見知らぬ現代に迷い込んで十年。システムはついに、私、橘清信(たちばな きよのぶ)という「バグ」の存在に気づいた。元の時代へ送り返す準備として、私に与えられた別れの猶予はたったの三日間。ここ数日の間に、彼女は「私たちの結婚式を幼馴染に譲ってほしい」と言い出した。私は取り乱しも、引き止めもせず、ただ静かに微笑んで婚約指輪を返した。十年に及ぶこの長い夢から、もう目覚める時だ。……結婚式が始まるまであと一時間。私はメイクルームの鏡の前に座り、スマホに保存された小森紗月(こもり さつき)との写真を眺めていると、やはり胸がギュッと締め付けられるような痛みを感じていた。恋人らしい、ベタベタした写真は一枚もない。あるのは、彼女が私の腕を組んでいる姿や、私の肩にもたれて満面の笑みを浮かべる横顔ばかりだった。二人で歩いた街角、一緒に見た朝日や夕焼け、すし詰めの満員電車……どれも何気ない日常を切り取ったものだ。しかし、どの写真でも紗月の瞳はキラキラと輝き、まるで星の光を宿しているかのようだった。私は再び、紗月が三十分前に送ってきたメッセージ画面を開いた。【清信、ごめんなさい。司に後悔を抱えたまま逝かせるわけにはいかないの。ただ彼と結婚式を挙げて、最後の願いを叶えてあげたいだけなの。式が終わったら、ちゃんとあなたと婚姻届を出すから。私の気持ち、分かってくれるよね?】結婚式当日、紗月に言われたんだ。彼女の幼馴染の早川司(はやかわ つかさ)がガンを宣告されたから、死ぬ前に紗月と結婚する願いを叶えるため、私たちの結婚式を譲ってほしい、と。以前の私なら、間違いなく激怒していただろう。だが今の私は、ただ呆れ果てるしかなかった。私はこの世界を去り、本来いるべき時代へと帰る。私の生きた時代は、今のように科学技術が発達しておらず、人々が平和に暮らせているわけではない。飢えや寒さに苦しむ民がごまんといる。だから帰る前に、少しでも多くのことを学び、自分の時代へ持ち帰りたい。学ばなければならないことが多すぎて、悲しんでいる暇などなかった。入力欄の上に指を浮かせていたが、結局、静かに画面を消した。メイク担当のスタッフがドアを開けて入ってきた時、私は鏡に向かってネクタイを締めているところだった。
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