All Chapters of 迷宮都市の葬儀人: Chapter 21 - Chapter 30

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第21話 氷棺

 腐った肉が弾け飛ぶ。腐った肉が弾け飛ぶ。肉が、肉が、肉が、べちゃりどちゃりと雨の如く降り注ぐ。 乱打、乱打、乱打。 鎖に繋がれた黒い棺が宙を躍る。腐った竜の全身が打ち据えられ、頬骨が、大腿骨が、肋骨が背骨が尾骨が露出する。 乱打、乱打、乱打。 露出した骨が繰り返し打たれ、ひび割れ、へし折れ、剥がれ落ちる。床に積もった腐肉の上に、骨の欠片が重なる。 乱打、乱打、乱打。 竜の身体が徐々に縮む。打たれるたびに小さくなる。威容を誇った巨体がただの肉塊に解体されていく。 頭骨に鉄棺が振り下ろされる。無数の破片に割れて散る。後に残ったのは一面に広がる肉と骨と溶け落ちたはらわた。その中に立つ、棺を背負った白い裸身。赤と黒を出鱈目に混ぜた絵の具の上に、白を一筋垂らしたような。「うはははは! うはははは! わたくしめの竜を一蹴! なんという苛烈! なんという可憐! 僭越ながらこの美にもう一色を加えましょう!」 腐肉にまみれた道化師が蜥蜴の指で天を指す。天井が割れ、緑色の粘液が滝のように降り注ぐ。白い裸身が半透明の緑に覆われる。通路の天井まで届く粘った塊がエンバーの身体を飲み込んでいた。「丹念に丹精に蝶よ花よと手塩にかけて育てたグリーンスライムでございます。まっとうに貴女を打ち倒すことを願うなら地上に太陽でも召喚せねば不可能でしょう。しかしッ! 封じ込めることならばどうかッ!」 道化師の手から水色の花びらが放たれ、スライムを包み込む。花びらがスライムに張り付くたび、その箇所が瞬時に凍りつく。数瞬の後には緑の氷山が出来上がっていた。氷山の中心には棺を背負った裸身の女。「傷は塞がりましょう。欠けた身体も再生しましょう。灰の一片まで焼き尽くそうとも、棺の中から復活されましょう。しかし、しかし、しかししかししかし、これならいかがでしょうか? 千年万年凍り続ける氷の棺でございましたらッ!」 道化師は氷山を這い回り、あらゆる角度から氷漬けのエンバーを舐めるように眺める。エンバーは目を見開いたまま凍りつき、指一本も動かさない。「うはははは! いひひひひ! 完璧だ! 時よ止まれ、お前はなんと美しいッ! ……ぎゃうっ!?」 道化師が地面に落ちる。その背中には2本の楔状の武器が刺さっていた。「このキモいのがエンバーが追っかけてったやつ? って、エンバー凍ってんじゃん!?
last updateLast Updated : 2026-07-13
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第22話 死体検分

「何だったんですかね、この魔物は?」「銀が効いてたからな、不死者であることは間違いないと思うが……」 アイラとサイラスは頭部を失った道化師の死体を調べていた。服を剥ぎ取ると胴体は無数の肉腫で覆われており、人の指や昆虫の足、何かの眼球や翅などが出鱈目に生えている。「骸の王との関係も気になります。『最遠にして最近』なんて言ってましたけど、どんな意味なんでしょう?」「わからんな。というかあの支離滅裂な口振りだ。そのまま信じていいかもわからん」 手帳に死体をスケッチしながら、「だが」とサイラスは続ける。「冒険者を唆してゾンビを買い集めるようなこともしている。狂気に呑まれていただけ……とも考えにくいな。あるいは、こいつの他に黒幕がいるのかもしれん」「骸の王の復活というのも気になりますよね……」「それもわからん。ま、材料が足りなすぎるな。とりあえずの問題はこっちだ」 サイラスの視線の先には緑の氷塊があった。ゴゴロガの戦斧でもオドゥオールの魔術でもびくともしなかった。今はツバキが火を焚いて溶かそうとしているが、それでも氷塊に変化は見られない。「氷のように冷たいですが、樹脂のようでもあります。一体何で出来ているのでしょうか。いや、そもそもあの花びらの魔術の時点で……」 オドゥオールは氷塊の表面に手を当てて観察していた。魔力を帯びていることだけはわかるが、それ以上がわからない。王都の学院で学んだこともあるオドゥオールでも、類似の魔術すら思い浮かばなかった。「エンバーさん、このまま凍ったままになっちゃうんでしょうか……」「封印できたと喜ぶやつもいそうだがな」「そんな……」 アイラとサイラスも氷塊のそばに立つ。魔祓いの聖句を唱えたり、聖水をかけてみたりもするがやはり変化はない。「あれ、いまちょっと動きませんでした?」「光の加減じゃないか?」 アイラの言葉にサイラスは目を凝らす。氷塊の中で赤い光が揺らめいている。そのせいでエンバーが動いたように見えたのだろう。「って、炎!? やべえ、全員離れろ!」 サイラスの顔が青くなり、アイラを抱えて背後に飛ぶ。冒険者たちも咄嗟に氷塊から距離を取った。 その直後、爆音と共に氷塊が爆発した。熱風が吹き荒れ、アイラをかばって伏せたサイラスの後ろ髪がちりちりと焦げる。熱波が過ぎ去り、サイラスは恐る恐る振り返る。 そ
last updateLast Updated : 2026-07-13
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第23話 禁忌の研究所

「この迷宮のどこかに道化の拠点があるはずだ。それを探すぞ」「はいっ!」 道化師を討伐し、エンバーを発見した一行は迷宮の奥へと歩を進めた。エンバーはサイラスが持ってきていた黒い外套を被り、いつもの死神のような姿になっていた。 アイラが「なぜ着替えを持っていたのか」と尋ねると、サイラスは「こいつはしょっちゅう服を駄目にするからな……」と渋い顔をする。分局にとってエンバーの服代は馬鹿にならない出費なのだ。「それにしても、エンバーさんも少しは私たちを気にしてくれていたんですね」「どうだかな……」 先頭を歩くエンバーの背中を見ながら、サイラスは胡麻塩頭をぼりぼりと掻く。二十年来の付き合いだが、エンバーの考えていることはさっぱりわからない。「ひょっとして、ワイト戦の時も私たちのためにあえて周りを巻き込むような戦い方をしてたんじゃないでしょうか?」 アイラは廃屋での戦いを思い出す。百体近いワイトに囲まれたあの戦いは絶望的だった。エンバーが広間中に棺を振り回していなければ二人の命はなかっただろう。考えてみればエンバーが去った後に五体満足のワイトが一体も残っていなかったというのも不自然だった。「だが、お前さんもぶっ飛ばされてただろ」「まあ、そうなんですけど……」 そこを突っ込まれるとアイラも自信がなくなる。<聖鎧>を発動したことで新手の敵だと勘違いされたのか。そうやって好意的に解釈することもできるが、反対に考えれば不死者としての本能で<聖鎧>を持つアイラを積極的に狙った可能性もある。「何が何だか知らないけど、ごちゃごちゃ考えるより直接聞いたらいいんじゃないの?」 能天気に口を挟んだのはツバキだった。ツバキにとって、エンバーは強力な戦士かつ魔術士、そして極端に口数が少ない変わり者という認識だ。「それはそうかも……」 ツバキの率直な物言いにアイラは考える。エンバーが特殊な存在であることを知っているがゆえに遠回りをしすぎているのかもしれない。しかし、何をどう尋ねればいいのだろうか。「私のことどう思ってますか? って、それじゃ告白みたいだし。サイラスさんのことをどう思っているかを聞く? いや、これも変な意味に思われそう……」 アイラが頭を抱えているうちに、一行は通路の突き当りに行き着いた。「フツーに考えて、ただの行き止まりってことはないよね」 ツバキが
last updateLast Updated : 2026-07-13
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第24話 死霊術

「迷宮で揉め事は命取りだぞ」 オドゥオールとサイラスの間に割って入ったのはゴゴロガだった。道化師を倒し、エンバーと合流できたとはいえ迷宮内が危険であることに代わりはないのだ。仲間割れをきっかけに全滅する一団は珍しくもない。「すまん。つい口調が厳しくなった。だが死霊術は実践はもちろん研究すらも禁忌なんだ」「いえ、私こそ迂闊でした……」 ばつが悪そうに頭をかくサイラスに、オドゥオールも軽く頭を下げる。「でも、それにしたって厳しすぎない? つか、お宝には違いないんでしょ? あっ、こらっ! 本を投げ捨てるな!」 エンバーがまた一冊の本を放るのを、ツバキが慌ててキャッチする。滑らかな革で装丁され、金銀の文字が刻まれたそれは美術品としても価値が高そうだった。「うーん、これって何の革なんだろ? 毛穴は目立たないし、柔らかくてしっとりしてるし、牛でも羊でもないよね?」「人間の皮膚だろうな」「げえっ!?」 ツバキが悲鳴を上げて本を放り捨てる。革張りの本は床を転がり、裏表紙が明らかになった。そこには人間の顔面を材料にしたことがはっきりわかる装丁が施されていた。「分け前のことなら気にするな。教会が買い取って、その金額を報酬に上乗せする。それでいいだろ?」「お金がもらえるんなら問題なし! オドゥオールもいいでしょ? そのお金で他の魔術書を買ってもいいんだし」「え、ええ」 オドゥオールの視線は未練がましく魔術書に向かって泳いでいるが、提案には同意する。知識欲はあるがそれで教会を敵に回すのはとても釣り合いが取れることではなかった。 サイラスはパイプを取り出し、ゆっくりと紫煙を含む。「言い訳に聞こえるかもしれんが、これは厳しすぎるわけじゃない。死霊術ってのはそれだけ厄介なんだよ。アイラ、学校の復習だ。ちょっと講義してやれ」「えっ、私ですか!?」「俺の口は煙草を吸うのに忙しい」「まったくもう……」 突然水を向けられたアイラが、咳払いをして話を始める。「ええっと、不死者の恐ろしさはわかりますよね? とくにゾンビやワイトなどの感染性があるタイプはたとえ一匹でも放置すると大惨事になりかねません。なので、教会では一般向けに不死者化の予防となる葬送方法の講習を行ったりしています」「えっ、そんなことやってたんだ」「申し訳ありません、私も初耳でした……」 ツバキ
last updateLast Updated : 2026-07-13
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第25話 餌付け

 迷宮探索から数日が過ぎた。 道化師のアジトと思しき場所は、教会本部に応援を頼んで調査を行ってもらっている。ワイトを容易く生み出す未知の術式を警戒した教会は、迅速に人員を派遣した。 死体にかけた懸賞金も継続中だ。 不測の事態に備えるため、サイラスたちも含めた教会の手をなるべく空けておくためである。だが、迷宮内の遺体回収と不死者の討伐は変わらずに行っている。遺体よりも素材や財宝などを回収を優先した方がよほど金になるため、少々の懸賞金では効果がないからだ。 そんな中、エッセレシア聖光教会退魔庁不死者対策省メイズ分局――葬儀屋の事務所で少女の声が響いた。「サイラスさんはエンバーさんのことを知らなすぎます!」 声の主はアイラだった。腕組みをしてサイラスに詰め寄っている。「そう言われてもなあ……」 一方のサイラスは胡麻塩頭をぼりぼりと掻き、パイプをぷかりと吹かす。視線は泳いでアイラと目を合わせようとしない。「二十年以上も一緒にいるんですよね!? 趣味とか好きな食べ物とか休日には何をしているのかとか何っっっにも知らないじゃないですか!」「休日なんてないしなあ」「はあ!?」 アイラは声を荒らげた。教会の教えでは7日に一度は安息日と定められている。休日なしでの労働など、緊急事態を除けばとんでもないことだ。「疲れるどころか眠りもしないんだ。ほっとけば不死者を狩りに行く。休みなんて要らないんじゃ……」「そういうところですよ!」 アイラの剣幕にサイラスは思わずたじろいだ。エンバーは数日迷宮に潜っては、戻って地上の遺体を処理するというルーチンを繰り返している。疲れを見せることもないため、「休みを取れ」と言ったこともない。「身体は疲れていなくても、心は疲れるんです! 人間には適切な休息が必要なんですからね!」「心、ねえ……」「エンバーさんには心がないって言いたいんですか!」「いや、そこまでは言ってないが……」 表情ひとつ変えることがないエンバーだが、サイラスも心がないとまでは思っていない。ただひたすらに捉えどころがないためコミュニケーションを諦めてしまっただけだ。「サイラスさんがそんなだからエンバーさんが話をしてくれないんですよ!」「いや、あいつは最初から無口で」「サイラスさんから仲良くしようとしないからです!」「仲良くってもなあ……」 サ
last updateLast Updated : 2026-07-13
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第26話 質問

「それではエンバーさん、いよいよ本題なんですが……」 菓子を一通り食べさせ終えたアイラが、エンバーの目を真剣に見つめる。サイラスはごくりと生唾を飲んだ。核心的な情報が得られるかも知れないし、そうではないかもしれない。サイラスは気になっていることを頭の中で箇条書きにする。 ひとつ、骸の王を探す目的。 骸の王は千年前の大死霊術師だ。数え切れないほどの不死者を意のままに操り、不死者の王国を築いたと伝わる。そして先日の事件ではその復活が示唆された。エンバーが骸の王の被造物だとして、再び仕えるために探しているのだとしたらそれは絶対に阻止しなければならい。 ふたつ、エンバー自身は何者なのか。 異常なほどの再生力。人狼さえ歯牙にかけない怪力。そして棺を操る魔術らしきもの。そして今回は古代語に精通していることも判明した。道化もそうだったが、エンバーも教会の記録に存在しないタイプの不死者だ。正体を知る必要がある。 ちなみに、現場に居合わせなかったサイラスには知る由もないことだが、骨の一片すら残さず消し飛ばされても復活し、巨大なドラゴンゾンビを跡形もなく叩き潰したことを知っていたら一層頭を抱えていただろう。 他にも道化の正体や骸の王は本当に復活するのか。あるいはすでにしているのかなど聞きたいことは無数にある。アイラの口から発せられるのはどの問いなのか。そしてそれに対し、エンバーはどう反応するのか。サイラスはエンバーから見えないよう、机の下にした手に火霊石を握りしめた。 アイラは大きく深呼吸をして、意を決したかのように尋ねた。「どのお菓子が一番好きですか!?」「は?」 想像もしていなかった質問に、サイラスは思わず椅子から滑り落ちそうになった。そんなことを聞いてどうするのだ。それにエンバーは生者を装うために食事をしているにすぎない。好きも嫌いもある訳がない。「好きとはどういうことだ」 案の定、エンバーは表情ひとつ変えずに尋ね返した。そんな概念は存在しないのだろう。「ええっと、好きっていうのは……一番美味しかったのは……いや、もっと食べたいと思ったのはどれですか?」「これだ」 ところが、サイラスの予想を裏切ってエンバーは即答した。最初に食べたパンケーキを指さしている。「それならもっと食べればよかったのに……」「一口食べろと言った」「それはそういう意味じ
last updateLast Updated : 2026-07-13
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第27話

 陽の差さぬ部屋。禍々しい彫刻に彩られた玉座に腰掛けた老人がいた。眼球はなく、眼窩には青白い光が揺らめいている。がさがさと乾ききった肌は朽木の樹皮のようで、唇は痩せて歯茎が剥き出しになり、しかし口腔に除く舌だけはぬらりと湿り気を帯びていた。 分体が喪失した。 自我を分割して十三に切り分け、世界中に分散したがそのうちの愚者が滅せられたのだ。長い年月により魂魄の渡りはだいぶ弱くなったが、喪失したことだけは魔術を行使しなくとも感覚でわかる。 骨と皮だけの指でその手に抱えた魔導書をなぞる。人革張りの魔導書には古代語で『骸の書』が捺されていた。 魔導書を捲りながら、老人はページをたぐる。愚者の近くにいるのは戦車と月だったか。魔導書がぼんやりを青白い光を放った。魂を接続し、骸の王の遺産を回収するよう命じたのだ。 魔導書を閉じると、老人はひどく咳き込んだ。たったこれだけの魔術行使でこの有様だ。もう時間がない。老人は別の本を手にする。それには『王の再臨』と古代語で記されている。「おお、骸の王よ。陽神を恐れず、陰神の軛から解き放たれし偉大なる御身よ。我に救いを、真なる永遠を与えたもう……」 しわがれた囁きが暗い部屋に響いた。 * * * メイズに押し寄せるのは白骨の群れだった。 千を数えるスケルトンの大群がもうもうと土煙を上げながら迫っていたのだ。「こりゃ普通のスケルトンじゃねえな」 城壁の物見から様子を探るサイラスの瞳には、白骨の馬にまたがるスケルトンの群れが映っていた。右手に馬上槍、左手に円盾と、オープンヘルムの兜に鎖帷子と共通の装備が整えられている。「こんな数のスケルトン、一体どこから……」 隣ではアイラが呆然としていた。 こんな規模のスケルトンの群れなど聞いたことがない。「メイズの近くにゃ古戦場が無数にある。素材はそこから調達したんだろう」「そんな! ずっと昔に亡くなった方を使うなんて!」「死霊術師に神の正義を説いたところで無駄だ。スケルトンに感染性はない。それだけはマシだったな」 アイラの怒りに、サイラスは淡々と応じる。何年も眠りにつき、白骨化した死体が自然にスケルトン化するケースは非常に稀だ。ましてやこの数の装備が揃ったスケルトン。死霊術師の関与を疑わない理由はなかった。
last updateLast Updated : 2026-07-13
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第28話 開戦

 ――我ら、神の軍勢なり!   ――神の軍勢なり! ――我ら、神の威光を守るものなり!   ――神の威光を守るものなり! ――さあ往かん神の名代たちよ!   ――さあ往かん神の名代たちよ! ――偉大なる陽神を穢す者共に神罰を下すのだ!   ――応! 応! 応! 中央の神官戦士団から鬨の声が上がった。 そしてそれは聖歌へと変わり、戦場に響き渡る。合唱する神官戦士たちの身体が淡い銀色の光に包まれ、歌声はますます高らかになる。「<戦の歌>か。やっぱりやりやがったなあ」「集団戦の基本だと思うんですが、何か問題があるんですか?」 戦場を見下ろしながら、サイラスはぼりぼりと頭をかいた。「確かに、基本はそうだ。<戦の歌>は勇気を鼓舞し、恐怖を忘れさせ、疲れや痛みを軽減させる。強力な奇跡だな」「それならやるだけ得なんじゃないの? それなら私も覚えようかな、聖歌」 好奇心の強いツバキがいつの間にか二人のそばに来ていた。「話は最後まで聞けよ。<戦の歌>が有効なのは、正面から戦って勝てる場合に限る。全能感に包まれちまって、策を弄することができなくなるんだよ」「嬢ちゃんみたいな斥候職には相性が悪いな」「げっ、それならやめとくわ」 サイラスの言葉を引き継いだゴゴロガに、ツバキはぺろりと舌を出した。「なるほど、それがサイラス氏があえて神官戦士団に参陣しなかった理由というわけですか」 オドゥオールも長杖をつきながら話に参加してきた。「そうだ。あの中に入っちまうと頭が働かなくなるからな。この戦いは単純に正面からやりあったら必ず負ける」「しかし、それならそれで事前に献策をすればよかったのでは?」「このままじゃ負けるぞ、なんつうと『神の威光を疑うのか!』なんて怒り出すやつが多いからな……。話を聞いてもらえるとは思えん」 加えて、不死者であるエンバーの相棒であるサイラスは教会内でも反発する者が多い。二十年以上も教会に奉職しているサイラスが一地方都市の分局長という立場に留まっているのは、エンバーから目を離す訳にはいかないという理由だけでなく、そういう事情で単純に出世が遅れているということもある。「ま、教会よもやま話はこんなところにしておこう。おっぱじまるぜ。全員、目を凝らしてくれ。とくにツバキ、お前の目は頼りにしてるぜ」「えへへ、任せとき
last updateLast Updated : 2026-07-13
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第29話 伏兵

 城壁を出たサイラスたちは、自軍左翼を大きく迂回する。 左翼を担当する冒険者軍はよく持ち堪えており、即席の馬防柵を補強しながらスケルトンの前進を食い止めていた。負傷者もいるようだが、まだまだ士気旺盛のようだ。教会戦士団が突撃を敢行したことに勇気づけられたのだろう。「くっ、なんとか無事でいてくださいよ……」 オドゥオールは戦場を駆けつつも歯ぎしりをする。冒険者軍の中にはオドゥオールの友人もいた。サイラスが立てた本陣奇襲の策は、つまり自軍を囮にするということでもある。冒険者たちはまったく預かり知らないことだが、成功させなければ申し訳が立たない。長杖を握る手にも力が入る。 サイラスはちらちらと振り返りながら先頭を駆ける。振り返った視線の先にあるのは城壁に残ったツバキだ。手鏡で太陽光を反射し、それで敵大将の居所を逐一知らせてもらっている。スケルトンの大群に守られた首なし騎士の居所は、高所からでなければ視認できないのだ。「わかりやすく旗でも掲げててくれりゃいいのにねえ」 サイラスは思わず愚痴をこぼす。人間の軍ならば本陣には必ずと言ってよいほど目立つ戦旗を掲げる。敵に狙われるリスクも高まるが、それ以上に本陣健在を示すことで味方の士気向上に役立つからだ。逆に言えば、士気など関係がない不死者の軍に戦旗は不要だ。 その証拠というわけでもあるまいが、白骨の群れのど真ん中に掲げられた教会戦士団の旗は戦場のどこからでも見える。おそらく戦士団長が先頭に立って突撃を敢行したのだろう。今なおスケルトン軍を切り裂きながら突き進んでいる。 だが、その進軍速度は明らかに鈍っていた。耳に届く聖歌も少しずつだが小さくなっている。疲労がたまっただけでなく、戦死者も増えていることが伺えた。「愚痴を言っても仕方があるまい。俺たちは走るだけよ」 種族的に走ることが苦手なゴゴロガも、サイラスの背に必死になって喰らいついている。この地方の要となっているメイズ市が不死者に陥落されれば、ゴゴロガが営む酒場があるブラックウッズも危険に晒されるという現実的な利害もある。しかし、それ以上にこの街には数え切れないほどの思い出と恩義があるのだ。「これが……本物の戦場……」 アイラは熾烈な戦闘を横目で見ながらつぶやく。 そこかしこから響く剣戟の金属音、敵を打ち倒さ
last updateLast Updated : 2026-07-13
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第30話 月

 メイズ市外で白骨の軍と、生者の軍が衝突を開始した頃。 黒い棺を背負った女が迷宮を歩んでいた。ずず……ずず……ずず……と一歩ごとに石臼を挽くような音が響く。重い鉄の棺が迷宮の石畳を削っているのだ。 長身の女は分かれ道に差し掛かる。そこは濁った水に沈んでいるが、女は構わず歩を進める。進む先は左。水底をまばたきもせず歩いていく。 頭の先まですっかり浸かっても女は表情を変えない。口や鼻から気泡が上がることすらない。 道行く先にはばらばらに刻まれた肉片が浮かんでいた。蛙に似た生首が目の前に流れてくるが、女は意にも介さない。手で払い除けることすらせず、胴に当たるままにしてそのまま突き進む。 ずず……ずず……ずず……。石臼を挽く音が濁った水中に響く。だが、それを聞くものは何もいない。迷宮は死の静寂に包まれていた。 女の身体が水辺を上がる。黒い外套はぐっしょりと濡れ、水を滴らせているが、女はそれを絞ろうとすらしない。そのまま道を進み、壊れた扉を抜け、昇降装置の仕掛けに乗る。 下階に到着すると、通路上にいくつもの死体が転がっていた。修道服を着た男女だ。それがばらばらに切り刻まれて、臓物を汚らしくぶちまけ、鮮血にまみれて転がっている。道化師の事件の調査に訪れていた教会の神官たちだった。 女はそれぞれの頭部を見つけると、口の中に銀貨を1枚ずつねじ込んでいく。そしてまた石臼の音をさせながら進んでいく。「あらあらあら、まあまあまあ、これは変わったお客様のご訪問で」 道化師の研究所には、別の女が立っていた。頭から白い絹のベールを被り、麻で織られた貫頭衣をまとっている。それだけならば修道女だと思っただろう。しかし、ベールから除くその顔は異形だった。 眼球が眼窩から飛び出している。 甲殻の管の先に眼球らしき黒い球がついている。 唇はなく、歯の代わりに無数の節足が蠢いていた。 一言で言うならば、ザリガニに人の皮を貼り付けたような顔だった。 そしてその足元にはバラバラに寸断された神官の死体が転がっていた。「初めまして、エンバー様。わたくしは月と申します。骸の王を称えし大アルカナの一角にして――」 月を名乗ったザリガニ女が口を利けたのはそこまでだった。エンバーが振り回した棺に吹き飛ばされ、壁に叩きつけられたのだ。「なっ、なんて乱暴な!? 貴女は
last updateLast Updated : 2026-07-13
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