協議の日、栗田貿易の本社へ向かうと、以前とは違う静けさが建物を包んでいた。かつて颯真が私に見せた社長室の窓は暗い。駐車場に並んでいた高級車も減っていた。会社の仕事の一部は、取引先の協力で別の商社へ引き継ぐ話が進んでいた。希望した社員の多くも、そこで働ける見込みだという。守られようとしているのは、颯真の肩書ではなく、罪のない人たちの暮らしだった。話し合いの部屋には、先に美和がいた。以前のような艶のある服ではなく、灰色のスーツを着ている。その向かいに、颯真が座っていた。髪は乱れ、腕時計もなく、私を見ても立ち上がらなかった。美和が、私より先に口を開いた。「証拠を消せと言ったのは颯真さんでしょう」「お前が勝手にやった」「会社の回線を使わせたのは誰?」「お前が真紀みたいに有能だったら、会社はこんなことにならなかった!」美和はしばらく颯真を見つめ、それから乾いた笑いをこぼした。「最後まで、私を真紀と比べるのね。私を選んだんじゃなくて、真紀から奪えれば誰でもよかった」「お前だって同じだろ!」美和は鞄から鍵を取り出し、机へ置いた。「もう終わり。あなたの借金まで背負う気はない」弁護士が2人を制止し、協議を再開した。颯真は提示された返済案を見ようともせず、私をにらんだ。「お前が黙っていれば、会社は残った」「私が黙っていれば、偽物を売る会社が残っただけ」「7年も支えた会社だろ!」「だからこそ、あなたの嘘に私の名前を使われたままにはできなかった」颯真の口が動いたが、もう言葉は出なかった。私は必要な確認を終え、書類へ署名した。席を立ち、部屋を出た。廊下には、泰石が少し離れた場所で待っていた。助けが必要かどうかを、私が決められる距離だった。「終わりましたか」「終わりました」「何か温かいものでも、食べて帰りませんか」私は一度だけ、閉じた扉を振り返った。中から颯真と美和の言い争う声が聞こえたが、もう私の名前は呼ばれていなかった。「行きましょう」駅前の小さな店で、私たちは湯気の立つうどんを頼んだ。式を中止した日から、誰かと食事をしても味を覚えていないことが多かった。その夜は、だしの温かさが喉を通るのを感じた。「記者会見のあとにした話、覚えていますか」泰石が箸を置いた。「全部終わるまで待つ、と言った話ですね」「どうして、
Last Updated : 2026-08-10 Read more