現在の職場へ異動して二年前のことだ。それまではクリーニングへ直行、もしくは新しく買い直していたが、それを知った壱の先輩である『わかめ』――もとい矢田が家まで来て、物置と化していた洗濯機の操作方法、洗濯物の干し方、そして米の炊き方まで伝授し、最後に部屋の掃除までしてくれた。それは一度だけではなく、何度もである。その親切を壱は有難く受けていたのだが、後輩の壱にかまけ過ぎて嫁から注意を受けた矢田は、壱のお世話係を辞めてしまった。「これからは自分でするんだぞ」という言葉を壱に残して。 それを一度でも自分で試したかと言えば、廊下のワイシャツが物語っている。(葵依は、俺みたいにだらしなくないようだな) 服は脱ぎ捨てられてはいないし、ローファーもきちんと並んでいる。狭い玄関とは思ったが十分な広さだ。 葵依が言った通り、外観の古さに反して、室内の壁紙は張り替えたばかりのようだった。クリーム色の壁紙と古い木目のフローリング。ちぐはぐな印象を受けるリフォームに、本当にやった意味があるのだろうか、と壱の中で疑念が膨らんでいく。 葵依の話では、このアパートの一階は2LDK、二階は1Kとのことだ。リフォームしたのは葵依が住む101号室だけだったらしく、それを聞いた壱の表情は益々曇
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私の彼氏はちょっとだけ心配性:018

「ここはお風呂場です」 反対側には風呂場があった。「脱衣所はないんだな」「ここで服を脱いでます」 葵依が指差したのは二人が立つ廊下だ。その前に玄関ドアがあって壱の視線は郵便受けがないドアポストに注がれた。 片眉を上げたまま、壱は風呂場を覗いた。これもまた葵依が言った通り、アパートの外観とは合わない真新しい浴室だ。 「隣はお手洗い……」 次を案内しようとするも、壱が風呂場の天井を見上げたまま動かず葵依は首を傾げた。「何か気になるものでもありました?」 壱と一緒に天井を見上げるも視線の先に換気扇と点検口があるだけだ。それから窓を見た壱に釣られて、葵依もまた施錠された風呂場の窓を見た。「トイレを見せてもらおうかな」 そう壱に笑いかけられて、次は隣のトイレのドアを開ける。 これもまた新品のウォシュレットトイレである。 天井の隅から左右の壁、床の隅を観察する壱に合わせて、隣の葵依も同じように視線を動かした。それから壱は閉じたトイレの蓋を開ける。チラッと便器を覗き、それから蓋の開閉を繰り返した。少し後ろに立つ葵依はその様子を眺めながら開閉に合わせて首を縦に振っている。壱の行動を不思議に思いながら、真剣な様子に葵依は声を掛けられなかった。……もしかすると、蓋の裏に汚れが付いていてそれをチェックしている?「お掃除はちゃんとしてます……」「それは疑ってないよ。俺んちよりキレイ」 (じゃあ、どうしてそんなに真剣に見てるんだろ……? それは疑っていないなら、何を疑っているのかな……?)  葵依は、壱に訊ねたくとも、時たま「うーん」と唸る彼の答えが怖くて、訊ねなかった。 「ウォシュレットはお湯も出ます」「へぇ」 ウォシュレットボタンの説明をする葵依とそれを聞いて
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私の彼氏はちょっとだけ心配性。:019

 壱はトイレから戻り、葵依の部屋に足を踏み入れた。 葵依の部屋は石鹸の清潔な香りがする。壱は両目を閉じて、石鹸の香りを胸いっぱいに吸い込んだ――葵依にバレないように。 満足すると、部屋を見渡した。 部屋の広さは6畳。隣の部屋との境目は襖で仕切られている。部屋の奥に大きな窓があり、壱はカーテンを開いて窓を開けた。洗濯物は干したままで、壱は不用心さに眉間に皺を寄せた。 葵依は慌てた様子で、庭に出ると、顔を真っ赤に染めながら洗濯物を取っていく。好きな子の下着が紺色だったことに頬を染めるわけでもなく、壱は窓から顔を出したまま、灯りが漏れた隣の庭へ視線を向けた。隣の102号室との仕切りは特に設置されていなかった。(不用心だな)  壱は窓を閉めて後ろを振り返る。取り込んだ洗濯物を丁寧に畳む彼女の姿を眺めながら壱は心中でそう呟いた。(葵依へ防犯への心得の中で一人暮らしは洗濯物を外へ干さないように伝え忘れていた。後で教えなきゃな)  あれでは洗濯物から『女の子の一人暮らし』だと見て分かるし、隣人は庭へ簡単に侵入できる。外部の人間も簡単に侵入しやすく、駐輪場から庭へ続く場所には柵は設置されていないから誰でも入れるのだ。 押し入れの中にハンガーラックを入れてクローゼット代わりにしているようで、服を収納していく葵依の背中を心配気に見やる。今まで無事だったのは運が良かっただけかもしれない。 壱は部屋の中をよく観察した。 部屋の中は真新しい畳の匂い、クリーム色の真新しい壁紙。所々破れた襖、プルスイッチの丸型蛍光灯──アンバランスさは否めない。 円形の折りたたみ式テーブルの下には円形の淡い水色のラグカーペットが敷いてある。カーペットと同じ色をした座布団、ビーズクッションが一つ。24インチのテレビとテレビ台。部屋の隅には学生鞄、カラーボックスには教科書が並び、壁にはクリーニングのハンガーに葵依が通う高校の制服がかけてある。シンプルと言えばシンプルで物が少ないが女子高生にしては質素な部屋だ。 隣の部屋に続く少しだけ開いた襖へ視線をやる。暗闇に浮かぶ写真が気になった。「隣の部屋を覗
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私の彼氏はちょっとだけ心配性。:020

「愛娘がたった一人でボロアパートに住み続けるなんて思ってもいなかっただろうな……」 ぽつりと壱が呟く。 死期を悟った彼女は一人娘を残してこの世を去ることが不安で、娘の行く末を心配して絶縁していた家族と連絡を取ったんだろう。自分の兄へ一人娘を託す算段だった──まさか、こうして一人暮らしをするなんて計画が狂った事を彼女はどう思っているだろうか……。 壱はゆっくりと双眸を閉じて葵依の母へ手を合わせた。「貴女の一人娘は俺が毎日、毎時間、毎分、毎秒、幸せにします」『一生』『生涯』なんて言葉は使わない。『一生』かかる幸せを、『生涯』をかけなければ幸せにすることが出来ないなんて気が遠くなるような幸せを葵依へ誓わない。年齢順で行けば俺が先に死ぬ。人生なんていつ終わるか分からない。俺が死んで不幸にさせてしまっては意味がないのだ。日々過ごす中で、それこそ毎日、毎時間、毎分、毎秒、ささやかでも幸せでいてもらいたい。俺が死んでも、色褪せる事がない幸福を葵依に与えることを貴女に誓います。「まずは……このアパートから引っ越しをしてもらうことが先ですね、お母さん」 壱は目を開けて、遥の目を見ながら呟いた。勿論、返事はない。それでも壱の決意は固まっていた。 部屋から出るとテーブルの上に飾ってある人気キャラクターのクマのぬいぐるみが視界に入った。壱はクマのぬいぐるみを手に取ると、腹や顔をふみふみと親指で押した。 暫く無言で触っていた壱の指先が、ぴたりと止まる。「お隣さんからもらったんです。ゲーセンで取ったんですって」 飲み物を運んできた葵依がそう教えてくれた。「……そうか。お隣さんって……男?」「はい。大学生のお兄さんです。とても良い人ですよ」「…………」「手触りが良いですか?」「まぁね」 壱はクマの腹を軽く撫でながら、
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