女は、鉄の棺を背負っていた。 大人の男がすっぽり入るであろう鉄製の棺を鎖で縛り、ズタ袋のように肩にかけている。一歩進むたびに棺の底が石畳に擦れ、石臼を挽くような音が響いた。 黒い外套を頭からすっぽり被った姿はさながら死神で、半ば闇に溶け込んでいる。フードから覗く顔は整っており、名匠の手になる彫刻のようでもある。しかし、静脈が透けるほどの白い肌からは生気を感じられない。冷たい湖の底で死蝋化した美女のような、そんな女だった。 女が歩いているのは、ところどころ苔の生えた石壁に、まばらにランタンが並ぶだけの狭い通路だ。石畳にこつこつと靴音を立てて歩いている。迷宮だ。迷宮都市メイズの地下に存在する広大な迷宮は、一攫千金を目指す冒険者と、それを狙う無数の魔物とで溢れている。 黒衣の女が歩む先には、男がいた。 男は赤い目を爛々と輝かせ、牙を剥いて威嚇した。チェックのベストを身に着けた商家風の服装をしているが、それが人間でないことはひと目で明らかだ。 男の足元には少女が倒れている。 ひらひらの飾り布がたっぷりとついた、仕立ての良い絹の服を着ている。長い金髪はよく手入れがされており、石畳に液体のように広がっていた。どこかの商家の箱入り娘を、人間に化けた吸血鬼が拐ってきたというあたりか。 女はおもむろに棺を正面に下ろす。重さに負けた石畳に、ばきりと罅が入った。「奴隷階級か」と女がつぶやき、「奴隷などではない。従者だ! 葬儀屋如きが!」と男が叫ぶ。 そして、その怒りに満ちた顔は、すぐに喜悦の表情へと変わる。「だが、貴様を殺して騎士の叙爵を受けるのだがな」 刹那、男の姿が消える。 ――否、遥か頭上に飛び上がったのだ。異形の跳躍力。2階の屋根ほどの高さはあろう。そこから石造りの天井を蹴り、勢いをつけて女に向けて飛びかかる。「黒鉄の蛇よ、喰らいつけ」 女が空中の男に向けて人差し指を伸ばす。 すると、じゃらりと乾いた音を立てて棺の鎖が動いた。それは五本の軌跡を引いて、男の四肢と腹とを刺し貫いた。鎖の先端には、蛇の顎門を思わせる歪な矢じりがついていたのだ。「捕らえよ」 鎖が蛇のごとくくねり、石畳に落ちた男の体を拘束する。常人であれば即死であろう傷を受けても
Last Updated : 2026-07-13 Read more