All Chapters of 私の彼氏はちょっとだけ愛がオモい。: Chapter 1 - Chapter 10

14 Chapters

私の彼氏はちょっとだけ心配性。:001

 高校一年生から二年間勤めたコンビニのバイトを下田葵依は、高校三年生の五月、ゴールデンウィーク最終日をもって円満退職を果たす。  二十二時。終業時間になりバックヤードへ行くと、店長の田中から「みんなからだよ」とプレゼントが入った袋をもらった。バイト仲間たち全員からの寄せ書きが入っていて『一緒に働けて楽しかった』『遊びにきてね』『寂しい』などと書いてある。ガラスドームに入ったプリザーブドフラワーと「受験勉強を頑張って」という気持ちが込められた本革製のペンケースも贈られた。うるっと涙が出てきて、葵依は慌てて手の甲で涙を拭った。 「葵依ちゃん」 『葵依ちゃん』と呼ぶ声がニチャッとした響きを含んでいたのだが、葵依は気付く事なくパイプ椅子に座ったまま自分を見上げている田中に笑顔で返した。 「実は葵依ちゃんに僕個人から贈り物があるんだよ」 「えっ? 店長からですか?」  バイト仲間からもらったプレゼントに店長も参加しているものだと思っていた葵依は驚いて目を丸くする。  葵依はプレゼントが入った袋を持ち上げると「僕もそのプレゼントに参加しているけど僕個人から別にあるんだ」と言われ葵依は手を下ろした。 「でも、悪いです。皆さんから沢山貰ったのに店長からも別に貰うなんて」 「いや、葵依ちゃんにはさ……テスト期間中でも出てくれたり連勤させてしまったりさ……申し訳ないと思っていたんだよ。感謝の気持ちを伝えたいんだ」 「ありがとうございます。そう言ってもらえて嬉しいです」 「じゃあさ、今週の金曜うちに」  自分が住むアパートへ来てもらおうと金曜日にと提案すると葵依から遮られた。 「学校帰り寄りますね」 「そりゃ困る」 「え?」とキョトンとする。  田中はワザとらしく咳をして誤魔化してからズリ落ちた眼鏡のブリッジを人差し指でクイっと上げた。店に来てもらったら自分の計画が台無しだ。 「みんなには内緒なんだよ。ほら僕個人が葵依ちゃんに贈ったって知られたらさ、嫉妬とかやっかみがあるじゃん?」 「そうなんですか?」 「そうだよ」 「うーん……わかりました! でも今週の金曜日はLHRなので再来週はダメですか?」 「再来週の金曜でも大丈夫だよ! あとで位置情報送るね」 「はい!」  ペコッと頭を下げたので、男
last updateLast Updated : 2026-06-14
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私の彼氏はちょっとだけ心配性。:002

葵依は小柄なうえ童顔で、小さな顔に仔猫のように大きい目を縁取る長い睫毛、毛先が外側にクルンとカールしたセミロングストレートの髪型……守ってあげたくなるような無垢な高校生。女子高校生というブランドと小柄で童顔というセットはある界隈の男達から絶大にモテた。仕事中何度も遊びに誘われたが、葵依は全て「勉強をしなきゃ」と言って断った。これは下手な断り文句ではなく本当の事である。葵依はバイトが休みの日は友達と寄り道せず、学校が終われば真っ直ぐ家へ帰り授業の予習をするのだ。  可愛いけど男への免疫がない葵依を騙すのは簡単だろう──胸が小さいのは残念だが、世間知らずな見た目だから簡単に堕ちるだろう……そう思って田中は葵依の前では仕事が出来るフリをした。  が。  葵依は堕ちなかった──というよりも、葵依は田中が仕事をしている姿を見て「私もあぁいう風に働けるようにならないと!」という責任感が強過ぎた。そうして生まれたのが田中よりも遥かに仕事が出来る高校生葵依である。  それから田中の今までの愚行を知る主婦層から葵依は守られ、手を出す機会を失ってしまった。  しかし、それは今日まで。何故なら、葵依は今日でバイトを辞めるからだ。パートのババァ達の監視の目がなくなるのだ。 「勉強も良いけど息抜きも大事だからね……息抜きしないとさぁ……倒れちゃうからね」  田中は、葵依が母親を三年前に病気で亡くして、一人暮らしをしている事を知っている。  バイト中は明るくて笑顔を絶やさない子だが、寂しいに決まっている。そんな子の懐にさえ入れば後は簡単だ。  田中は二年間一緒に働いて葵依の性格を充分把握していた。学業だけではなくバイトに対しても決して手を抜かず、「人が足りなくて困っている」と言えば「それは大変ですね」と休日希望を出しているにも関わらず試験期間中でもシフトに出てくれるような子だった。基本、バイトに出て欲しいと言えば「嫌」と言わない子なのだ。体調を悪くしていても他人にキツさを見せずに隠す子でもある。そんな子を押して押しまくれば、絶対にヤれる。 「心配だな」と田中は心配そうに眉間に皺を寄せて葵依の目を見つめた。 (どうしても自分の部屋に呼びたい)  この可愛い生き物を美味しく頂きたい。  そんな事を思っているなんぞ夢にも思っていない葵依は 「心配をしてくれてありがとうご
last updateLast Updated : 2026-06-14
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私の彼氏はちょっとだけ心配性。:003

 葵依は小柄なうえ童顔で、小さな顔に仔猫のように大きい目を縁取る長い睫毛、毛先が外側にクルンとカールしたセミロングストレートの髪型……守ってあげたくなるような無垢な高校生。女子高校生というブランドと小柄で童顔というセットはある界隈の男達から絶大にモテた。仕事中何度も遊びに誘われたが、葵依は全て「勉強をしなきゃ」と言って断った。これは下手な断り文句ではなく本当の事である。葵依はバイトが休みの日は友達と寄り道せず、学校が終われば真っ直ぐ家へ帰り授業の予習をするのだ。  可愛いけど男への免疫がない葵依を騙すのは簡単だろう──胸が小さいのは残念だが、世間知らずな見た目だから簡単に堕ちるだろう……そう思って田中は葵依の前では仕事が出来るフリをした。  が。  葵依は堕ちなかった──というよりも、葵依は田中が仕事をしている姿を見て「私もあぁいう風に働けるようにならないと!」という責任感が強過ぎた。そうして生まれたのが田中よりも遥かに仕事が出来る高校生葵依である。  それから田中の今までの愚行を知る主婦層から葵依は守られ、手を出す機会を失ってしまった。  しかし、それは今日まで。何故なら、葵依は今日でバイトを辞めるからだ。パートのババァ達の監視の目がなくなるのだ。 「勉強も良いけど息抜きも大事だからね……息抜きしないとさぁ……倒れちゃうからね」  田中は、葵依が母親を三年前に病気で亡くして、一人暮らしをしている事を知っている。  バイト中は明るくて笑顔を絶やさない子だが、寂しいに決まっている。そんな子の懐にさえ入れば後は簡単だ。  田中は二年間一緒に働いて葵依の性格を充分把握していた。学業だけではなくバイトに対しても決して手を抜かず、「人が足りなくて困っている」と言えば「それは大変ですね」と休日希望を出しているにも関わらず試験期間中でもシフトに出てくれるような子だった。基本、バイトに出て欲しいと言えば「嫌」と言わない子なのだ。体調を悪くしていても他人にキツさを見せずに隠す子でもある。そんな子を押して押しまくれば、絶対にヤれる。 「心配だな」と田中は心配そうに眉間に皺を寄せて葵依の目を見つめた。 (どうしても自分の部屋に呼びたい)  この可愛い生き物を美味しく頂きたい。  そんな事を思っているなんぞ夢にも思っていない葵依は 「心配をしてくれてありがとう
last updateLast Updated : 2026-06-14
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私の彼氏はちょっとだけ心配性。:004

※ コンビニから出て少し歩いた信号で葵依は立ち止まる。赤信号の間、葵依は背負ったリュックから携帯を取り出して画面を見ると不在着信2件とLIMEのメッセージがあった。 『どうして電話をしないんだ?   電話にも出ないし。  何かあったのか?』  というメッセージを読んで葵依は「しまった」と呟く。この不在着信とメッセージの相手は彼女の叔父だ。  葵依は二十二時にバイトが終わってから、この信号を渡る前に必ず叔父へ電話をするのが日課だった。  叔父──門ヶ原茂は葵依の身元保証人だ。彼は妹、即ち葵依の母親が病死して、葵依を引き取るつもりでいたが葵依はそれを断った。母親と過ごした場所を離れて知らない土地へ行きたくないし、今まで疎遠だった叔父へ甘える事が出来なかった。そんな葵依を門ヶ原は説得を続けたものの葵依の意思が変わらないと悟って、彼女の意思を尊重した。ただ「これだけはさせて欲しい」と葵依が住むアパートの家賃を葵依が高校を卒業するまでの三年分支払う。何故三年分しか払わなかったというと、高校を卒業したら大学入学と共に今住んでいるアパートよりセキュリティが厳しい物件へ引っ越す約束をしているからだ。  門ヶ原は姪っ子で可愛い葵依が一人暮らしをする事にも不安を感じているのに、それに加えてアルバイトをすると聞いた時は、 「金銭的援助をするからバイトなんてしないでくれ。もし変な男から襲われでもしたら、遥に合わせる顔がない」  茂はアルバイトを止めさせようと必死になった。最終的に頑固な葵依に根負けをして茂は折れたのだが……。 『1.夜道を自転車で走らない』 『2.電話をしながら帰る事』 『3.アルバイトのシフト表を見せる事』 『4.男に送迎をしてもらわない』  という、条件を出した。  一つでも破ったらバイトは禁止だ。  家賃以外の金銭的な援助を茂へ相談しないで済むように、彼に迷惑を掛けたくなくてアルバイトを続けたい葵依はこれらの条件を飲んだ。自転車通学の葵依は茂との約束を守る為に、学校からバイト先へは行かずに一度自転車をアパートへ置いてから、歩いてバイト先へ向かう。これを二年もの間、葵依は続けた。バイトの帰りは必ず叔父と電話をしながら帰路につき、アパートの部屋へ入って玄関の鍵を締めるまで電話は切らない。この条件
last updateLast Updated : 2026-06-14
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私の彼氏はちょっとだけ心配性。:005

 113番というのはコンビニで売られているタバコの番号だ。葵依を呼び止めた男は113番の銘柄をいつも買う常連の男で、葵依は彼がいつも買う銘柄の番号で呼んだ。番号で呼ばれた男は目を見開いた後不機嫌そうに口を曲げた事に葵依は気付かない。ぺこりと頭を下げたからだ。頭を上げると、そこには女のような成り立ちの甘い顔があった。 「どうされましたか? もしかして、私……違う煙草を渡しちゃいました?」  葵依の問いが聞こえているのかいないのか……113番は無言のまま葵依を見下ろした。  葵依がバイトを始めた頃、この113番は葵依がレジでクレーマーに絡まれている所を助けている。  それは二年前に遡る。  「俺を馬鹿にしているのか」  レジに並ぶ客達の対応をしていて、その男の番が来ると目の前でそう声を掛けられた。  そんなつもりはなかった。ただバイトを始めて日が浅い葵依の接客はたどたどしく、それが不快に思わせてしまったのかもしれない──新人でクレーム対応なんぞ出来ない葵依は対応しきれずに、オロオロと助けを求めるように田中に視線を送った。  ──が、田中は隣のレジに並ぶ客の対応に追われているようで葵依の視線に気付かないようだった。実際はワザと聞こえないフリをしていたが葵依にそういうフリの見分けがつく訳はない。 「お前の笑った顔が気に食わない」  今まで生きてきて、そんな言葉を言われた事がない葵依は戸惑った。どちらかと言えば「可愛い」「安心できる」と褒められる事が多いのだ。  何も言えずにいると、それに調子ついたのかクレーマーは突然大声を放った。 「底辺コンビニ店員のくせに!」  自分に非があると思い込んだ葵依は怒鳴り声に恐縮して肩を竦めた。  クレーマーに手を掴まれる。葵依はただ普通に接客していただけで、まして新人でたどたどしいグリーティングは、「頑張れ」と応援したくなるものだったし、途中で接客用語を噛んでしまうのは庇護欲をそそられてしまう程可愛い。傍目から見て頑張りが分かるもので新人ながらも丁寧なものだった。そこを女で小柄だから「弱い」と思われたからか……日頃の鬱憤を晴らす対象に選ばれてしまう。  隣にいる田中はレジに並ぶ客はいないのにレジのドロアーの開閉を繰り返して、先輩バイトは陳列台に隠れて様子を見ているだけ。細い手首を男の力で強く握られ怖い思いを
last updateLast Updated : 2026-06-14
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私の彼氏はちょっとだけ心配性。:006

(本当は続けたかったけど──…)  葵依は特待生だ。常に学年十位以内を保っていて、一度でも十一位に下がると奨学金が打ち切られてしまう。今まではバイトと学校を両立して上位を保てていたが、葵依には将来の夢を叶える為にどうしても進学したい大学があった。その為、今の勉強量では足りないと思い泣く泣くバイトを夏休み前に退職する事にした。幸い、バイトをしたお金は貯金をしているから生活費には困らないし勉強に専念する事が出来る。 「あれ……? 私が煙草の銘柄を間違えて渡したからじゃないんですか?」 「ん?」  男は首を傾げるのを見て、葵依も男と同じ向きに首を傾げた。 「私、113番さんに違う煙草を渡していないんですか?」 「113番……」  煙草の番号で呼ばれた男は呆然と呟いた。ショックに打ちひしがれる姿に気付いていない葵依は、どうやら自分はミスをしていないと知ってホッと胸を撫で下ろした。 「違う煙草を渡しちゃったから、声をかけられたって思いました」 「一度も間違えた事はない。いつも完璧だった」  そう言われて、葵依ははにかんだ。人に褒められると、素直に嬉しかった。 「ゴッ、ゴホッ、ウッ、ゴッ」  今度は激しく咳き込んだ男を心配して一歩近付くも「大丈夫だ」と手で制されて葵依は歩みを止めた。  葵依が一歩近付いたせいで二人の距離が縮まったのだが、咳き込む男が心配でその事は彼女の頭にはなかった。レジ台を挟んでいない息づかいが聞こえる距離で、これはいわゆる恋のアタックチャンスなのだが……。 (まさか煙草の吸い過ぎで肺癌……?)  咳き込んでる姿がママとそっくり……。  葵依の母親は、女手一つで娘を立派に育て上げた。朝から晩まで働き詰めで気苦労が多かっただろうに娘の前では一切辛さを表に出さず、笑顔を絶やさない人だった。生活は貧しいながらも笑い声に包まれた楽しい生活──そんな生活の中で葵依の母親が止められなかったのは煙草だ。  末期の肺癌となった彼女は葵依が中学三年生の冬、十二月に永眠した。兄と甥と娘に囲まれて──…。  母親を思い出してしまって、目が潤みそうになって葵依は慌てて手の甲を抓った。いつも泣きそうになった時はこうして痛みで誤魔化すのだ。それでも目の前に立つ男が心配で、 「もしかして……肺癌では……? 病院
last updateLast Updated : 2026-06-14
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私の彼氏はちょっとだけ心配性。:007

 俺は──この子に今まで話しかけた事なんぞ一度もない。  ただ一度だけクレーマーに絡まれている所を助けたが……その後も声をかける事はしなかった。 『昨日は助けてくれてありがとうございました!』  と頭を下げられ。  俺はなんと答えたか。 『あぁ』  だけである。それで会話は終了した。それ以来会話をした事がない。クレーマーの男に掴まれていた右手首はあれから一カ月も経つのに薄らと跡が残っていた。『大丈夫か?』という言葉さえかける事が出来なかった。  それから数日後。コンビニへ行くと、お礼だと言ってプレゼントを渡された時は、飛び回ってその辺を歩く赤の他人にも自慢をしたいくらい嬉しかった。そのシガレットケースはブランド物だった。  高校生が他人への礼に買うには高過ぎる代物だ。 『どうも』  いつも煙草を買う俺に何を贈れば良いか、俺の為に悩んでくれたプレゼント。死ぬほど嬉しいのに俺が言えた言葉はたった三文字だった。嬉しさを言葉に表すのを悩みに悩んだ結果がこれだ。俺はこうして声を掛けるチャンスを不意にした。  普段は口下手じゃない。それなのに、この子を前にすると態度が悪い客となってしまうのだ。  彼女を前にすると緊張して「113番」しか出てこない。同僚と一緒なら喋れるかもと思って職場から離れた場所にわざわざ同僚を何度か連れて行ったが──結果は同じだった。むしろ同僚の方が「年いくつなの?」と今まで訊ねられなかった事を訊いていた。「ご苦労さん」「頑張ってね」という労いの言葉をも掛ける──勝手にヤキモチを妬いた俺はこいつと半日口を聞かなかった。  客が彼女と会話をしている姿を何度も目撃した事だってある。 『今日はいい天気だったわねぇ』 『──ポカポカしてましたね。私、授業中ウトウトしちゃいました』  ──俺は天気さえも訊く事が出来ない。  あぁあ、クソ! 『ポカポカ』と『ウトウト』とか可愛すぎだろ……!! なんだよその言い回し!! 『このあと暇?』 『──ご飯を食べてお風呂に入ってから寝ます!』  ──遊びに誘うなんて以ての外だ。話しかけられない俺が誘えるわけない。  それにクソサラリーマンが。高校生誘ってんじゃねぇよ。青少年保護育成条例くらい学び直せ。  でも本人は誘われている事に全く気付いていないがな! ハハハハハハッ!  って
last updateLast Updated : 2026-06-14
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私の彼氏はちょっとだけ心配性。:008

  「……照れ隠し?」  目をパチパチさせる葵依に113番は「あぁ」と短く答えた。 「下田さんのバイトは今日が最後だから声を掛けようと思ったんだ」 「あれ? 名前?」  どうして名前を知ってるんだろ? と首を傾げると 「バイト中、名札を見てたから」  と男は自分の右胸を指した。バイト中はその場所にネームプレートを差すのだ。 「そうなんですね」  納得して頷く。  名前を知られていたなんて、と思うとどうしてか嬉しい気持ちが沸いてきて口元が緩んでしまう。 「俺は壱だ」 「いちさん?」 「あぁ」と113番──金城 壱は頷いた。名前を呼ばれただけでときめいてしまう。かなり拗らせている自分に壱は心中で自嘲した。 「二度と会えないと思って、声をかけた」 「そうなんですか……」  壱の言葉に葵依は小さく頷く。 『二度と会えない』……店員とお客様という立場でしか会った事はないから、お外で会う事はないのかぁ……。壱の口からそんな事を言われると思っていなかった葵依の胸にフトした寂しさがギュッと胸を絞ったように痛んで、思わず胸に手を当てる。この感覚は、死期が近い母親に二度と会えないと思う度に感じていた苦しさに少し似ているような気がする。近くで顔を見る事も声を聞く事も、肌の温かさをもう二度と感じる事が出来ない切なさ……。どうして、バイト先の常連さんへそんな感情を抱くんだろう。 (ママと同じ煙草を吸っているからかな) 「下田さんが居たから買っていた」  葵依はキョトンとして言葉の意味を考えた──私が居たから、ってどういう意味だろう?  壱を見上げると、今になって距離が近い事に気がついた。自分の胸と壱の腹付近が触れ合っている。胸に当たる腹が硬くて自分との違いが分かり、妙な恥ずかしさが込み上げてきた。慌てて後ろに下がろうとすると、追いかけてくるように下がった分の距離を追いかけてくる。 「意味……分かるか?」  腰を引き寄せられ──密着する。  小さな胸が男の厚い腹に潰されて、そこから熱が伝わった。二人の身体の間に手を入れて、壱の胸を押そうとするも力の差があってビクともしない。壱が触れた腰からもジワジワと広がるように熱が広まっていく感覚に陥った。  怖さを覚えるも──壱の真摯な眼差しと目が合った瞬間、その瞳に吸い込まれる
last updateLast Updated : 2026-06-14
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私の彼氏はちょっとだけ心配性。:009

後ろ髪より少しだけ長い前髪が横頬を擦り、薄い唇がゆっくりと動く。その様子がスローモーションのように見えて、理解するのに時間がかかった。 「好きだ」 またもや言われ。 壱の顔は信じられない程に真剣で冗談を言っているようには見えない。 「そ、そんな……何度も言わなくても……」 「俺は下田葵依が好きだ」 熱い吐息と共にフルネームで名を呼ばれた葵依は口を噤んだ。 どうして壱に告白をされているのか理解が追い付かない。 「俺は何度でも言う。好きだ」 葵依は返事の代わりにギュッと目を閉じる。 どうして告白をされているのか暗闇の中考えようとして目を閉じたのだが……これでは『キス待ち』をしているように見えた。実際、壱は堪えるように眉間に皺を寄せていた。ゴクリと唾を飲み込む音が壱から漏れる。 ふー、と壱は長い息を吐くと、葵依の頬に触れた──全理性を総動員させて葵依の唇に触れるのを止めた。それを知らない葵依は自分の頬にひんやりとした何かの感触に瞼を痙攣させる。目元をなぞる何かの動きが目を開けるようにと催促しているように感じて、葵依はゆっくりと目を開いた。その正体は壱の指だったようで、指は一本、ニ本と増えていき……掌で包み込むように頬に触れた。親指で目の下を優しく、何度も撫でられて葵依は目を細める。 「ど、どうして私を? ちゃんと喋ったことはないのに……」 暗闇で考えて見たけど答えが出なかった。本人へ訊いた方が早いと思った。 指の動きのように、優しい目をして自分を見下ろす壱の目を見て訊ねると彼はフッと微笑んだ。その笑みがあまりにも色っぽく、いつものぶっきら棒さが嘘のようで目がテンになってしまう。 「一目惚れだった。二年前からずっと好きだったが話しかける機会を逃し続けて今日まできたんだ。バイトを辞めると知って二度と会えなくなるのは辛い。だから、告白をしようと決めた」 (た、くさん喋ってる……喋れるんだ……) つい感心してしまう。 「俺と付き合って欲しい」 「で、でもお互いの事を良く知らないですし……」 「これから知っていけば良い」 「私なんて面白くないですよ?」 勉強とバイトに明け暮れる日々だし、友達一人だし……。その友達にも「付き合いが悪い」って言われるし……。 「俺の彼女になって欲しい」 「勉強に専念したいので……
last updateLast Updated : 2026-06-15
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私の彼氏はちょっとだけ心配性。:010

「ん?」と首を少し傾けたまま、こちらを見下ろしている黒い瞳と目が合った。でもそれは、純粋な黒ではなく深い焦げ茶色だ。壱からフッと微笑まれて、ドギマギしてしまうし顔が熱くなる。でも今は照れている場合ではない。 「俺が好きか、俺の顔が好きか、俺を見るとドキドキするか、という質問の問いに、平常時は九十前後だったのに、一二〇を超えた。即ち、俺の事が好きって事だ」 「えっ、あっ?」 「あとメロンとイチゴは大好物、茄子は嫌い、猫と犬は好き、虫は嫌い、って事も分かった」 「脈を取るだけでそんなことまで?」 感嘆の声を上げてしまって「感心している場合じゃない」と葵依は首を左右に振った。そしてここで初めて、壱から距離を取る。すると肩に回されていた手は案外簡単に解けた。 そのまま後ろ向きに2、3歩いて葵依は足を止めた。目の端に信号が青から赤へ点滅している光が入る。このまま走って信号を渡れば逃げられる。そう思ったが脚は信号に向かわなかった。爪先は変わらず壱の方を向いている。 熱い顔を手でパタパタと扇ぎながら葵依は深呼吸を繰り返した。 「は、初めて告白されるからなんと答えたら良いか分からないんです。だから、恋って言われても良く分からなくて」 「告白されたのは俺が初めて? 本当に?」 葵依がコクっと頷くのを見て、壱は目を見開いた。 それから長い溜息を吐きながら、その場にしゃがみ込んだ。 「先を越されなかった……良かった……」 地面に向かって吐いた独り言は葵依の耳には届かず。 具合が悪いのかな、と心配になって近付こうとしたら壱が立ち上がって葵依は足を止めた。 立ち上がった壱は真っ直ぐに葵依の目を見る。それから前髪を掻き上げた。 その仕草が妙に色っぽくて葵依はドキッとする。キレイな顔は額までキレイなんだな……そんな感想を抱いた。清潔感を感じる。 「俺は君と付き合いたいし彼氏になりたい。もしこのまま別れたら、二度と君に会えない。今まで店員と常連客という関係だったから、顔を見る事が出来たが……バイトを辞めてしまった今、俺には会える方法がないんだ」 「辛過ぎる」と心痛に呟いて搔き上げた髪をそのままくしゃりと握り締めた。 葵依はそっと目を逸らして地面を見やる。縋るような目を見ていられなかった。 「でも、私……大学に落ちたら……」 (ママの夢
last updateLast Updated : 2026-06-15
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