爽やかな余韻のようなものを味わいながらリビングに戻った僕はコーヒーカップの片付けを始める。 パスタの皿の方は月子が手早く洗ってくれたので、これくらいは僕がやらないと。 鼻歌でも歌いたい気分で手を動かしながら、つい先ほどの月子との会話を思い出す。「泣きそうな顔をしてたなんて……まさかねぇ」 ひとり呟いたあと、僕は不意に手を止めた。 ちょっと待て。さっき月子はなんて言った? ――これでもう心残りはないわ―― 思い出した瞬間、今までの浮かれた気分が一瞬で消し飛んでいた。言いようのない不安が込み上げて息がつまる。 僕は反射的に蛇口を閉めると、取るものも取り敢えず家を飛び出していた。 途中で鍵をかけ忘れたことに気がついたけど戻る余裕はない。振り返ることすらせず無我夢中で海へと続く坂道を全速力で駆け下りていく。 すぐに砂浜は見えてくるが、風が強いとはいえ今日は晴天で海水浴場は大勢の客で賑わっている。 となれば月子が向かいそうなのは、ここからさほど遠くない遊泳禁止の砂浜か。 確信はなかったけど迷っている暇はない。 僕は必死で手足を動かして夏の太陽に灼かれたアスファルトの道を突っ走っていった。 車道を横切り歩道に上がると、そのままフェンスを跳び越えて木立の間を駆け抜ける。今日の今日まで忘れていた道だが、記憶の通りならば、この先は小高い崖になっていて、そこを抜けて砂浜へと下りることのできる細い道があるはずだった。 舗装された道ならともかく、こんな小さな土の道は時の流れの中で簡単に埋没しかねないものだが、幸いにもここはまだ健在だった。 天に感謝するような思いで地面を蹴って砂浜まで走り抜けるが、辿り着いた先には人影ひとつ見当たらない。 ここではなかったのか? それともまさかすでにあの波の中に―― 海辺に吹く風はよりいっそう強さを増していたが、この陽射しの下で全力疾走すれば当然ながら大粒の汗が噴き出してくる。 なのにそんなことさえ気にならないような冷たい汗が背中から噴き出して、運動の結果とは異なる息苦しさが胸を詰まらせた。 大きく
Last Updated : 2026-08-08 Read more